第五十五話 魔王の湖底探索
封印世界に、絶好の水浴び日和などというものは無い。
そもそも、空に太陽が無い。代わりに、禍々しい色を吐き出す大渦がある。その不気味な色彩の下、魔王の森の湖畔に複数の人影が有った。
私、魔王ウィルミア・デストランドと、魔王軍きっての八名の精鋭達。
まあ、精鋭も何も、これで全員なのだが。
兎に角、これから私達は魔王城前の湖の探索を行う。その為の準備も整えた。本作戦に於ける役割も、キッチリ割り振られている。
尤も、実際に探索を行う役目を担う者は、私と来寿様の二人だけだ。
私達以外の者、即ち人形達は湖畔でお留守番である。そうしなければならない事情が有った。
黄金や鉄の塊は、沈んだら浮いてこられないからな。
水中での活動は、人形達には不向き。戦闘となれば致命的、完全に死地である。故に、お留守番。この判断に間違いは無い。
しかし、私が命じた際、人形達は全員不服そうに顔をしかめた。無礼であろう。文句の言葉が喉元まで込み上げた。
その際、来寿様が直ぐ様フォローして下さった。すると、人形達は「仕方ないね」と言わんばかりの納得の表情で首肯した。その反応を見て、私もホッと胸を撫で下ろしている。しかしながら、このときの私の顔には、口に渋柿と梅干を詰め込んだような渋面が浮かんでいただろう。
何で造物主より、我が騎士の方に従うのか。
人形達に対して、言いたいことは山ほど有る。しかし、私はグッと堪えた。私も成長しているのだ。偉い、偉い――って、まあ、それはそれとして。
兎に角、湖底探索隊は私と来寿様と決まった。今更覆りようもない。
私と来寿様は、それぞれ水中用の衣装をまとい、水中用の魔法道具を装備している。因みに、人形達はいつもの戦闘衣装(二種類の革鎧と、アラクネ糸の鎧直垂)である。
今の私と来寿様の格好は、一言で言えば「超軽装」。別の言い方をすれば「半裸」になるだろう。
私達の上半身には、胸部から腹部に掛けて「晒」という帯状の布を巻き付けている。
結構きつく巻いている。その為、私の胸部の膨らみが完全に抑え込まれている。少し息苦しい。しかし、緩める訳にはいかない。
緩めようとすると、来寿様が速攻で止めに入る。何故なのか? その理由に付いて、来寿様曰く、
「目の毒だ」
どうやら、来寿様は女性の乳房が苦手のようだ。だからと言って、他の部分も得意ではなさそうである。その事実は、今の私の下半身の衣装で確認できた。
私も、来寿様も、下半身は褌一丁である。そう、アシハラの下着だ。それを剥き出しにしているのだ。
要するに、今の私達は下着姿である。しかしながら、アシハラではこれで良いようだ。現況の格好が、アシハラの水着なのだとか。
まあ、胸部を出そうが、臀部を出そうが、私にとっては些事である。来寿様は気にするが、私は裸を見られることに抵抗は無い。
そもそも、私は真正の王族なのだ(その立場、自分でも時折忘れるが)。
王族に限らず、高貴な出自の者には侍従が傅く。色んな人間が世話を焼く。風呂、湯浴みの際も同様である。
私も自身、少期から経験していること。それが当たり前だと思っていた。ところが、市井に於いては当たり前ではなかったようだ。
普段の私は、来寿様の前での全裸は控えている。しかし、今回ばかりは仕方ない。背に腹は代えられないのだ。それに、完全な下着姿という訳ではない。
私達の背中に、水中用の特殊装置が付いて(背負って)いる。
装置の外観は、管付きの二つの円筒である。人の太腿ほども有る円筒が、底面を上下にして、横に二つ並んでくっ付いている。一体、これは何なのか?
