第十六話 世界の名称
私と来寿様は、全力で戦略的撤退を実行した。
日頃の行いが良いせいか、コカトリスには気取られなかった。途中で他の魔物に出くわすことも無かった。
皆、コカトリスが恐いのだな。
皮肉なことに、厄介な怪鳥の威光が私達を守っていた。お陰で、私達は無事に森を抜けることができた。後は道なりに進むだけ。
私達は黒の渓谷を突っ切って、難無く一先ずの拠点に辿り着いた。これで一安心。
しかし、私達の顔に笑みは無かった。むしろ、激しく歪んでいた。その原因が、来寿様の口から零れ出た。
「酷い有様だな」
洞窟の入り口付近に、ケルベロスだった肉塊が散乱している。その肉塊に紛れて、血と油にまみれた土人形が三体立っていた。
土人形達は、それぞれ右手に小刀を持っている。出掛けに私が造ったものだ。それを使って、現在進行形でケルベロスの肉を捌いている。しかし、その手裁きは余りにお粗末だ。
土人形達は、ケルベロスの体に無理矢理刃物をねじ込み、それを力任せに推したり引いたりしている。当然ながら、切り口は歪になる。私には、ゴミを増やしているとしか思えなかった。尤も、それも仕方ない事だと納得する他無い。
そもそも、ケルベロスの外皮は余りに硬い。金属並みなのだ。それに覆われた肉も、その殆どが縄の如き筋肉繊維ばかり。それを刃物で切り分けることは至難の技だろう。
私が魔法付与した刃物でも、こうなるのか。
魔王の魔法付与である。その切れ味は、普通の刃物と比べるべくもない。これ以上ものは無いと自負している。
それでも、この有り様なのだ。この世界の魔物、恐るべし。
この惨状に関しては、何らかの手段を講じたい。しかし、今は後回しだ。
「一先ず、中で話しをしよう」
私は来寿様に声を掛けた。すると、来寿様は静かに頷いた。その反応の後、私達は洞窟の中に足を踏み入れた。その直後、私達の体は洞窟内の光に照らされた。
洞窟の岩壁は照らす光の魔法で光り輝いている。
一体、誰が掛けた魔法やら? 気にはなる。しかし、それ以上に気になる要素が、私と来巣様の鼻腔を侵していた。
これ、換気をしないと。
洞窟内は、ケルベロスの血肉の臭いが充満していた。その悪臭に顔をしかめながら、私達は逃れるように奥へと進んだ。
道なりに進んでいくと、寝間に使っていた場所に辿り着いた。その事実を直感した瞬間、私は踵を返して入口の方を向いた。
ここで良いだろう。
私は風を起こす呪文を告げた。
「魔力送風」
風は、周囲の空気を巻き込みながら入口の方へと流れていく。それに伴って、ケルベロスの血肉の臭いが和らいだ。その事実を直感したところで、
「座るぞ」
私は地面に腰を下ろした。来寿様も、私に倣って腰を下ろした。
私達は、ケルベロスの尻尾を挟んで対峙した。尻尾の先の炎は、既に消え去っている。その事実を直感した瞬間、私の耳に掠れた声が飛び込んだ。
「さて、あの鶏――」
来寿様が、何事か言わんとした。最後まで聞くつもりは有った。
しかし、私は「鶏」という言葉が気になっていた。その想いが、そのまま私の口を衝いて出た。
「コカトリスか?」
私は件の鶏の名称を告げた。すると、来寿様は「そう、それ」と頷いた。
来寿様に知識を披露したこと、誇らしく思う。思わず胸を張った。来寿様に褒めて貰えることを期待した。
ところが、来寿様は私の期待に応えてはくれなかった。
「あれをどうする?」
来寿様は、私にコカトリスの処遇を尋ねた。無念である。しかしながら、質問の答えは直ぐに閃いた。あの怪鳥の処遇など、とっくに決まっている。
「無論、倒す」
魔王の邪魔をする者は、誰であろうと排除する。唯一の例外は、目の前に座る痩身長躯の男性だけ。
来寿様以外は、全員敵。全員倒す。
魔王である私には「失われた女神の大魔法」が有る。誰にも負けない。今までは、それを確信できた。しかし、この世界に於いては――
「倒せるものなのか?」
「…………」
来寿様の質問に、私は即答できなかった。それを躊躇わせていたのは、コカトリス特有の厄介な能力であった。
「コカトリス。奴の攻撃には『石化の呪い』が付与されている」
