第五十九話 食への拘り
鰻の王アボレスを討伐した。その報酬として、アボレスの胴体を手に入れた。
私、ウィルミア・デストランドにとって、鰻は未知の食材である。存在自体は知っている。創世記に書いていある。しかし、食した記憶は無い。
そもそも、食べたいとも思っていなかったのだ。しかし、今は違う。
アボレス討伐直後、私は褌一丁(背中に酸素供給装置)のまま、巨大釣り竿に近付いた。そこに屯していた魔王軍に向かって声を上げた。
「来寿」
私は来寿様に声を掛けた。すると、来寿様は私を見た。しかし、直ぐ様ソッポを向いた。その態度、少し無礼である。しかし、私は構わず要件を告げた。
「調理を頼めるか?」
私は魔王城前の湖に向かって指差した。その先には、天を衝くほどの巨大な氷柱がそそり立っている。その中に、全長十八メートルほどの巨大な鰻の姿が有った。
巨大鰻は、顔を無くしたアボレスの躯である。
このとき、私の脳内は鰻の蒲焼きで一杯だった。それを作るよう、魔王軍の調理人に頼んだのだ。ところが、来寿様は直ぐに返答しなかった。
来寿様は、何故か身に着けていた革鎧を脱いだ。続け様に、下に着ていた直垂も脱いでいる。来寿様は半裸になった。
一体、来寿様は何をしているのだ?
私は首を傾げながら、来寿様の奇行の意味を考えた。その最中、来寿様は脱いだ直垂を持って、私に近付いた。
一体、何をするつもりなのか? それを考える必要は無かった。
来寿様は、直垂を私の肩に掛けてくれた。続け様に、ソッポを向きながら声を上げた。
「料理のことは後。直ぐに風呂に入って着替えてこい」
来寿様の紳士的気遣い。私の心臓がトゥンクと弾んだ。私は思わず来寿様を見た。しかし、来寿様はソッポを向いたままだ。私と目を合わせようとしない。
来寿様の行為は無礼である。しかし、意図は想像できた。
今の私の姿を視界に入れないようにしているのだな。
来寿様は、常日頃から私に肌を晒さぬよう注意している。それが市井の常識なのだ。
私とて、来寿様を無為に困らせることは本意ではない。
「分かった」
私は直ぐ様魔王城の中に飛び込んだ。
私が着替えた後、私達はアボレスを解体した。
分割した体の一部は、台所の食材保管庫に収納した。残りの大部分は、全て地下の素材置き場に送り込んだ。
それら全ての作業を終えたところで、私は改めて来寿様に鰻の蒲焼きを所望した。その際、来寿様は「食い意地が張っているな」と苦笑している。
来寿様の反応、無礼である。しかし、自分でも「そうかもしれないな」と思い当たる節が有った。
生国にいた頃、私は魔法以外のことに興味を持てなかった。いや、持つ必要が無かったというべきか。
食事に関しても、私が何もせずとも用意された。私は、それを当然のように考えていた。興味も関心も無く、出されたものを機械的に口に運んでいた。
しかし、当時の当然は、全く当然のことではなかった。
この世界に来て以降、自分で動かなければ何も得られない。食事など、その最たる例だろう。
魔物を狩ったり、植物を採取したり、栽培したり。色々やって、初めて食事にありつける。その苦労を味わって、それで漸く理解した。
食事ができる。それだけで幸せなのだ。
私は幸せ者である。毎日食事できている。だからと言って、現況の食材に満足している訳ではない。特に肉類には不満が有る。
私達が食べる肉は、基本的には魔物から得たものだ。その魔物も、女神の失敗作という規格外のものばかり。間違いなく食用ではない。
規格外の能力を発揮する魔物の肉は、拙さの次元も超えている。それに耐え忍んでいる毎日を過ごしていく内、私の心底に「真面な肉料理が食べたい」という欲求が募りに募っている。
斯様な飢餓状態の中、女神ネフィリアを魅了した肉が手に入ったのだ。俄然食欲が沸く。興味どころの騒ぎではない。
私の全身の細胞が、鰻の蒲焼きを欲した。その欲求に、アボレスの胴体は存分に応えてくれるはずだ。
ところが、来寿様は私の期待を裏切った。
「蒲焼きは――できない」
蒲焼きができない。どうやら、調味料が足りないようだ。その事実を知らされて、私は絶望した。しかし、希望も有った。
「白焼きで我慢しろ」
「仕方あるまい」
私は素焼きで我慢した。我ながら、我慢強くなったものだと自画自賛したい。しかしながら、この料理もまた、ひと工夫必要なものであった。
「炭火で焼きたい。金網と七輪が欲しい」
炭火焼き。炭を手に入れることは容易だ。それこそ森に沢山生えている。金網も、地下の素材保管庫に眠るガルガンチュア(胴体)を使えば簡単に作れる。しかし、
「七輪?」
私の知らない道具である。思わず首を傾げた。すると、来寿様は卓上に指を奔らせた。
「こういう円筒形の――珪藻土を使った土器なのだが」
七輪とは、簡潔に言えば「炭火焼き用の簡易コンロ」であった。私は来寿様の注文通りに七輪を作成した。
尤も、使用した土は適当なものである。しかし、魔法で加工している。機能は申し分ないだろう。
出来上がった七輪を来寿様に見せた。すると、「これは凄いな」と褒めて下さった。私は胸を張った。鼻も伸びた。
その最中、来寿様は七輪を持って外に出ようとしていた。しかし、それは全力で静止した。
「其方、魔物を呼び寄せるつもりか?」
外で焼けば、匂いが周囲に広がってしまう。折角の御馳走を奪われる訳にはいかない。故に、私は城内を改造した。
