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お華の髪飾りⅡ  作者: 本隠坊
43/65

㊸ Sing・Sing・Snipe

 この物語はフィクションです。

 登場する、人物などは架空でございます。

 また、歴史的な出来事に沿って進めていますが、

 事実・史実とは異なる部分があります。

 どうか、ご了承ください。

(1)

 

 将軍・徳川家茂は、京都に上洛してから、既に三ヶ月を過ぎようとしている。

 この日、お華は江戸城大奥の、和宮様御前へ挨拶に行った。

 すると、同じ部屋に瀧山も控えていた。

「おはようございます。宮様。拝礼の方はもうお済みで?」

 と笑顔で聞くと、和宮は満面の笑顔で頷き、

「お華。実はな。上様がもうそろそろ戻られるらしい」

 それにはお華も驚いた。

 あれから、まだ三ヶ月しか経っていないからだ。

 その意外な速さにである。

 しかし、知らせによれば、やはり朝廷の圧迫で「攘夷期限」をとうとう決めてしまったらしい。

 その後、将軍は帝の賀茂神社参拝に同行などをして、過ごしていた様だ。

 勿論、それらには新撰組など将軍家警護の者が、常時御側に付いていたが、ある時、平伏している観客の中から、まるで芝居の大向こうの様な掛け声が聞こえたそうだ。

「よ! 征夷大将軍!」

 の掛け声である。

 これは、長州の高杉晋作が、将軍を揶揄うべく声をかけたらしいと言われているが、しかしこの時、将軍は帝のお付き添い。

「無礼者!」ではあるが、そう言った時に下手人逮捕劇を行うには、帝に対して失礼に当たる。

 やむなく護衛の侍達も、悔し顔を浮かべながら我慢したそうな。

 まあ、その様な不快な出来事も数々あって、朝廷が引き留めるのも聞かず、さっさと江戸に帰還することにした様だ。

 ただ、和宮はそんな事情までは知らないから、ただ単に上様ご帰還を喜んでいた。 

 お華も素直に、

「これは誠におめでとうございます。とりあえず、私は御役御免と言う事でございますね」

 と笑って答える。

 すると和宮は、

「お華。実はな、上様ご無事でお帰りと言う事なので、お戻りになったら祝宴を開きたいと思うのじゃ」 

 これもお華には少々意外な言葉であり、首を捻る。

「何故それを私に?」と言う事である。

 それはそうと、京都から来る時は、最後まであれほど嫌がっていたくせに、今となっては、誰よりも心配していた新妻になっている事にも驚きである。

 微笑ましい事ではある。

 それはともかく、そう言われてもお華は何とも言えない。

 すると、和宮は、

「お華のところの者で歌・踊りなどで、お上をお慰めして貰いたいのじゃ」

 と言うのだ。

 そうなると、お華はすぐ考えが浮かんだ。

 お華はすぐ、横に居る、瀧山に、

「瀧山様もそれで?」と構わないのか聞くと、瀧山にしても、あえて反対するような事でも無いので、笑顔で頷く。

 するとお華は、

「では瀧山様。そういう事でしたら私共の芸者連中と一人、男の芸人も連れて来たいのですが……」

 しかし、さすがにそれは瀧山も、困った顔で、

「お華……お前も知っておろう。大奥には……」

 と言いかけたが、お華は途中で手を上げて止め、

「その男。三味線の名手なのですが、実は全くの盲目なのです」

 これには瀧山も驚き、

「盲目? 目が見えないのに三味線の名手と言うのか?」

 そこでお華も少し、イタズラ坊主の様な笑顔で、

「そう言われると、瀧山様も少し、興味が湧くのでは?」

 それは宮様にしても意外な話である。

「お華、その者は検校なのか?」

 お華は首を振って笑い、

「宮様。庶民が検校になるには、七百両も掛かるのです。家に間借りしている者にそれだけの金がある筈がございません。ただの目の見えない者にございます」

 そしてお華は瀧山に、

「目が見えないのですから、大奥の女達、誰も気にする必要がございません。ただ、その腕には、大奥の女達は卒倒してしまうかも知れませんよ。上様のご祝賀と言う事であれば、それぐらい驚きがあった方が、上様も喜んで頂けると存じますが?」

