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お華の髪飾りⅡ  作者: 本隠坊
46/65

㊻There Must Be an Angel(天使がいるに違いない)

 この物語はフィクションです。

 登場する、人物などは架空でございます。

 また、歴史的な出来事に沿って進めていますが、

 事実・史実とは異なる部分があります。

 どうか、ご了承ください。

(1)


 お華は、閉門蟄居状態である。

 動けない訳では無いのだが、お吉とかおかよなど、監視員が見張っているものだから、身動き一つ碌に出来ない。

 優斎は医者として、家庭の仕事など普通で構わないと言ってくれるのだが、周りにとっては余りの事でもあるから、

「お華!」とか「姉さん!」とか、しょっちゅう叱られている。

 せいぜい英吉達の乳貰いか、重湯作りに働いているお華であった。

 お吉はその様子を見て「そうそう」と嬉しそうだから、余計に何も出来なくなる。

 結局お華は、一通り終わると、蓄音機でモーツアルトなどを聞きながらボーとしている。

 すると、

「お腹の子に良いらしいですよ」などと、おかよに言われるが、アハハと笑いながら過ごしてしまう。

 この頃に胎教など認識されてはいないだろうが、そう言ってくれると気が楽である。


 さてこの年、改元され今は元治元年である。

 更なる時代の嵐が吹き荒れる事となるが、今ここは暴風の外。

 それとは違った、台風が吹き荒れる事になるだろう。

 この日、ちょうど浩太郎夫婦が屋敷に、お華の様子見と言う事で遊びに来ていた。

 そして、優斎も屋敷に戻ってきて、浩太郎と談笑していた。

 そんな時、一尺棒持った新之助と信吉が屋敷にやって来た。

 彼らは、両国一体の見廻りである。

 新之助も休みの日ではあったが、まだ見習いなので、一日でも早くと浩太郎の命令で見廻りに行かされていたようだ。

 二人がやって来ると、浩太郎が「どうであった?」と聞くと、

「はい。父上。何も問題はありませんでした」

 と報告している。

 おさよとお華は、それを笑顔で聞いていたが、信吉がお華に、

「お華さん。これ」

 紙を一枚出し、そして、

「瓦版ですけどね。ですけど、この新撰組って一体何です?」

 と、座敷に上がってその瓦版をお華に渡す。

 一応、お華は何故だか後見役になっているからだろう。

 お華はそれを一目見て、途端に顔色が変わる。

 些か厳しい声で、

「信吉ちゃん。これ、どこの瓦版?」

 信吉は頷き、

「なんでも、藤岡屋の情報らしいですよ」

 お華も頷いて、

「そりゃ本当の事の様だね」

 と言う。

 藤岡屋・須藤吉蔵は、日本における情報屋のはしりと言われる男で、

 普段は神田御成道(現在の秋葉原周辺)に路上に筵を敷き、表向きは貸本屋であるが、江戸市中の噂や落書などの記録していたという男である。

 如何にも信頼性は無いと思われがちだが、意外にも評価は高く。役人や各藩の留守居役などまでが立ち寄り、それら情報を大いに参考にしたという。

 この記録本「藤岡屋日記」は、下馬評や安政の大地震などの災害。さらには芝居・見世物の評判から事件事故など多岐に亘っており、現在の歴史学者における貴重な資料の一つとなっている。


 お華は芸者でもあるからか、藤岡屋の事は知っていた。

 さて、その情報だが、それを読み進めれば進めるほど、お華の顔は厳しくなっていった。

 それは、元治元年、京都三条木屋町の池田屋という旅籠で起こった事件が書かれていた。

 新撰組に詳しい方なら直ぐお分かりだろう。

「池田屋事件」の勃発についてである。

 池田屋に潜伏していた攘夷派、長州・土佐などの浪人達を新鮮組が襲撃したという事件だ。

 お華は、その瓦版を優斎、そして浩太郎に廻して見せる。

 京都に大火を起こし、御所にも火を放ち、その混乱に乗じて帝を長州に動座させるという計画を立てていた。と今もそう伝えられている。

 この話には優斎も驚きを隠せない。

 しかも、お華に重要なのはそれを鎮圧したのが新撰組によるという事。

 浩太郎が、

「新撰組って、あの例の……」

 と言うと、お華は頷き、

「あの浪士組よ。京都で名前を変えたのは知っていたけどさ」

 するとお華は優斎に、

「ほら、何時だったか、お秋を助けてくれた沖田さん。あの人もこれらしいよ」

 優斎は「ふ~ん」と唸り、

「だが、もしこれに加わっている様じゃ、病気は治らんだろう」

 と暗い顔して言う。

 お華は、信吉に新撰組について教えようとしたが、新之助は興味が無さそうな顔をしているので、少々頭に来た様だ。

「新之助! あんたこの事知ってたの?」

 といきなり言われ、新之助は慌てた顔で首を振る。

 お華はますます声が大きくなり、

「あんた、この前とくぼんの姿見たでしょ。あんたも今のままなら、同じ間違いを起こすわよ!」

 と叱りつけ、

「この瓦版を、信吉じゃなく、あんたが聞きに来るならまだしも、なんで信吉が聞きに来るのよ、あんたは何も知らないくせに! これが、江戸にどういう影響があるかも想像出来ないの?」

 このまるで機関銃の様な攻撃に、新之助はただ聞くだけで正座で首を項垂れている。

 事実、お華の言う通り、この事が起きて維新が何年か早まったとさえ言われている程、衝撃的な事件である。

 そしてお華の攻撃は、今度は浩太郎に向かった。

「兄上も、兄上よ!」

 これには、優斎も「おいおい」と止めようとし、おさよは口を押さえて笑っている。

 浩太郎は思わぬ攻撃に、

「な、なんだよ」

 と言うが、

「新之助をとくぼんと同じ目に遭わせるつもりなの? こんなことじゃ、いくら高積みでも江戸の外廻り同心が勤まる訳ないでしょ?」

 それには浩太郎も首を項垂れて、盆の窪に手を当てる。

「全く、姉上と一緒で親馬鹿なんだから」

 といい、浩太郎夫婦は苦笑いである。

 お華は新之助に、

「あんたは、今がどういう時期なのか良く考えなさい。知らない事は別に悪くはないし恥でもない。でも知らないんだったら、聞きに行くと言う事を覚えなさい。いざというとき何も知らなかった方が、よっぽどの恥だよ。だいたいあんたは、甲州の草の根の血筋。お父上に聞いて無いの?」