石化の呪い。嘴や、足の爪。それから――尻尾の大蛇の牙。
それらの攻撃を受けた個所は、瞬時に石化する。厄介極まりない。しかし、より以上に厄介な攻撃が有った。それが、来寿様の口から零れ出た。
「『石化ブレス』か」
石化の呪いを帯びた濃灰色の煙。如何に回避能力が高くとも、広範囲に展開した煙を避け切ることは難しい。正面から浴びた場合、躱すことは不可能だ。
「あれをどうにかしないことにはな?」
ブレスを吐かれたら敗北は必至。その場合、美しい夫婦の石像が誕生する。それはそれで、良いような気もする。しかし、叶うならば生きて想いを添い遂げたい。
「何とかせねばな」
私は右手を掲げて、人差し指を蟀谷に当てた。そこをグリグリ穿って、いいアイデアが出ないかと考えた。
しかし、脳内に閃いた「美しい夫婦の像」が、私の思考の邪魔をする。それが疎ましくて、つい愚痴が零れ出た。
「全く、厄介な世界に放り込まれたものだ」
私は「はぁ」と溜息を吐いた。すると、来寿様が「すまんな」と言って苦笑した。
ああ、その笑顔――良い。
来寿様の笑顔に癒された。抱き付きたい衝動にも駆られた。しかし、耐えた。何故ならば、私は魔王だからだ。
私は魔王の威厳を全開にして、我が騎士に贖罪の機会を与えた。
「其方にも協力して貰うぞ」
協力。即ち、夫婦(予定)の共同作業である。
病めるときも、健やかなるときも、互いに助け合い、互いの為に命を懸ける。それでこそ、この世界で生き残れる。
何てロマンチック。
私は自分の言葉に酔った。その最中、来寿様の声が上がった。
「ああ、構わんよ」
実に心地良い返事である。それを聞いて、私の口の端が吊り上がっていく。しかし、後に続いた言葉は頂けない。
「まあ、この世界にいる間だけの限定――」
限定。そんなもの無効である。永遠に決まっているではないか。魔王が決めたことに「否」は許されない。私は直ぐ様口を挟んだ。
「この世界――」
私は声を上げた。しかし、何か考えが有っての行為ではない。来寿様の言葉を鸚鵡返しに繰り返しただけ。
この後、何と続ければ良いものか? 私は少し考えてから、咄嗟に閃いた言葉を告げた。
「――の、名前を決めておいた方が良いだろう」
我ながら上手い言い訳である。世界最高峰の宰相ですら舌を巻くほどの弁論術。流石は魔王ウィルミア・デストランドである。私の鼻が、少し高くなった。
私が良い気になっている様子は、来寿様の視界にもバッチリ映っていた。
「何か、良い名前が有るのか?」
来寿様は、私の態度を見て「名案有り」と直感したようだ。その期待に、全力で応えたい。その願いは、この世界の造物主、創世の女神ネフィリア様に届いていたようだ。
「そうだな。ここが『封印の壺』の中だから――」
封印の壺。我らと魔物を封じた忌まわしい女神の神器。その事実を考えるほど、私の眉は歪に歪む。文句を言いたい気持ちも沸く。
しかし、今は不問とする。その忌まわしい名前のお陰で、来寿様の期待に応えられるのだから。
私は、今しがた閃いた名称を告げた。
「『壺世界』というのはどうだ?」
壺世界。うん、良いんじゃないかな? 私はそう思う。
ところが、来寿様の顔には渋面が浮かんでいた。その歪んだ口から、表情通りの声が漏れた。
「えぇ……」
来寿様は不満げである。魔王のアイデアに対して無礼である。罰として、私を一生幸せにすることを命じたい。
しかし、それは一旦心の片隅に置いておく。その代わり、来寿様には別の罰を与えよう。
「文句が有るなら代案を出せ」
代案。その言葉に、来寿様は即応した。
「封印の壺だから、『封印世界』だと思った」
封印世界。なるほど、そう言うのも有るのか。流石は私の王子様である。その慧眼、人間の域を超えて神懸っている。
私は心中で「きゃあああああ、素敵」と歓声を上げていた。勿論、それを口に出す気は毛頭無い。その代わり、魔王の威厳全開で居丈高な返事をした。
「ま、良いんじゃないか。それで」
かくして、この世界の名称は「封印世界」と決まった。私が決めた。来寿様のアイデアを受けて、私が決めたのだ。私は来寿様の主君だからな。えっへん。




