【60】 お華・江戸城春の陣・後編
(1)
「あれ、祐三郎さんじゃない?」
おさよの言葉に、お華も頷く。
「やっと来たね」
などと言って笑っている。
だが、この場である。
そう簡単に近づけない。
「私は、伊達藩勘定方、秋月祐三郎! 我が姉上にお知らせの儀あってまかり越した。お通しあれ!」
さすがにこの場では、伊達藩を名乗る男に、不審を感じて当然である。
そして、
「話を聞かないと、薩摩は終わるぞ!」
とまで叫び、突き進む。
こうして、祐三郎は、何度も何度も名乗り、害意は無い事を言いながら、
ようやくお華達の側にやって来た。
その事を聞いた西郷でも、首を捻る。
するとお華は、
「あの子は、勝さんの弟子、同時に私の義理の弟よ」
と笑う。
祐三郎にしても、まさか、この様な場に来る自分を想像してなかった。
さらに、周りは薩摩と長州の連中だ。
内心、彼もビビっていただろう。
するとお華は、
「こちらに」
と言い、祐三郎に自分の後ろの席を指し示す。
祐三郎は勝を確認し、
「これは勝先生」と挨拶しながら座る。
勝も弟子の祐三郎であるから、笑顔で迎えるが、事前に多少話は聞いていたので、立ち会いに来たのだろうと思っていた。
するとお華は、
「この子は、我が国で初めてアメリカに渡って、大統領にお会いしたこともある男。そして、イギリス公使のパークスさんとも懇意でね」
と、紹介し、
「ただし、伊達様は今回の件は、全く関係が無いので、ご安心を」
一応、伊達藩は巻き込みたくないお華は、強調して伝える。
そしてお華は、
「さぶちゃん。例のお話し合いは滞りなく、進んだのかな」
と聞くと、祐三郎は大きく頷き、
「姉上の願いですからね。断れる訳有りませんよ。むしろ、わがイギリスの為に申し訳無いと仰るほど。姉上の思い通りになりました」
と言うから、お華は満面笑みとなり、再び西郷の方に顔を向け、
「先程のお話ですが、もし、約束を破り、江戸を攻撃するなど致しますと、イギリスのインド艦隊が、薩摩・長州を攻撃することになっています。残念ながらこれは、火を付けるだけでは終わりませんよ!」
と言い切るから、西郷は勿論、大村や勝さえ驚いてしまった。
勝が、
「ち、ちょっと待てお華。イギリスが攻め込むって本当か?」
お華は平然と、
「ええ」
と微笑む。
すると、祐三郎が、
「勝先生もご存じの通り、イギリスの大艦隊は、かの清国も、あっという間に侵略した軍事力を持っています。その大艦隊で薩摩を砲撃するとなれば、既に焼き討ちとなっていれば、先の薩英戦争などと比較にならん大被害を被るでしょう。そして、姉上は清国上海の様に、薩摩の占領もお勧めになっています」
これには、一同、
「何だと!」
と大声を上げる。
薩英戦争は、薩摩有利で終わったと、薩摩は自慢していたが、その時の英国の船は、たった7隻。今度は二十隻以上のイギリス艦隊が来るとなっては、その時の薩摩ではなすすべが無い。
しかし勝は、さすがに外国通。
「あそこは本国議会の許しが無ければ、船など動かせぬだろう」
と言うのだが、祐三郎は、
「先生。イギリスは、今度の江戸総攻撃をお聞きになって、大変、憤慨なさっています。このような事をされると自国の利益が酷く損なわれてしまうからです。商人が、自国の防衛の為、鉄炮を売る事ぐらいは許しても、国の利益を損なう事まで許す事は出来ません。尚且つ、薩摩の者達は、イギリス人を多数殺害し、明確な謝罪や碌な損害賠償も無い。これにも憤りを感じておられ、こういう緊急の際には議会の承諾は無用です。国家を代表して来ている公使の特権と言えるでしょう。さらには、これを頼んだのが、姉上でございます。これは言って見れば、女王様に変わる御命令となるほど。そして薩摩占領が引き換えになるのならば尚のこと、反対する理由がございません」
と、祐三郎は一気に言い放った。
お華は、思い通りに事が進んだ事に満足し、
「さて、西郷さん、村田さん? 世界に冠たるイギリス、あ、さぶちゃん、
ロイヤル・ネービーって言うんだっけ?」
祐三郎は大きく頷き、お華は続けて、
「清国もあっさり負けたっていう相手と、江戸にいるあんたらが戦えるかな?」
と言われ、村田蔵六は、青い顔をして、
「か、勝てる訳なかろう」
先程までの、勢いはどこへやら。
しかし、西郷は、
「その様な事、帝がお許しになる訳なかろう。そなたは逆賊じゃ!」
と少々、興奮しながら言うのだが、お華は涼しい顔で、
