第三十一話 魔王の涙
「――と、まあ。こんなことで、俺はフォリス大陸に来た訳だ」
樹木網の広間に、掠れた声が響き渡った。穏やかな微風のように優しい声。
しかし、その声を聞く私の胸は――痛い。心臓が万力で圧し潰されていると錯覚するほど。
来寿様の半生、その前半部分が終了した。一区切りついたところで、来寿様は私を見て苦笑した。
しかし、来寿様が笑っていたのは一瞬だった。その笑みは瞬時に凍り付いた。その表情の意味が、来寿様の口から零れ出た。
「泣いて――いるのか?」
私の耳に、来寿様の言葉が入った。その瞬間、私は首を傾げた。
誰が泣いているというのか?
この場には、今は私と来寿様以外いない。来寿様は泣いていない。ならば、泣いているのは――私だった。
私が泣いている? 何故?
右手で頬に触れると、指先が濡れた。その事実に、私は衝撃を受けた。泣いている理由が全く分からない。しかし、涙は止まらない。
私の脳内には、来寿様の話の光景(想像)が閃いている。それを意識する度、胸がギリギリと締め付けられる。その痛みを覚えるほどに、涙が溢れる。その変調は、私にとっては有り得ない、いや、有ってはならない状態だ。だからこそ、
「泣いてなど――」
私は否定した。いや、否定しようとした。しかし、私の言葉は途中で途切れた。その原因と思しき言葉が、私の脳内に響き渡っていた。
この気持ちに嘘を吐くのは止めろ。
私の中の何かが、私の行為を咎めている。その声は何なのか? 発生源を探ると、先ほど聞いた「来寿様の半生」と思しき光景ばかりが閃いた。その度に、私の胸が締め付けられる。苦しい。想像することを止めたい。しかし、できない。
私の脳内は、来寿様の半生の光景で一杯になった。それが、私の脳から溢れた。そのように錯覚した。すると――私の体が勝手に動いた。
「来寿――様」
私は来寿様に声を掛けた。それと同時に、席から立ち上がった。その行為は、隣に座る来寿様の視界にも映っている。
「うん? どうした?」
来寿様は首を傾げた。困惑している様子。しかし、私は構わず来寿様に接近した。
「おい? ミア?」
来寿様の首は一層傾いでいく。その細い目が、私の顔を不思議そうに見詰めている。その視線を浴びると、私の体が硬直した。
しかし、私の中の何かが、ここで止まることを「良し」としなかった。
「暫く、目を閉じて」
「? 分かった」
来寿様は目を閉じた、その反応を直感した瞬間、私は両腕を伸ばして――来寿様の頭を掻き抱いていた。すると、来寿様は――
「!?」
大きく息を呑んだ。驚いている様子。その反応は、両腕越しにハッキリ伝わっている。そもそも、勝手に人の頭を抱くなど無礼千万なのだ。
自分が無礼を働いていること、私も良く分かっている。頭では「離れるべき」と考えている。
しかし、私は来寿様から離れなかった。何故なのか? その理由は、自分でも分からない。当然ながら来寿様にも分からない。
「ミア? どうした?」
来寿様は、目を閉じながら私の奇行の意味を尋ねた。その問いに対して、私は――
「暫く、このままでいさせて」
私は、より一層力を込めて、来寿様の頭を抱き締めた。その間、私の目から涙が止めどなく溢れた。
泣いて、泣いて、泣きながら――脳内で来寿様の境遇に思いを馳せていた。
来寿様は、幸せな生まれではなかった。それでも必死に生きた。最高の評価を得るほど頑張った。
それなのに、報われなかった。全く報われなかった。その半生は、誰かに似ている。それは――私だ。
私も、他人から体の良い道具として利用された。
私は、私を不幸にした全てが恨めしい。それと同じくらい、来寿様を不幸にした全てが恨めしい。しかし、それは決して他人事ではない。
来寿様を利用する者の中に、私、ウィルミア・デストランドも含まれている。
私は、来寿様を自分の都合で利用している。王子様という役割を強要している。その事実に漸く気付いた。漸く理解した。自分という人間の愚かしさに。
私は本当に愚かだ。大馬鹿者だ。私を不幸にした人間と同じことをしている。それも、自分を救ってくれた恩人に対して。
来寿様は、私を幸せにしてくれる。傍にいるだけで幸せ。だけど、来寿様はどうだろう? 私といて、来寿様は幸せなのか?
私は考えた。泣きながら考えた。来寿様の頭を抱き締めながら考えた。その答えは、私の腕の中に有った。
私が、この人を幸せにする。
私は決意した。生まれて初めて「自分以外の人間を幸せにしたい」と願った。その瞬間、私は人間として幸せになる資格を得た。そう、直感していた。