 とお華は浩太郎の顔を見ると浩太郎はそっぽを向いている。

 お華は呆れた顔で、

「あんたは、もともと忍の血筋なのよ。そのあんたがあれも知らない、これも知らないでどうすんの。亡くなったおじいちゃんが、あの世で泣いているわよ。その血筋の末端にあるあんたがどうすれば良いのか、あとでお父上に教わりなさい」

 それから優しげな声に変わり、

「今あなたは奉行所の同心になろうとしてる。仮に話通り、帝が長州なんぞに動座されたら、この国中、戦争になると覚えておきなさい。わかったわね」

 ここでおさよが、

「もう分かったよね、新之助。お春だって、大奥で京の方々に色々教わっている。あなたもここが考え時よ。叔母ちゃんの言う通りしっかりしなさいね」

 半分泣いている新之助は、悲しい顔で頷く。

 しかし優斎はお華に、

「あなたも言い方を考えなさい。全く!」

 と言うのだがお華は、

「でも先生。失敗したとは言え、今後、長州や土佐はどうするだろう?」

 と話を変える。

 これには、優斎と浩太郎も腕を組んで思い悩む。

 そして優斎は、

「長州あたりがどう出るかだな。八月十八日の政変があっただろう。さらに外国船には木っ端微塵にやられて、攘夷の一枚看板も、見るも無残に打ち割られてしまったからね。このままじゃ終わらないんじゃないかな」

 それには浩太郎が、

「じゃ、あれかい、江戸の長州藩邸にも見張りが必要だと思うかい?」

 これにはさすがに優斎も首を傾げ、

「どうでしょう。まあ、京都は帝もいらっしゃるからだと思いますし、あの一橋様も今、京にいらっしゃるという事から、何か起こるとすれば京都だと思います。ただ、様子を見るについては重要な事だと思います。何か起きてでは遅いですからね」

 するとお華が、

「だいたい姉様(姉小路)が、屋敷を追い出された時に何かあると思ったのよ。あの人をさすがに側に置くと言うのは、何かとやりにくいでしょうからね」

 それにはおさよも大きく頷く。

 浩太郎は一つ溜め息を吐きながら、

「仕方無い。藩邸付近の見廻りの者に、それとなく見張るように言っとこう」


(2)


