『お華の髪飾りⅡ』 【61】 終わりの始まり(前編)
(1)
やっと屋敷に戻ってきたお華とおさよ達。
既に座敷にいた、姉小路や優斎とその状況を話す。
「とうとう、お華の脅しに屈したか」
と笑う姉小路の言葉にお華は頷き、
「はい。こういうのは本気でやらねばなりません。私も薩摩をイギリスに渡すなんぞ、全く気が向かなかったのですが、江戸の者達を守る為であれば致し方ありません。まあ、さすがにそこまで言うと乗ってくれまして、一応、上手く行ったと言うわけです」
姉小路も大きく頷き、
「確かに致し方あるまい」
すると浩太郎が、
「おい、お城、大奥の方々には滞りなくか?」
お華は笑顔で頷き、
「さすがに、戦うよりはその方がありがたいでしょ。少々悔しさはあるでしょうけど、命あっての物種ですからね」
そして、お華は、
「兄上。お春も御台様の移転が終わったら、こちらに来ると言ってましたよ」
それには、浩太郎もさすがに娘の事は心配だった様で、笑顔になって、
「それはすまん」
と言う。
しかし、おさよは、少し遠い目で、
「これからどうなるでしょうねぇ」
と、お茶の湯飲みを両手で持ちながら、誰にと言うでもなく、声が出てしまう。 するとお華は、優斎に、
「ねえ、おとうさん。これからどうなると思う?」
この質問には、さすがに困った顔で、
「どうであろうな。北の者達が全て、降参し、帝に従うと言う事でも無いと、やはり攻め上がるのでは無いか? まあ、ここら辺は、帝様の御意向にもよるかも知れんが」
「そうよね……。」
と言った時だった。
「兄上!」
と祐三郎が走ってやって来た。
「おうおう、三郎」
と祐三郎は、姉小路らに深々と頭を下げ、優斎とお華のそばに座る。
優斎は早速、
「殿はどうであった?」
真っ先に優斎はその事を聞く。
しかし祐三郎は、苦い顔で、
「それなんですがね。困っております。殿様ご自身は、致し方無いと仰っておられますが、地元は、どうも二分しているようで……」
優斎は驚いた。
「しかし、お前、アメリカにも頼んだのだろう」
「そうなんですが。どうも、殿のご意志にも反対しているようで」
「なんと!」
お華は笑ってしまう。
「やっぱりね。でも、そんなんじゃ水戸の二の舞よ」
それには祐三郎にも分かっているから、
「そうなんです。私も今日、あの連中をこの目で見ましたから、アメリカが助勢してくれると言っても、ただの内乱では手出しの仕様もないでしょうし」
それには優斎も大きく頷き、
「愚かな……」 と腕を組んで、頭を捻る。
しかし、
「そうは言っても、殿も御賛同下さっておるのならば、我が家の問題は、母上じゃ。
さすがに、もうお年じゃ。この事だけは気を付けてくれ」
それには、祐三郎も大きく頷く。
すると、おゆきが、
「これから、どうなっちゃうんでしょう?」
それにはお華は笑い、
「そんなこと誰にも分からないわよ。あ、おけい様。遠山家は駿河の方へ?」
「いえ。うちは行かないわ。元々、駿河が本拠と言う訳でもないし、あの人が好きだった江戸を離れるのは、気が進まないのよ」
旗本家は駿河に移る者が多かったらしい。
大抵は船にて移動となったらしいが、これは最悪だったらしい。
お華なら、とんでもないと言いそうだが、単なる船に押し込まれ、トイレもなく、特に女性には地獄の行程であったらしい。
お華は笑顔で、
「その辺、姉様と一緒ですね。金さんは、本妙寺さんでしたよね。余りにも遠くなりすぎますからねぇ~」
「そうなのよ」と、おけいも若干笑っている。
「まあ、江戸の時が長すぎたのよ。お華の言う、里を守ると言うのと変わらないのう」
姉小路も、小さく頷き、思い出しているようにぽつりと漏らす。
するとお華は、おゆきに、
「心配すること無いわよ。昔の御改革が始まったぐらいに考えときゃ良いわよ」
若干不安顔のおゆきだが、
「それなら良いんですけど……」
今度は新之助が、
「叔母様。奉行所は変わらないと仰いましたけど、屋敷もそのままですかね」
それにはお華は、若干首を傾け、
「どうかな。一応その様に願ってきたけど、状況にもよるからね。ただ、うちは御家人だし、そうそう手は出さないんじゃないかと思うわよ。だいたい八丁堀だし、大きな屋敷に住んでる訳じゃないしね」