 そこまで言われれば、瀧山も何やら嬉しくなり、

「良かろう。係の者に言い付けておこう。当日は使いをやる」

 お華も、

「瀧山様、そして宮様。お許しありがとうございます」

 と、頭を下げ、とっとと城を出て、屋敷に帰って行った。


(2)


 帰る途中で、お華の頭の中では出し物が既に決まっていた。

 帰ったお華は、すぐノブを含め皆を呼ぶ。

 おゆきが、お吉と一緒に、

「どうしたんです姉さん。そんなに慌てて」

 身重のサキはそのままに、ノブや、おかよと優斎は一緒にやって来た。

 優斎は、さすがに、

「何か、お城であったのか?」

 と真剣な顔で聞くが、お華は笑顔で、

「実は、この程、上様が江戸にお帰りになるらしいのよ」

 もっとも、おゆき達はお華が大奥に行っているのは知っているから、さほどの驚きも無く。

「おめでたい事ではございますが、それがどうなさったんです?」

 と聞く。

 お華は頷いて眉を寄せ、

「宮様のお申し付けにより、上様ご帰還の宴席に、私達を呼んで下さったのよ!」

 と言い放つ。

 それにはさすがに、おかよが、

「私達って、私もですか? 御台様のお席に?」

 お華は大きく頷いて、

「勿論よ、あんたとお秋は、なんちゃって芸者だけどさ。実は、本当の芸者よりも腕は上。そして、女将さんも手伝って貰うわよ」

 と言うから、お吉は殆ど倒れかけ、

「私もかい? お城だろ? 私なんか行っても……」

 しかしお華は、

「だめよ、お母さんには歌を歌って貰わなきゃ。深川節なんか()()()でしょ」

 お吉は驚き、

「え~まぁそりゃそうだけど、本当に良いのかい?」

「良いに決まっているでしょ。今は無き深川芸者の大先輩なんだから。最後の大舞台になるかも知れないけど、場所に文句はないでしょ?」

 お吉は、涙が零れた様で口を手に泣いている。

「そして」

 と、お華はノブに顔を向け、

「あんたもよ。ノブさん」

 ノブは大奥だから、出番は無いと思っていたから、口を開け驚愕している。

「あっしも? で、でも……」

 それにはお華は笑い、

「あんたには気の毒な事だけど、こういう時はあんたの得な時よ。盲目だから、大奥の連中も一切気にしなくて良いからね。でも、あんたの三味で、絶対驚くと思うよ。私はね。実は驚かせたいのよ。この人にあんた達敵うかい? てね」

 と大笑いだ。

 するとお秋が、

「わ、私は?」

 と聞くから、お華は、

「当然、あんたは一番始めに驚かせて貰わないとね。分かるでしょ? 宮様は帝のお妹様。当日は姉小路様もいらっしゃると思うから、絶対に驚く。あとは篠笛で、ノブさん合わせてやって貰うわよ。そして、おかよさんは、ノブさんを導く役。そして最後に、私とおゆきと一緒に深川節を踊って貰います」

 すると優斎が、

「おいおい、上様のご祝賀だろ? 上様もいらっしゃるのではないか?」

 それにはお華も首を傾げ、

「こればっかりは、ご本人に確認しないと何とも……。でもね、私はお出でになると思うわよ」

 と言うから、女達は驚きの声を上げる。

 特に、おかよとお秋には信じられる話では無い。

「まあ、御簾を張って、それ越しかも知れないけど。でも大奥ではね。意外とそのままだったりするからね。皆もその辺は、あなたたちもお顔は見なかった事にして、ご無礼の無い様に勤めて頂戴!」

