第六十二話 終焉の使者
石柱、氷柱、木炭――禍々しい樹木群の奥から、けたたましい音、警報が鳴り響く。
魔王の森に、魔物が侵入した。いつものことである。しかし、この日の朝に鳴った警報は、いつも通りのものではなかった。
警報の音で、その発信源である樹木網の巨大建造物が揺れた。封印魔王城を揺るがすほどの大音響である。世界が悲鳴を上げているようだ。
少し前まで、私、ウィルミア・デストランドは城内の台所に立っていた。しかし、今は――情けなくも両手両膝を着いて這い蹲っている。
私の至近には、瘦身長躯の男性がいた。我が騎士にして王子様(仮)、愛洲来寿様である。
来寿様の体も、当然ながら揺れている。しかし、体幹は全く崩れていない。上手く揺れに対応しているのだ。流石は私の王子様(仮)である。如何なるときでも無様は晒さない。
来寿様の立ち振る舞いを見ていると、思わず抱き付きたい衝動に駆られる。しかし、今は堪えるべきだろう。
私が造った警報装置は、必死に、全力で私達の危機を知らせている。その大音量に晒されて、私の額に冷たい汗が滲んだ。
相手は強敵だ。もしかしたら、魔王より強いかもしれない。
魔王の森に設置した魔物探知機は、相手の魔力に反応して振動する。その振動が、魔王城の警報を鳴らしている。相手の魔力量が多いほど、音も大きくなる。
現況は、過去最大と言っていい。その事実を鑑みると、相手は過去最大の魔力量を持つ魔物と推測できた。これまでとは比べ物にならないほどの強敵だ。女神の失敗作であることは疑う余地も無い。
女神の失敗作。その全てが人知の及ばぬ難敵強敵であった。魔王といえども命の危機を覚えたことは数知れず。しかし、今回はそれ以上である。普通の指揮官であれば、戦略的撤退を考えているだろう。しかし、それは魔王軍にとっては悪手以外の何物でもない。
そもそも、私達に逃げ場は無い。味方もいない。私達の居場所はここだけなのだ。
私達には、戦って勝つ以外に生き残る術が無い。生き残る為に、私は行動する。
私は床に這いつくばりながら、隣に立つ来寿様に向かって声を上げた。
「来寿」
私が声を掛けると、来寿様は直ぐ様私の方を見た。その瞬間、私の視界に来寿様の顔が映り込んだ。
来寿の顔は、全くの無表情であった。感情が読み難いことこの上ない。しかし、来寿様の瞳は雄弁であった。その瞳孔に、青い殺意の炎が灯っている。
来寿様は、既に戦う気満々か。
来寿様もまた、私と同じ考えであった。二人の思いが通じ合っている。その事実を直感した瞬間、私の脳内に教会の鐘が鳴り響いた。
普段の私であれば、ここで純白ドレスに身を包んだ私と、純白のタキシードに身を包んだ来寿様を想像している。しかし、今は「そんな暇あるか」である。
来寿様の瞳に映った私の顔(瞳)には、来寿様と同じく青い殺意の炎が灯っている。その炎が、激しく揺らめき出した。
私は目から火の粉をまき散らせながら、中央広間の北壁に走った。いや、より正確に言うと、全速力で匍匐前進した。
北壁には「警報」と書かれた札が張られている。そこに辿り着くや否や、私は壁を支えに立ち上がった。続け様に右手に魔力を集中。掌を広げて、札を叩いた。
警報――解除。
私が念じると、城を揺らしていた大音響が収まった。
警報の札は、警報の起動と停止を司っている。名付けて「魔力スイッチ」である。中々に便利だ。他でも応用したい。しかしながら、今は後回しだ。
揺れが収まるや否や、私も、来寿様も、直ぐ様戦闘準備に取り掛かった。
私は寝室に直行した。そこにはいるや否や、奥の隠しクローゼットから戦闘衣装を取り出した。
例によって、アラクネ糸の鎧直垂とグリフォンの黄金革鎧である。
腰に打刀を差した後、私は再び城内の中央広間へと入った。すると、私の視界に来寿様を含めた八名の男女の姿が飛び込んだ。
全魔王軍集結。全員、漏れなく戦闘準備完了していた。
来寿様、及び男子系人形達はアラクネ糸の鎧直垂とケルベロスの黒革鎧。腰には金属製の打刀(来寿様は村正)を差している。
女子系人形達は、私と全く同じ格好だ。
私は皆の姿を視認した後、コクリと小さく頷いた。その直後、人形達が来寿様の後ろに横一列に並んだ。
全員、完全に戦闘モードである。
私は皆の前に近付いて、それぞれに強化魔法、及び防護魔法を掛けた。その間、皆直立不動である。とても行儀が良い。きっと、指揮官は歴史に名を遺すほど素晴らしい魔王なのだろう。私のことである。誰かに自慢したい衝動に駆られる。しかし、今は後回しだ。
全員に魔法を掛け終わるや否や、私はスックと立ち上がった。続け様に、皆に向かって下知を飛ばした。ところが――
「皆の者、迎え――」
私の言葉は、途中で遮られた。私が「迎え撃つぞ」と言い掛けたタイミングで、頭上から「ズドン」と轟音が鳴った。それと同時に、魔王城全体が大きく揺れる。それらの現象が、私に最悪の事態を直感させた。
敵が――来たっ!
魔物の襲来。その事実を直感したときには、私を含めた全魔王軍が玄関に向かって走っていた。
扉の前に来るや否や、来寿様が閂を引き抜いた。それを乱暴に床に投げ捨てる。続け様に松竹梅が前に出て、玄関扉を押した。私達の前で、重厚な木製扉がゆっくり開いていく。
私の視界に、外の景色が映った。その事実を直感するや否や、全員、我先にと外へと飛び出した。
城外に出た途端、私の視界は大量の水で埋め尽くされた。魔王城前の湖である。その水面に、湖畔に聳える魔王城の威容も映り込んでいる。これもまた、日常の光景である。
しかし、今日に限って異常な物体が紛れ込んでいた。
大きな、黒い影。
影は魔王城の屋根に覆い被さっていた。その事実を直感するや否や、私は超速で振り返った。すると、私の視界に実物の魔王城が映り込んだ。
魔王城の屋根には、やはり黒い影が覆いかぶさっていた。
影は、簡潔に言えば巨大な蜥蜴だ。しかし、当然ながら普通の蜥蜴ではない。その両腕は蝙蝠の翼になっている。
蝙蝠の翼を持つ蜥蜴。その特徴を持つ魔物は、私の記憶に有った。
その事実を直感した瞬間、頭の血液が「ザザアッ」と音を立てて引いていた。




