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第四話 女神の失敗作

 私は(すす)けた岩壁に背中を預けて座っていた。

 私の背後の岩壁は、天に届かんばかりに高く、果てしなく伸びている。しかも、私の前にも同じような岩壁が立ちはだかっていた。

 どうやら私は渓谷の底にいるようだ。その事実は何となく直感できた。しかし、現在地の正体は、全く閃かない。「ここはどこだ?」と尋ねたい。


 しかし、私の言葉に耳を傾ける人間は、傍にはいないようだ。それどころか、他所事にかまけている暇は全く無い状況だ。

 私の目の前で、凄惨な死闘が繰り広げられていた。


 人間の剣士と、黒い犬。

 双方とも、体を密着させて取っ組み合っている。その二つの内、前者の剣士には見覚えがあった。


 私の兜を割った男だ。


 男は、私を殺す為に送り込まれたシグムント王国の刺客だ。私にとっては敵以外の何ものでもない。それも、私を殺しうる恐ろしい剣技の持ち主である。軽々に近付くことは躊躇(ためら)われた。その判断は妥当と言える。

 しかし、私は激しく後悔する羽目になった。


 戦況は、どうやら男に不利のようだ。

 男の右腕が激しく損傷していた。犬に齧られたか、二の腕(上膊(じょうはく)部)辺りの骨が剝き出しになっている。今も、開いた犬の口に右手が飲み込まれようとしている。そのまま食い千切られてしまうことは、想像に易い。

 ところが、私の想像は外れた。


 男は、傷付いた右腕を引いた。その先には曲剣(打刀)が握られていた。

 どうやら、男は犬の口腔を狙って攻撃していたようだ。


 男は曲剣を左手に持ち替えた。傷付いた右手は力無く垂れ下がった。その直後、犬の口から鮮血が噴出した。


 やったか?


 普通の犬であれば死んでいる。しかし、相手は普通の犬ではない。何と、頭が()()も有るのだ。


 血を吐いた頭の左右には、別の頭が生えていた。その二つは元気一杯の様子。奇怪である。しかし、それだけではない。尻尾が二股に分かれていて、その先端部分で炎が燃え盛っていた。

 それらの特徴を目にした瞬間、創世の女神ネフィリアが記した創世記の内容が閃いた。


 あれは――「ケルベロス」だ。


 ケルベロス。女神が「地獄の番犬」と称した強力な魔物だ。

 ケルベロスの身体能力は普通の犬の比ではない。その身を覆う黒い外皮も、金属鎧並みの硬度を持つという。

 しかしながら、どうやら口の中は強固ではないようだ。


 中央部の頭は、既に息絶えている様子。残る二つの頭にも同様の攻撃を加えれば、男が勝つだろう。尤も、それをケルベロスが許せばの話だが。


 私が男の勝利を期待した瞬間、ケルベロスの左右の口が開いた。その奥には炎が燃え盛っていた。それが、男に向かって噴出した。


 あれは――ブレス攻撃か。


 ブレス攻撃。吐き出す息に特殊能力を加える魔法攻撃である。それを使う魔物は、ネフィリムにはいない。創世初期にいたらしいが、全て処分、或いは封印された。そのように、創世記に記されている。

 しかし、()()にいた。


 ケルベロスが吐いた炎が、男の体を包み込む。男は生きたまま地獄の業火に焼かれている。

 炎は、男の体だけにまとわりついている。出力自体は抑え気味と思える。

 ケルベロスとしては、自身に類が及ぶのを嫌っているのだろう。それでも、人間の体を屠るには十分すぎる熱量である。

 男の剥き出しの皮膚が焼け爛れていく。既に炭化している個所もある。最早、人間とは思えない状態である。


 これは死んだか?


 曲剣を握った左手までもが、地面に引き寄せられるように垂れ下がった。その様子を目の当たりにして、私は最悪の可能性を直感した。

 ところが、男は未だ死んではいなかった。男の左腕は未だ動いていた。


 男の左手に握られた曲剣(剣先)が、ケルベロスの胸に押し当てられた。その際、男は曲剣の柄を右側に傾けている。その状態を維持しながら、右膝を掲げて――曲剣の柄頭を蹴った。膝蹴りである。

 最期の悪足掻き。しかし、そこまでして何になる? 勝ったところで男が助かる見込みは万に一つもない。


 まさか――私を守る為? 本当に?


 必死に戦う男の姿を見て、私の胸が熱くなった。思わず男の勝利を願った。 

 しかし、私の願いは届かなかった。


 曲剣の切っ先は、ケルベロスの黒い外皮に阻まれていた。ピクリとも動かない。

 ケルベロスの外皮は金属鎧並み。その事実は創世記にも明記されている。造物主の言葉に偽りなど無い。ケルベロスの外皮は人間には貫けない。精々傷を付ける程度だろう。 無理なのだ。有り得ないのだ。そのはずなのだ。

 ところが、有り得ない奇跡が起こった。


 男は、再び右膝で曲剣の柄を蹴った。すると、曲剣の切っ先がケルベロスの胸に深々と埋った。その様子は、(魔王)から見ても魔法のように思えた。

 しかし、それは魔法ではなかった。男の剣技だ。


 最初の一撃は、ケルベロスの外皮を傷付けた。それが人間の限界だ。しかし、二撃目が限界を超えた。

 男が放った二撃目は、先に穿った僅かな傷口に寸分違わず刺し込まれていた。

 天空から針に糸を通す如き集中力。その人外の力が奇跡を起こしたのだ。


 (かつ)て、私も男に金属製の兜を割られている。その神技がケルベロスに炸裂した。


 男は三撃目を繰り出さなかった。その代わり、左腕一本の力で曲剣を捻じ込んだ。

 外皮を穿った曲剣は、その半ばまで埋まった。その直後、ケルベロスがもがき苦しみ始めた。その様子を目の当たりした瞬間、私の脳内に一つの可能性が閃いた。


 心臓を刺したか。


 心臓は、殆どの生物にとって弱点である。ケルベロスも例外ではなかった。血反吐を吐きながらのたうち回っている。その様子は、私には必死に死から逃れようとしているように見えた。しかし、逃れられなかった。


 ケルベロスは、唐突に動きを止めた。そのまま動かなくなった。その様子を見て、私は奴の絶命を直感した。


 私が手を下すまでもなかった。


 曲剣の男は勝った。その命と引き換えにケルベロスを倒したのだ。見事という他無い。

 そもそも、ケルベロスは人の手に負える魔物ではなかった。世界の創造者の自著、創世記にも、そのように記されている。

 しかし、男は女神の予想は覆した。女神の想像を超える偉業を成した。それも、恐らくは私を守る為に。


其方(そなた)、本当に――私を守ったのだな」


 自分の言葉が胸を衝く。この男は、私を守る為に命を懸けた。その上で、造物主の想像を超える奇跡を起こした。それらの事実を思うほど、私の胸は激しく痛んだ。

 この男は――私の敵である。しかし、今の私に躊躇いは無い。


「今度は、私が其方を守ってやる」


 私は、この身に残った全ての力を曲剣の男に捧げた。

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