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第三十話 悲運の忠臣

 俺、愛洲来寿(アイス・ライス)が藩の剣術指南役を仰せつかってから、凡そ一年経った或る日のこと。


 藩の勘定奉行(財務大臣)が藩主に直訴するという事件が起こった。

 直訴の内容は「家老の(最上位大臣)中に藩の公金を横領している者がいる」というものだ。由々しき事態である。


 容疑者の名前は「大紋健右(ダイモン・タケアキ)」。


 今年二十七歳になったばかりの若き家老である。その話を聞いたとき、俺は「まさか」と耳を疑った。


 大紋は二十五歳のときに家老に選ばれた。それほど優秀な男であった。家老になる以前から「藩政の支柱」と讃えられるほどの傑物だ。性格も謹厳実直。

 家老となっても偉ぶることなく、誰にでも気さくに接していた。その好漢振りが周りに受けて、藩の役人だけでなく、領民からも慕われている。

 絶対に、公金横領などする男ではない。当の本人も、無実を強く訴えている。

 俺自身、大紋とは何度か会話したことが有る。容疑が掛かった後も、彼と言葉を交わした。その際、俺は「この男は無実」と直感していた。


 しかし、直感など証拠にはならない。

 対して、勘定奉行は数多の物証を持っていた。財務方の役人達も、それを裏付ける証言を数多寄せている。それらを吟味した結果、藩主は「致し方無し」と大紋の処罰を決意した。


「大紋は切腹」


 最悪の展開である。それを知った際、俺は思い切り唇を噛んだ。もし、俺に意見を求められていたならば「待ってくれ」と言っていただろう。しかし、いち剣術指南役の出る幕は無い。俺は唇を噛み締めながら耳を塞いだ。そうすることで、かかわりを一切立とうとしていた。

 ところが、いざ処刑となった際、俺に出番が回ってきたのだ。何故なのか?

 直因となったのは、大紋の要望であった。


「武士らしく、決闘で潔白を証明したい」


 決闘。武士の国アシハラに於いては殊更重要な意味を持つ。

 決闘に勝てば「女神のご加護有り」と認められ、その言い分も通る。これは武士の間では普遍的な不文律である。

 俺自身、アシハラにいる頃は「これが常識」と思っていた。しかし、その思い込みが、俺を厄介事に巻き込んだ。


 大紋の決闘の相手として、俺が選ばれたのだ。


 何故、俺なのか? 俺は藩主に直接理由を問うた。すると、「勘定奉行が強く推挙した」と告げられた。これもまた、首を傾げる理由である。


 そもそも、俺と勘定奉行は懇意ではない。担当部署も違えば、会話した記憶も無い。互いに名前を聞いた程度の関係でしかなかったのだ。それでも、


「藩命とあらば」


 俺は受けた。藩士であり、武士である以上、藩命に従うしかない。俺は自分の役目と宿業に殉じた。当時の俺にとっては当然の判断であった。

 

 決闘の日。俺は大紋と城内の決闘場で対峙した。

 白い砂利を敷き詰めた枯山水。その中心で、白装束姿の武士二人が向かい合って立っている。彼我の距離は凡そ二メートル。

 遠く離れた城内の縁側には、藩主を始めとした藩の重鎮達の姿が有った。その中には、俺を決闘人に推挙した勘定奉行の姿も有った。

 藩主達は全員見届け人であった。その中に、判定を下す介添人(かいぞえにん)はいない。そもそも、此度(こたび)の決闘に判定勝ちなど無い。


 何れか一方が絶命することで決着する。


 命を懸けること。武士の決闘となれば当然だろう。しかし、俺としては思うところが多々有った。

 そもそも、俺は納得して事に臨んでいる訳ではないのだ。武士でなかったらならば、絶対に断っている。この期に及んで迷いも有る。

 しかし、それも剣を抜くまでの話だ。


 筆頭家老が「始めろ」と声を上げた。それを合図に、俺達は同時に打刀を抜いた。

 直後、俺の視界に村正の白刃が映り込む。それを見た瞬間、俺の心は一点に定まった。


 敵を斬る。それだけだ。


 俺の想いに、俺の体が十全に応えてくれた。

 勝負は一瞬。或いは刹那か。大紋が斬り込んできた瞬間、俺は擦れ違い様に相手の胴を横薙ぎした。それが致命の一撃となった。

 俺の圧勝、瞬殺である。この結果を以て、横領事件は落着した。


 大紋との決闘が終わった後、俺は勘定奉行と懇意になった。いや、これは違うか。正確には、相手が俺に擦り寄るようになっていた。俺も「付き合いだから」とこれを許した。

 結果、俺達が一緒にいるが姿が、多くの人間の目に映ることとなった。「懇意である」と思ったものも、少なからずいた。だからと言って、何か文句を言われることも無かった。いや、言えなかったというべきか。此度の一件は、藩主から緘口令が布かれている。


 横領事件にかかわる出来事は、全て内々に処理された。領民に対しても「大紋は不義により処刑」という大雑把な説明をするだけで、真相を伝えていない。全ては闇の中。そうなるはずだった。

 しかし、この世界の造物主は悪を絶対許さないようだ。ミア曰く「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」というらしい。此度の一件、これで終わりではなかった。