 それには優斎が笑い、

「んなの。ご無礼なんかする訳ないだろ。やることをしっかりやればそれでお喜びになるよ」

「そうね」

 とお華も納得した。

 と言うことで、思わぬお華の公演企画の発表に、女達は突然の猛練習に入る。


(3)


 さて、当日である。

 前日、将軍・家茂が無事、江戸城に帰還した。

 この時。帰りは勝海舟の案内の下、船で帰って来た様だ。

 実はこの事、船での帰還など江戸時代初の事である。

 

 そして一方、屋敷にはお城から、駕籠が廻されていた。

 勿論大奥専用の豪華な駕籠だ。

 こんな事は初めてだから、余計に緊張感が高まる。

 それを平川門前で降りて、梅林坂を登る女達。

 生まれて初めて通る道。

 話には聞いていたが、実際に通ると、なにやら更に緊張感が増してくる。

 お吉に至っては、一番の年長者。

 そしてこの女将でありながら、この時も小さな発声練習を繰り返している。

 さすがに瀧山自ら命じてあるから、何の支障も無く。お華達は、簡単に大奥大広間に通された。

 お華一人前に座り、他は後ろに一列に並んでいる。

 前には既に、姉小路と天璋院が座っていた。

 お華が一礼すると、皆、お華に笑みを向ける。

 この日ばかりは、大奥の女達も特別な日となっており、左右に座ってお華達に目をやりながらガヤガヤしていた。

 しかしこの時、ノブがおかよに導かれ現れると、さすがに驚きの声が上がる。

 ただ、手を引かれるノブとその様子を見て安心はした様だが、この男。一体何しに? という思いがそれぞれ顔に出ている。

 とは言え、ノブは両手で袋に被せた三味を二本、持っているから、分かる者にはすぐ分かる。

 お華と姉小路は、そんな女達の発する違和感を抱きながら笑みを浮かべる。

 その時、とうとう宮様が現れた。そしてなんと、お華の読み通り将軍・家茂も一緒に現れた。

 当然、お華達は一斉に深く平伏する。

 お秋は自分の余りな現実に、信じられないといった表情を畳に向けている。

 おかよにしても、二人は以前、吉原の女だったのだ。

 こんな事は、夢にも思っていなかった事。それが今現実だ。

 先頭に座るお華は、落ち着き払って、

「宮様。仰せにより参上致しました。お食事、お酒のご用意も出来ているご様子。どうぞ本日はお気楽に、お食事しながらお楽しみ頂ければありがたく存じます」

 現代で言えば、ディナーショーというところか。

 お華は微笑みながら、少し顔を傾け

「そちらのお侍様。何でも遠くからお帰りになったとの事。どうかひととき、御一緒にお楽しみ頂ければありがたく存じます」

 と、言って平伏する。

 お華は直接の言葉は使わなかった。御簾も降ろさない本人だ。その辺は礼儀だと思っているのだろう。

 家茂も、その配慮に喜び、

「その方がお華か。勝に聞いておる。本日は私の為に宮様と一緒に考えてくれたとの事。楽しみにしていたぞ」

 お華は顔を上げ、

「勝様ですか~。あの人は何を申し上げたんだか。まあ、話半分とお思い下さい」

 これには皆笑みが零れる。そして、

「この度は誠に、ありがとう存じます」

 と平伏する。

 お華は、将軍の顔を間近に見て、和宮が惚れてしまうのも分かる様な気がした。

 さすがに将軍になるような男は、公家と変わらない顔立ち。

 さらに彼は若いから、彼女が喜ぶのも理解できた。

 

