【54】帝崩御
この物語はフィクションです。
登場する、人物などは架空でございます。
また、歴史的な出来事に沿って進めていますが、
事実・史実とは異なる部分があります。
どうか、ご了承ください。
(1)
慶応二年十二月の朝。
お華は今日も、夜は見廻りに行こうと思っていた。
が、まだこの時間は、子供達、敏次郎と八重と一緒に居る。
「ほら、あんたら、零さず食べなさい!」
と叱りつけながらの朝食。
その声を聞きながらの朝食。
優斎とおかよは、何とも言えない顔で、静かに進めている。
おかよと祐三郎は、母おしげの様態も安定したので、既に江戸に帰って来ていた。
そんな時だ、新之助が信吉と一緒に屋敷に駆け入って来た。
そして、
「おじ様、叔母様、大変です!」
などと大声で叫ぶから、子供達は少々驚いて、余計に飯粒を散乱させてしまう。
「これ!」
と、お華の小言が飛ぶが、その二人は入れとも言われていないのに、新之助は座敷に上がって、優斎の隣に座る。
その焦りっぷりに、
おお! と言いながら、優斎は、
「どうなされた、新之助殿」
もう冬なのに、額の汗を、袖で拭いながら、
「先生、お知らせがあります! 昨日、帝がお亡くなりになった様で!」
「なに!」
慶応二年十二月二十五日、一世一元の詔発布前、孝明天皇が亡くなった。
原因は、現代でも確かでは無い。
一応、天然痘によるものとされてはいるが、今でも疑問視する学者もおり、議論は続いている。
要するに、その事により誰が一番得をしたのか?
という事である。
これには、さすがの優斎とお華も驚き、まず優斎が、
「誠か! それは」
「はい、御病気との事で、奉行所からの緊急のお知らせを受け、父上が、おじさまと叔母様に至急お知らせしろ。と……」
むこうで同じ様に聞いていた、お華の顔が曇る。
そして、困った顔で、
「行けって言われてもね~」
と言っている。
それには、優斎が、
「何言ってるんだ、お春様もお近くに使えておられる。そなたが行くのは当然だろう」
お華も頷きはする。
理屈はそうである。しかし、
「でもね、つい先頃、上様もお亡くなりになっておしまいになったし、時を同じくするように今度は兄上様。御台様のお気持ちをお察しするとね~」
さすがにそう言われると、優斎も頷いてしまう。
しかし優斎は、
「お前の言う事も分かるが、行かねばなるまい。これほどお世話になっているのだから」
結局、お華は、何を言っても行くしか無い、と言う事だ。
しかし、どう考えても言葉がみつからない。
なにしろ、相手が帝だからだ。
上様なら主君でもあるからまだ、申し上げ様もあるが、帝に対してどう言葉を添えれば良いのかに困っている。
当然、
「だって、おとうさん。お亡くなりになったのは帝様よ。わたしなんぞが何を言えば良いか……」
と困惑の顔だが、仕度は始めた様だ。
そしてお華は、
「じゃ、今回は敏次郎。あんたも一緒に行くよ。仕度を始めなさい。外行きの着物は押し入れにあるから」
と、おかよに頼んで、着替えを手伝って貰った。
しかし優斎が、
「おいおい、大奥に男の子を連れて行って良いのか?」
とお華に聞くが、お華は微笑んで、
「あ~。九歳以下なら男でも大丈夫よ。それにこの前、八重を連れて行ったからね。敏次郎もご覧、頂かなくちゃ」
そして、用意が出来た敏次郎に、
「さ、しっかり歩いて行くよ。くれぐれも御台様にご無礼の無い様にするのよ!」
と言うが、まだ敏次郎には無理な注文である。
もっとも、一通り、優斎が教えてはいるので、多少の知識は有るだろうが、場所が場所である。
教えた本人、優斎としても不安だ。
「敏、とにかく、しっかり頭下げる事だけは忘れずにな」
せいぜい、これくらいのものである。
八重が手を降る中、二人は城に向かって行った。
すると、敏次郎は、門を出る前から、早速、以前、新之助を信濃に連れて行った時の様に、
「ほれ、背筋を伸ばす!」
とか言われている。
後ろで見ている新之助は苦笑いで、