 それから暫く経った、元治元年七月の事である。

 予定を年末か正月と言われたお華の目の前には、梅干しが皿に山となって出されている。

 妊娠すると味覚が変わると言われるが、まだこの頃ミカンは出回っていないから梅干しである。

 お華はお茶を飲みながら一つ一つ、つまんでいる。

 現代的に言えば「妊娠によるホルモンや体質の変化によるもの」と言われるが、

 その頃の周りの者から見れば、やはり少々異常に映る。

 そこに優斎とおかよがやって来て、おかよはその梅干しの山に驚き、優斎に、

「ああいうものなのですか? 先生」

 優斎は笑い。

「昔からそういうものらしいですよ。ミカンとかね。まあ、世間並みと言えば世間並みなんで特に問題はありませんよ」

 と言いながら座り、お華に、

「ちゃんと動いてますか? 簪の稽古ぐらいやりなさいよ」

 それにはお華も、梅干しを口に頬張りながら、

「掃除やら洗濯やら、やってますよ~」

 するとおかよが、

「でもそんなに、動くとお腹の子に悪いんじゃ?」

 と聞くが優斎は首を振り、

「子供の為に働いたりしたら悪いと言う事はありません。梅干しでも……」

 とお華の顔を見ながら、

「食べてばかりいると、子供に余計な栄養が行って、お腹にいる間に大きくなり過ぎてしまうのです。するとどうなるかは、貴方にも想像がつくでしょ?」

 それには未婚のおかよであっても「なるほど」と頷く。

 そして優斎は、

「普段取っている物を少しだけ多く食べる位がちょうど良いとされてます。但しご飯を多く取ってはいけません。違う病気になりますからね」

 徹底管理されたお華はウンザリしているが、そろそろお腹も目立ち始めたと自分自身でも確認出来、そして文句の言い様も無いから、静かに梅干しの皿を向こうに押し出す。


 夕方近くになって、大門から、

「兄上! 兄上!」

 と、大声でやって来る男が、夏だから開けっぱなしの居間の庭に走り込んできた。

 もうそろそろ夕食だと言う時で、みな台所に行っており、優斎とお華だけが居間にいた。

 祐三郎は、お華の顔を見て、

「あ、姉さんもいる!」

 とか言うから、お華もさすがに笑って、

「居るに決まってるでしょう。んで、そんなに慌ててどうしたのよ!」

 祐三郎は、「はぁはぁ」と走ってきたからだろう、胸を押さえ呼吸を整える。

 そこにおかよが、やって来て、

「あら、祐三郎様!」

 とか言われ、ニッコリ微笑み軽く頭を下げる祐三郎だが、お華と優斎は醒めた表情で、

(馬鹿者!)といつもの様に声にならない声で言い放つ。

 と言うことで、祐三郎は優斎に、

「兄上。兄上は京都の藩邸に、何かあったら江戸に知らせるように留守居様におっしゃったんですよね」

 それには優斎も頷き、

「ああ、確かにな。ん? 何かあったのか?」

 と聞くと、祐三郎は大きく頷き、

「大変な事が起きました! 京の御所が、長州の軍勢に攻め込まれた様です!」

 一気に大きな声で内容を伝えると、それにはさすがに優斎やお華は「え?」と驚愕している。

 お華は多少慌てた様子で、

「さ、さぶちゃん。それ今日、届いた知らせ?」

 ともう一度、念を押す様に聞く。

 祐三郎も再度、大きく頷いた。

 元治元年(1864)七月十九日(8月20日)に京都御所で起きた武力衝突事件である。

 世に言う「禁門の変」(蛤御門の変)の知らせであった。

 さすがに三人とおかよ。そして他の女達も、その知らせを聞いて次々やって来て座って聞いている。

 優斎は祐三郎に、

「それは、わが伊達も参加しているのか?」

 と聞く。やはりそれが、優斎や祐三郎にとっては一番の大事。

 何と言っても、御所そのものの戦いなど、戦国時代でもそうそう無かった戦いだ。神経質にもなる。

 しかし祐三郎は、それには笑って首を振り、

「兄上、わが伊達はそこには加わっておりません。そもそも門警備も賜っておりませんし、何よりあそこには人が居ませんから」

 それには優斎も、

「ああ、そうだったな。え? それじゃそんなに多い人数で攻め込んできたっていう事か」


 元治元年(1864)、長州藩が京都に出兵し、会津、薩摩など御所の門を守る藩兵と起こった武力衝突、禁門の変である。

 長州は、八月の政変で失った、勢力回復を図ったとされるが、大砲なども持ち出した薩摩と会津の兵により完敗し、数々の戦死者を出した。

 この事により、朝廷から幕府に、第一次長州征伐を命じられる事になる。

 ちなみに蛤御門には、乱の時の弾痕が今も柱に残っている。

 この事からか、別名、蛤御門の変とも言われる。


 お華は呆れ顔で、

「全く、困ったもんよ。挙げ句の果ては、御所に討ち入りとは。でもさぶちゃん、そんな大砲まで撃ってるようじゃ、町はそうとう……」

 祐三郎は大きく頷き、

「町は大火だそうです。兄上もご存じの通り、わが藩邸も小さいながらも、蛤御門とは目と鼻の先。皆、退出すると書いてありました」

 この時の大火を「どんどん焼け」又は「鉄炮焼け」の名が付いたとされる。

 お華と優斎は肩を落とし、ガックリして聞いている。

 二人は一度、伺った事もある場所。

 知っているだけに衝撃も大きいのだろう。

「お殿様も、折り返し近江の領内の方に逃げる様、命じています」

 優斎は頷いて、

「そうだろうな。それしかあるまい」

 すると祐三郎は、

「姉さん。何故私がここに報告に来たかわかるでしょう?」

 と言うから、眉を寄せたお華は、

「まさか、宮様に?」

 祐三郎は頷いて、

「殿様から、まだ表にも報告されてないだろうと言うことで、大至急この事、宮様にお伝えしてほしいと仰いまして、でも、大丈夫ですか?」

 さすがに妊娠中のお華である。

 祐三郎でさえ、気を遣っている。

 お華は優斎に、

「あそこまで行っても大丈夫かしら?」

 と聞くと優斎は笑って、

「大丈夫ですよ。落ち着いてゆっくり行けば。祐三郎!」

「はい」

「お前も一緒に行ってくれるか。まあ、今のお華と一緒なら七つ口までは、お前が居ても大丈夫だ。妊婦だと分かれば、さすがに心配無いと思うだろうからな」

 しかし、それには祐三郎も、

「え? 私? 大奥なんて行って大丈夫でしょうか?」

 お華は笑って、

「何も中まで入れってんじゃないんだから、気にする必要はないわよ。それにこれは、宮様には大変重大な知らせ。文句なんか言えないわよ」

 というと、いつの間にか庭に、新之助と信吉もやって来たから、

「新之助もおいで、私を支えるのよ」

 祐三郎が、早口で事の次第を伝えると、二人とも驚いている。

 そうして、四人はお華を支えながら、平川の門に向かった。


(3) 


 何とか平川御門に着いたお華達いやお華を見て、平川門番の男は、やはり驚いた。

 そりゃ驚く。

 お腹の大きい女が、一目で妊娠中と分かる女が来たからだ。

 ただ、お華とも分かったので、

「あんた、そんななりでわざわざ大奥へ?」

 お華も少し笑いながら、

「そうよ。本当ならこんな姿、見せたくないんだけどねぇ」

 と言って、

「御台様に面会よ。あんたの様子じゃまだ知らないみたいだけど、戦が始まるかも知れないよ覚悟しときなさい」

 なんて言うから「え?!」と門番の男は驚くが、お華達はそのまま梅林坂へと向かう。

 新之助と祐三郎で後ろを押しながら、何とか七つ口に到着した。

 お華は「さて」と鍵番の中臈の所に行くと、中臈も驚く。

 大奥史上、将軍の娘などの姫様ならともかく、妊娠中のただの女がわざわざ訪ねてくるなど前代未聞だからだ。

 周りに居る者も、口を開けて驚いている。

「あの……」と言いかけると、廊下をちょうどお春が通りかかったので、新之助が思わず、

「お春!」と呼んだ。

 お春は立ち止まって振り返り、お華はともかくも、兄や祐三郎もいるのにも驚いた。

「叔母様! いや、こんなお姿でどうなされたの?」

 と如何にも優雅な振る舞いで正座するお春。

 この如何にも御殿女中らしい言葉と態度に、新之助は、何か別の女を見る思いだ。

 お華は新之助の動揺を小さく笑いながら、真面目な顔に変わり、座ったお春の顔を見ながら、

「お春。御台様に大至急、御報告しなければなりませぬ。お前の兄はともかく、この祐三郎も弟として、尚且つ伊達の殿様の名代として、是非一緒にご面会したい。その旨、急いでお聞きしてくだされ。京での御台様の大事が起きた。だから、私はこんな腹でも、急いで来たのじゃ、その意味、お前にもわかるでしょ。急いで頼みたいのよ」

