第七十六話 大一大万大吉
封印魔王城の屋上。少し前までは、新緑が生い茂る長閑な場所であった。しかし今は――地獄、灼熱地獄。
魔王城の屋上は、ドス黒い炎に包まれていた。
冥府の業火。この世の殆どの消火方法が通じない。火が消える頃には、城は焼失している。
私、ウィルミア・デストランドの額に嫌な汗が滲んだ。その直後、魔王城の屋上に耳をつんざく絶叫が轟いた。
「ちぇすとおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
屋上を染める黒の中に、毒々しい虹彩が入り込んだ。すると、黒が大きく割けていく。
魔王軍最強の剣士、愛洲来寿様の所業である。
来寿様の打刀、村正の虹彩が閃く度、黒い炎は千々に切り裂かれていく。斬られた炎は、全て空気に溶けるように消えた。正しく神技。
来寿様のお陰で屋上の炎は鎮火した。天晴である。しかし、当然ながら全くの無事では無い。
屋上に有った砲台は、見るも無残に溶解した。その傍らには、溶け掛けた三体の黄金人形が転がっている。
砲手を務めた初夢トリオだ。
富士子も、鷹乃も、茄子華も、皆無残に焼け爛れている。嘗ての美しさは見る影も無い。その惨状が目に入った瞬間、私の脳内に最悪の可能性が閃いた。
もしかして、三人とも魔石がやられたか?
私は三人の傍に駆け寄ろうとした。その瞬間、私の視界に映った三人の体がモゾモゾと――動いた。
富士子も、鷹乃も、茄子華も、それぞれ上半身を起こしていた。しかしながら、立つことはできなかった。それでも、彼女達は必死に生きようと努力する。
それぞれ、互いの体にまとわりついた炎を打刀で払い始めた。その光景を見て、私の口から「ほっ」と息が漏れた。
どうやら、私の助けは要らぬようだ。
初夢達は無事。自分達で何とかするだろう。その事実を確認した直後、私の視線は北の方角に吸い寄せられた。
魔王城に向かって突進する黒い影。巨大だ。黒い山かと錯覚する。しかし、山ではない。巨大な爬虫類だ。
その全高は三十メートル超。嘗て戦った飛竜を彷彿させる。しかし、飛竜ではない。それとは比べ物にならないほど危険な化け物だ。
創世の女神ネフィリアが創り出した最強の魔物、ドラゴン。
創世記に因ると、ドラゴンは七体いる。その中で、最初の世界を滅ぼしたドラゴンが、こちらに向かって突っ込んできている。
奈落の破壊者アトゥルム。
アトゥルムの巨躯が、巨木の如き四本の脚を振り上げながら超速で迫り来る。その光景を目の当たりにした瞬間、頭の血液が音を立てて引いた。
このままぶつかられると――拙い。
如何に魔王城が頑強といえども、ドラゴンの突進には耐えられない。その事実を直感した瞬間、私は動いた。
私の視界には、身を寄せ合っている三体の黄金人形達が映っていた。私は彼女達の前に躍り出た。
私が、守ってやる。
今の初夢達は移動できない。アトゥルムの攻撃を受けたならば絶命は必至。その可能性を想像すると、彼女達を庇わずにはいられない。
このような心境、及び行為は、私にとっては意外なものであった。
これまでの私は、誰も顧みることが無かった。 まして、相手は人間ではない。人形だ。以前の私であれば、絶対に無視していただろう。
それなのに、今の私は人形達の為に犠牲になるつもりでいる。我ながら愚かと思う。人形の代わりなど幾らでも造れるというのに。
「ふふっ」
私は笑った。自嘲である。しかし、後悔はない。
愚かで結構。愚か上等。私は愚かな私の方が好きだ。それに、愚か者は私だけではない。
私が初夢達を背にした瞬間、私の視界に黒い背中が映り込んだ。それが何なのかは、目に入った瞬間理解していた。
来寿様っ(トゥンク)。
流石、私の王子様である。来寿様もまた、私達の子どもを庇ってくれる。
来寿様は、私達を背にしながら打刀を正眼に構えた。その剣先は、魔王城に迫る黒い山に向いている。
この人のことだ。私達を庇いながらアトゥルムと戦うつもりなのだろう。本当に、困った人である。
だがしかし、それは私が許さない。その役目を担う者は、来寿様ではない。
アトゥルムと直接と戦うべきは、この魔王ウィルミア・デストランド。
私の脳内に、自分に課した第二の役目が閃いた。それを実行する。そうするつもりだった。ところが、できなかった。
このとき、私は最悪の失態を犯していた。その事実に、今更ながら気づいた。
魔力が足りないっ!?
