第六十話 灯台下暗し
石柱と氷柱と炭柱が乱立する魔王の森。その奇々怪々な森林地帯に、より一層不気味な魔王の声が響き渡る。
「鰻の蒲焼きのタレが欲しいいいいいいいっ!」
叫んだところで意味は無い。しかし、叫ばずにはいられない。今日も今日とて、私、ウィルミア・デストランドは研究室の中で慟哭する。
鰻の蒲焼きのタレ。女神ネフィリアを魅了した奇跡の調味料。それを求めて森中を奔走した。昼夜ぶっ通しで研究し続けた。しかし、開発は絶賛頓挫中である。何故なのか? 何が足りないのか?
因みに、タレに必要な材料は判明している。醬油、味醂、酒、砂糖である。それらに付いては来寿様がご存じであった。
しかし、それらは全て調味料である。それを作る素材が必要だ。問題は、ズバリそれなのだ。
砂糖は、薩摩芋から抽出した糖分で代替できた。しかし、その他の材料はお手上げである。
そもそも、調味料の素材である米、小麦、大豆が無い。しかも、それぞれに酵母という特殊な細菌が必要なのだ。
それらの情報は、私の知識には無いものばかり。
こうなると、頼みの綱は来寿様だけ。ところが、
「済まない。俺も分からない」
残念。ここでタレ開発は頓挫した。
例えこの場に存在しなくとも、それを具現化する魔法はある。しかし、知識が無ければ創り出すことは不可能だ。「大体こんな感じ」と適当に創ったものが、真面である道理はない。
しかしながら、一応挑戦はしている。代替品となるよう、それらしく創ったつもりだ。ところが、
「全然、駄目だ。全く違う」
来寿様は全力で首を横に振る。こうなると、流石の私も諦めざるを得ない。そう思った。
ところが、女神は私達を見捨ててはいなかった。
或る日の朝食。
私は来寿様と一緒にアボレスの白焼きを食べていた。美味しいので、無言で貪り食べていた。来寿様も、いつものように無言であった。普段通りであれば、無言のまま食事が終わるはずだった。
ところが、来寿様が唐突に声を上げた。
「なあ」
食事中の発言。アシハラでは無作法に当たる。来寿様が忌避する行為である。それなのに、敢えて来寿様は声を上げた。それなりの意図が有ることは明白である。
私は白焼きを食べるのを止めた。続け様に来寿様の方を見た。すると、来寿様も私の方を見ていた。
その瞬間、二人の目が合った。
「!」
私の心臓がトゥンクと弾んだ。以降、激しく脈打ち続けている。その最中、来寿様が声を上げた。
「アボレスって鰻の王なんだろう?」
鰻の王。私ほどではないが、それなりに強敵であった。特に、身の美味さは王と呼ぶに相応しい。私は即応で頷いた。すると、再び来寿様が声を上げた。
「王ならば――」
来寿様の席は、私の右隣りである。至近にいる為、来寿様の声は私の耳にシッカリ届いている。一字一句聞き漏らすはずもない。
来寿様の口から出てきた言葉を、私は一字一句違えずハッキリ聞いた。
その直後、私の全身が震えた。
「体のどこかにタレを持っていのではないか?」
「!」
アボレスの体内にタレがある。その可能性は、全く考えていなかった。しかし、今知った。来寿様が教えてくれたのだ。
ああ、来寿様。来寿様。
流石は私の王子様である。褒美として私と添い遂げる権利を与える――と、心の中で呟いておく。その代わり、別の言葉を告げた。
「タレが手に入る(願望)」
自分の言葉が耳に入った。その瞬間、私の目から「キラキラ」という煌めきの擬音が飛び出した。それを放ちながら、私は勢い良く立ち上がった。
「探すぞ」
私は直ぐ様移動しようとした。向かう先は、地下の素材置き場である。しかし、それを来寿様が阻んだ。
「先ず、ご飯を食べてから」
私は眉根を曲げた。しかし、食事中の無作法は来寿様が許さない。私は「はあ」とため息を履いて着席。直ぐ様残っていた白焼きを完食した。
食後、私は全魔王軍に命じて、総出でアボレス体内のタレ探しを始めた。
結論から言えば、それは有った。しかしながら、ここで恐ろしい事実が判明する。
アボレスの体内には、タレを溜め込んだ「タレ袋」が存在した。その中身を見ると、真っ黒いタレの中に見覚えの有る魔物が浮かんでいた。
スライムである。そう、タレの正体はスライムであった。