これこそ、私が創った「酸素供給装置」である。
円筒の中には、鉄の芯に貫かれた十枚の薄い歯車が入っている。それぞれの歯車の歯は鋭い刃になっている。それらには、女神の大魔法「鬼神の妖刀」を応用した魔法を懸けた。「何の為に?」と問われれば、「水を切る為」と答える。
歯車で水を切り、それを水素と酸素に分解する。酸素は、二つの円筒を繋ぐ管に入る。水素は、円筒の底から噴出される。
装置の装着者は、管の先を口に加えることで酸素が得られる。それだけでなく、水素を噴出することで推進力も得られるのだ。
一石二鳥の優れものである。こんなものを作り出すとは天才か。流石、魔王である。えっへん。
因みに、この酸素供給装置の内(背中)側には骨刀が真横に取り付けてある。魔物がいるとなれば、戦闘の可能性は否定できないからだ。
しかし、骨刀は飽くまで護身用である。水中での活動を考慮して、刃渡り五十センチと小振りなのだ。
来寿様としては村正を持っていきたいところだろう。しかし、今回ばかりは水中用骨刀で妥協して貰った。
今回の作戦に於ける第一義は飽くまで調査。魔物を発見した場合、私が相手の正体を見極めた後、直ぐに帰還するよう取り決めている。
「正体が分かったら、即帰還。良いな?」
私は口頭で確認した。すると、来寿様は「分かった」と頷いた。その反応を見て、私は湖に向かって右足を踏み出した。
「では、行くか」
私の合図に、来寿様が即応する。
私達は、それぞれ二人並んで湖に入った。脚が水に埋まると同時に、酸素供給装置の管の先を咥えている。そのままユックリ水面に浸かって、ズブズブ沈んだ。
水面が脚から腰まで上がったところで、二人一緒に水中にザブンと潜った。
思えば、魔王の森の湖に潜ったのは、今日が初めてではなかろうか。その事実を想起しながら、魔力の利いた視覚で辺りを見渡した。
湖の中は、この世界の自然にしては普通であった。少なくとも、水質はデストラ樹海のものと大差ない。私の体に馴染んでいる。その事実と感覚が、私に初めて湖水浴をした記憶を想起させた。
あのときキッチリ泳ぎをマスターしておいて、本当に良かった。
創世記に有る諺「昔取った杵柄」である。お陰で来寿様達の前で恥を掻かなかったのだ。当時の自分に対して感謝したい。
私は心中で「偉いぞ、昔の私」と感謝の意を表しながら、来寿様と一緒に湖底に向かって突き進んだ。
潜っている間中、私の視界に映るものは透明な水ばかり。
やはり、底は相当深いようだ。
結構な時間潜水し続けた。酸素供給装置が無ければ確実に窒息している。その事実を直感したところで、漸く水底が見えてきた。
魔王の森の湖の底は、殆どが砂や砂利ばかりである。それしかないように思える。ところが、その想像は間違っていた。
奥へと前進し続けていると、泥と思しき物体が目に付き出した。しかし、真正の泥ではないだろう。
それぞれ、極彩色と言いたくなるほど様々な色が混じっている。その大まかな形状も奇妙だ。
魚のような形をしているものもあれば、水草のような形をしているものもある。それらが湖底でユラユラ揺れている。
一体、この泥は何なのだ?
私は首を傾げながら泥の正体を考えた。すると、思い当たる可能性を閃いた。その瞬間、私は来寿様の方を振り返った。
来寿様は、私の方を見ていた。私と目が合うと、私に向かってコクリと頷いた。その反応を見て、私は自分の閃きを確信した。
来寿様が言っていた「スライム」とは、これであったか。
スライムは、奥に行くほど数を増しているようだ。それを追い掛けて、私達は更に奥へと突き進んだ。
私達は湖の中心、最深部に近付いている。そこまで進んでいくと、湖底はスライムだらけになっていた。それこそ、湖底そのものがスライムと錯覚するほどに。
現況は、私に一つの可能性を想像させた。
この先に、スライムの親玉がいるのでは?
私の想像は、直後に具現化した。
最深部には、真面な形を留めた山が有った。より正確に言うと、山と錯覚するほどの巨大な――蛇? いや、蛇ではない。蛇に似た何かだ。
蛇らしき物体の顔は、異様に大きい。その中心に、縦長の目が三つ、縦一文字に並んでいる。
目の下側、鰓と思しき部分から長い紐――触手が左右二本ずつ、合計四本伸びていた。
それらの特徴を直感した瞬間、私の脳内に創世記に記された異名が閃いた。
此奴――「鰻の王」だ。
鰻の王。その真の名前を「アボレス」という。元の世界にいない魔物だ。要するに、女神が調整をしくじった失敗作である。その事実を直感した瞬間、私は来寿様に向かって浮上を意味するハンドサインを送った。




