第八十五話 望外の提案
焼け野原に、三つの山がそびえ立っている。それぞれ、大きさが異なっている。
その山の内、二番目に大きな山の麓に十名の男女の姿が有った。
白銀の小袖をまとった九名の男女と、黒いローブをまとった少年。
前者は、私、ウィルミア・デストランドと魔王軍の精鋭達である。
後者は、招かれざる客、奈落の破壊者アトゥルムだ。
魔王軍は黒衣の少年を取り囲んでいた。それぞれの右手は、腰に差した打刀の柄に添えられている。
数の上ではこちらが有利。しかし、戦力的には有利とは言い難い。
何しろ、目の前にいる少年は(少年の言葉通りならば)最強の魔物ドラゴンなのだ。人間の敵う相手ではない。そもそも、誰も戦おうとは思うまい。
しかし、魔王軍は殺る気満々である。そのような心情になってしまう理由が、私達には有った。
此奴のせいで、私達は引っ越しを余儀なくされたのだ。
魔王の森を焼き尽くした張本人が、私達の目の前にいる。再び見えたとなれば、死力を尽くして戦うことは必定だ。
それぞれが黒衣の少年に襲い掛かるのも時間の問題。私とて、同じ気持ちである。しかし、それでも――
「待て」
私は皆を制した。一応、全員命令を聞いている。しかし、人形達は顔を不満げに歪めて、私を睨んでいる。皆の視線で、私の顔に穴が開きそうだ。
私は痛みを堪えながら、黒衣の少年に向かって声を上げた。
「其方、『話が有る』と言っていたな?」
あの傍若無人なドラゴンが、私達と会話を試みている。別人を疑う豹変振りである。その理由が何なのか? 気にならないはずもない。それに、私達に持ち掛けた話の内容も気になる。
戦うにしても、疑問を解消した後の方が良い。
如何なる不測の事態が起ころうとも、魔王ウィルミア・デストランドは常に冷静なのだ。偉い。賢い。ふんす。
私は冷静に判断して、アトゥルムとの会話を試みた。すると、黒衣の少年の口が開いた。
「ああ、お前達に提案が有る」
提案。一体、どんな内容なのか? 考えたところで「これだ」と断言できるものは閃かない。
尤も、相手の正体を鑑みると、ろくでも無い内容である可能性が高い。アトゥルムに向ける眼差しも、自然と厳しくなる。
私はアトゥルム睨み付けながら声を上げた。
「どんな提案だ?」
我ながら居丈高な口調である。そこには隠し切れない想いの棘が沢山突き出ている。
しかし、アトゥルムは全く平静に見える。涼しい顔のまま、口開いて即答した。
「お前達――」
アトゥルムの口調は、私並みに偉そうである。少年の姿をしているので、余計クソ生意気に思える。
尤も、アトゥルムに対する悪印象は、今に始まったことではない。それに、そんなことは些事だ。
アトゥルムが告げた言葉に、私(恐らく来寿様も)の意識は釘付けになった。
それは、私達の最終目的にして最優先事項であった。
「『外に出たい』と思わないか?」
「「!?」」
外に出る。即ち、封印世界からの脱出である。それを告げられて、私も、来寿様も息を飲んだ。
私の脳内には、アトゥルムの言葉がグルグル回っている。恐らく、来寿様も同様だろう。しかし、それは私と来寿様に限った話のようだ。
その他の者、人形達は「ほ~ん」と言わんばかりに無関心であった。
人形達は、基本的にこの世界で生まれたもの。蹄鉄だけは例外と言えなくもない。しかし、普段の様子を見る限り、前世の記憶などない様子。
人形達にとって、この世界以外の世界は無い。「外に出る」と言われても意味不明だろう。だからと言って、ここに永住する訳にはいかない。
アトゥルムのような化け物が跋扈する場所で、長期間の安寧は保障できない。その事実を鑑みると、答えは決まっている。それを口に出せば良いだけのこと。しかし、
「「…………」」
私も、来寿様も、黙っていた。即答を躊躇う理由が、目の前に立っている。
相手は不俱戴天の敵ドラゴン。こちらの思惑を、正直に答えて良いものか?