自分の誤った判断が、最悪の事態を招いていた。
上空からの冥府の業火を防いだ際、私は反撃を躊躇った。そのせいで、二度も業火を防ぐ羽目になった。
今の私の魔力はスッカラカン。だからと言って、自然回復を待つ余裕は無い。どうするのか? 最悪である。
しかし、この魔王ウィルミア・デストランドに抜かりはない。汚名を返上する備えは万全である。
私は慌てず騒がず、懐から一本の試験管を取り出した。
コルク栓の詰まった管の中に、透き通るような青い色の液体が入っている。
魔力回復薬・改。
副作用の影響を抑えるよう調整している。尤も、飲み過ぎれば同じ目に遭うことは必定。来寿様の前で醜態を晒すことになるかと思うと、飲むことに躊躇いを覚える。
しかし、この期に及んで、後先のことを考えている余裕など無い。私は回復薬を一気に呷った。
暫くすると、全身に魔力が漲ってくる。その直後、私は超高速で呪文を唱えた。
「魔弾豪雨」
私の要請に、薬から得た魔力が即応した。私の周囲に百本の魔法の矢が現れた。しかし、未だだ。この程度では足りない。
私の攻撃対象は、ドラゴンの体で最も強固な箇所である。
私は再び呪文を唱えた。二回、三回――と、唱え続けた。その途中で魔力が尽きている。その際、回復薬を飲んだ。その上で、更に唱え続けた。
最終的に、私の周りに千本の魔法の矢が出現していた。これだけあれば、望む成果が得られるはず。
これを用いる標的は、唯一枚の鱗。その名称が、私の脳内に閃いていた。
アトゥルムの逆鱗。
逆鱗。本時作戦の名称となっている部位だ。それを破壊することが、私の役目にして作戦目的である。それを遂行することに躊躇いは無い。
しかし、それを阻む大きな障害が、現況には有った。その事実もまた、私の脳内に閃いていた。
逆鱗は――どこ?
私が企図した作戦では「真銀弾射出装置でアトゥルムの上体を起こし、来寿様が逆鱗を探す」という手筈になっていた。しかし、現況に於いて、それは不可能だ。
最早、勘でやるしかない。それしかない。
私はアトゥルムの巨躯を凝視した。すると、そこに奇妙な物体が紛れ込んだ。
黒い鋼鉄製の巨柱、魔王城防護幕の支柱だ。
そもそも、魔法防護幕の支柱は取り外しできるように造っている。余りに巨大であるが故、無用な折は仕舞えるよう工夫している。
しかし、当然ながら今はそのときではない。
下の人形達は何をやっているんだ?
支柱の担当は、松竹梅と蹄鉄である。それが動き出したということは、四人の仕業に他ならない。その事実を直感すると、私の眉間に深い皺が刻まれた。地上に向かって怒鳴りたい。しかし、今は余計なことにかまけている場合ではない。
私は引き続き逆鱗の位置を探ろうとした。ところが、その暇は無かった。
アトゥルムの巨躯は、魔王城前から百メートルほどまで迫っていた。今直ぐ魔法を発動しなければ、攻撃の機会は失われる。その事実を直感した瞬間、私は決断した。
その瞬間、アトゥルムに向かって四本の巨柱が襲い掛かった。
「!?」
地上の人形達は、防護幕の支柱を武器として、アトゥルムに攻撃している。これは作戦には無い行動である。それを目の当たりにして、私は思わず息を飲んだ。
何なのだ? 一体、人形達はどういうつもりなのだ?
