第八十六話 万魔殿の簒奪者
「ネフィリア様を起こすのだ」
黒衣の少年の口から、封印世界の脱出方法が飛び出した。その言葉は、彼を取り囲む着流し姿の九人の男女の耳にも入っている。
九人の中の一人、私、ウィルミア・デストランドの耳にもシッカリ届いた。言葉の意味も理解した。
しかし、私の眉根は歪む。首も斜めに傾ぐ。その反応は、私に限ったものではない。
私の隣に立つ痩身男性、愛洲来寿様も、私と同じ表情を浮かべて、同じように首を傾げている。その他の少年少女、真銀人形達も同様だ。
私は、恐らく来寿様も、黒衣の少年の言葉の意味は理解している。しかし、だからこそ私達の首は斜めに傾ぐのだ。
黒衣の少年が言う「ネフィリア様」とは、元の世界の造物主のことだ。それを起こすことと、この世界からの脱出が、全く繋がらない。
何がどうなれば、そうなるのだ?
私と来寿様の頭上に「?」が浮かぶ。その様子は、当然ながら黒衣の少年の視界にも映っている。
「分からん奴らだな」
少年は、顔に渋面を浮かべながら毒吐いた。その言葉を聞いて、私の眉根が歪んだ。脳内には文句の言葉が幾つも閃いた。その内の一つが、私の口を衝いて出た。
「其方の説明が悪い」
少年の言葉は余りに簡潔で、情報が足りなさ過ぎる。そもそも、私達の間に共通認識など殆ど無い。いや、有る訳がない。
目の前にいる黒衣の少年は人間ではない。女神ネフィリアが創造した最強の魔物、ドラゴンなのだ。
奈落の破壊者アトゥルム。それが少年の正体だ。
そもそも、私達は敵同士。しかも、直接戦ったのは一度きり。私達に共通認識が有るとすれば、当時の出来事以外無い。それなのに、
「面倒臭い奴らだ」
アトゥルムは不機嫌そうに顔を歪めて舌打ちする。その反応を見て、思わず腰の打刀を抜き掛けた。
少し前の私であれば、問答無用で抜いているところだ。しかし、今の私は違う。
私は「ふーっ」と大きく息を吐いた。続け様に大きく息を吸う。すると、沸騰し掛けた頭が冷めていく。それが平熱になったところで声を上げた。
「先ず――」
私達は、それぞれ種族や立場が違う。理解する為には、それなりに段階を踏む必要が有る。
私は、アトゥルムが告げた言葉の内容を細かく分けて、それに付いて一つひとつ確認する作戦に出た。
「ネフィリア様は、この世界にいるのか?」
私の問いに、アトゥルムは即答した。
「いる」
この世界に造物主がいる。それが真実であれば、私達も会えるかもしれない。会って、文句の一つも言いたいところだ。その想いが、私の口を衝いて飛び出した。
「どこだ?」
「うん?」
「女神様は、どこにいらっしゃるのだ?」
私はアトゥルムに詰め寄った。すると、視界に映った黒衣の少年の右手が動いた。
浅黒い右手から、人差し指がスッと伸びる。その指先を下に向けて地面を指している。
少年、アトゥルムの行為を見て、私は直ぐ様足下の地面を見た。
私の視界に、真っ黒に煤けた土が映った。目の前にいる黒衣の少年が焼き払ったからだ。当然ながら、誰もいない。
「?」
私は首を傾げた。来寿様も、人形達も首を傾げている。
私は皆を代表して、全魔王軍の想いを告げた。
「それはどういう――」
私としては、アトゥルムの行為の意味を尋ねるつもりだった。ところが、私の言葉はアトゥルムに遮られた。
「待て」
アトゥルムは、私達に向かって右掌を掲げている。
アトゥルムの行為の意味は何なのか? 何を待てば良いのか? サッパリ分からん。それを確認したい衝動も沸く。
しかし、私達は敢えてアトゥルムの指示に従った。
アトゥルムの様子がおかしい。
アトゥルムは、顔を強張らせながら、視線を忙しなく泳がせている。その様子を見ていると、何かに警戒しているような印象を覚えた。
目の前に敵がいるのだ。警戒するのは当然と思えなくもない。しかし、どうやら対象は私達ではないようだ。
アトゥルムは、暫く視線を泳がせた後、半眼になって耳を澄まし出した。それを邪魔しないよう、私達は固唾を飲みながら見守った。
暫く無言の時間が続いた。その静寂を、アトゥルムが破った。