私は横目で来寿様を見た。
来寿様は、アトゥルムに厳しい視線を向けながら、右手の人差し指で眉を撫でている。その仕草を見て、私は来寿様の心情を直感した。
来寿様は、アトゥルムの言葉を疑っている。
私とて、想いは同じである。正直に言えば、問答無用で斬って捨てたいくらいだ。嘗ての私であれば、それを実行していただろう。しかし、今の私は違う。
今の私には、自分以外に大切に思う存在が幾つも有る。皆が幸せになる方法が有るのならば、敵の言葉とて受け入れたい。
私は脳内で様々な可能性を想像した。その上で、最悪の事態を回避できるよう、慎重に言葉を選んだ。少なくとも、私はそのつもりだ。
「それを聞いて、どうする?」
私は、敢えて質問で返した。すると、黒衣の少年の眉が不機嫌そうに歪んだ。
どうやら、私は言葉の選択を間違ったようだ。私は即座に戦闘に入る可能性を想像した。
しかし、私の想像は外れた。
アトゥルムは「ふっ」と息を吐いた。すると、歪んだ眉が元に戻った。その変調を直感した瞬間、アトゥルムの声が耳に飛び込んだ。
「外に出たいのなら――」
アトゥルムは私の質問に答えた。しかし、続け様に出た言葉は、私達には受け入れ難いものであった。
「俺に協力しろ」
協力。私達がアトゥルムの手伝いをする。できるのか? 無理だ。
私達は、少し前まで殺し合っていた。助ける義理など一ミクロンも無い。そんなこと、アトゥルムも重々承知だろうに。一体、どういうつもりなのか?
私も、来寿様も、人形達も、渋柿百個口に入れたような渋面で、首を四十五度くらい傾げた。その様子は、アトゥルムの視界にも映っている。
アトゥルムの眉が、再び不機嫌そうに歪んだ。その表情を張り付けたまま、面倒臭げな声を上げた。
「分からんか? 外に出たくば俺に協力しろ」
アトゥルムは同じ内容を繰り返した。その言葉は、一字一句違わず私達の耳に入っている。当然、言葉の意味も分かっている。
だからこそ、私達の顔は一層渋面になり、私達の首は一層傾ぐ。そもそも、アトゥルムの言葉が簡潔に過ぎる。
私の脳内では、「壺の外に出る」という大事と、「アトゥルムに協力する」という珍事は全く繋がっていない。その間を繋ぐ情報が欠けている。
情報を得る必要が有る。そう思ったならば、即実行。私は声を上げた。
「具体的に『何をしろ』と言うのだ?」
封印世界の脱出方法。それに関する詳細な情報が欲しい。できれば只で。
魔王の要求に、ドラゴンは応えるのか否か? 私は目の前の少年を睨み付けながら回答を待った。
私の視界の中で、少年の柔和な顔が一層不機嫌に歪んでいく。
アトゥルムは、右手を掲げて頭を掻き出した。相当苛立っている様子である。今度こそ、戦闘になるだろう。その可能性を想像して、私は身構えた。
しかし、その必要は無かった。
アトゥルムは、一頻り頭を掻いた後「ふっ」と息を吐いた。その行為によって、歪んだ顔が平静に戻った。どうやら、激情を堪えたようだ。ドラゴンらしからぬ配慮である。
私達に気を遣ってまで、何を伝えたいのか?
私は固唾を飲みながら、只管待ち続けた。来寿様も、人形達も、私に倣って待ち続けている。
暫く――凡そ一分ほど沈黙の時間が続いた。その静寂を破って、アトゥルムの声が上がった。
「ネフィリア様を――」
「「!?」」
ネフィリア。この世界を創った造物主だ。その名前を聞いた瞬間、私と来寿様は同時に息を飲んだ。
因みに、人形達は首を傾げている。まあ、知らなくても仕方がない。説明していないからな。
それぞれが息を飲んだり、首を傾げたりする中、アトゥルムの声が響き渡った。
「起こすのだ」
女神を起こす。それを聞いた瞬間、私は「簡単だ」と思った。
耳元で名前を呼んだり、体を揺さぶったりすればいいだけのこと。そう思った。ところが、どうやらそうではないようだ。
アトゥルムの顔には渋柿を百一個くらい食べたような渋面が浮かんでいる。それが目に入った瞬間、何となく相手の心情が分かった気がした。
どうやら、ドラゴンでも手を焼く難題のようだ。
ドラゴンでも無理なことを、私達人間が手を貸して、それで解決できのか否か? やってみなくちゃ分からない。問題は、やってみるべきか否かだが。
さて、どうする? 魔王ウィルミア・デストランド。
魔王軍の明日は、私の決断一つに掛かっていた。




