第三十四話 魔王の消防隊
我が城に洗濯場(兼、脱衣所)と浴室ができた。私が創った。流石魔王である。えっへん。
しかし、斯様に全知全能の魔王であれど、人間である。残念ながら、できないことも有った。
全自動魔力温水器、未だできない。ああ、素材が、素材が欲しい。しょぼん。
温水器ができるまでの間、来寿様の朝練の産物に頼ることにした。お陰で暖かい湯船に浸かれて極楽、極楽である。
因みに「極楽」とは、創世記に出てくる「神々が住まう場所」である。どんなところなのか、行ってみたい気もする。その前に、封印の壺から出る必要が有る訳だが。
いい加減、壺からの脱出方法を探った方が良いだろう。暖かい風呂に浸かる度、私はこの世界の在り方に付いて想像した。
女神の失敗作が跋扈する世界。人間が住める場所ではない。創世記で言うところの「蟲毒」か、或いは「修羅界」である。魔物の中には、世界を滅ぼすほどの化け物もいるだろう。いるはずだ。
何しろ、世界を滅ぼすくらいならば私でもできる。だからと言って、そんな魔物とは極力出会いたくはない訳だが。この世界に女神様がいるならば、どうかこの細やかな願いを聞き届けて欲しい。私は浴槽の中で祈念した。
しかし、現実は無情である。取り分け封印世界は非情である。私が遠慮したい事態を、容赦無く、遠慮無く、私に何の断りも無く引き起こす。
我が魔王城に、建城以来最大の窮地が訪れた。
その日、私は朝から研究室に籠っていた。何をしていたかと言えば、洗濯用の洗剤を創っていたのだ。
陶器の容器に様々な素材を入れ、その中から汚れを落とす成分を研究。何度か試行錯誤を繰り返す内、汚れを分解除去する成分を発見した。
汚れを落とす秘訣は「親水性と親油性」である。それぞれに浸透、分解する成分は、酸、アルカリ、それから――酵素である。
酸とアルカリは、外部の汚れに効果を発揮する。酵素は、人の体から発生する汚れにてき面であった。
私はそれぞれの成分を適量で混ぜ合わせた。それを粉末状にしたものが、洗剤試作第一号である。
ああ、早くこれを試したい。
思い立ったが吉日。私は洗剤片手に研究室を飛び出した。しかし、洗濯場に入ることはできなかった。
私が研究室を出た瞬間、掠れた声が耳に飛び込んだ。
「ミアっ!!」
「!?」
とても大きな声である。百メートルくらい離れていても、私の名前を呼んだと分かるほどに。思わず息を飲んでしまった。
私は反射的に声がした方を見た。すると、玄関の方から走ってくる人影が有った。
白銀の衣服に黒革の鎧。それらを身に着けた痩身の男性。我が騎士、愛洲来寿様である。
来寿様の格好は新衣装であった。
アラクネの糸で編んだ「鎧直垂(直垂と袴)」という武士の鎧下着。その上から、ケルベロスの皮で作った革鎧をまとっている。その上、袴の腰には打刀、妖刀村正を差している。紛うこと無き戦闘装束である。
来寿様の新衣装姿は、とても良く似合っていた。素敵である。世界一のイケメン(創世記でいう『男前』)であることは、誰の目から見ても明らかだ。
今の来寿様であれば、誰もが惚れる。女神の失敗作と言えども遅れは取るまい。単騎で討伐するだろう。それは願望ではなく確信だ。
来寿様の姿を見た瞬間、私の顔はだらしなく緩んだ。しかし、直ぐに引き締めた。その三秒後、私の眉と口が神経質に歪んだ。
眼福――ではない。これは只事ではないぞ。
嫌な予感がした。それは現実となって、来寿様の口から飛び出した。
「森が燃えているぞっ!」
「!?」
森林火災。その事実を知らされて、私は目を開きながら息を飲んだ。
我が城は化石の森の奥に在る。周囲は樹木が群生している。要するに、周りは可燃物だらけなのだ。火災となれば、巻き添えを食うことは必定。
唯一の救いは、正面に湖が有ることか。魔法で城を湖の中へ沈めることもできる。しかし、その実行には躊躇いを覚える。その理由が、私の脳内に閃いていた。
我が城には防水機能が無い。
城が湖に浸かれば、城内は水浸しになる。折角創った洗剤も、湖の中で消えて無くなる。最悪である。だからと言って、背に腹は代えられない。ちくせう、ちくせう。
「うむむむむ」
悩む。来寿様の言葉を疑いたくもなる。現実逃避したくもなる。しかし、逃げる訳にはいかない。
火災が本当であれば、城も、近場に作った畑も焼ける。暫くの間、私達の顔から笑みが無くなるだろう。そのような事態は断固拒否、絶対受け入れられない。
私は直ぐ様対応策を考えた、すると、脳内で三つの鎮火手段が閃いた。
一つ、女神の大魔法を使う。
二つ、目の前の湖の水を使う。
三つ、こんなことも有ろうかと用意していた魔法道具を使う。
さあ、どれ?