 そう言われたお春にも、その真剣な態度にただ事では無いと理解し、

「少々、お待ち下され。只今、宮様に!」

 とスクッと立ち上がり、御殿向に向かって走り出した。

 しかし、驚いた祐三郎はお華に、

「姉上、まさかこの私もご面会するので?」

 と話が違うので、当然聞く。

 大奥である。

 祐三郎でもその異常さが分かる。

 しかし、お華は笑顔で、

「あんたは、伊達のお殿様の代理。その様に申し上げなさい。この事について一番知ってるのはあんただからね。そのあんたが、殿様から言い付けられたのだから、あんたが言うのは当たり前でしょ。まあ、新之助は一度、お会いしているから、新之助はその事と、同心昇進のお礼を言うのを忘れないように。ま、ただ、さぶちゃんの報告が終わってからね」 

 二人は、何とも言えない顔になっている。

 祐三郎は、いくら伊達家とは言っても、ただの外様大名勘定方の役人だ。

 新之助に至っては、ただの見習い同心。

 彼ら二人には、嘗て無い緊張感に包まれた顔になっている。


 しばらくすると、お春が戻って来て、

「叔母様。面会所にてお会いするとの事。ただお華は大丈夫なのか? と御心配でしたが……」

 お華は笑って、

「あたしだって、こんな時に嫌よ」

 と言い、

「でもね、そんなこと言ってられない事態なのよ」

 お春は頷いて、

「では、こちらに」

 と皆を導き、面会所へ。

 部屋に入り座って、足音で二人が平伏する中、すぐ和宮がやって来て、

「大丈夫なのかお華! 無理せんでも」

 と言ってくれたが、お華は今は平伏が難しく、頭だけ深く下げ、

「申し訳ありません。この様な姿でご無礼とは存じますが、重大な事が起こりましたので、致し方なく……」

 そして、

「まだ、宮様にはご存じないのですか?」

 それには不思議そうな顔で、「いや、まだ何も」と言う。

 それに頷いたお華が、

「遅れているか、宮様にご遠慮なされているかも知れません。宮様、落ち着いてお聞き下さい。えっと、一昨日だったね祐三郎」

 祐三郎は平伏したまま、

「はい。左様にございます。それでは申し上げます宮様。京都の御所が、長州藩の軍勢によって攻撃されました!」

 と頭を下げるが、和宮と和宮に付いているお春や他の者と一緒に、声も上げられず大驚愕の表情で口を開けている。

 ようやく宮様が、

「御所とは、確かにあの御所か?」

 お華は頷き、

「左様にございます。長州の軍勢が京に昇り、御所に向かい、蛤御門など各所から襲撃したとの事にございます」

「なんと!」

 和宮は何とも言えない顔をしている。

「ただ、ご安心下さい。帝はご無事だそうにございます」

 と微笑みながらお華は、祐三郎の方に手を刺し、

「申し遅れましたが、この者は、伊達家中の勘定方ですが、私の義理の弟にございます。伊達も京に屋敷を持っておりますが、御所の警備には当たっておりません。ただ、この様子を伊達様は私に伝え、大至急、宮様に御報告との事で、こんな私ですか、参った次第にございます」

 そして祐三郎に、

「そなた。御台様に御報告をなさい。伊達様に成り代わり細かく」

 と言われ、祐三郎はようやく頭を上げ、

「お初にお目にかかります。代理とは言え、この様にお聞き下さる事、我が家の誉れにございます。さて、御所ですが……」

 と言う通り事細かに報告した。

 さすがに京都から殿様宛の急報だから、疑う余地がない。

 その報告を聞き、宮様も大きく頷く。

 するとお華が、

「襲撃自体は、今、お聞きの通りにございますが、問題はその後にございます」

 と言うから、

「後とは、どういうことじゃ?」

「はい。帝は、長州を朝敵とご認定なされ、追討をお命じになるとか。上様が今、京都におられると聞いております。もしかしたらこのまま、追討軍としてご出馬をお命じになるやもしれませぬ」

 それには女達も「おお~」と響めく。

「ですから、暫く、宮様はお留守居が長引くかも知れません。ただそうなっても、将軍様にございますから滅多な事はございません。どうかご安心下さいませ」

 和宮は両手を頬に当て、

「しかし、長州がの~」

 と、呟いてしまう。

 何しろ、つい先頃まで攘夷で意見が一致していた相手だ。

 余りの急展開に、彼女も付いていけない様子である。

 するとお華は、

「私事で大変申し訳ありませんが、ご存じかと思いますが、これは宮様についておりますお春の兄にございます」

 それには和宮も、笑顔に変わり、

「おお、大きくなったのそなた」

 と言葉を掛けられると、新之助も顔を上げて、

「お陰をもちまして、奉行所に入れて頂く事が出来ました。これは全て、御台様のお陰と感謝しております」

 と笑顔でまた頭を下げるが、お華は、

「まだ見習いですけどね。ただ、将軍様が御出陣ともなれば、この者も戦に出る事になるやも知れませぬ。私にはそれが心配で心配で」

 それには宮様も頷き、

「そうだの~。だが、こればかりはわらわでも何も言えぬしな~」

 するとお華は、

「まあ、私がこうで無ければ、私が代わりに出て行くんですけど……」

 と微かに笑い、

「まあ、武家である以上、致し方ございません。そうなったらお春! あなたはここで兄の無事をお祈りしてなさい」

 それにはお春も笑って、

「まあ、お父上がいるから大丈夫じゃ無いですか?」

 と言うから、お華も笑ってしまうが、

「さあ、どうかな。そのお父上様も、もうそろそろお年ですからね~」

 そうして少し和んだ後、

「皆の者、わざわざわらわの為に知らせてくれてありがとう。お華、早く帰って寝ていなさい」

 と言われ、皆「はっ」と頭を下げる。


(4)


 元治元年十二月初め、師走に入って直ぐの事である。

 優斎は、おかよ・お秋・おゆきの三人を集め、

「あなたたちには申し訳無いが……」

 と、いよいよ産み月に入ったお華について、三人にそれぞれ役割分担について話した。

 もっとも一年ほど前、ノブの嫁、サキの出産もあったので、改めて言う事も無いのだが、優斎もさすがに自分の子となると、気が急いてしまうのか万事決めておかねば落ち着かない様子だ。