 そして、まずお華は、

「お秋。こちらへ」

 と言う。

 お秋はおかよと一緒に、お華の位置まで進む。そして、おかよが敷いた座布団に座り、再び平伏である。

 お華も横にずれて座り直した。

 お華はふと、後ろに並んで座っているお吉のその姿を見ると、まるでお華が子供の頃に憧れた時の深川のお吉姉さんに思えて嬉しかった。

 おかよは、また中腰の状態で、元の位置に戻る。

 するとお華は、

「まず、ご紹介致します。この女、津軽の生まれにございます。今は私のところで修業をしております。本日は、何の催しか忘れてしまいましたが……」

 居並ぶ女達から、再び微かな笑いが零れる。

「まずは、そちらにいらっしゃる宮様・天璋院様・勝光院様に捧げまする曲から、ご披露したいと存じます。そちらの旦那様? よろしいですか?」

 お華はあくまで、それを通すから家茂も笑ってしまい、

「当然じゃ。で、最初は何じゃ?」

 と、光り輝く盃を傾けながら言った。

 お華は頭を下げながら、

「お三方に共通することは一つにございます。それではお聞き頂きます。雅楽、

「越天楽」独奏にございます」

 と、再び頭を下げる。

 その瞬間、和宮はお秋が手にした、以前見た覚えがある笛を見て驚いた。

 姉小路も、心の中で、まさかここで越天楽などとはと驚愕している。

 天璋院も知っている筈だが、彼女は島津家から近衛家に入っているから、今一、敏感に反応出来なかったが……。

 トップバッターの緊張の中、お秋は目を閉じ、大きな呼吸を一つして、早速、笛を吹き上げる。

 最初の笛の音を聞いて、和宮と姉小路は大きな目をし、声には出さないが

「お~」と叫んでいる。

 さすがに始まると、天璋院も気づいた様で驚いている。

 そして、家茂も知っていたらしく、唸っている。

 姉小路は、お華に目をやり、

(さすがじゃ、お華)と含み笑いで何度も頷いている。

 

 そして、それが終わると、今度はノブの登場だ。おかよに導かれ座布団に進む。

 家茂は、まさか男が居るとはと同時に、盲目と分かるノブを見て、二重に驚いている。

 まあ、長い日本の歴史上、盲目の琵琶弾きなども過去に存在しているから、それ程珍しい事では無いが、実際に目の前で見ることは初めてなので、興味津々である。

 するとお華が、

「そちらの旦那様は、紀州にご縁があるとお聞きしておりますが、喜んで頂ければ幸いに存じます。そうです。この盲目の男が、津軽の女と、歌を元深川の芸者でお送り致します。「伊勢音頭」にございます」