「この事、和宮内親王様、そして貴方様の主筋、天璋院様にもご了承を頂いております。特に内親王様には、無辜の民を虐殺し、無法の振る舞いをするなど、民を慈しんだ、兄(孝明天皇)がお許しにはなるまい。と、仰っておられ、万一の際にはご了承頂きました。さあ、尊皇のあんたら、どうします」
どうしますと言われても、さすがの西郷も迂闊な事は言えない。
すると、祐三郎が、
「それと姉上。アメリカもこの件、同意して頂きました」
勝は立場も忘れ、
「え! アメリカも?」
すると祐三郎は、勝に、
「勝先生はあの折、船酔いで体調を崩され、アメリカ本土では、我らとは別行動でございましたが、私らと小栗様などはワシントンにも行っておるのです。つまり、我が国で言えば江戸城大広間の様な所。そこにはなんと、薩長の暴挙から太平洋艦隊の兵隊を守った、姉上の簪が飾られたりしていると言うのは以前、お話しておりますよね。それぐらい恩のある姉上の要請をアメリカは断りません。これはイギリスが生麦事件で守ってくれた姉上に、同じ思いだそうにございます」
さらに祐三郎は、
「さらに、江戸城総攻撃が始まったら、アメリカ艦隊は品川近海に近づき、砲撃している薩摩・長州に向かって、総攻撃してくれるそうです。あそこは南北戦争が終わった後だから、相当厳しい攻撃をしてくるでしょうね」
勝は、さすがに自身アメリカに渡っているし、お華の件も思い出し、手を叩く。
お華もこの話には多少照れながら、西郷に、
「あんたらが、攘夷だ攘夷だと言って殺しまくってた時に、守ってあげたからだと思うよ。まあ、これも向こうの敵討ちってとこだね」
これには、西郷も村田も言葉無い。
すると祐三郎は、お華に、
「アメリカの艦長には、伊達仙台の城が攻撃されたら、同じ様に御守り下さいとお願いしときました」
それにはお華も少々呆れ気味の顔で、
「あんたもちゃっかりしてるわね。開国の条件で?」
それには祐三郎も笑顔で、
「それぐらいは何て事ありませんから」
と笑う。
これで、お華が隠していたカードは全部開かれた。
そしてお華は、西郷に、
「さあ、どうすんの? イギリスが来れば、家族だけでなく、お城も木っ端微塵となり焼け野原よ。それと引き換えに、江戸を攻撃するのかな? 言っとくけど京都だって、鉄砲もって進んでいくかもよ。公使も一度お会いしたいなんて言ってたそうだからね」
お華は満面の笑みだ。
こうなると、どうするもこうするも無い。西郷は頭を下げ、
「さ、さすがに、こんは……。薩摩を燃やす訳にはいかん。致し方無い…」
と、とうとう、江戸城総攻撃の中止を明確に宣言した。
そこでお華は、
「そうと決まったら、江戸のお城は明後日にお引き渡しと言う事で、そして奉行所などはそのままで、名前を変えるのは結構ですが、人と住まいは大きく変えないようにね」
それには、西郷も小松も頭に手をやりながら頷く、お華は加えて、
「江戸で、辻斬りや、帝様の名前を使って、押し狩り、つまり強盗をして捕まった者の罪はそのままに。そうでないと、帝の名に傷か付きます。これは和宮様から甥御でもある帝様に申し訳無いとおっしゃっております。尊皇を言うのなら、そこら辺もお願いしたいとの事」
これには勝の方が驚いた。
ここまで聞いてると、いったい、どちらが勝った方なのか分からないからだ。
しかし、これが我が国の特殊性か。とは思ったが、芸者のお華がそこを突いてくるとは意外であった。
当然、この様に面と向かって言われると、西郷も嫌とは言えない。
お華は、ダメ押しで、
「詰まらない事すると、京にすぐお知らせが参りますよ。夜中にこそっとね。ご用心を」
と笑って言っている。
(2)
どうにか話は纏まり、会談に行ったお華始め、五人は、帰途についたが、
そのお華の後ろ姿を、強烈な眼差しで睨み付ける男がいた。
しかし、ここでは手が出せない。
ただ危険な目を向けるに止まった。
さて帰り道、おさよは本当に嬉しそうな声で、
「やったね、お華ちゃん。お江戸が守れて」
「うん」
と頷くお華だが、こちらは余り嬉しそうでは無い。
しかし、おさよは、
「しかも、奉行所もそのまま、ってしてくれて」
それにお華は、
「まあ、これからどうなるか分からないけどね。新之助はとにかく御役だけはそのままになるでしょう」
と言うのだが、後ろからトボトボ歩く勝は、些か意気消沈した顔で、
「しかし、イギリスに国を売るとは……」