 すると、おかよが、

「大丈夫ですよ先生。みんなもう慣れてますから、しかもお華さんですから、心配は要りません」

 と笑って答える。

 そう言われると優斎も、

「そ、そうだな。じゃ、みんな頼むよ」

 と言わざるを得ない。


 ところがお華は相変わらずで、一向にその様子が現れない。

 そんな時、祐三郎がやって来て、その後の京都の様子を教えてくれた。

 やはり、孝明天皇は長州を朝敵とし、将軍に追討を命じたとの事だ。

 最も、十五万と言われる討伐軍に、奉行所員は外されたので、浩太郎も新之助も参加の命が下らなかったから、お華達にすれば一安心というところではある。


 それはともかく、結局、第一次長州征伐は、朝廷から長州討伐令が出されることになった。

 これには御三家の尾張藩主、徳川慶勝に総督を任命したが、結局は平和的解決となり、長州・毛利藩主の詫び状提出。そして三家老の切腹、更には長州に流されていた公卿を太宰府に移転させる事に決まり、長州は戦わずして、敗北が決定した。

 これで、一応の幕引きである。


 さて、時期はもう大晦日。

 産み月と思っていたが、時期を間違えたか? 

 などと思いながら過ごしている優斎。

 お華はやはり相変わらずで、言われれば簪何本でも打てると言う程元気だったが、ノブが軽く三味を流している中、夕食用の食器などを運んでいたお華は、突然持って居た皿などひっくり返して、バタンと倒れ「来た!」と小さく言うお華。

 それを見ていた英吉を抱いていたお吉と異常な物音を聞いたノブが叫ぶ。

「どなたか! どなたか!」

「おゆき! おゆき!」

 である。

 それからは、女達は大騒動。

 お秋は、診療所の二人に外から、

「始まりました!」と大声で言い放ち、本人はそのまま、八丁堀に全速力で走る。 座敷に居たノブも、さすがにその異変で、三味をその辺にほっぽり出して、慌てて長屋に向かう。