「始まった、始まった。地獄までの道のりだな……」
とかぼやくから、優斎も苦笑している。
(2)
まあ、そこそこ大きくはなったので、何とか城までは歩いて行けた。
八重の時と同じ様に、平川門番に、
「御台様に!」
と言って、通り抜ける。
しかし、梅林坂まで来ると、さすがに敏次郎は音を上げる。
「お母上、苦しいよ~」
と、負う事を要求するが、お華は、
「お城に入ってるのよ、出来る訳ないでしょ!」
と、代わりに腕を引っ張って、上って行く。
まるで、下手人が縄で引っ張り回されるのと変わりが無い。
お気の毒な事である。
ようやく、七つ口までくると、お華は、
「ほら、ちゃんと上れたじゃ無い。これからは自信持って歩きなさい」
などと言われるが、やはりお気の毒である。
さて、鍵番に言って、御台様と言うと、今回は事前にお春から連絡されていたようで、今回は押込のような入り方はせず、ごく自然に入って行った。
敏次郎は、初めて来るお城にキョロキョロしながら、もう先程の難行は忘れてしまった様に、珍しそうに周りを見ながらお華について行く。
行き交う女達も、男の子が来たから、
「まあ、まあ」
と様々声をかけ、嬉しそうに声を上げている。
そして、御殿前に来ると、既にお春が、入り口に座って待っていた。
今回は、敏次郎が一緒だったので、彼女も満面笑みで、迎える。
「おお、敏次郎、偉いな。今度はお前さんがしっかり歩いて来たのか」
早速、敏次郎は、相手が叔母にもかかわらず、優斎が教えてくれた様に、しっかり、
「叔母様、お久しぶりにございます」
と、可愛い声で挨拶してくれるから、お春も笑顔で、
「さすがにお華叔母さんの息子だね。そうそう、そうやって挨拶するんだよ」
と頬を撫でてくれた。
お華は、お春に、
「どうなの御台様は?」
と聞くと、お春は、
「御心配には及びませんよ叔母様。上様の時よりは、しっかりなさっております」
それを聞いてお華も多少安心した様だ。
「では、参りましょ」
とお華は、立ち上がり向かう。お華は、敏次郎お手を引いて、
「こちらよ」
と一緒について行く。
(3)
型どおり、二人は挨拶すると、和宮は喜んで、
「おお。今日は息子か」
と前回と打って変わって、笑顔で迎えてくれた。
和宮は、優斎の事も知っているから、
「うん。優斎とそっくりじゃな」
挨拶もしっかりしているから、
「うん。頭も良さそうじゃ、これから楽しみじゃな」
と言ってくれるが、まだ幼いにもかかわらず、敏次郎は、
「ここまで来るのに、母上がヤイのヤイの煩いのです。お父上なら一言仰るだけなのに母上はもう」
などと言うから和宮は「おう」と驚き、
「おお、その切り返しは、見事じゃ。その辺はお華にそっくりじゃな」
と大笑いで、お春まで苦笑している。
お華は、慌てて、
「これ! 何を言ってるのじゃ、失礼じゃ!」
と怒るのだが、周りが苦笑の嵐なので、せいぜいお尻をピシッと叩くぐらいである。
すると、「失礼します」
と年寄、瀧山が入って来た。
そして、すぐ、
「お華は全く」
と、呆れながら、
「こんな時に笑わせに来たのか」
などと言われるから、お華は慌てて、頭を下げる。
そしてお華は、
「私も知らせを聞いて、慌ててやって参りました。うちの子はどちらもこんな感じですから迷ったのですが、御台様にも一度ご覧頂きたくと存じまして……」
と言うと、和宮は、
「なに。こういう時には子供の話の方が、何よりの慰めじゃ。すまんのお華」
と言ってくれるから、お華は頭を下げる。
当然、敏次郎の頭に手をやって一緒に。
そしてお華は、瀧山に、
「御病気とお伺いしてますが……」
と言うと瀧山は頷くが、和宮は、
「宮中だからの。本当の原因は分からぬ。あそこは、医者でも手が出し辛い所であるそうじゃからの」
それにはお華も、
「なるほど。それはどうしようもありませんね」
すると瀧山が、
「お華。そなた、毎日、江戸の市中周りをしているそうじゃな」