などと嘆くが、お華は、
「良いのよ、そこまで言わないとわかんないでしょ。人を脅すってのは、こういう事よ」
と軽く笑う。そして、
「これはね、小栗様に教えて貰ったの。でもあの人死んじゃったしね。でも、ああいう人を迂闊に首切るなんて、これからあの人達も大変だと思うよ」
お華は、小栗上野介が上野国・水沼河原にて、首を切られた事を言っている。
事実、これで本当の開国は、相当長引いたとも言われている。
裕三郎も大きく頷く。
そして、
「まあ、勝様も江戸を救ったと、後世名前が残るでしょ。さあ、姉上。早速、お城に行きましょ。報告と直ちにお逃げ願わないと」
それにはおさよも、
「そうね、お春も心配しているでしょうからね」
虎ノ門辺りで勝、祐三郎と別れ、二人は大奥を目指した。
この時、すでに城の本丸は火災で焼失しており、このころは西の丸に大奥も移っていた。
ただし、大手門など、江戸城にはもう門番はいなかった。
当然、ただ通り過ぎて、三の丸七つ口に向かった。
大奥では、既に若い女中達が、あちらこちら掃除を始めていた。
もう、一時の様な大騒ぎにはなっていない。
みな、終焉を悟ったのだろう。
さて、知らせだけはしておいたので、御殿では、御台を始め、瀧山などが待っていた。
お春も列座の端に、心配そうな顔で座っている。
早速、お華とおさよは、低く前に出て、平伏した。
すると和宮の御台は、
「どうじゃった、お華!」
と、珍しく大きな声で言う。
知らせを今か今かと待ちわびていたのが良く分かる。
勿論、お華は、笑顔で、
「御台様、天璋院様。お二人の書状には、敵も納得した様です。以前、申し上げました通り、江戸城総攻撃は中止となりました」
とお華が再び平伏すると、御台を始め、一斉に安堵の低い歓声が上がった。
しかし、天璋院は、
「何を言うておる。そなた、さんざん脅したのであろう」
と、言うと、今度はおさよが、
「この子は、さもなければ、薩摩をイギリス艦隊が総攻撃し、領土を渡すなどと脅したのです。しかし理屈は分かりますが、この様な事を言える妹だとは思いませんでした。さすがに、清の国さえ占領したイギリスでございます。まさか、この妹がその様な軍を動かすことが出来るとは思って無かったでしょう。こうなると、さすがに従わざるを得ません」
こちらおさよも、言い終わって平伏する。
それには、天璋院も感心した笑顔になる。
しかし、お華はまた顔を上げ、
「さあ、皆様。今でございます。恐らく明後日あたりには、敵が城に入ってくるでしょう。今のうちにどうぞ、お逃げ下さいませ!」
と、お華が生まれて初めて、そして最初で最後の、江戸城で命令のような事を言った。
それで、女達は新たな行動に入った。
お華は、和宮に、
「御台様。御台様はどちらに?」
と聞くと、和宮は、
「わらわは、とりあえず田安様の屋敷じゃ。そして天璋院殿も同じじゃ」
お華は頷いて、瀧山に顔を向け、
「瀧山様は?」
瀧山も頷いて、
「日光街道の川口宿あたりに引っ込む。局の実家じゃ。まあ、何とかなるじゃろ」
と笑う。
姉小路がそうだったから、瀧山もそれなりの蓄えも有り、見通しがついているのだろう。
お華は、キッと前を向き、
「それでは、姉小路様に成り代わり申し上げます。皆様、江戸のお城、そして大奥の千秋楽にございます。どうか、思い残すことの無い、大奥の者達らしゅう楽日を」
とおさよと二人、頭を下げ、座を立った。
「姉上、戻るとしましょう」
と、言った時、お春が寄って来て、
「母上、叔母様、御台様お送りしたら、一度、そちらに参ります」
と頭を下げる。
母、おさよは優しい笑顔で、
「しっかりお送りしてからよ。これは貴方の仕事だからね」
と、お華も笑顔で頷く。
(3)
二人はやることを全て終え、屋敷に戻った。
二人が門に入ろうとした時、浩太郎と佐助が二人に追い付いてきた。
「兄上!」
のお華の言葉に、苦笑しながら、
「お前達、どうやら江戸を守った様だな」
と、二人とも急いで帰って来た様で息を荒くし、笑顔で言う。
「佐助さんもごくろうさま。守るに決まってるでしょ。みんなのため、父上の為にも。私達が生きてる間は、手段は選ばないからね」
おさよと大笑いだ。
一行が屋敷に近づくと、そこには姉小路や、なんと遠山の奥方、おけいまで来ていて、も来ていて、優斎達と話していた。
お華達に気付くと、優斎は、
「お華! どうだった!」
