第三十二話 女神の廃棄物
封印世界の時間には明確な指針が無い。しかし、生物の体には体内時計が有る。朝と思しき時間になれば、目が覚める。
今日も、私は寝所のベッドで目を開けた。私が造ったベッドは、ダブルベッドである。しかし、今日も今日とて独りぼっちだ。その事実を直感すると、口が「へ」の字に曲がる。少し前の私であれば、ベッドの上でゴネている。しかし、今の私は違う。
「今日も――頑張ろう」
私は直ぐ様ベッドから降りた。その際、白銀の布が視界に入った。
私の寝間着は「襦袢」というアシハラの着物である。それが体にピッタリまとわりついている。しかし、不快ではない。アラクネの糸で編んだ生地は絹のように滑らか。とても肌触りが良い。だからと言って、寝間着のまま 家の中をうろつく訳にはいかない。その物臭な行為は、魔王としての威厳を損なう。それ以上に、来寿様が口にするであろう苦言が、私の耳と胸に刺さって――痛い。
最悪の事態を回避すべく、私は直ぐ様寝室の北壁に近付いた。
北壁には、隠しクローゼットを造った。そこで寝間着から普段着に着替えた。
普段着。それもまた、アシハラの着物である。しかし、襦袢とは比べ物にならないほどスカート丈が短い。裾が太腿辺りまでしかない。動き易い様、来寿様に頼んで詰めて貰ったのだ。私のお気に入りである。
お気に入りの服を着ると、気分も弾む。私は意気揚々と寝室を飛び出した。その先は、中央広間へと繋がっている。
広間に入ると、そこは――無人。蛻の殻だ。
もしかして、早く起き過ぎた?
私は来寿様就寝中の可能性を創造した。思わず、寝顔を見に行きたい衝動に駆られた。脚も来寿様の寝室に向いた。しかし、一歩も踏み出せなかった。その理由が、私の脳内に閃いていた。
来寿様が、私より遅く起きる訳がない。
来寿様の朝は早い。その上、私は起きるのが遅い。それらの事実を鑑みると、現況の理由が判明した。
起きるのが遅過ぎた。
広間中央の円卓を見ると、そこには作り置きの膳が用意されていた。それを見付けた瞬間、私は自分の失態を痛感した。
来寿様との朝食の機会を逃したあああああっ!?
最悪である。今日は朝から最悪の気分だ。誰かのせいにしたい。しかし、自分の顔しか閃かない。
私は一人寂しく席に着き、来寿様が作った朝食を食べた。とても美味しかった。しかし、少し塩気が強い。その原因は、私が流した涙だった。
次からは、もう少し早く起きよう。
私は涙を拭きながら、何とか完食。空になった食器を持って、台所の流し台に移動した。そこで、一人寂しく器を洗った。斯様な行為、以前の私であれば絶対にしなかっただろう。しかし、今の私は違う。
自分のことくらい、自分でしないと。
私は食器の汚れを洗い、アラクネの布巾で水気を拭きとった。その際、食器からキュキュと音が鳴った。拭き具合は完璧である。
私は全ての食器をキュキュと鳴らした。吹き終わった食器は、全て食器棚に片した。これで、私に与えられた朝食時の仕事は完了である。後は――何をする?
今後の予定を考えた瞬間、私の脳内に三つの選択肢が閃いた。
研究? 素材収拾? そう言えば――来寿様はどうされたのか?
どれも魅力的である。しかし、最後の選択肢の魅力が大き過ぎる。私の脳内では、来寿様がいると思しき場所が幾つも閃いていた。その中から、どこに向かおうかと考えていた。その最中、俄かに城外が騒がしくなった。
何事?
私は騒音の原因を確かめるべく、玄関から城外に出た。その瞬間、私の視界に見知った顔が飛び込んできた。
あ、来寿様。
運命と言うべきか。私が外に出た瞬間、来寿様達と鉢合わせたのだ。
このとき、来寿様は荷車を引いていた。しかし、お一人ではなかった。二体の土人形が、荷車を後ろから押している。余程重いものを運んでいるようだ。
一体、何を運んできたのか?