それにはお華も笑って、
「はい。左様にございます。近頃、不穏な事件が続いておりますので」
そしてお華は、
「この様な時に、御台様に申し上げるのもどうかとも思いますが、これは、江戸の罪も無い民が、無残に殺され、そしてその上、帝様の名を偽り金品を奪っているのでございます。私はそれが許せない為、女ではありますが、市中を回っております」
和宮は頷いて、
「その話は、私も聞いている。我が兄の名を語らう悪行。これは私とて許せぬ」
すると、敏次郎が、
「母上は、父より強いと父上が言ってましたが、本当なんでしょうか?」
などと言い出すから、周りは大爆笑。
お華は慌てて、また尻をぴしゃり。
笑いながら、瀧山は、
「お前の母上は、御台様も御守りするぐらい強いのじゃ。そなたも強くならねばならんぞ」
と言うのだが、敏次郎は迷惑そうで、
「父上より強い人は私には無理です」
とか再び言うものだから、再度の爆笑。
お華はさすがに、
「こいつ!」
と敏次郎を睨み付けるが、彼は御台様も味方だと思っているらしい。
すると、お華が子を連れて来たというので、天璋院も「失礼」と言ってやってきた。
すると敏次郎は、
「いつも母上に叱られている敏次郎です」
と平伏すると、天璋院は大笑い、当然、和宮もみな、また声を上げて笑っている。
お華は叱ることも出来ず、ガックリ畳に両手を付ける。
天璋院は笑顔で、
「おお、ちゃりを言う子じゃ!」
ちゃりとは、まあ冗談と言う意味だ。
と嬉しそうに、言い。
お華に、
「こういう時に、こんなこと言える子は、偉くなるぞ」
と和宮の隣に座る。
お華は、仕方無いので一度平伏する。
そして、
「それなら、私が犠牲になりまする」
などと言っている。
さて、落ち着いた所で、お華は、真面目な顔で、
「今回の事は、御台様始め、皆様方には、先の将軍様に引き続き、誠に何と申して良いのか、分からぬままやって参りました。とにかく、謹んで、お悔やみ申し上げます」
と再度、頭を下げる。
しかし和宮は、
「そう、確かに残念な事だが致し方ない。何とか、兄上が願っていた国の平穏が続くと良いのだが……」
そこで、お華は、
「息子に文句を言われているお華ですが……」と笑わせ、
「私は皆様ご存じの通り、江戸見廻り同心の娘にございます。このお役目は、江戸の者達の平穏を保つ事が、最大のお役目。ここで帝様までお亡くなりになれば、敵の考えは分かり易い。御台様。帝様、お後の事はお聞きでしょうか?」
それには和宮は、
「おそらく、兄の子、祐宮ではないかと思う。だがまだ四、五の筈じゃ」
お華は大きく頷き、
「やはり……」
と頷き、
「それでは、まだ幼い帝を立て、最悪、こちらに攻めてくるのでは無いかと存じます」
それには天璋院が驚いて、
「な、なんと、誠か?」
すると、お華は申し訳無さそうに、
「天璋院様には申し訳ありませんが、噂では薩摩は長州と組んだとか。そして江戸焼き討ちを掲げているとの事。京にいらっしゃる上様では、その様な事、止める事は出来ますまい。ここで、お二人に、お願いと許可を頂きたいと存じます」
それには和宮も眼を大きく開け、
「な、なんじゃお華」
お華は一度頭を下げ、
「先程申し上げましたが、私は江戸定町回りの同心の娘。そして、この江戸の地は私共の里とも言って良い場所。ここを焼き討ちにし、女子供構わず血祭りに上げられる、そしてお二方に対しても、大変な事とと脅しをかけられれば、私共は引く訳にはいきません。できる限り、お手向かいするかも知れません。もしかしたら御所にも大変な事になるかも知れません。この事について、最悪の場合も考えられますが、ご許可、お許しを頂きたいと存じます」
和宮は笑ってしまい、
「さすが。お華、売られた喧嘩は買わなきゃすまぬか」
それには天璋院も、
「私は構わぬ。おそらく今の薩摩の当主は何も考えておるまい。天下をとれるなどと喜んでおろう。そんな先の君主、斉彬様に背くもの達は、それぐらいされても良い」
