第六十三話 絶望する魔王
湖畔に聳える樹木網の王城に、黒い影が覆いかぶさっている。邪魔である。一刻も早く剥ぎ取りたい。私は黒い影を睨んた。
そいつは黒い大蜥蜴であった。
黒い鱗に塗れた巨躯は、尻尾を含めて二十メートルを超えているだろう。全幅も同じか、或いはそれ以上は有りそうだ。そのように直感した理由は、蜥蜴の両腕に有る。
蜥蜴の腕は、巨大な蝙蝠の翼になっていた。
蜥蜴は翼を大きく広げて、魔王城の屋根を覆い尽くしている。それらの特徴は、私に最悪の魔物を想像させた。
もしかして、これがドラゴンか?
ドラゴン。創世の女神ネフィリアが創造した最強の魔物だ。創世記には「世界を破壊できる力を持っている」と記されている。それが事実ならば、この世界を破壊できるのかもしれない。尤も、それが叶えば、とっくに外に出ているだろう。
全く、厄介な世界に放り込まれたものだ。
文句や愚痴を言いたくもなる。しかし、それを口にするのは後だ。今は目の前の敵に集中すべき。
私は黒蜥蜴を視界に収めながら、脳内で必勝の策を練った。
黒蜥蜴は、その蛇の如き頭を周囲に巡らせながら、何かを探している様子。私達の姿が目に入っていないのだろうか? その事実は、私達にとっては僥倖であった。
この好機を利用して、私は黒蜥蜴の体をジックリ観察した。
私の視界に映っている蜥蜴の部位は、今のところ上半身だけ。
頭の構造は蜥蜴か、或いは蛇そのもの。しかし、口内は鮫の如く、鋭い牙がビッシリ生えている。
首が異様に長く、胴体も痩せぎすだ。遠目に見れば蛇と見誤るかもしれない。しかし、絶対に蛇ではない。脚がある。いや、脚ではなく翼なのだか。その特徴は奇異という他無い。
前脚が翼になっている蜥蜴なぞ、元の世界にはいなかった。
蝙蝠の翼を持つ蜥蜴。その特徴から、私はドラゴンを想起した。しかし、蜥蜴の前脚を見て違和感を覚えた。
ドラゴンとは、四本脚の魔物ではなかったか?
ドラゴンにも蝙蝠の翼は有る。しかし、それが生えているのは背中だ。今目の前にいる魔物は、前脚が翼なのだ。その事実を直感した瞬間、私の脳内に別の魔物の名前が閃いた。それが、私の口を衝いて出た。
「こいつは飛竜だ」
飛竜。ドラゴンの亜種である。ドラゴンの眷属として創造された魔物だ。しかし、その肉体はドラゴンと近しい能力を持っている。その事実は大変厄介である。
唯一救いが有るとすれば、飛竜にはドラゴンのように天変地異を起こす能力は無いということか。その記述を想起した瞬間、私の緊張が僅かに緩んだ。思わず「ほっ」と息を吐いた。
その直後、飛竜の大きな縦長の目に、私の姿が映った。その事実を直感した瞬間、私の全身の毛が逆立った。
やっと、こちらに気付いたようだな。
戦闘開始である。しかし、既に私の脳内には必勝の策が閃いていた。それを実行すべく、私は来寿様に向かって声を上げた。
「来寿」
このとき、来寿様は飛竜を睨んでいた。私が声を掛けると、視線を固定したままコクリと頷いた。その反応を見て、私は来寿様に用件を伝えた。
「屋上だ」
屋上。我ながら簡潔に過ぎる。しかし、来寿様は察しが良い。
私が命じた直後、来寿様の痩身が前方に向かって弾き跳んだ。
来寿様の進行方向には、私達が潜ってきた玄関扉が有る。それは、今も開きっ放しだ。その中に、来寿様は飛び込んだ。その様子を確認して、私は改めて飛竜を見た。
飛竜は、今も私を見詰め続けている。まるで値踏みするように観察している様子。不気味である。その反応の意味が何なのか? 尋ねてみたい気持ちも沸く。しかし、その機会は得られまい。いや、私の方から捨てた。
「松竹梅、初夢、蹄鉄」
私は、後に残った全魔王軍に声を掛けた。すると、それぞれの体がビクリと震えた。その反応を視認した瞬間、私は続け様に用件を告げた。
「私の盾となれ」
人形達は、直ぐ様私の前に集まった。それぞれ打刀を抜いて、正眼に構えている。その様子は、飛竜の目にも映っているだろう。
私は飛竜が襲い掛かってくる可能性を想像した。
しかし、飛竜は動かない。未だ私を見ている。一体、何なのか? 訳が分からない。だからと言って、この機会を逃す気も無い。
先手必勝。私は女神の大魔法を唱えた。
「天帝の雷霆」
私の頭上から雷光が奔る。それは狙い違わず飛竜の頭に伸びていく。
天帝の雷霆は、私が使える最高威力の魔法である。それが当たれば、そこで戦闘終了だ。その可能性は、直ぐ様具現化した。
雷光は飛竜の頭を貫いた。眩い光が周囲を照らす。それが収まると、再び私の視界に飛竜の姿が映り込んだ。しかし、それは私が想像した光景とは違っていた。
飛竜の体には、今もしっかり頭が付いている。その事実を目の当たりにして、私の全身から血の気が引いた。
まさか、天帝の雷霆が効かなかったのか?
飛竜の頭は、ほんのり焦げていた。天帝の雷霆は当たっている。そんなものは見れば分かる。しかし、受け入れ難い。その事実は、魔王は飛竜倒す術が無いと断言されたも同然だ。
どうやって倒す?