姉小路も、おけいも心配だった様で、お華の笑顔を見て、胸を撫で下ろす。
一同、改めて座敷に落ち着くと、お華は姉小路の前に出て、
「姉様。恐れ入りますが、姉様のお名前をお借りし、大奥の仕舞を命じて参りました。分を超えた振る舞い、どうかお許し下さいませ」
と平伏する。
姉小路は首を振り、
「わらわはもう退いた身じゃ、気を遣わなくても良いわ」
とは言ったが、何だか最後の仕事を代わりにやってくれて嬉しそうだ。
そして、お華は、
「とりあえず、先の将軍様のお墓だけは守る事が出来た様でございます」
これは増上寺、寛永寺の将軍墓地についての話である。
同時にこの事は、和宮への思いも含まれている。
これには姉小路も、一筋涙を流し、
「ありがとうな、お華。これにてギリギリのご奉公となった。お前のお陰じゃ」
と、隣の綾瀬と顔を合わせ、喜んでいる。
だが、周知の通り、ここは薩長では無く、太平洋戦争で壊滅的な被害を受ける。
が、現代では、墓だけは復元が叶い、今も皆の祈りを受けている。
すると、おけいが、
「他の江戸の物は全て無くなるのかの?」
と聞いて来た。
これにはおさよが、
「さあ、どうでしょ。でも、全てが変わることだけは間違いないでしょう。ただ、奉行所の存続だけは願って参りました」
さすがにそれには、おけい、そして浩太郎と息子、新之助は驚いた顔をして、浩太郎は、
「本当か? それ!」
と叫ぶ。
お華は、穏やかに頷き、
「やはり、これまで江戸を守って来た父上や遠山様に対し、細やかな恩返しにございます。いずれにしても、今後も江戸を守る者は必要でしょう。名前は変わるのかも知れませんが、気持ちだけは今後も続いていくものと思います。所詮、田舎者の薩長では、どっちにしても道に迷うだけでしょうから」
と笑うと、それには皆、大笑いだ。そしてお華は、
「新之助にしても何が変わろうと、金さんや、おじいさまの歩んだ道を進んで貰いたいと存じまして」
それには、おさよも、
「これは本当に有り難い事。正直、旦那様が狼煙を上げにお出掛けになる時には、どうなる事かと心配でしたが、お華のお陰で助かりました」
本当に胸に手を当て、安心した様子だ。
そして優斎が、
「これからどうなるのだ」
と、眉を寄せながら聞く。
それにはお華も、少々暗い顔で、
「攻め上って行くでしょうねぇ。北へ。江戸がこうなると、どこかを攻撃しないと収まりが付かないでしょうから」
優斎は、ガックリと頭を落とし、
「やはりそうなるか……」
と些か、意気消沈している。
しかし、お華は明るい顔で、
「でもね、さぶちゃん。アメリカに沿岸警備っての? 頼んだみたいよ。もし、伊達様が降伏するようなら、仙台には手出し出来ないように、頼んだのよ!」
それには優斎も驚き、
「あ、あいつ、そんな事、アメリカに頼んだのか!」
「そう、代わりに開港まで約束したようよ。アメリカって国も、仙台が使える様になると何かと楽になるみたいね」
「いや~、あいつそんなこと考えていたのか。驚いたな」
それには同時に、おかよも笑みを浮かべる。
しかしお華は、
「でもね。あくまで、伊達様が降伏したらの話よ。その事今、さぶちゃんが屋敷に行って説得してるわ」
優斎も、
「そうだな。とりあえずそこからか……」
まだ、心配の種は尽きない。
そしてお華は、端に座っていたお秋に、
「秋ちゃん。例の五番聞かせてくれる? 今日はあの人のお陰で助かったからさ。供養の為に」
お秋は、素直に頷いた。
「今回の事は、あの方のお陰。最後の最後だけは勝つ事が出来たわ」
とベートーヴェン、交響曲第五番が流れ出す。
それには、姉小路やおけいも初めて聞く、洋楽に目を白黒させている。
※※※つづく※※※
今回もお読み頂きありがとうございました。
この日やっと、265年の江戸時代が終わりを迎える事となりました。
歴史的に見れば、かなり乱暴な展開ですが、お華がもし、居たのならこういう結末だったのでしょう。
ただ実際、歴史もおおまかにはこの結果を迎える事になります。
江戸時代が、終わった桜田家の人々は、今後どうなっていくのか。
しかしお華も良い年ですので、もう時間はありません。
明治になったからって、何もかも良くなったって訳じゃありませんからね。
これから仕舞に向け、物語は進んでいきます。
どうか、最後までお付き合い下さればありがたく存じます。
では、次回もよろしくお願い致します。
ありがとうございました。