 それには、さすがに家茂も驚愕した。

 そして、合図と共にノブは、いつもの通り、まず一音を響かせる。

 それは大奥大広間を震わせる。

 聞いている大奥の女達の中には、三味を弾くことを専門にしている者も居るので、特にその者達には、それだけでノブの技量が分かった筈だ。

 ♪伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 紀州和歌山城でもつ♪

 と、少し歌詞を家茂の為に変え、気持ちは芸者に戻っているお吉は歌う。

 それにしてもノブの三味線には、和宮でさえ驚愕だ。

 そして、聞いている、大奥で三味線を弾く連中は、余りの上手さと音の響きに打ちのめされている。

 もちろん、それはお華の計算上にある反応。

 驚かない訳が無い……と言う事だ。

 それが終わると、皆、盛大に拍手を送る。

 家茂も満足の様子でニコニコしている・


 そして今度はノブ一人となった。

 お華は、

「それでは、本日の真打ち、ノブの三味、いや津軽三味線を聞いて頂きます」

 と言うと、どこからか女の声が上がった。

 恐らく津軽藩から大奥に上がった女なのだろう。そりゃ驚く。

 そして、お華は、

「こちらのお城の主様は我が国諸方を治めるお方。いくら北の端と言われる津軽であろうとも、その曲も一度は聞いておいても良いと存じますが、姉小路様如何でしょう?」

 と笑いながらお華が聞くから、姉小路も微笑みながら、

「それは尤もな事じゃ」と頷く。

 そしてお華は、

「え~そちらの旦那様も、ご異存はございませんでしょうか?」

 もう和宮もそれには笑ってしまう。

 勿論、家茂も、

「く、苦しゅう無いと思うぞ」

 と合わせてしまう。

「それではお聞き頂きます。「津軽じょんがら」にございます」

 これにはまた、向こうの女から声が上がる。

 お華は微笑み、じゃ、とノブに声をかける。

 ノブは頷き、調弦をしながら音を響かせ、弾き始める。

 思う存分、津軽三味線を叩き鳴らしている。

 さすがにこの音は、この頃江戸、いや他の土地でも滅多に聞く事はない。

 今、この中でも知っている者は殆ど居なかっただろう。

 勿論、紀州出身の将軍・家茂も初めて聞くものだから、驚くばかり。

 そして、津軽出身の者は涙ものである。

 