巨柱は、アトゥルムの頭と言わず、脚と言わず、諸々の箇所を叩いて回っている。それなりに質量が有るので、それなりに効果有るのだろう。しかし、残念ながらドラゴンには通じない。
アトゥルムの全身を守る真銀の鱗は、全くの無傷。人形達の行為は無駄だ。
何で打刀を使わないのか?
私の首は傾いだ。しかし、私は間違っていた。人形達は魔王より賢かった。その事実が、アトゥルムの行為によって証明された。
巨柱群が暴れ回っていると、唐突にアトゥルムの前脚が浮き上がった。そのまま上半身ごと上昇していく。最終的に、アトゥルムは後脚の二本で地面を踏み締めていた。
アトゥルムが立った。
松竹梅と蹄鉄は、アトゥルムを立たせる為に、敢えて巨大な支柱で攻撃したのだ。恐らくは、初夢達の役目を代行する為に。
その事実を直感した瞬間、私は叫んだ。
「来寿っ!」
「応っ!」
私の呼び掛けに、来寿様は即答する。直ぐ様逆鱗の位置を探し始めた。
正に起死回生。人形達の殊勲である。しかし、その代償は高くついた。
アトゥルムは、自由になった前脚で巨柱を掴み、それを空中へと投げていた。それも、下にいるであろう人形毎。
その光景を目の当たりにした瞬間、私の全身から血の気が引いた。
初夢に続いて、松竹梅と蹄鉄まで――!?
人形達が、全て犠牲になった。飛んで行った人形達の安否を確認したい衝動に駆られる。しかし、そんな暇は無い。人形達の犠牲を無駄にする訳にはいかない。
人形達の想いに、来寿様が全力で報いた。
「ミアっ、喉下っ!」
来寿様は、村正の剣先をアトゥルムの喉下に向けた。それを辿っていくと、私の視界に奇妙な鱗が飛び込んだ。
その一枚だけ色が違う。他は黒だが、その一枚だけ白銀なのだ。しかも、向きも――逆だ。その特異性の意味が、私の脳内に閃いていた。
逆鱗っ!!
逆鱗。そこに触れられると、ドラゴンは激怒するという。我を忘れるほどの激情に駆られるようだ。その理由は、その下に急所が有るからだ。それを狙って、私は呪文を発動した。
逆鱗を打ち砕けっ!
解放された千本の矢が、アトゥルムの喉下に殺到する。それら全てが一枚の鱗に吸い込まれた。
その瞬間、世界が光に包まれた。
正に太陽そのもの。そのように錯覚するほどの、凄まじい光量である。
しかし、本物の太陽ではない。直ぐに収束していく。それに伴って、私の視界に様々な像が浮かび上がった。
その中に、アトゥルムの巨躯も――有った。
アトゥルムは上半身を仰け反らせていた。その喉下は深く抉れている。私の魔法が通じたのだ。
私はアトゥルムの逆鱗を破壊した。流石は魔王である。私の口の端が吊り上がった。しかし、笑えなかった。
私の口は途中で止まった。凍り付いていた。その変調の理由が、私の脳内に閃いていた。
アトゥルムは死んでない。
アトゥルムは、反りかえった上半身を起こしていた。続け様に、その巨大な顔を前に突き出して――私を見た。
その瞬間、私の脳内に最悪の可能性が閃いた。
これからだ。これから本当の地獄が始まる。
一体、どんな地獄になるのか? その内容は、私には全く想像できない。しかし、結果だけは想像が付いた。
この世界が滅びる。
私達の命運は、どうやら尽きたようだ。尤も、それを受け入れる気など毛頭無い。最後の最後まで、足掻き続けてやる。来寿様と一緒に。