「サキ! サキ!」との声が、オトをあやしていたサキにも届き、彼女もオトを抱きながら、そのままで外に出て行く。

 診療所のおかよも、すぐ外に出て、両国方面に向かい産婆を迎えに走る。

 お華は、おゆきとお吉に支えられ、居間の隣にしつらえてある、力縄が吊された下に敷いてある布団に連れて行かれて寝かせた。

 その辺りで、優斎も走り込み、様子を確認してお吉とおゆきに礼を言う。

「申し訳無い。世話掛けて」

 と言うが、お吉は笑顔で、

「いいんですよこれぐらい。でも、来た様ですね」と笑う。

「はい。もうおかよさんが産婆を呼びに行きましたから、恐らく同じ頃には……」


 一方お秋は、走りに走って、八丁堀の屋敷の庭に走り込み、

「奥様! 奥様!」

 と、はあはあ、息を切らしながら叫ぶと、おさよが出てきて、

「始まったの?」

 と言う。

 彼女も、もう産み月だとは聞いていたので、満面の笑顔だ。

 その時ちょうど、浩太郎も「ガラガラ」と戸を開けて、新之助・信吉と帰って来たので、

 おさよは挨拶も吹っ飛ばして、

「旦那様! 旦那様! そろそろ生まれる様です。ちょっとそのまま、私達も出ます!」

 と言われるから、浩太郎も信吉達と顔を合わせて、

「お~」と盛り上がっている。

 おさよは、おきみにもあんたも行くよと命じると、庭のお秋は、

「じゃ、お願いします。私は先に!」

 とまた走り出した。

 おさよは振り返り、仏壇の前に向かい、

「お父上様、お母上様、お華をお守り下さいませ」

 と祈ると、素早く玄関へおきみと向かう。

 勿論、祐三郎もその騒ぎに気付き外に出ると、お秋が目の前を凄い勢いで通り過ぎて行くから、声も掛けられなかった。

 出てきて、その時、外に出てきたおさよに、

「奥様。ひょっとして?」

 おさよも大きく笑顔で頷くから、祐三郎も慌てて「少々お待ちを!」と言って、用意しに戻る。

 一家総出で、お華の屋敷に向かう浩太郎。

「そうか、そうか。いよいよか~」

 と、奉行所の着物のまま、両腕を組んで、唸る。

 おさよは、

「旦那様。これで本当に本当の心願成就ですね」

 と話しかけると、浩太郎も笑顔で大きく頷き、

「正にその通りじゃ。これで全てが成就する」

 と言った時、おさよが突然、

「あ!!」っと声を上げ立ち止まり、浩太郎に、

「お父上とお母様にお伝えしなきゃ! みんなちょっと待ってて」

 とおさよは慌てて実家に走る。

 おさよは玄関前で、母親お久を呼び出し、

「母上! お華が産気づきました」

 と知らせると、お久も満面笑みで、嬉しそうに、

「とうとう、お華にも……」

 彼女は胸の前で手を合わせて、天に思わず祈る。

 おさよの様子を見て思い出したのかも知れない。

「ちょっと待ちなさい、旦那様に」

 と草履をひっくり返す勢いで、部屋に戻っていった。

 暫くすると、なんと父、甚内も辛そうだが笑みで、

「とうとう、生まれるか?」

 と外に、お久に支えられて出てきた。

 おさよは、眉を寄せ、

「行くの? 父上」

 すると甚内は、

「当然じゃ!」

 などと声を張り上げるものだから、おさよは慌てて、新之助らを呼び、身体を支えるよう命じ、それから皆で、お華の屋敷に再び向かった。


 両国橋手前を横丁に入り、長屋に産婆を迎えに行っているおかよだが、

「そんなに慌てなくてもよい」

 と呆れ気味に笑って言われてしまっている。

 しかし、彼女にしたらそうも言ってられない。

 仕方無いから、負ぶって屋敷に急ぐ。

 屋敷に着いて、寝所に入ったおかよだが、どうやら間に合った様だった。

 産婆は、早速、枕元で慣れた調子で、

「呼吸を落ち着けて、慌てぬ様にな」

 と産婆に言われた通り、小さな微笑みで軽く頷く。

 しかし屋敷の居間では、

 帰って来たお秋に、優斎が、

「ありがとう。スマンがお湯を沢山沸かしてくれ」

 と頼むが、お吉に笑われ、

「先生。先生こそ落ち着いて下さい。もうやってますよ大きい盥も用意してありますよ。ほらあそこに」

 と指刺す。

 廊下の端に既に出されてあった。

 優斎もさすがに自分で呆れ、

「わたしがこうじゃ、駄目だよね……」

 と頭に手を当て苦笑いすると、お吉は、

「まあ、初めてのご自分のお子ですからね。気持ちはわかりますよ」

 二人で笑っていた最中、

「兄上!」

 との声が聞こえ、振り向くと浩太郎達がやって来た。

「これからですか?」

 と聞くと、優斎は頷いたが、

 一緒に甚内・お久も居るから、むしろそちらに驚いた。

「父上様、母上様まで、わざわざのお越し。誠に忝い事で……」

 と深く頭を下げるが、お久が、

「何言ってるの、これぐらい当然よ。ねえ、あなた」

 甚内も、

「その通りじゃ。孫を同心にしてもらい、更にわしの後を継ぐようしてくれたのじゃ。これぐらいは当たり前じゃ。それに亡き段蔵殿にも、是非とも報告せにゃならん」

 我が死の後の事まで言われると、さすがに優斎も深く礼を言い。頭を下げるしかない。

「ささ」と座敷に上がる様自ら、手を貸し、座敷のお秋に向かって、

「悪いが、座布団十枚、持って来て重ねてくれるか?」

 と頼む。

 しかし二人は、既に寝ている赤子二人を見ると、甚内も眼を大きく開けて驚き、

「もう、生まれたのか?」

 と言うのだが、既にこの事を知っているお久が、笑いながら、

「この子達は違うのよ。ねえ、先生?」

 と優斎に聞くと、優斎も笑顔で頷き、

「男の子は、女将さんの養子。そしてあそこの赤い産着を着ているのが、ノブさんの娘です」

 しかし甚内は、

「そうなのか~。しかし、もう赤子がこんなにいるとは……。お華も楽なのか大変なのかわからんの~」

 と言いながら、少し奥に敷かれた座布団に導き、後ろに座布団が重ねて置いてあるから、身体に負担無く、笑顔だ。

 背もたれ代わりは、腰が厳しい甚内への気遣いである。

 こうして、一族はみなお華屋敷に集結した。

 