和宮はさすがに、
「幼い帝の命もか?」
さすがに幼帝であるから、心情的に心苦しい。
それにはお華は、
「私はそのような事まで考えてはおりません。どこまでも、相手がどうするのか次第にございます」
「あいわかった」
と和宮も了承してくれた。
話も終わったので、お華は敏次郎に、
「さあ、これで私達はお暇するよ。ちゃんとご挨拶しなさい!」
と言われ、子供なのに苦笑いで、
「申し訳ございません。母上が言うものですから……」
と平伏して、お華親子は、座敷を下がった。
後には笑い声が長く続いた。
七つ口に出ると、今度は囲い内にある、小屋に向かった。
それには、敏次郎が、
「母上、どこに行くんですか?」
しかし、お華は、
「黙って着いてきなさい。そして挨拶以外は、黙って聞いてなさい」
と言われ、敏次郎は頷く。
お華は、江戸城警備を担当している伊賀の小屋に、
「ごめんよ~」
と入って行った。
そこにいた若い者は、お華の事を知っているから、笑顔で、
「これはお華さん。どうなさいました?」
と明るく聞く。
そして小さな男の子まで連れているから、驚いて、
「こちらは?」
とお華に聞くと、
「小生意気な息子よ」
などと言う者だから、相手もさらに驚いて、
「ど、どうなされました?」
お華もこれには至って普通に、
「あのね、三蔵さんに会いたいのよ、今大丈夫?」
三蔵は、先頃亡くなった当代服部半蔵を名乗っていたお頭を継いでいる者だ。
だか、恐れ多いと言う事で、この男は服部半蔵は名乗っていない。
「今、呼んで参ります」
と若い者は入れ替わり、外へ出て行った。
しばらく二人が框に座って待っていると、三蔵がやって来た。
「これはお華さん。お子まで連れて大奥へ? 一体どうしました?」
とお華と、敏次郎を部屋に上げ、余り綺麗とは言えないが座布団を素早く用意して、「こちらへ」と誘った。
と聞くと、お華は笑って、
「うちの長男よ。ほれご挨拶!」
と言われ、訳の分からない敏次郎であるが、父に教えられた通り、今度は静かに頭を下げる。
それには三蔵も笑顔で、
「これはこれは、私、伊賀の三蔵にございます」
とこちらも頭を下げる。
が、敏次郎は、伊賀がどういう物だかまだ、わからないから微笑で頷く。
するとお華が、
「で、三蔵さん。今のお城の様子、どう思う?」
と聞かれ、途端に、三蔵は多少困った顔で、
「わたしなんぞに聞かれても……」
一応遠慮するが、相手がお華なので、
「まあ、言わせて頂くと……」
お華が頷く。
「かなり混乱している様です」
と冷静に意見を述べた。
お華も、
「やはりあんたからも、そう見える」
と、腕を組んで頷く。
お華は、続けて、
「大奥でもさ、かなり動揺してるわよ。妙な話、敵と味方が一緒に住んでいる様なもんだからね。そうは言っても御台様も大御台様も、もう徳川の方ではあるから、その辺、余計に混乱してるわよ」
されにはさすがに江戸城にいる三蔵も頷く。
「それにね……」
とお華は続け、
「十中八九、戦しても勝てないと思う。問題はそれからよ。貴方の所も私も今となっては江戸が里。せめてこれだけは守らなきゃいけない。これについて私に協力して貰いたいの」
これには、余りに話が直線的なので、三蔵もどう答えたらと、一瞬思い悩むが、
「はい。私も今となれば、伊賀の者達も、江戸に父母、妻と子とそれぞれ一緒におります。これを守ると言う事には否はございません」
と言い、こちらも続けて、
「お華さん、戦でも考えておられるので?」
それにはお華は笑い。
「いやいや、まだ、それはは考えていないわよ。だって、そんなことしたら、守るどころか流れ弾や何やらで、元も子もなくなるもん」
その言葉に、三蔵も安心した様で、
「で、すると何を」
「まだまだ、向こうの出方次第だけどさ、向こうは江戸を火の海にとか、言ってる連中もいるらしいからさ、それなら、忍びらしいやりかたで、それを止める。もしくはそのために、闇の中で反撃をする。これを了承して欲しいのよ」