究極の三択。その決断に要した時間は、凡そコンマ三秒。それが決まると同時に、私は目の前まで迫った糸目の男性に向かって声を上げた。
「私は魔法で何とかする。土人形達には湖の水を放水させる。来寿は――ちょっと、ここで待っていろ」
閃いた全部を実行する。その内の一つ、第三の選択肢の準備をすべく、私は急いで研究室に戻った。
研究室の奥には、幾つかの魔法道具が積み上げられていた。その中から「大袋が付いた背負子」を取り出した。その際、傍らに置かれたマスクとツナギ(上着とズボンが一体型になった衣装。出典、創世記)も併せて取り出した。
私は、それら全てを両手に抱えて、再び来寿様がいる中央広間に舞い戻った。
来寿様は私の言い付けを守っていた。忠犬のように、その場に待機している。その姿を見止めるや否や、私は来寿様に背負子、マスクとツナギを手渡した。
「其方は、これを使え」
来寿様は素直に受け取った。しかし、直後に首を傾げた。
「何だ? これは」
当然の疑問である。マスクとツナギは兎も角、背負子は未知にして面妖な造形をしていた。
背負子の主要部分である大袋は、完全に閉じている。これでは中に物を入れることはできない。しかも、閉じた大袋から一本の太い管が伸びている。その管の先端には「ノズル」という噴出機構が付いていた。
こんなもの、元の世界には無い。来寿様でなくとも首を傾げるだろう。だからこそ、説明しなければならない。
「これは『石化ブレス噴出装置』だ」
石化ブレス。石化の呪いが付与された大息である。以前倒した巨大鶏、コカトリスの必殺技である。
私はコカトリスの呪い袋を使って、石化の呪いを吐き出す道具を作っていたのだ。えっへん。
「管の先端から、石化ブレスを噴き出す。使用の際は、そのマスクと服を身に着けてくれ」
私が渡したマスクとツナギは、コカトリスの皮で作った特別製の防護装置である。それらは石化の呪いに対して強力な抵抗力を持っている。
私は来寿様に噴出装置の機能、及び使用方法を簡単に説明した。説明が終わると、来寿様は「分かった」と首肯した。
「次は――おいっ!」
来寿様が返事をした後、私は直ぐ様三体の土人形を招集。そこで、湖の水を使った消火活動を説明した。
全ての説明が終わると、土人形達は右手を掲げてサムズアップした。その反応を見て、私は大きく頷いた。
これにて全ての役割分担が完了した。後は――そうだ。アレも持っていこう。
「皆、一寸待っていろ」
私は再々度研究室に入った。その奥に有る薬剤保管庫から、小さな試験管を取り出した。
試験管の中には、濃い青色の液体が詰まっている。それを目にした瞬間、私の眉根が僅かに歪んだ。
未だ試作段階だが――念の為に持っていこう。
私は紐付き小袋に試験管を詰め、それを首から下げた。これで、思い付く限りの全ての準備が完了した。後は実行有るのみ。
私は研究室を出るや否や、広間で待機していた来寿様達に下知を飛ばした。
「今から消化作業を開始する」
「応っ」
来寿様は、我先にと城外へ飛び出した。その後から、私と三体の土人形が続く。
来寿様が開け放った玄関扉を潜って外へ出た。その瞬間、私の鼻腔にキナ臭い匂いが飛び込んだ。それに遅れて、焼けつくような熱気が剥き出しの肌を焼いた。
それらの感覚を直感した瞬間、私の額に汗が滲んだ。
これは急がねば。
私は土人形達に城を託し、来寿様と一緒に火元に向かって走った。
暫く走っていると、煙がモウモウと立ち込めてきた。それに合わせて気温も上昇している。酸素の量が激減。息をするのが辛い。奥に行くほど厳しさが増す。
しかし、私達は走り続けた。その先で、燃え盛る樹木群と遭遇した。その事実を直感した瞬間、私は直ぐ様失われた女神の大魔法を唱えた。
「絶対零度の吹雪」
私の前面の空間から、煌めく空気が噴き出した。それに飲み込まれたものは一瞬で凍り付く。燃え盛る樹木も例外ではない。炎毎固まっている。
私が魔法を唱えている間、来寿様も石化ブレスを撒き散らしていた。それに触れたものは一瞬で石化した。
私も、来寿様も、全力で消火活動を続けた。それこそ、森全域を凍らせたり、石化させたりするほど頑張った。
しかし、何故か炎を消し去ることができなかった。
不思議なことに、「消した」と思った箇所から、新しい炎が次から次へと吹き上がっている。意味不明である。
だからと言って、原因を突き止めなければ、永遠に消火活動は終わらない。私は一計を案じた。
先ず、全力で消化。その上で、消化した辺りを注意深く観察する。
すると、地面から巨大な何かがヒョッコリ顔を出した。それが目に入った瞬間、私は「火災の元凶」を直感した。
そいつは蜥蜴だった。地面から這い出した全身は、あり得ないほど大きい。体長十メートルは有るだろう。当然ながら、只の大蜥蜴ではない。
蜥蜴の体、全身が燃え盛っている。
とても大きな炎である。その光景を目の当たりにした瞬間、私は創世記に出てくる「世界を焦がす地獄の業火」を想起した。それと同時に、その件に記された魔物の名前が口から飛び出した。
「サラマンダーっ!」
女神が世界に火をもたらす為に創った炎の精霊。しかし、現世には存在していない。例によって例の如く、女神が調整を諦めた失敗作である。