私は別の呪文を考えた。しかし、天帝の雷霆以上の効果を期待できる魔法は、直ぐには閃かなかった。
私が迷っていると、私を見詰める飛竜の目に青い炎が吹き上がった。それは、さっきまで私の瞳に灯っていたものと同じ炎だ。
私は飛竜の殺意を直感した。その直後、飛竜は鎌首を掲げて咆哮を上げた。
咆哮は、攻撃の合図であった。
飛竜は城の屋上に張り付いたまま、両腕の翼を一層大きく広げた。それが目に入った瞬間、こちらに向かって飛び掛かる姿勢と直感した。
魔王と言えども魔術師である。魔法の効かない相手に飛び掛かられて、無事で済む自信は無い。
私は咄嗟に腰の打刀を抜いた。かくなる上は近接格闘戦に持ち込む他無い。幸い、こちらは一人ではない。人形達と協力すれば何とかなる。何とかなるはずだ。
私は一縷の望みに掛けた。それに身命を賭す覚悟も決めた。その直後、飛竜を見詰める私の視界に、見慣れた人影が飛び込んできた。
その事実を直感した瞬間、私の心臓がトゥンクと跳ねた。
来寿様っ!
私の王子様の再登場である。
来寿様は、城内の階段を上って、屋根の上に出たのだ。しかも、私が飛竜の注意を引いている間に、飛竜の背によじ登っていた。
因みに、来寿様の登攀能力は野生の猿を凌駕する。その事実は、これまで散々思い知らされている。
来寿様の右手には、既に虹色の光が輝いている。それを逆手に持ち、そのまま飛竜の背中に突き立てた。
その瞬間、飛竜の巨躯がビクンと跳ねた。
来寿様の攻撃が通ったっ!
流石は私の王子様(仮)である。しかし、来寿様の活躍はここで終わらない。来寿様は全力でトドメを刺しに出た。
来寿様は飛竜の背中の上で走っていた。それも、村正を突き刺したまま。
来寿様の瘦身が、黒い大蜥蜴の背中から頭へと超速で移動する。その勢いは、頭に辿り着いても止まらない。
来寿様は、飛竜の頭から空中へと飛び出した。
屋上から地上まで結構な距離が有る。下手な落ち方をしたら落命しかねない。しかし、そこは来寿様である。
来寿様は空中で三回転していた。猫の如き身体能力を披露しながら、空中で姿勢を整えて軽やかに地面に着地。その行為を目の当たりにして、私は打刀を正眼に構えたまま心中で全力の拍手をした。
流石、来寿様。流石、私の王子様。
私の目に映った来寿様の痩身は、普段以上に輝いている。創世記に記された天使のようだ。
天使が地上ですっくと立ち上がった。続け様に、右手に握った村正を地面に向かって大きく一振り。すると、村正の刀身から赤黒い液体が飛び散った。
それは飛竜の血であった。
来寿様は、直ぐ様村正を鞘に収めた。ところが、何故か途中で止めた。その光景を目の当たりにして、私は首を傾げた。
その直後、魔王城に入り付いていた飛竜の巨躯に異変が起こった。
飛竜の上半身が、縦一文字、左右真っ二つに裂け始めている。その大きく開いた裂け目から、村正から飛び散ったものと同じ色の液体が噴き出した。明らかに致死量である。
奴は死ぬ。がはは。
飛竜は魔王城の屋根で悶絶している。その様子を、私は地上からニッコリ微笑みながら眺めている。
飛竜は一頻り暴れ回った後、勢い余って地面に落下。そのまま絶命した。
魔王軍の勝利である。
来寿様のお陰で、私達は最大の窮地を脱した。その事実を直感するや否や、私と人形達は来寿様の許へと走った。
近付くほどに、私の視界に来寿様の顔がハッキリ映り出す。そこに張り付いていた表情は、全く予想外のものだった。
来寿様の口が山形に歪んでいた。眉間には深い皺が刻まれている。苦渋、或いは苦悶の表情である。
来寿様の心情を察した瞬間、私は立ち止まった。人形達も、同時に立ち止まっている。
一体、来寿様に何が有ったのか? 気になって仕方がない。その想いが、私の口から飛び出した。
「どうした?」
私が声を掛けると、来寿様が私の方を見た。すると、来寿様の口の端が吊り上がった。
来寿様は苦笑していた。しかし、それを見詰める私の胸は痛い。その痛みに耐えていると、吊り上がった来寿様の口から悔しげな声が零れ出た。
「一寸、しくじった」
しくじった。一体、何のしくじりが有ったというのか? 私は首を捻った。人形達も首を捻っている。その反応は、来寿様の視界に映っているだろう。
来寿様は、右手に握った村正を掲げた。続け様に左手を掲げて、村正の刀身を指差した。
「村正の腰が伸びた」
腰が伸びる。それは刀身が変形した際に使う比喩的表現である。
打刀の刀身は大きく反り返っている。真っ直ぐではない。曲がっているものが真っ直ぐになった。それ、即ち「変形した」ということである。逆に反り返り過ぎた場合でも、アシハラの侍達は同じ表現を使うとのこと。
飛竜を斬ったことで、村正の刀身が歪んでしまっていた。その為、鞘に収まりきらなかったのだ。その事実を知らされて、私の全身から音を立てて血の気が引いた。
今回は、奇策で何とかなった。だが、次は――危ないかもしれない。
この世界には、飛竜と同等か、それ以上の敵がいる。それらの敵、取り分けドラゴンを相手にした場合、今の私達が対処できるか否か? その可能性を考えると、私の頭は鉛のように重くなっていく。
私は必死に頭の重みに耐えた。しかし、耐え切れなかった。情けなくも、その場で蹲った。人形達も同じように蹲っている。
唯一人、来寿様だけが立っていた。しかし、来寿様の顔は死人のような土気色をしていた。