私の視線が荷台の方に移動した。その瞬間、掠れた声が耳に飛び込んできた。
「やっと起きて来たか」
来寿様の苦言である。しかし、その顔には苦笑が浮かんでいた。呆れている様子。しかし、怒ってはいなさそうだ。
私は「ほっ」と胸を撫で下ろした。続け様に、来寿様に向かって声を上げた。
「何をしているのだ?」
私の視線は、再び荷台の方へと移動した。そこに乗っている物体を視認した瞬間、再び掠れた声が耳に入った。
「森の奥で――こいつを見付けてな? それで運んできた訳だ」
こいつとは? 荷台の上には三個の「樽」が乗っていた。
樽の高さは一メートルほどもある。容量は二百リットルくらいか。大樽である。しかし、只の樽ではなかった。
金属製の樽である。そのようなものは元の世界で見たことがない。謎の樽である。しかし、私の脳内には該当する記憶が有った。
「これは――『ドラム缶』か?」
ドラム缶。創世記に出てくる異星の樽である。
ネフィリム創造の際、女神ネフィリア様が、物入れに使っていたものだ。しかし、それも今は昔の話である。現世には、こんなものは存在していない。
ドラム缶は消えた。一体、どこに行ったのか? その答えが、目の前に有った。
こんなものまで、ここに放り込まれていたとは。
都合の悪いものは、皆、この世界に封じられる。その中に不要となった道具が有ったとしても、不思議ではないのかもしれない。
それにしても、私が言うのもアレだが、いい加減な神様である。何でもかんでも捨てればいいというものでもないだろうに。
しかし、今は――うん。ちょっとだけ感謝しよう。
「何かに使えるかもしれん」
「そうか。うん、そう思ったよ」
廃棄物とはいえ、造物主の道具だ。そんなものが沢山あるとなれば、全部揃えたくもなる。
「他にも何か有ったか?」
他にも女神が投棄したゴミが有る可能性は高い。それを期待して、私は来寿様に詰め寄った。しかし、私の期待は空振りに終わった。
「いや? これだけだ」
「そうか」
残念。他には無いようだ。今はドラム缶を得たことで良しとしよう。私は横目でチラとドラム缶を見た。
円筒形の大樽である。これを何に使うべきか? 創世記通り、物入れとすることが妥当と思える。しかし、既に我が城には必要量以上の樽が有る。これ以上は必要無い。
樽は要らないけど、うーん。
廃棄物とはいえ、造物主の道具であったものなのだ。しかも、元の世界には無い金属製の樽なのだ。樽以上の有用な使い道が有るはずなのだ。
そもそも、我が城に必要なものは、未だまだ沢山有る。
例えは、風呂の浴槽とか。或いは湯を作る装置とか。或いは、全自動洗濯装置とか――考えれば考えるほど、次々閃いて止まない。
「うむむ」
悩む。ドラム缶を如何に活用すべきか?
悩む余り、思わず頭を抱えてしゃがみ込んだ。その間も、私の脳内では必要と思しき道具や施設が幾つも閃き続けている。それら無数のアイデアの中に、三個のドラム缶(想像物)が吸い込まれた。
その瞬間、私に女神の天啓が下りた。
「よし」
私は声を上げながら立ち上がった。
もう、今の私に迷いは無い。私はドラム缶の使い道を決めたのだ。
「これを使って、アレを造ろう」
アレ。私の中では明確な答えが有る。しかし、誰にも共有していない。故に、私の言葉を聞いた者は、一斉に首を傾げた。
「アレとは?」
来寿様の頭上に「?」が浮かんだ。それが私の視界に入った。その瞬間、私の口の端が吊り上がった。
私はシニカルな笑みを浮かべながら、来寿様の質問に対する回答を告げた。
「それは、出来上がってからのお楽しみ」
このとき、私の脳内には二つの最重要機密が閃いていた。「来寿様王子様化計画」と、「来寿様幸福化計画」である。
ドラム缶を使用することで、二つの計画を強力に推進することができる。それこそ王手一歩手前まで進めることができるのだ。
「では、早速取り掛かろう」
私は来寿様達に命じて、ドラム缶を私の研究室に運び込ませた。