三蔵は、なるほどと、数回頷く。
敏次郎も、意味が分からないながらも、真剣な表情で聞いている。
彼も、かなり危険な話をしているのだろうと感じているのかも知れない。
そしてお華は、
「あんた達も、昔、伊賀が責められても簡単にはやられなかったでしょ」
お華はおそらく、戦国時代、織田信長の伊賀攻めの話をしているらしい。
たしかに当時全国統一を目指していた織田信長は、その為、それに従わぬ伊賀に対し、力で従わせるよう、攻め込んだ。
しかし、伊賀も強靱に抵抗をし、何度も、織田勢を跳ね返した。
そして、結局はやられてしまうのだが、そこで「本能寺の変」である。
これにより、流れが変わる。
その後、徳川家康の配下に入り、今に至っている。
そして、お華は、
「もし、その様な事態になったら、貴方、うちに呼ぶから相談に乗って欲しいの」
それには三蔵も大きく頷き、
「確かに、我々も、もうそろそろそういう次期に来たのかも知れませぬな。承知しました、その時は遠慮無くお呼び下さい」
と、了承してくれたので、お華は笑って、二人は今度は逆に梅林坂を下りていく。
歩いていると、お華は、
「あのご挨拶は、お父上に教わったの!」
と少々怒り気味で言うと、敏次郎は笑顔で、
「はい。そうすれば御台様がお喜びになると仰るもので」
すらすら素直に言う物だから、
これにはお華も怒りをどこにぶつけるべきか困ってしまう。
(あの、アホ亭主!)
などブツブツ言っているが、敏次郎は、
「母上? 先程のお話は、一体どういうことなんです?」
と歩きながら聞いて来た。
すると、お華は機嫌が直ったのか、
「う~ん。ちょっとした下準備よ。でも、小さいあんたじゃまだ分からないだろうけどね~」
と、些か嬉しそうに言っている。
一方で、お華は息子の意外な成長を感じている様だ。
「でもね。これは今は内緒だけどね。そのうちお江戸で戦が起こるかも知れないから、その準備の相談よ」
さすがに敏次郎でも戦という言葉は知っていたらしく、幼いながらも驚いた顔をしている。
「それで、母上、どうするんです?」
お華は笑いながら、
「まだ分からないわよ。でもね、そんなことが起こると、あんたや八重、そして先程お会いしたお春や七重の将来が無くなってしまうかも知れない。それだけは止めなきゃいけない」
さすがに、こう言われると、敏次郎には理解不可能だ。
だが、その真剣さだけは分かったのかも知れない。
「母上、危ない事しないで下さいね」
と、本当に心配そうに言われてしまい、お華も大笑いして、
「うん。大丈夫よ。あなたたちはどうしても守らないといけないからね」
話がかみ合わないまま、二人は屋敷に戻っていった。
(4)
そして、お華とおさよは、今夜も見廻りに出掛けた。
この日は、四ツ谷、新宿の宿場までと決めている。
四ツ谷辺りは、火付盗賊改で有名な長谷川平蔵の墓があり、そして何と言っても四谷怪談である。
いかにも変事がありそうな場所ではあるものの、さすが山の手。
ここは武家屋敷も多く、それ程の事は無かった。
むしろ、問題なのは、宿場でもある新宿なのだが、ここも以前、お華が捕り物劇を行った場所。
些か気軽に、お香の店に寄って行った。
暖簾を潜ると、当然ながら、笑顔で迎えてくれた。
おさよは、
「今夜は何も無さそうね~」
と通された座敷に座り、少々残念そうに言うのだが、
「こういうことも無きゃ」
お華は笑って答える。
お香が、若い者を引き連れて、やって来ると、
「女将さん、最近はどうなの?」
とお華が聞くと、お香は笑って、
「お陰さんで、取り立てては。でもさ、日本橋とか深川なんか大変なんだって?」
それには二人が笑い、おさよが、
「そうなんだけど、この人が簪投げまくってね」
お香も笑いながら大きく頷き、「やっぱり」と答え、
「二人で見廻ってるから、もしかしたらと思っていたけど、その通りだったわね」
三人は大笑いである。
そしてお華は、