「じゃ、私も○○もあのままで良いんですよね」
それにはお華も笑い、
「そうねぇ、多分ね。ただそれ以上は分からないわよ。まあ、あんたのお爺さまがそうだったように、どうなっても仕事に努めなさい。今言えるのはそれだけよ。但し、兵隊にだけは入っちゃ駄目よ。あんたは父や母に似ず武芸は駄目だから、それだけは辞めときなさい」
それには、浩太郎とおさよは大笑いしている。
浩太郎は、
「そうだな。俺はやはり、隠居するよ。幾分早いかと思っていたけど、こうなるともう俺の時代は終わった様に思うよ」
お華もおさよも、それには頷き、
「まあ、時代の変わり目までは勤めたんだから、お父上もお許し下さるでしょ。そう言われると、私達もそろそろ引退ね、姉上」
おさよも頷き、
「そうね。これで良いのかもしれないわね。後は次の人たちが考えれば良いのよ」
(2)
その時、お春が屋敷にやって来た。
浩太郎が喜んで、
「お春! 戻って来たか!」
と叫ぶ。
おさよも、喜ぶのだが、
「お春。御台様は、落ち着きなされたのか」
と言うと、お春は、姉小路も居ることに気づき、前に進んで平伏する。
姉小路は微笑み、
「ご苦労様」と綾瀬と一緒に微笑む。
そして、
「御台様には、用意頂いた離れのようなお座敷に落ち着きましたが……」
言いよどむお春にお華が、
「が……って何よお春」
それには向きを変え、
「叔母上。まあ、私は余り関わりはないのですが、御台様お付きの女中達が、この様な所より、京へ戻りましょう。と騒いでおられまして」
それには姉小路とお華は笑いを隠せない。
「姉様。それってどう思われます?」
姉小路も、
「いや、それより宮様は、どうお考えなのじゃ?」
それにはお春、
「御台様は当初から、江戸から離れたく無いと仰せで、折角、叔母様が、亡き将軍様のお墓を守ってくれましたから、そのような気にはなれぬご様子で」
それには、女達は一斉に頷く。
「まあ、あたしのお陰なんて言い過ぎだと思うけどね。でも、やはりあれだけ仲がおよろしかったお二人ですから、今すぐは無理でしょ」
それには、京都の出でもある姉小路も頷く。
お華は続けて、
「あなたはね、御台様がもし京にお帰りならば、ここで母と一緒に暮らしなさい。でも、江戸におられるならば、あくまでお仕えなさい。良いね、兄上」
それには、浩太郎も反対はしない。むしろそうなることを願っているようだから、笑顔で頷く。
すると、お華は、
「まあ、それもこれからどうなるかわからないけどね。あんたが我が道を決めなさい」
お春も嬉しそうな顔で、
「はい。その様に私も考えていたいと思います」
と頭を下げる。
それを、みんな笑みで眺めていると、優斎が浩太郎に、
「江戸が落ち着けば、今度は北ですかね」
と言うと、浩太郎も苦笑して、
「まあ、そうなるだろう。まずは会津だと、忍び連中も話していたよ。あれは薩摩というより、長州がさ」
これには優斎も頷いて、
「そうでしょうな。同盟なんぞさっさとやめて、降伏してくれれば、無駄な死人出さないで済むのですが……」
しかし、浩太郎は、
「その辺どうかな。攻めてくれば戦うというのは、結局、お華と同じだからな。ただ、そこまでの知恵者があそこに居ればいいんだが、難しいな。それより先生。問題は、あんたの所だろう。まさか、今更手伝いなんて考えてないだろうな」
それには、即座にお華が、
「おとうさん。まさかそんな事考えて無いでしょうね」
と鋭い声が飛ぶ。
それには敏次郎と八重も子供ながら不安そうに聞いている。
お華は、
「おとうさんが幾ら剣が強くても、立ち向かって行けば、長篠の戦いと同じ事になるわよ。子供を置いて行く気?」
これには姉小路とおけいが、含み笑いをしてしまっている。
姉小路も、
「まあ、手裏剣の名手がそう言うのなら、その通りなんでしょ」
と、言われ、ちょっとその気だった優斎も、そこまで言われると気が萎える。
するとおさよが、
「先生は、もう駄目よ。うちの旦那の手助けぐらいならともかく、戦は、亡き父上も止めていたようですから、諦めた方が良いですよ」