呪いでスライムと化したものは、時間が経つと完全に液化するようだ。この場合は「タレ化」というべきか。外にいるスライムも、放っておけば何れタレになる。
尤も、それは元の世界にいたならばという条件付きだ。
この世界の時間は狂っている。この世界にいる以上、スライムが液化することは無いだろう。
しかし、アボレスの体内に取り込まれたスライムは、タレ袋の中で完全に液化するようだ。その事実を鑑みると、来寿様の読みは大当たりであった。
かくして、私達は鰻の蒲焼きのタレを入手した。私は早速、来寿様に蒲焼きを所望した。すると、来寿様は私を見ながら苦笑する。
「食い意地が張っているなあ」
いけ好かない物言いである。魔王に対して無礼である。しかし、今は不問に付す。そんなことより、
「は、や、く、し、ろ」
私は来寿様を急かした。来寿様は「はいはい」とぞんざいな返事をしながら、蒲焼きの制作に取り掛かった。
鰻の蒲焼き。その製造工程は、白焼きのそれと殆ど変わらない。異なる点は、焼いている途中でタレを塗ることだけ。それだけである。しかし、それこそが女神を魅了した旨味の奇跡であった。その一端を、私は垣間見てしまった。
タレを塗った瞬間、鰻から甘い匂いが噴き出した。
このとき、私は来寿様の傍にいた。鰻が焼き上がる様子を、ジッと凝視し続けていた。当然ながら、タレの匂いは私の鼻腔に飛び込んでいる。その瞬間、私の脳が蕩けた。
これええええええええええええ絶対美味しいやつううううううううううっ!!
私の唾液腺が決壊。目からキラキラ擬音が飛び出した。私の全身全霊が、鰻の蒲焼きを欲している。
鰻の蒲焼きの臭い。それは、アボレスの精神支配を超えた魔法であった。魔王と言えども抗えない。果たして、これに耐えられる人間がいるだろうか? 封印の壺に封じられてしまうのも納得である。
私は匂いだけで蒲焼きの虜になっていた。しかし、本番はこれからである。
「できたぞ」
終に鰻の蒲焼きが完成した。
私は即応、来寿様を待たずに指定席に着いた。
少し遅れて来寿様が隣に座った。二人が席に着いたところで、人形達が大皿に乗せた鰻の蒲焼きを運んでくる。
大皿が卓上に置かれるや否や、私は直ぐ様手を合わせた。
「「頂きます」」
食前の挨拶。それを告げた際、来寿様の声と重なった。きっと、来寿様は私に合わせてくれたのだろう。優しい。しかし、来寿様の気遣いなど気にしていられない。
私は早速フォークで蒲焼きを突き刺し、その身に齧り付いた。その瞬間、私の舌とのうが蕩けた。
甘いいいいいいいいいい美味いいいいいいいいい溶けるううううううううううっ!!
甘いタレが鰻の油と混ざり合い、芳醇にして濃厚な旨味を醸し出す。その際、味と共に匂いが口内、体内、脳内にまで浸透していく。
これは一種の麻薬である。いや、魔法である。生き物の体、いや、遺伝子、いや、魂を蕩けさせる超常現象である。
この瞬間、私は女神が夢中になった理由を完全に理解した。
「おいじい、おいじいよう」
私は泣いた。泣きながら鰻の蒲焼きを食べ続けた。その途中で、皿からカツンと乾いた音が鳴った。それを直感した瞬間、私は直ぐ様空の皿を来寿様に向かって差し出した。
「おがわりいいいいいっ!」
私は泣きながら二皿、三皿と平らげていく。それに伴って、私のお腹がパンパンに膨らんでいく。
限界ギリギリ。胃袋が「これ以上は絶対無理」と白旗を上げた。そこまで食したところで、漸くナイフとフォークを置くことができた。
しかし、これで終わりではない。ここで終わってはいけない。
このまま席を離れたり、ノンビリ寛いだりしては駄目だ。それでは只の鰻好きの可愛い美少女になってしまう。魔王の威厳が損なわれてしまう。
私は最後の気力を振り絞って両手を合わせた。続け様に、油とタレに塗れた口を開いた。その瞬間、胃から何かが込み上げた。
このままでは、食べたものを吐き出してしまう。
私の目から涙がボロボロ溢れた。しかし、拭えない。それを恥じる暇も無い。私は込み上げるものを必死に堪えた。その上で、喉から声を絞り出した。
「ご、ち、そ、さ、ま」
私は食後の挨拶を告げた。これで魔王の威厳は保たれた。流石、私である。よくできました。