「まあ、四ツ谷もここも大丈夫みたいだから、今日はただの散歩になりそうよ」
と笑って言った、その時だった。
店の方から怒鳴り声が聞こえた。
「帝様に、金を献上せい!」
と喚く声が聞こえた。
おさよが、いきなりの声に、むしろ嬉しそうに、
「おやおや、ここでも」
笑いながら言う。
お香が、お華に、
「どうする!」
と聞くので、お華は、眉を寄せ怒りの表情、そして少々低い声で、
「当然、とっ捕まえてやるわよ」
と言い放つ。
そして、お香の横に座っていた若い子二人のうち一人に、
「あんた。今月は南か、この時刻じゃ、同心は居ないでしょ。この辺の親分の所に駆け込んで、捕り手を頼んで頂戴。今すぐ!」
言われた男の一人は頷き、
「へい!」
と返事をして、早速、庭に飛び出した。
裏から回って行くようだ。
そしてお香に、
「とりあえず、幾らでもいいから金やって」
と言い残し、二人は上手下手に別れようと合図し、
同じ様に庭から、外に出て行った。
男達は、難なく千両箱を奪い取ったので、上機嫌でそれぞれ、外に出て行った。
が、すでにお華、おさよに囲まれている。
と、言っても二人なのだが。
上手のお華は背後から、いくつかの駆け足の足音を察知し、ニヤっと笑う。
男達は前後に立ち塞がる女の様な影を見て、少々驚いている。
「なんじゃ、わいらは!」
と、一人が怒鳴ったが、お華は既に両手に簪を人数分、用意していた。
何も言わない女に痺れを切らし、それぞれ刀を上段に抜いて襲って来た。
しかし、お華は既に回って居る。
そして、近づく男、そしておさよの方向に走り出した男達に、月夜も無い暗闇に光も無く、両手から簪が走る。
近づく男達は、予想外の攻撃である。
いつもの事ながら、それぞれ鼻の頂点に見事に突き刺さり、そして、おさよに向かって走った男達は、次々低い姿勢から斬り刻まれて、闇の天をあおぎながら、それぞれ倒れてしまう。
そして千両箱持っていた男は、お華に肩を打たれ、箱を下に落とす。
中から白包みの物が、バラバラ零れていってしまう。
そして、おさよも、ほぼ同時に、倒れた男達の腕を切り落とす勢いで、次々斬りまくり、箱の男もすばやく、膝を斬り、そして後の二人も天を仰いでいるうちに、円を描きながら斬り落とす。
結局、全員、地面に倒れ伏してしまった。
そこへ、呼んでいた捕り手の男達が、駆け寄ってきた。
見ていた者には、これは、今まで見た事がない、あまりに、あっけない捕り物だった。
余りに素早い決着で、覗き込んでいた近隣の住民、何よりお香は手を叩いて喜んでいる。
(4)
結局、一通り騒ぎも静まると、お華とおさよは、これもお香が経営する、割と大きな小料理屋に連れて行かれた。
さすがにもう、大丈夫だろうと、この辺の甲賀連中、なんと小さな子供まで連れて、大勢集まった。
お華は、大宴会だ! だと喜ぶのだが、おさよは、やや圧倒されてしまう。
「まあ、でも良かった。また、同じ様な事が起こるとは、お華さんとおさよ様のお陰で助かりましたよ」
とお香が言うのだが、お華は、
「何言ってんの、本来なら、あんた達がやれば済む話よ」
と、大笑いする。
すると、一人の甲賀の男が、
「こんな事は、日本橋辺りでも有るって聞きましたが、お江戸は大丈夫なんでしょうか?」
お華に聞く。
「確かにね、まあ、そっちも私達が、引っ捕らえたわよ」
と言うものだから、その男は驚いて、
「まさに神出鬼没ですな~」
と驚いている。
すると、お華は猪口を傾け、そしてお香に、
「女将。帝様が、お亡くなりになったの聞いてる?」
「え? 帝様? い、いやいや初めて聞いたよ」
お華は頷き、
「あたしもそうだけど、あんた達にも、余りに上過ぎて、逆に何とも思えないかも知れないけど、その次は、幼い帝がお立ちになるらしいわよ。こういう事が起こると、あなたたちなら、どうなるか想像出来るよね」
それには甲賀連中もお互い顔を見合わせて、頷いている。
お香もすぐ想像出来た様だが、
「お華ちゃん。何が言いたいの?」