 この俺の脇の甘さが、俺の剣術指南役人生を破滅させた。

 その出来事が起こったのは、大紋との決闘が終わった一か月後のこと。


 その日、藩主から重役達に召集命令が下された。

 三十畳も有る謁見の間に、筆頭家老を始めとした家老団(藩政の最上位役)が揃っている。その中に、何故か俺や勘定奉行も含まれていた。

 皆が平伏する中、藩主の声が静かに、重く響き渡った。


「大紋は無実であった」


 大紋の無実。それを証明したのは、嘗ての大紋の部下達であった。その背後には、筆頭家老の暗躍も有ったと聞く。彼らの活躍によって、真犯人が判明した。それは、全く意外な人物であった。


 公金横領の真犯人は、濡れ衣を着せた側の人間、即ち勘定奉行。


 勘定奉行は、己の悪事を隠す為に大紋を陥れたのだ。

 何故、斯様な姦計を巡らせたのか? それは、勘定奉行達が「大紋に横領を勘付かれた」と思ったからとのこと。しかしながら、これは奴らの勇み足であった。


 横領に勘付いたのは、大紋ではなかった。彼の部下の役人達であった。そう、此度の一件の真相を明かした者どもである。


 大紋亡き後、大紋の部下達は躍起になって証拠集めに奔走した。それを、筆頭家老が全力で支えた。その結果、真相が明かされた訳だ。


 全てが露見したことで、勘定奉行、及び噓の証言をした役人達は処刑。その首は城外に晒された。苛烈な報復である。しかし、ここでも領民に対しては「不義」と、詳しい内容を伝えてはいなかった。全て闇の中。

 公金横領をした奸賊どもが全て処分されたことで、今度こそ落着。俺も、藩主も、藩政の重鎮達も、そのように期待していた。

 ところが、事は未だ落着しなかった。


 大紋を慕う部下達の気は、未だ済んでいなかった。その矛先は、大紋を殺した人間に向いていた。


 その人間の名は愛洲来寿。即ち、俺だ。


 大紋の部下達は、俺の処罰を求めたのだ。しかしながら、それは藩主が難色を示した。

 藩主が応じなければ、俺の処罰は無い。しかし、大紋の部下達は諦めなかった。


 あの奸賊(勘定奉行)と懇意にしていた男を野放しにしておく訳にはいかぬ。


 大紋の部下達は、大紋の十歳になる息子を立てて仇討(あだう)ちを画策した。彼らは「藩主が駄目なら」と、武士の最上位意思決定機関である「幕府」に申し立てた。

 藩主と言えど、幕命には従わざるを得ない。訴えを受けた幕府は、俺にとって最悪の判断を下した。


「仇討ちを許可する」


 十歳の子どもに決闘を強いるとは。余りに無体な決定である。しかし、幕府には幕府の思惑が有った。

 そもそも、アシハラは「封建制度」という政治体制である。別の言い方をすれば「地方分権」となるだろう。

 中央政府(幕府)にとって、強力な地方政府()は驚異以外の何物でもない。弱体化の機会を得たならば全力で利用する。

 もし、公金横領にかかわる一件が幕府に露見していたならば、その時点で我が藩は取り潰されていただろう。 

 尤も、アシハラの情報伝達は徒歩であり、その上我が藩は辺境に在る。今回のように藩側から訴えない限り、幕府の耳に入ることは稀であった。

 しかし、耳に入ったら是非も無しだ。


 かくして、俺は十歳の子どもと決闘する羽目になった。幕命とあらば受けない訳にはいかない。しかしながら、こればかりは受け入れ難い。

 決闘となれば、俺が勝つのは必定だ。しかし、十歳の子どもを殺したとあれば、風聞が悪い。俺は元より、俺に決闘を命じた藩主の評価も地に堕ちる。それは藩主としても絶対に避けたい事態だ。

 藩政の為、藩主は俺を犠牲にすることを選んだ。


「愛洲来寿。其方(そなた)は死んだことにする」


 俺は病没した。そのように嘘を吐いたのだ。「既に死んでいるので決闘は行えない」という訳だ。しかし、嘘はバレたらそれまでだ。

 幕府を謀ったとなれば、藩主どころか藩も只では済まない。絶対に、露見する訳にはいかない。

 藩主は嘘を真にすべく、俺に二つの選択肢を与えた。


蟄居(ちっきょ)(事実上の幽閉)か、藩外放逐か」


 最悪の二択だ。どちらを選んでも、俺の名前はアシハラから消える。武士として、人として、どちらも選びたくはない。

 しかし、俺の立場では選ばざるを得ない。


 蟄居となれば、部屋から一歩も出ることができなくなる。剣を振ることすら叶わない。剣に生きた俺にとって、死ぬより辛いことだ。

 藩外放逐となれば、無役の浪人となる。他藩への仕官も叶わない。

 どちらを選ぶべきか? 俺が悩んだ時間は、そう長くはなかった。


「藩を出ます」


 俺は藩外放逐を選択した。しかしながら、その処遇を納得している訳では、絶対にない。拒否したい気持ちは強かった。

 それでも、俺は従うしかなかった。武士であるが故に。


 かくして、俺は無役の武士、浪人となった。この境遇に陥って、初めて我が養父(愛洲久寿)の気持ちが分かった。

 

 二度と士官などすまい。


 俺はアシハラの武士が嫌になった。その宿業から逃れるべく、敢えて海外行きの船に飛び乗った。

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