と、各方面から言われ、肩を落としてしまった。
子供達もその様子を見て、一安心という笑顔だ。
しかしお華は、
「でも姉様。これが時代が変わるってことなんですねぇ」
それには姉小路も、
「全くじゃ。今まで文字の上では、様々の変革というのは知っていたが、まさか自分に降りかかるとは、思ってもいなかったからな」
すると、おけいが、
「旦那様のした事は無駄だったんでしょうか……」
というのだが、綾瀬は、
「あの時は、あれが正しかったのですよ。でもこれは、誰がどうと言う事ではないですからね」
姉小路もそれには頷き、
「そうじゃ。致し方無いことじゃ」
それにはお華も大きく頷く。
(3)
さて、その明後日。
つまり、慶応四年四月十一日、江戸城は明け渡された。
大奥には、全て綺麗に掃除されており、座敷には生け花で飾られていたと言われている。
朝廷の軍隊は、列を組んで、江戸城に入城した。
三の丸である。
お華達は、それを見学しても仕方無いので、もっぱら北町の掃除にいそしんでいた。
もう、老人という佐久間も一緒になって掃除し、書類などを整頓していた。
この日、北町の引き渡しがあったからである。
当然、南町も同じである。
お華の姿を見つけた佐久間は、寄って来て、
「おう、お華。掃除しに来てくれたのか」
佐久間を見たお華は、笑顔で、
「佐久間様。こんなこと嫡子様にお任せしとけば良いのに」
「まあ、最後だからな、飛ぶ鳥って所だよ」
と笑う。
しかし、それを聞いたお華は、
「佐久間様も駿府に行かれるので?」
それには、些か恥ずかしげに、
「わしゃぁ、年じゃからの。些か不忠だが、ここに残ろうと思うのじゃ。近くに屋敷でも借りてな」
などと言うから、お華は笑顔のまま、
「その御心配は要りませんよ」
それには佐久間も少し驚いて、
「ん? 何故じゃ?」
「恐らく、嫡子様がそのままならば、引っ越しの必要はありませんよ」
などと、芸者のお華が言うから、更に驚いて、
「あっ!」と声を上げる。
佐久間は、
「もしかしたら、あの品川の交渉ってのにお前も行ったのか?」
お華は、笑顔のまま頷く。
「なんと!」
と佐久間は雑巾を持ったまま、眼を大きく開ける。
お華は、
「まあ、お立場は変わるかも知れませんが、これまで通りになるでしょう。勿論、屋敷もそのまま」
既に大名、旗本の屋敷はもともと幕府から与えられて住んでいたので、次々、自国や駿府に移りだして居る者も多い。
しかし、奉行所のこれからをお華が知っているとは、吟味与力の佐久間でさえ、思わなかった。
すると、お華は、
「それは良いんですけどね、問題は小伝馬町ですよ」
と言う。
それには佐久間も、大いに頷く。
お華は、
「つまらない罪で入れられている者達は良いんですけどね。最近の辻斬りや押込連中も、帝の恩赦なんて、とんでもありません。京はそこの所ハッキリさせないと」
などと、どちらが吟味与力だ? と言う様な事を言うから、驚きもしたが、佐久間の様に、昔から知っている者には、余りの大きさのお華にも驚いている。
しかし、とりあえず先の吟味与力、そこは、
「そうじゃ、無辜の女子供も無残に殺しているからの。そこはお伝えしなければならんな」
「そうですよ!」
と笑ったお華は、再び拭き掃除に戻って行く。
佐久間は、口を押さえて、笑いが止まらない。
彼も掃除に戻りながら、
「段蔵……お前さんは良い娘をもったな」
と思いながら、床を拭いている。
さて、掃除も一通り終わり、薩摩の使いの者が、北町にやって来た。
もう、お奉行は居ないので、佐久間親子を筆頭に、一斉に令にて迎えた。
浩太郎親子とお華は一番後ろに座っている。
お華は些か笑っている。
恐らく、
(さあ、どう出るか)などと思っているのだろう。
その使いは、勿論、薩摩弁だから、いささか分かり難かったが、
「この様に、掃除も行き届き、書類も並べていてくれて忝い」
と言う。
すると佐久間が、
「私共は今後いかなる事に、相成るのでしょう」
と聞くと、お華が教えてくれた通り、
「そなた達は今後も江戸の治安のため働いて貰いたい」
と言うから、最初から知っているお華達以外からは、驚きの歓声が上がる。
