第五十八話 魔王の一本釣り
毒々しい色を吐く大渦の下、魔王の森の湖の際に複数の人影が有った。その中心に、晒に褌姿の美少女が立っている。
デストラ樹海の魔王ウィルミア・デストランド。即ち、私だ。
因みに、完全に下着姿という訳ではない。背中に酸素供給装置を背負っている。
私は今、アボレス討伐に臨むべく、魔王軍の皆と共に出撃準備を整えていた。
現在地は、魔王城から見て左側、湖の東側の岸辺である。
私の後ろには、この日の為に用意した巨大な木製の棒が立っていた。
奇妙な棒である。先端に行くほど細くなっている。先端部分には鐘が二つ付いている。そこから下に、一定距離で鉄の輪が付いている。輪の中に、アラクネ糸で編んだロープが通っていた。
そのロープの行きつく先、棒の下部には巨大な糸巻き車が付いていた。
糸巻き車の周りに、私の配下、愛洲来寿様を始めとした全魔王軍が集結している。それぞれ、糸巻き車に付いたハンドルの前で待機中だ。
皆には役目を与えた。ハンドルを回したり、棒を引っ張ったりして貰う。その行為の意味は、現況を見れば一目瞭然だろう。
糸巻車付きの棒の正体は、釣り竿である。
竿の下に付いている糸巻き車は、創世記で言うところの「リール」である。地球という世界では普遍的な釣り道具である。
リールに巻き付くロープの先端は、私の体に巻き付いていた。釣り道具の構造的に、今の私は餌になるだろう。
その事実に因んで、この道具を「魔王釣り上げ装置」と名付けた。尤も、その機能は限定的だ。恐らく、出番は今回だけだろう
釣り上げ装置の使用目的。それは、魔王の撤退支援である。
私一人の安全を確保する為に、斯様に大掛かりな装置を用意した。その上、装置の運用を全魔王軍に任せている。その行為に対して、誰も私を横暴とは思うまい。
何しろ、私は今から一人で鰻の王アボレスと対決するのだから。
「では、行ってくる」
私は魔王軍に声を掛けた。すると、来寿様が応えてくれた。
「気を付けて――な」
来寿様は苦笑していた。しかし、その表情からは不安げな印象を覚えた。人形達にいたっては、泣き出しそうなくらい顔が歪んでいる。その表情を見て、私の胸が熱くなった。
皆、私を心配してくれているのだな。
私の目の端に涙が滲んだ。それを隠しながら、私は急いで湖の中に飛び込んだ。
魔王の森の湖は、意外にも優しく私を迎え入れてくれる。慣れ親しんだ湖水の感触が、私に生国の記憶を想起させた。
私が封印されてから、既に二か月以上は経っている。生国のこと、気にならないと言えば嘘になる。
しかし、今は考えまい。自分達が生き残ることで精一杯なのだ。私は生国の記憶を封印した。
今は目の前のことに集中しなければ。
潜っていく内に、私の視界に山脈が入り込んだ。それを直感した瞬間、私は湖底に身を伏せた。しかし、視線は山脈から外さない。
山脈は、それと錯覚するほど巨大な生き物だ。
アボレス。女神ネフィリアから「鰻の王」の二つ名を賜った失敗作。
アボレスは、自身が造り出したスライムの寝床の上に横たわっていた。腹を上に向けて、でろ~んと全身を伸ばしている。
アボレスの寝相を見た瞬間、私の口の端が吊り上がった。
寝首を掻いてくれと言わんばかりだな。
私は直ぐ様立ち上がった。続け様にアボレスの方へと前進開始。その際、私はアボレスから視線を外して、足元を見た。
海底には、大小様々な形状をしたスライムがへばり付いている。
一応、スライムも魔物だ。攻撃される可能性を想像した。ところが、私が近付いても、スライムは反応しなかった。
そもそも、この場にいるスライムはアボレスの呪いを受けたものばかり。自分達がスライム化したとは思っていないのだろう。
何れにせよ、スライムが反応しないことは僥倖である。私はスライム群を避けながら、アボレスへと近付いた。自分からスライムに触れる気など微塵も無いのだ。
しかし、避け切れない。アボレスに近付くほどスライムの数は増える一方なのだ。必然的に足場が無くなっていく。
私は仕方なく浮き上がった。その瞬間、私の視界に巨大な目が飛び込んだ。
縦に三つ並んだ縦長の巨眼。間違いなくアボレスの眼だ。それを直感した瞬間、私の脳がビビビと電撃を受けたように痺れた。その感覚が、私に最悪の事態を直感させた。
しまったっ!? アボレスの精神支配っ!!