「厄介な奴が来た」
厄介な奴。一体、どんな奴なのか? その正体は不明だ。しかし、何となく想像することはできた。
ドラゴン(アトゥルム)が厄介に思う存在など、それほど多くはないのだ。
私は直ぐ様視線を上げて空を見た。
私の視界には、毒々しい色を吐く大渦群ばかりが映った。一見、いつもの封印世界の空模様だ。しかし、私は引き続き目を凝らして空を観察した。
暫くキョロキョロ見回していると、毒々しい色の中に金色の染みが発生した。
それが目に入った瞬間、私は染みの正体を直感した。
ドラゴンだ。
体色は黄土色か? 或いは黄金だ。その特徴を直感した瞬間、私は創世記に出てくる或るドラゴンを想起していた。
その名前が、私の口を衝いて出た。
「万魔殿の簒奪者、アウルム」
私の言葉に、アトゥルムが静かに頷いた。
アウルム。女神ネフィリアが創造した三番目の世界、強欲を滅ぼしたドラゴンだ。
強欲は、富と財に溢れた世界だった。それこそ、世界中の人々を豊かにするほどに。しかし、それを特権階級が独占しようとした。その行為が女神を怒らせた。
「金ちゃん(アウルムの愛称)、やっておしまい」
アウルムは強欲の世界に降り立ち、人々に黄金化のブレスを浴びせて回った。その際、アウルムは世界中の宝物を集めた蔵を根城とした。
その蔵の名前が万魔殿。その出来事に因んで、アウルムに「万魔殿の簒奪者」という異名が付いた訳だ。
アトゥルムの相手をしていたところにアウルムが来た。私達は二匹のドラゴンを相手にしなければならないのか? その可能性を想像しただけで、私の額と背中に汗が滴る。その想いが、口からポロリと零れ出た。
「何故、またドラゴンが――」
現況は焼け野原。めぼしいものなど何もないだろう。一体、ドラゴンは何を求めてここに来るのか? 考えたところで、答えは無い。そのはずだ。
ところが、明確な理由は有った。それを、アトゥルムが告げた。
「俺のときと同じさ」
「同じ?」
「俺の手下――飛竜を倒しただろう?」
アトゥルムの言葉を聞いた瞬間、私の脳内に黄土色の飛竜が閃いた。
私達は合計二匹の飛竜を倒している。最初の黒い飛竜が、アトゥルムの眷属なのだろう。もう片方、黄土色の飛竜は――
「あれは、アウレムの眷属だったのか」
私の言葉に、アトゥルムが首肯する。
飛竜を倒すと、漏れなくドラゴンが襲来する。その事実を思うと、私の口から溜息が漏れた。
倒すしか、無い――のか?
私はアトゥルムを見た。すると、私の視界に映った暗色の眉が大きく歪んだ。その表情の意味が、アトゥルムの口から飛び出した。
「俺に任せて貰っても良いが――簡単にはいかんぞ?」
アトゥルムに任せる。それで穏便に済むなら、そうして貰いたい。
しかし、アトゥルムにも、恐らくアウレムにも、その気は微塵も無さそうだ。
「負ける気はしないが、それなりに苦戦するだろうな」
アトゥルムは「お前達にやられた傷が癒えていない」と言って苦笑した。しかし、私達は全く笑えない。
ドラゴン同士の戦闘。それが如何なるものか? それを想像すると、世界の破滅しか見えない。
当然、私達も巻き込まれる。新造している魔王城も破壊される。そのような事態、絶対に避けたい。その想いが、私の口を衝いて出た。
「話し合いで――」
「無理だな」
私の提案を、アトゥルムは超速で否定した。何故なのか? いや、言われなくても分かる気がする。
私が想像した通りの内容が、アトゥルムの口から飛び出した。
「あいつらは自分より強い奴、自分に勝った奴の話しか聞かないからな」
アトゥルムの言葉に、私は「なるほど」と頷いた。丁度良い例が、私達の目の前にいる。結局、ドラゴンとは戦う羽目になるようだ。しかし、ここで問題が一つ。
誰がアウレムの相手をするのか?
大問題だ。しかし、私が決断に要した時間は、それほど長く無かった。
「アトゥルム」
「うん?」
「お前は手を出すな」
「何だと?」
「私達が仕留める」
魔王軍だけで、アウレムと勝負する。私の独断だ。しかし、
「承知」
来寿様以下、魔王軍の精鋭達は即応で首肯していた。




