第二十六話 鮮血の魔王
化石の森の最奥の湖。その湖畔には、百本以上の樹木を編み込んだ城が有った。
稀代の大魔王、ウィルミア・デストランドの居城、封印魔王城。
化石の森の領主の城だ。それなりの防衛機構が備わっている。堅牢で、恐ろしい場所である。
しかし、城内は平穏であった。今も、中心部の大広間(居間兼、食堂兼、台所)で一組の男女がイチャイチャしていた(勝手な妄想)。
女の名前はウィルミア・デストランド。居城の主、私のことである。
男の名前は愛洲来寿。我が近衛騎士兼、我が王子様(予定)である。
私達は新作衣装を身にまとい、それを披露し合っている。
新作衣装。アラクネの糸で作った、アシハラの着物である。初めてみに着けたが、中々着心地が良い。アラクネの糸との親和性も高いようだ。
アシハラの着物は、存外シンプルな造形をしている。一枚の布を無駄無く使用した直線的なデザインである。
装着方法は前開き。それを胸元で重ねながら身に着ける。その上で「帯」という幅広の腰紐を巻き付ける。
巻き付けた後は、結べば良い。その結び方には色々パターンが有るのだとか。私達は「蝶々結び」という解き易いものを採用した。
それぞれの腰の前には、大きな蝶型の結び目が付いている。これを後背に回す方法も有るようだ。そちらの方が可愛いだろうか? 今度試そう。
斯様に、着物の着付けは存外簡単である。脱ぐ場合も簡単だ。帯を解けば良い。それ故に、着崩れもし易い。
アシハラの着物は、普段使いには打って付けと言える。しかし、戦闘用には不向きだろう。衣服が乱れぬよう、上から押さえ付ける工夫が必要だ。その事実と現況を鑑みると、我が国の衣装の方が有用と思わなくもない。
しかし、着物にはもう一つの利点が有った。それは、欠点を凌駕して余り有るものであった。その事実が、私の脳内を薔薇色に染めていた。
ああ、来寿様。何と神々しいお姿。
流石に生国の衣装である。来寿様の魅力が倍増しになっている。これを別の衣装に変えるなど、とんでもないこと。女神に対する冒とく以外の何物でもない。しかも、アシハラの着物には嬉しい特典が付いている。
ああ、来寿様のお体が、あんなにクッキリハッキリと。じゅるりんこ。
何と、アシハラの着物は《《体の線を明瞭に浮き出してしまう》》のだ。
来寿様の体形が、裸と錯覚するほど顕わになっている。眼福である。
因みに、来寿様の格好は、着物一枚身に着けただけ。アシハラでは「着流し」というようだ。序に言えば、私も同じ格好をしている。
着流し姿の来寿様は、その場に立っているだけで様になっている。しかも、涎が垂れそうになるほど煽情的である。
来寿様を見詰める私の視線が熱を帯びていたとしても、それは自然の摂理というものだ。
しかし、しかし、しかし、来寿様の魅力は、これに止まらない。
何と、何と、何と、来寿様は胸元を大きく開いている。開襟から覗く胸板が、私の視線を釘付けにした。
こんなの反則だよ。来寿様は、私を誘っているに違いない。
自分の目が充血していくのを意識する。自然と私の視線が熱を帯びる。その刺激に、来寿様が気付かぬ訳がない。
「どうかしたか?」
来寿様は、私に声を掛けながら小首を傾げた。その反応を見て、私は反射的に声を上げた。
「肌が――」
肌が見えている。ただそれだけのこと。しかし、来寿様の肌は天上の芸術。私の視線が釘付けになっても仕方がない。不可抗力である。その事実を、来寿様にお伝えしたかった。
ところが、来寿様はここでトンデモナイ行動にでた。
「肌? 何か付いているのか?」
何と、来寿様は着物の帯を緩めた。すると、一層胸が大きくはだけた。その上で、御自分の胸や腹の様子を観察している。
来寿様の行為、私の視界に映った全ての光景が、私の眼球を焼いた。
目、目がああああっ、目が眩むっ!!!
痩せぎすながらも、限界まで引き締まった鋼のような胸筋&腹筋。それが余りに眩しい。普通の人間であれば、眼球が溶けているとことろだ。流石の私も挫けそうになっている。
しかし、だがしかし、私には魔王としての意地が有る。
負けるな。負けるな魔王ウィルミア・デストランド。眼球が溶けようとも、この絶景を賭けた勝負に負ける訳にはいかない。
私は敢えて目を凝らして来寿様の胸板を見詰めた。じっくり、撫でまわすように。
その最中、来寿様の掠れた声が耳に飛び込んできた。
「おい」
来寿様は、声を上げながら右手の人差し指をスッと伸ばした。その指先は、何故か私の顔の方を向いている。その行為の意味は何なのか? 訳が分からない。私の首は一層傾いだ。
その直後、再び来寿様の掠れた声が耳に飛び込んできた。
「鼻血が垂れているぞ」
「!」
鼻血。私の鼻から鼻血が垂れている。
言われてみると、鼻の下から口元辺りまでが温かいような? その事実を直感するや否や、私は直ぐ様中央広間を飛び出した。
ドアを開け、洗面所のある別室に飛び込む。洗顔設備の前に走り寄るや否や、壁に張り付けた鏡を見た。
そこには、鼻下から、口許まで、赤い鮮血に染めた美少女の間抜け面が映っていた。魔王ウィルミア・デストランド、一生の不覚である。
私は悔し涙を流しながら顔を洗った。完全に鼻血が消えるまで顔を洗った。その事実を確認した後、私は再び中央広間に戻った。
「昨夜は遅くまで研究していたからな。うん」
私は益体も無い言い訳をした。その上で、ふんぞり返った。何事も無かったかのように全力で平静を装ったのだ。しかし、来寿様には通じなかった。
来寿様は、私の顔を見るや否や、薄い口を大きく開けて――
「はははっ」
快活に笑った。ちくせう。