と聞く。
「私にしても、甲州の姉上、そしてあなたたち、あとは伊賀連中、もう今となっては、江戸が皆の里でしょ?」
それには、おさよも、そしてお香達も大きく頷く。
「みんなは、甲賀に繋がりがあるけど、みんなも、今となっては、江戸に代々住んでいるはず。そしてここには、親、妻、そしてここにもいる子供たちもいる。やっぱり、命も将来も守りたいでしょ?」
お香は戦闘モードの顔で、
「そりゃそうよ。あたし達は、本来の甲賀とは離れているけど、江戸で家族みんなで生きてるからね。いまさら、どこにもいけないわよ」
するとお華は、
「それならば、ここで相談がひとつ」
おさよが既に笑っている。
「私も江戸の見廻り同心の妹、そして、隣はその嫁。思いはみんなと一緒。だからこれから始まるかも知れない騒ぎを食い止めるように、協力して貰いたいの」
しかし、お香は、
「戦をするって言うの?」
と言うが、お華は首を振り、
「戦は武家が、勝手にやってくれれば良いわ。でももし、そうなったらわたし達もみんなも、タダじゃ済まないことになる。絶対戦にはさせない。ただ、あなたたちの伝えられた技を全て使って、何とか、このまま平穏が続くようにする。わたしはそう考えているのよ」
それには、いる連中全てが、安心した様に微笑む。
すると、おさよが、
「ねえ、ねえ、百人町の甲賀とは、今も険悪なの?」
と聞くとお香は首を振り、
「ううん。今はそれほど。って言うか、ほらそこの子、」
と料理を運んでいる女の子を指刺して、
「この子だって、百人町だった子だもん」
と言われ、その子も少々驚いて座ってしまう。
するとお華が、その娘に向かって、
「あそこは今、どうなの?」
と聞くと、その子は何とも言えない顔で、
「うちの方は、みんな傘貼りばっかりやってる人ばかりですよ。あたしはここに来させて頂いて、ほんとに助かりました」
などと笑って言う。
伊賀・甲賀とも、徳川の全国統一の後、それぞれ家臣となって、伊賀同心、甲賀同心などといわれ、江戸で暮らしている。
伊賀は、城の警備。甲賀は関ヶ原の合戦の功績により、鉄炮百人組などと名付けられ、江戸の警備に当たっている。
が、当初は甲賀衆に四千石を与えられたが、時代が進むにつれ窮乏することになってしまい、結局、傘貼の内職で過ごすようになる。
その結果、甲賀組同心には、傘貼りの熟練者が多くなったと言われる。
また、各家庭、少ない家禄で暮らすことになり、新宿百人町にある屋敷では、
ツツジ栽培を植えて盛んになり、傘貼りを加え、なんとか生計を助けていた。
結局、身分は低く抑えられているため、目覚ましい出世という事も無く、ただただ、平和に暮らしている。
しかし、それはそれで、戦国の頃と比べれば、まだまだマシであった。
「まあ、今の所、伊賀も手伝ってくれると言うし、みんな、何かあったらよろしくね」
とお華に言われ、甲賀の連中は、一斉に軽く頭を下げ、一緒の子供さえ、大きな声で、
「は~い」と笑っている。
お華とおさよは嬉しそうに、笑顔で頷く。
それには、お華は子供達に、
「あなた達は、これからの事、考えなさいね」
と笑いながら微笑む。
※※※つづく※※※
今回もお読み頂き、ありがとうございます。
さて、帝・孝明天皇が、14代将軍・徳川家茂と同じ年に、御崩御されました。
文中にもありますが、本当の死因は不明。
一説には毒殺。と言われております。
まあ、具体的に誰が指示をと言うのは、ともかく。
これにて、時代は一気に加速していきます。
お分かりのように、江戸ではお華とおさよ以外、特に何事も起こっていません。
そう、この頃、揺れに揺れているのは、京都ですからね。
お華以外は、それこそ明治維新となっても、何も変わらなかったと言ってもよいでしょう。
だが、武家政権の終幕に、お華は何をしようと思っているのか、この話も終わりに近づいておりますが、どうか最後まで、よろしくお願いします。
ありがとうございました。