 そして優斎は、祐三郎に、

「もう産婆さんは来ているが、これからの様じゃ」

 の声を聞きながら皆、座敷に座る。

「長くなるんですか?」

 と祐三郎が聞くが、優斎は笑い、

「こればっかりは、私でもわからん。正に神のみぞ知るって事だ」

 おさよも、

「そうそう。どこまでもお華次第よねえ、母上」

 甚内の隣に座っているお久も頷きながら、

「その通りよ。でもお華の事だから、それ程、難産にはならないんじゃないかな」

 おさよの時もそうだった様に、お華もと思っているようだ。

 さすがに経験者は、落ち着いて話す。

 皆、座り、おゆきとおきみが用意した、お酒と軽いツマミを並べていると、

 お華の苦しみの小さな声が聞こえた。

 この頃の女の人は、出産の時でも痛みで声を上げる事は、控えるのが常識となっていた。

 しかし、そうは言っても無理なものは無理である。

 優斎は、浩太郎に、

「始まった様です!」

 浩太郎も、うんうんと頷く。

 おゆきとおきみも、配膳が終わると、直ぐに寝所に入っていく。

 すると、お久の予想通り、意外に早い出産となった様だ。

 声もそれ程出す事もなく、間も置かず、早速、誕生した様だ。

 戸を開け、おかよが顔を出し、

「無事に生まれました。男の子です!」

 と教えてくれた。

 浩太郎と新之助など皆、武家だから余計に、男子誕生に大きな歓声をあげる。

 おさよとお吉も、涙ぐみながら「良かった、良かった」と涙ながら満面笑みだ。

 早速、おかよが優斎を呼び、臍の尾をと思ったが、ここで向こうから、産婆の声が上がる。

「まだよ! もう一人居る!」

 である。

 襖を一枚隔てた状態だから、様子と声が聞こえ、様子がわかる。

 さすがにこの言葉には、皆、驚愕の顔になる。

 そう、どうやら双子だった様だ。

 これにはおさよも呆れ、

「あの子はこんな事にも勝負を掛けてるの!」

 と苦笑しながら、慌てて産所に掛け入って行った。

 自分も経験者だから、その大変さがわかるのだろう。

 浩太郎も勿論、驚きながら、

「先生? 気づいていたかい?」

 優斎は大きく手を振り、

「いやいや、こういう事には私にもサッパリ。確かに、ちょっと大きいお腹だねと産婆には言われ、むしろ難産になるのでは? と恐れていたぐらいですよ」

 とこちらも呆れ気味である。

 ところが、お吉は冷静に呆れ、

「これで四人目? 目出度いけどどうするのこれから、赤子が四人よ?」

 と言った時に、皆の耳に寺の鐘の音が鳴り響く。

 座っているノブが、

「除夜の鐘?」

 と言うから、祐三郎も含み笑いで、

「姉上は、芝居じみているな~」

 と笑い、そして思わず、

「There Must Be an Angel」と呟いた。

 隣に座っている新之助は怪訝な顔で、

「祐三郎さん。それは何です?」

 と言うと、祐三郎は笑って、

「これは我が国の言葉で言うと「天使がいるに違いない」という意味です。アメリカに行った時覚えたんですよ。子供が無事に生まれた時、そう言って神に感謝するんです」

 新之助は、ほ~と感心し、

「天使か……。叔母様だったら、正にそんな気がしますよ。色んな意味で」

 などと言うから、二人は大笑いしている。

 しばらくすると、赤子の泣き声が、また、屋敷中に響いた。

 もう一度、おかよが顔を出し、

「今度は、女の子です! お姉ちゃんの誕生です!」

 双子の場合、この頃は後から生まれた方が上となる。

 つまりお姉ちゃんである。

 またも、優斎に(ちく)(とう)(へその緒を斬るのに使用)での処理を頼む。

 そこで慌てたのは信吉である。

「あ、桶も竹竿も足りませんね!」

 などと言うのだが、浩太郎は笑いながら、

「うちだって双子だったんだから、屋敷に行けばまだあるよ」

 と言われ、「分かりました!」と慌てて、庭に出て八丁堀へ走って行く。

 寝所では、おさよがお華の顔の汗を布で拭ってやりながら、

「双子だって。あんたも負けない性格だね~」

 と言われたが、お華もさすがに披露困憊で力は無く、声も無く笑ってしまう。

 やはりおさよと同じく、二卵性だった様だが、今の彼女らにその違いは分からない。

 産婆は、早速、乳の具合を図る。

 今で言うマッサージだろう。

 超特急で信吉が戻ってきて、産湯の用意が出来ると、おかよと、お秋がおさよの指導の下、身体を軽く洗っている。

 そして、それが終わると一人ずつ初乳を与える。

 部屋へ様子を見に行った優斎は、お華の顔を見て驚いた。

 微笑を浮かべるお華の顔が、慈母観音か、時代が違うのならマリア様と言うような、いわば神を感じた。

 優斎は一人で微笑み頷く。

 お華は生まれた時から家族が居ない。

 彼女にようやく家族が出来たのだ。それを知っている優斎も微笑のまま、その様子を眺めている。

 乳の飲み方は順調だった様だが、赤子達も人生最初の難事業で疲れたのか、既にスヤスヤ眠っている。

 そして、とりあえず既にいる赤子、隣部屋の赤子二人の間に、おゆきが一つ布団を敷き、そこに丁寧に抱いて連れて行き、寝かせる。

 浩太郎と甚内は、腕を組みながら、その二人を眺め、

「うん。壮観じゃ」と笑みを隠せない。

 お久も、心から嬉しそうに微笑んでいる。

 出てきた優斎も、何とも言えない表情である。

 すると優斎は、祐三郎に、

「三郎。済まないが、伊達の便で、母上、兄上にこの事、手紙でお伝えしてくれないか?」

 と頼むと、祐三郎は笑って、

「兄上! 父上はまもなく江戸に参ります!」

 などと言うから驚いて、

「え? 兄上が江戸に?」

 祐三郎は改めて、

「実は、今回の事で、伊達のお殿様は、お上から留守居を命じられましたそうで、その為の、増援として仙台からやって来ます。父上は勘定方ですが、念のため……と言うか、姉上がこの状態なので、それも兼ねてやって来る様で。ですから、今から手紙書く必要も無いでしょ」

 それには、優斎も喜び、

「お~、あまり物事は喜ぶべき事ではないが、我が家にはちょうど良い事じゃ」

 それを聞いていた浩太郎も大笑いで、

「先生。不幸中の幸いとはこの事だな」

 優斎も大きく頷く。

 そして優斎は立ち上がる。

 そして、またお華の所に行って、産婆に産褥の具合を聞くと、彼女も笑顔で頷いている。

 それを確認し、改めてお華に、

「ご苦労様」と笑顔で頭を下げると、お華はとても嬉しそうに微笑んでいる。

 続けて、

「では、私は早速、ご了解取りに行ってくるよ。ゆっくり休んでてくれ」

「はい」とお華は静かに目を閉じる。

 おかよに後の事を頼み、優斎は早速、両国橋方面に向かって走る。


(5)