私は全力で抵抗しようとした。全力で心を守ろうとした。しかし、既にアボレスの術中に嵌まっていた。
私の視界から、アボレスの巨躯が消えた。代わりに、見覚えの有る痩せぎすの男性が現れた。
その姿を直感した瞬間、私の胸がトゥンクと跳ねた。
男性は、来寿様だった。
来寿様は、何故か全裸であった。全裸で仰向けに寝そべっている。しかも、私の方を見ながら優しく微笑み掛けているのだ。
ああ、来寿様。来寿様。
来寿様の笑顔を見ているだけで、私の心臓は暴れ回る。今にも口から飛び出しそうだ。飛び出したなら、私は死ぬ。しかし、来寿様は容赦しない。
来寿様は、寝そべりながら、私に向かって右手を伸ばして手招きした。その行為を見た瞬間、私の脚は自然と前に出た。
来寿様がお呼びであるならば、私はどこにいようと駆け付ける。来寿様が望むならば、私は何でも言うことを聞く。何故ならば、来寿様は私の王子様だからだ。
私の脳内は来寿様で一杯だった。来寿様のことしか考えられない。来寿様が手招きするのならば、行くしかない。ああ、そうだ。その通り。
しかし、その不文律は絶対的な条件が一つ有る。
私が言うことを聞くのは、本物の来寿様限定だ。
今、私の目の前にいる来寿様は、絶対に来寿様ではない。何故ならば、身長が二十メートル超も有るからだ。
本物の来寿様の身長は百七十八・七九三センチメートル。身長差が有り過ぎる。これを見誤れと言う方が無体、無理な話。
斯様な子ども騙しで魔王を操ろうとしたこと、彼の世で悔やむが良い。
私は両腕を前に突き出した。両掌を巨大来寿様の顔に向けて――女神の大魔法を唱えた。
「メソポタミアの神々の王、荒れ狂う嵐。そのお力、お借り致します」
突き出した私の掌、その一メートル手前の水が旋回する。その現象を目の当たりにした瞬間、私の呪文は完成した。
「風の支配者の竜巻」
巻き起こった渦は、拡大しながら前へ、巨大来寿様の方へと伸びていく。
最終的に、アボレスを飲み込むほどの超巨大竜巻と化した。その様子は、アボレスの三つの目にも映っている。奴は逃げ出そうとしたようだ。
私の視界には、全裸の来寿様がお尻を向けて立ち上がった様子が映っている。しかし、間に合わない。アボレスの行動時間は、そこで終了した。
アボレスは、移動する暇も与えられず、竜巻に飲み込まれた。
アボレスの巨躯が、竜巻の中でグルグル旋回している。その様子は、私に洗濯装置内の洗濯物を彷彿とさせた。無様である。
アボレスを見る私の口の端が吊り上がっていく。しかし、笑うのは後だ。私の攻撃は、これで終わりではない。
私は竜巻を操作して、進行方向を水上に変更した。すると、竜巻はアボレスの巨躯毎水面に向かって急速上昇する。その様子を視認した後、私は別の女神の大魔法を唱えた。
「絶対零度の吹雪」
私の両掌から、絶対零度の冷気が迸る。それに伴って、竜巻の中心に空いた穴が煌めき出した。
竜巻の内部は絶対零度と化した。それに伴って、周囲の水が凍り付いていく。アボレスの巨躯も、何れ凍り付くだろう。
しかし、それを確認している暇は無い。私が放った冷気は、私の周囲の水も凍らせている。
私は自分の体を縛るロープに左手を当て、それに魔力を注ぎ込んだ。すると、上の方から鐘が鳴る音が響いた。
鐘の音が、私の鼓膜を震わせる。その頃には、私の体が水面の方へと引き上げられていた。
先の音は、魔王釣り上げ機の先端から発したものである。先端に取り付けた鐘は、私の魔力に反応して鳴るように造っている。
鐘の音は、私の浮上(釣り上げ)を知らせるサインであった。私は自分の企図通り、来寿様達に釣り上げられたのだ。
来寿様達は、超高速でリールを巻いているのだろう。その事実は、釣り上げられている状況から確信できた。
私の体は、回遊魚宛らの超高速で浮上している。その勢いは止まらない。それどころか増すばかり。
凄まじい水圧である。私の頭が凹みそうだ。体も押し潰されそうだ。胸部を抑えていた晒が解けてしまったではないか。しかし、それを直す機会は与えられなかった。
晒しの乱れに気付いた瞬間、私の体から水圧が消えていた。
今現在、私の視界に禍々しい色を吐く大渦が映っている。その光景の意味は、それを見た瞬間直感した。
ああ、外に出たのか。
私の体は宙を舞っていた。それも、地面に背中を向けながら。きっと、背後から引っ張られていたせいだろう。
このままでは背中から地面に激突する。
私は体を捻って足の裏を地面に向けた。
数秒後、脚の裏に硬い地面の感触を覚えた。着地成功である。しかし、着地の衝撃で晒がずり落ちた。
私は皆の前で胸部を晒した。今の私は褌一丁(背中に酸素供給装置付き)である。この姿を見て、私を淑女と思う者は存外に少ないだろう。しかし、だからどうしたである。
私は胸部を堂々と晒したまま、自分が飛び出した湖面を見た。その直後、私の視界に天を衝くほど巨大な氷柱が映り込んだ。
風の支配者の竜巻と、絶対零度の吹雪の合わせ技、その産物である。
氷柱の中には全長二十メートル超の巨大生物の姿が有った。その威容を視認した瞬間、私の瞳に青い殺意の炎が灯った。
「これで終わりだ」
私はアボレスの巨顔を凝視した。そこに狙いを定めて、女神の大魔法「天帝の雷霆」を唱えた。
私の頭上から眩い雷光が迸った。周囲の空気を焼き、アボレスの巨顔へと伸びていく。それを阻むものは何も無い。
雷光は、見事アボレスの巨顔に命中。その瞬間、氷柱に大穴が開いた。その穴の中に、当然アボレスの巨顔も入っている。
アボレスの巨顔は、氷柱毎木っ端微塵に砕け散った。
かくして、アボレス討伐は完了した。
確かに難敵ではあった。しかし、この魔王ウィルミア・デストランドの敵ではない。ちょっと面倒な手間を掛けただけのこと。ふんす、ふんすである。
顔を無くしたアボレスは、完全に絶命している。しかし、砕けず残った氷柱の中にはアボレスの胴体が残っている。これは――今回の報酬である。
さて、女神を魅了したその体。どんな味がするのか? じゅるり。