先ず、台所のコンロ周りを拡張した。その広げたスペースに七輪を組み込んだのだ。
これで、城内で鰻を焼くことができる。来寿様も大いに満足した様子。
「では、早速作るとするか」
来寿様は直ぐ様鰻の調理に取り掛かった。
鰻の白焼き。その作り方は至って単純である。鰻の身を切り、それに串を差して七輪で焼く。それだけだ。
味付けも何もしない。しかし、焼き方には工夫がいるようだ。
来寿様が使用したアボレスの部位は、皮付きの身。そこが一番原作料理に近しいとのこと。
幸いにして、アボレスの皮は薄い。来寿様の知る鰻に近しいとのこと。 だからと言って、私達の需要に足るものかというと、絶対に否である。
何しろ、元が二十メートル超の巨躯。それなりに皮も厚くなる。皮下脂肪も多くなる。身とセットにすると、斬り出す部位も大きくならざるを得ない。
私の分も、来寿様の分も、それぞれ大人の頭くらいは有った。それを縦長に切って、鉄製の串を刺す。
串の数は三本。それぞれ鰻の身に対して垂直に、均等に刺している。それを七輪で焙る。
ここまでの作業を、来寿様は手早く、鼻歌混じりに熟している。しかし、その表情には微妙な苦笑が浮かんでいた。
「正直、自信は無いぞ」
そもそも、アボレスは普通の鰻ではない。これを鰻の王と言い張った女神は、恐らくとんでもなく――巨躯なのだろう。
女神の姿を想像すると、私の脳内に巨大化した自分の姿が閃いた。その瞬間、私の顔にも微妙な苦笑が浮かんだ。
これでは、アボレスの精神支配と大差無いではないか。
アボレスの精神支配を受けた際、私は巨大来寿様の姿を見せられている。当時の出来事を想起すると、私の眉根が不機嫌に歪んだ。来寿様を使って私を誑かそうなどと、万死に値する無礼である。ぷんすか。私の口が「へ」の字に歪む。
しかし、不快な表情を浮かべていた時間は、存外に短かった。
「できたぞ」
終に、鰻の白焼きが完成した。私は「待ってました」とばかりに、直ぐ様食事の準備に取り掛かった。
円卓に二人分の白焼きが並ぶ。大皿の上に、湯気を上げる皮付きの身が乗っている。大皿からはみ出るほど長大である。その形状は、どうやら原作とは程遠いようだ。
普通の鰻の白焼きは、皮を下にして、全身を横に寝かして置かれる。
アボレスの城焼きは、縦に切った身の一部を横に寝かして置いている。
私の視界に移った城焼きは、黒と白がそれぞれ等量ほど。黒褐色の皮と、白身が、それぞれ半分ずつ。その間に分厚い皮下脂肪を挟んでいる。来寿様曰く、「全く別物」である。それでも――
「ごくり」
私の喉が鳴る。湯気を立てる外観は、それなりに魅力的である。私の食欲を掻き立てて止まない。その欲望を阻むものは何も無い。
私達は、直ぐ様着席した。続け様に両手を合わせて、アシハラ流の挨拶(食前)をした。
「「頂きます」」
挨拶の後、私達はそれぞれの得物を手に取った。私はナイフとフォーク。来寿様は「箸」という二本の棒である。
私は左手にフォークを持ち、その先端をアボレスの白身に刺した。その際、僅かな抵抗を覚えた。それなりに弾力が有るようだ。尤も、これまで食してきた魔物に肉と刃比べ物にならない。
私は右手のナイフで一口大に切り分けた。続け様に、口の中に放り込んだ。その瞬間、脳が痺れた。
肉が――溶けたっ!?
舌の上で鰻の身が溶けていく。そのように錯覚したのは、身の中に潜んでいた油の仕業だ。その事実を直感して尚、私は魔法に掛かっているように錯覚した。
まるでアボレスの精神支配を受けているようだ。
私の本能が「休まず食べ続けろ」と命令する。魔王に対して無礼である。しかし、抗う気持ちは全く湧かない。私の手は止まらない。
私は食べて、食べて、食べ続けた。
夢中になって食べていると、途中で両手に硬い感触を覚えた。その変化を直感した瞬間、私は反射的に皿の上を見ていた。
そこには――何も無い。アボレスの肉は消えた。私は皿にフォークとナイフを刺している。その事実を直感して、私は直ぐ様フォークとナイフを置いた。いや、置こうとした。
ところが、両手が動かない。何故なのか? その理由は、私の腹が煩いくらいに主張していた。
もっと、食べたい。
私は来寿様にお代わりを要求した。
台所に持ってきたアボレスの肉は、全て私と来寿様の胃の中に入った。よく食べたものだと感心する。それと同時に、無上の満足感も覚えている。とても幸せである。
しかし、来寿様には思うところがあるようだ。
食事が終わった際、来寿様は申し訳なさげに頭を下げた。その行為の意味は、食後の茶を嗜んでいる際に告げられた。
「蒲焼きでなくて悪かった」
蒲焼き。女神ネフィリアを魅了した鰻料理である。
私としては、白焼きで十分満足しているところではある。しかし、蒲焼きに興味が無い訳ではない。その想いが口を衝いて出た。
「そちらも美味――その、まあまあの味なのか?」
魔王故、少し捻くれた表現をした。しかし、来寿様は質問の意図を完璧に理解している。
「まあ、好みによるだろうな。乱暴な言い方をすれば――」
蒲焼きの解説中、来寿様の目がキラキラと擬音が見えるほど輝き出した。その変調を見た瞬間、私の喉がゴクリと鳴った。
その直後、私は食欲の権化と成った。
「もっと濃厚な味だな」
私は鰻の蒲焼きの制作を決意した。その旨を、全魔王軍に通達した。