佐久間の息子が、すぐに、
「住まいもそのままにございますか?」
と聞くと、
「その通りじゃ」
これには、一同、胸を撫で下ろした。
そして、その使いの者は、
「それから、帝の御為に働いた者達は、全て放免を願いたい」
と言った。
浩太郎とお華は、「やはり」と眉を顰める。
お華に至っては、炎が沸き立っているのが、浩太郎にはすぐ分かった。
「おい!」
と止めようとしたが、遅かった。
お華は、既に立ち上げっている。
そして、
「おうおう! そりゃどういう了見だい!」
と言い放った。
浩太郎と、佐久間父は、頭に手をやる。
しかし、その使いは、強気で、
「当然じゃ! 帝の於為に働いた者達は、身分は低いながらも殊勝な者達じゃ。当然であろう」
この者は何とか、いわゆる江戸城言葉で、こちらも言い放った。
ただ、この場に女がいる事自体、疑問に思っているようで、
「そなたは何じゃ、何故、この場に女などがおるのじゃ」
と大きな声で言う。
するとお華は、いきなり懐から簪を一本放つ。
それは唸りを上げて、男の刀にぶち当てた。
「かぁん」と音を立てる。
男は、余りの事に、刀を抜くどころか、両手を挙げてしまった。
「殺気は抜きな!」
と、お華は少々笑って、
「あたしは、大目付直属、そして大奥、そして北町のお手先よ!」
この言葉には、その男も驚いた。
そしてお華は、被せる様に、
「それは、せごどんのいいつけかい?」
せごどんとは、西郷さんと言う意味。
いきなりそんな言い方されて男は戸惑っている。
「せごどんは、先日、品川の話し合いで勝さんと一緒に確認したんだけどねぇ~」
そして、
「これは何かい? 先日の話し合いを反故になさるちゅうこっかい?」
お華は、薩摩弁を少々覚えたらしい。
さらに、
「こいは、和宮さまからもくれぐれもとお願いしている事。それも無視する気かい!」
これには、さすがに相手も驚いている」
いや、事前に聞いている佐久間や浩太郎は「あ~」と唸るだけだが、他の者は、余りの意外な話に驚いている。
「西郷先生とのお話とは、誠か!」
それには、お華は笑い、
「三の丸に行って聞いてきな! それとも、イギリス・アメリカと戦する気かいってねぇ」
とうとう、こんなことまで言ってるから、相手は驚愕し、
「し、少々、待たれよ」
と席を外してしまった。
張り詰めた空気が和らぐと、驚きの騒ぎとなる。
周りから、
「品川の話し合いって一体何じゃ?」
と次々、聞きに来る。
お華は、ははぁん~と斜め上を見てるが、浩太郎が変わりに説明させられる。
佐久間もここまで聞かされると、驚きを隠せない。
まさかここまでになっているとは、想像しきれない。しかも女なのだ。
一方、三の丸では、その使者は相当な叱責を浴びた様だ。
どうも、御用盗の釈放は、使者が勝手に決めた様で、村田蔵六など、相当に怒った様だ。
あれから、イギリスやアメリかに確認を入れた村田は、お華の言った通りだった事に戦慄しており、
「お華に無礼な真似は許さん!」
とまで言われた様で、その使者は這々の体で、奉行所に戻り、
「先程の件は、そのままで良い」
と言って、さっさと引き上げていった。
この頃、盗賊まがいの連中には、厳しい扱いを行い始めた事も関わっているらしい。
さすがに、新しい時代を形成するのに、民に筋の通らぬ事をするのは、身の破滅を招くと感じていたのかも知れない。
結局、奉行所は、明治になって、警察と変わることとなる。
新之助も信吉も、警察官となっていく事になる。
お華の願いは、ようやくここで成就したのだが、お華は、まだ不安だった。
大総督府、つまり薩長軍だが、まだ、江戸を手中に入れただけであった。
ついこの間まで、侍だった者がそう簡単に変わるだろうか。
そもそも、尊皇攘夷を旗印としていた連中が、今は攘夷など忘れた様になっている。これは、新たな、反乱を呼ぶのでは? と浩太郎と話ながら、帰宅の徒に
ついている。
浩太郎も、その意味は良く分かっていた。
つまり、江戸の幕は下りたが、むしろこれからが本番では? と彼も思っていた。
その事は、それ程時を置かず、始まることになった。
つづく