 近くなった姉小路の屋敷は、本所である。

 優斎は、そこに行き、門前が閉まっているので、そこから大声で、

「夜分申し訳ありません! 医者の優斎にございます。勝光院様に御報告とお願いがございまして参りました。御開門願います!」

 と叫ぶ。

 一応、元、旗本屋敷だったので、門を閉められると、やはり厳重である。

 しばらくすると、

「は~い」と女の声が聞こえ、脇の通用口の閂が開けられる音と「優斎様ですか?」との声がした。

 出てきた、下女おしのに優斎は頭を下げ、

「はい左様にございます。勝光院様、いや姉小路様に御報告に参りました」

 と言うと、彼女も既にその頃と知っていた様だったから、

「とうとうお華さんの?」

 優斎は笑顔で頷き、

「その通りにございます」

 と言うから、彼女も笑顔で門の潜り戸を開け、

「やっぱり! どうぞどうぞ、お入りを」

 と言って、

「お伝えしてきますので、少々お待ちを」

 彼女は、そそくさと部屋に上がり、姉小路の元へ急ぐ。

 当然ながら、彼女も、今か今かと待っていたに違いない。

「もう、こんな格好じゃが、優斎ならよかろう。直ぐ会おう」

 と寝間着のまま、綾瀬とおるいも付き添って、居間に行く。

 もうそこでは、優斎が平伏している。

「これはこれは、姉小路様、綾瀬様。夜分遅く、誠に申し訳ありません」

 姉小路は微笑みながら、

「なんのなんの、こういう事は仕方が無い。待っておったのじゃ。で?」

 早速聞くから、優斎も笑顔で、

「無事、生まれました」

 と、そのまま平伏する。

 姉小路は歓喜の声で、

「おうおう、それは何より。で、男か? 女か?」

 と聞くのだが、優斎は、

「まずお聞き下さいませ。本日、御報告に参りましたのは、それと同時に、姉小路様にご了解を頂きに参りましたのです。名前についてにございます」

 姉小路は少々驚いて、

「何、名前? 一体どういう事じゃ?」

 優斎の口元が少し笑い、

「はい。女子、長女が生まれました。この子の名前ですが、以前、姉小路様に姉の子、七重とお授け頂いた時のもう一つの名前、八重と付けたいと存じます」

「何じゃ、女の子か。それなら八重は、あの時にも申していた事。何の遠慮はいらん。女の子か。良かったの」

 と笑ってくれたが、しかしそこで綾瀬が、

「お待ちなさい、今、長女と申したな、まさか?」

 と聞く、さすがに綾瀬は元お局。聞き逃さない。

 優斎も、大きく頷いて、

「その通りにございます。実はもう一人。男の子も誕生したのです!」

 と彼自身の嬉しさも手伝ってか、些か大きな声で言うと、姉小路は驚きの顔で、

「双子か?」

「はい。その通りにございます」

 と再び、頭を下げると、他の二人も大きく驚く。

 おるいが、

「お華さん、双子産んだのですか、しかも男と女と!」

 とこちらも驚きの表情である。

 もう姉小路は、笑顔を隠すでも無く、満面の微笑みで、

「たしか、おさよも以前、双子であったな」

 優斎は頷き、

「そうなんでございます。幾ら義理の姉妹とは言え、そこまで似なくてもと、私でさえ驚いていまして、おさよさんなどは、相変わらず負けず嫌いだと仰る有様で」

 うんうんと、姉小路と綾瀬も笑いながら頷く。

 そして優斎は、

「で、長女の八重につきましては、すでにあの時に決まっていましたので、仰る通り、ご許可もいらないとお華でさえ言っておりましたが、生まれる前はさすがにどちらかわかりませんでしたから。問題は男の子の名前です。私は長男ではありませんから、縛りもございませんし、お華が是非にと言うので、こうしてお願いに上がったと言う()()です」

 姉小路は少し驚き、

「しかし、わらわに許可とは一体、何じゃ?」

 優斎は、また姿勢を正し、

「我が長男には、(とし)()(ろう)と付けたいのですが、姉小路様、お許し下さいますでしょうか」

 と平伏する。

 皆は一瞬、考えが止まる。「敏次郎?」と言う事である。

 しかし、さすが姉小路は直ぐ気が付いた。

 昔昔、「敏次郎様!」と自分で言っていたのを思い出したからだ。

 姉小路は、

「まさか、それは十二代様のお名か?」

 と言うと、優斎は大きく頷き、

「はい。実のところ、私にとりましては余りにも恐れ多いと思っていたのですが、お華が、自分が大奥に上がった時、お世話になりご褒美まで頂いた将軍様。どうしてもと聞きません。ならば姉様にお許しを! などと申すものですから……」

 綾瀬さえ、気が付かなかった。

 敏次郎とは十二代将軍、徳川家慶の幼名・通名であった。

 しかし、姉小路は以前から大奥に居たので、よく知っている。

 というか、後年、その頃から何かあったのではと言われるぐらいである。

 姉小路は至って速やかに、

「かまわぬ。それは幼名で通名じゃ。これぐらい、どうこう仰る上様ではあるまい」

 と珍しく、些か、目元に涙もうっすら。

 優斎は途端に微笑み、

「今となっては、その時の上様付き大奥総取締の姉小路様にご許可を頂戴するしかございませんでした。誠にありがとうございました」

 と深く深く、頭を下げる。

 姉小路は、綾瀬に、

「あの十二代様を覚えていてくれ、そして我が子に名前を付けるとは、考えて見ればありがたい事じゃ。亡き上様も喜んでおられるであろう」

 と万感の思いで、言った。綾瀬も大きく頷く。

 そして、

「お華とそなたの子なら、きっと元気に育ってくれるじゃろう。よいよい」

 と頷いている。

「だが……」と言うから、優斎は顔を上げると、姉小路は些か妙な顔で、

「お華に任せっきりにすると、それはそれで大変な事になりかねないぞ優斎。気を付けよ」

 と今度は笑いながら言うから、綾瀬もおるいも、そして優斎まで大笑いしてしまう。



※※※つづく※※※






 今回もお読み頂きありがとうごさいます。


 さて、とうとう、お華に子が出来ました。しかも双子。

 まあ、この事は最初から考えていた事ではありますが、書く方もなかなか大変。 無い記憶を引き摺り出しております。


 そして題名は、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、ユーリズミックスの曲、

「There Must Be an Angel」から取りました。

 お華には初めての家族の誕生。そして彼女にはピッタリだと思ったからです。


 it's a multitude of angels 天使がたくさんいるよ

And they're playing with my heart 天使が私の心を奏でている

【Chorus】

Must be talking to an Angel 天使と話しているんだ


 ユーリズミックスは、普通はボーイッシュで短髪のボーカル(アニー) で、女性にも関わらず、少々攻撃的で、ダークな曲が多いのですが、この曲だけは、女性的でスティービーワンダーも参加した素晴らしい曲で、最初のスキャットが、私は大好きです。

 だから、江戸時代ではありますが、お華のこの時にはこれって決めていました(笑)


 実は、双子というのはこの時代、あまり歓迎される事ではありませんでした。

 特に武家・公家では。

 勿論、女の子なら、その様な事はありませんが、男の子であれば大変です。

 何故なら、御家相続が絡んで来るからです。

 これは江戸時代だけで無く、それ以前から、殺し合いを含む争いの元となっていました。

 だから、次男とされると直ぐに出家させられるか、或いは、家臣に子として引き取られる。最悪の場合は川に沈められるなど。何かと不遇・悲惨でした。

 しかし、浩太郎・お華の場合は武家とは言っても、身分的には下級武士ですから、そこまでの事は無く、今と同じ様に、歓迎されていた様です。

 しかもお華の子ですから、そんなこと言ったら、自分が悲惨な目に遭うでしょう(笑)

 

 さて、お華に子供が生まれようと、幕末は容赦なく進行しています。

この時に生を受けた子供達は、今後、小さいながらもその波を被ることになります。

 

 今回もお読み頂きありがとうございました。

 次回もよろしくお願い申し上げます。

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