 とうとう、用意の出し物は終わった。

 お華は少々近くに寄って、頭を下げ、

「旦那様、ご満足頂けましたでしょうか?」

 言うのだが、和宮が笑いながら、

「お華、もうそれは良い。本日は無礼講ですよね、お上」

 と優しく聞くと、

 家茂は笑って頷き、

「だいたいそなたは、先の将軍、順徳院様(十二代将軍・徳川家慶)からお目見えを許されてるという話ではないか。遠慮はいらん」

「あらら、これは改めなくては……」

 と、改めて一度、平伏した。

 すると家茂は、

「お華。そなたは手裏剣の名手だと、御台や勝も言っていたが、本当か?」

 この言葉には、お華も若干驚いたが、宮様は笑顔だ。

「はっ、本の少々、あくまで自分を守る為にございます」

 と頭を下げるが、

「見てみたいの~。手裏剣なんぞ話は聞いたことがあるが、実際に見たことがない。一つ見せてくれんか」

 などと言われ、上様の所望とあっては、さすがのお華でも逃げる訳にはいかない。

「それでは」

 お華は斜め横を見て、それから近くの方に座る中臈に、

「申し訳ありませんが、あちらの京行灯。火を付けたまま傘を外して頂けますか?」

 と、頼むとその中臈も「はいはい只今」と、早速斜め奥で灯っている行灯に向かう。

 両側の女達も、意外な展開で、興味深く、様子を伺っている。

 するとその間にお華は懐に手を入れながら、

「天璋院様、姉様、そこから動かない様、お願い致します」

 と言うと、天璋院は何が始まるのか? といった顔だが、姉小路は薄々分かっているので笑顔である。

 後ろのおかよ達も、だいたいの想像は出来るのだが、上様目前でやろうとするお華に驚いている。

 そしてお華は、上様に、

「それでは、お見せ致します。初めに申し上げますが、若干、お部屋に傷が出来ますがご容赦下さいませ。それではあちらの炎をご覧下さいませ」

 家茂が頷いたと同時に、まず一本。右手だけ素早く振り上げる。

 それは、天璋院・姉小路の間を、正に矢のように走り、蝋燭の炎を簪に載せ、後ろの壁にぶち当たった。

 一斉に歓声があがる。

 姉小路はともかく、天璋院は振り向き驚愕している。

 するとお華はまた、

「もう一本参ります!」

 と、再び右腕を高く舞い上がらせた。

 これも同じく、突き進み、先程の簪と並んで同じところに、しかも火を消して、突き刺さった。

 これには、家茂もさすがに驚愕し、目を丸くして、

「見事じゃ!」と声を上げる。

 先程の女に簪を抜くように頼み、お華は平伏した。

 これはかつて、北町奉行だった遠山にも見せた、お華得意のお家芸であった。


 そして、

「如何でしたでしょう。本日はお楽しみ頂けましたか?」

 側に寄って来た、姉小路と天璋院も笑顔で、姉小路は、

「お前さんは、相変わらず驚かせるのが好きだの~」

「いえいえ、姉さま。宮様如何でしたでしょうか?」

 和宮は頭を振りながら、

「まさか、越天楽なんぞここで聞けるとは思わなかった。それだけでも充分満足したわ」

 お華も安心した顔で、

「ありがとうございます」

 と平伏する。

 すると一人の中臈が、中腰でやって来て、小声で、

「お華さん。ありがとうございます。わが津軽の懐かしい曲をやって頂いて」

 と頭を下げる。お華は、

「あなた様は、津軽様の?」

「はい、娘にございます」

 それにはお華は笑い、前で聞いている宮様らも微笑む。

「津軽様には大変お世話になりました。あの男の津軽三味線は、あなた様の御祖母様のご遺品なのですよ」

 それにはさすがにその子は驚いて、

「誠に?」

「御祖母様もそれは津軽の曲がお好きだったようですね。今のお殿様は、しっかりと跡を継いでくれるならと授けて頂いたのです。よろしかったらあちらで、是非、ご対面下さい」

 その中臈は満面笑顔で、「ありがとうございます」とノブの元に行った。

 大奥の女、特に身分の高い女は日本中各国から来ているので、こういう事もある。

 すると、家茂は、

「お華。今回の褒美を与えたい。まずは今日演奏してくれた者だ」

 などと言うから、お華はノブとお秋を急いで呼ぶ。

 二人は、いきなり上様御前に呼ばれたので、ノブはともかく、お秋は緊張感が最高潮に達している。

 そして二人とも平伏すると、家茂から、

「ノブとやら。そなたには検校の位を与える。そしてその方」

 なんとお秋にも、

「そなたには、大奥の笛教授の資格を与える」

 と言った。

 検校は、盲目の者にとって、平安時代から医療・音楽などで最高の役職名である。

 室町時代、足利尊氏の頃に定着した身分であるそうな。

 本来、検校・別当・勾当・座頭といった四つの位階があったが、通常は当道座に入り、先の四つには各段階があり、検校になるには、73の位階がある。

 お華の言う、700両はそれを駆け上る為のいわゆる賄の様な物で、そんな事もあって、江戸幕府は盲人に金貸しを認めており、どうも清濁併せ飲むといった身分であった。

 ただ、今回は将軍直々の推薦なので、当道座の統率者、惣録検校も嫌とは言えないだろう。なにしろ帝の妹の命令でもあるからだ。


「そしてお華。そなたにも褒美を与えたいが、何が良いかな。もう屋敷は貰っているのだろう」

 しかしさすがにお華は、

「これは誠にありがたい仰せ。しかし、折角ながら今回はこの二人に寄るもの。私は只の道案内にございます。今回はご遠慮を……」

 と続けようとしたら、天璋院が、

「何を申す。上様御帰還のお祝いの席ぞ。その様な遠慮をしてはならぬ。のう勝光院殿」

 頷いた姉小路も、

「天璋院様の仰る通りじゃ。何でも申してみよ」

 と言われるが、お華は本当にそんな事考えていなかったから、恐縮しながら考えるが、ある事が浮かんだ。

 そしてそれを話すと、さすがにそれには家茂と和宮は大笑いして了承した。


 すると、天璋院が、

「もっと聞きたいぞ、お華」と言うと姉小路が、

「そうじゃ、まだ隠して居る物があろう。出しなさい」

 などと嬉しそうに言う。

 要するに、今で言うアンコールを望むので、皆も拍手する。


「では、新検校、大奥教授。例の曲を一曲」

 とお華は二人に命じる。

 二人は笑顔で席に戻り、お秋は篠笛、ノブは細三味線を用意する。

 ノブがまた、いつもの様に一音。

 そして、曲が始まった。

 驚かすにはこれ。

「六段」である。

 これにはやはり、再び皆も驚く。

 特に和宮は、たまに琴を弾いたりもするので、余計に驚き目を輝かせる。

 家茂も、

「これは琴の曲では?」

 と宮様に聞くのだが、宮様はそれどころでは無く、身を乗り出して聞いている。

 この曲も満足頂いた様だ。

 そして本当に最後の曲の為、お華は、それではと、おゆき・おかよを立ち上がらせ、

「では、最後はやはり江戸の深川節で」

 とノブとお秋・そしてお吉には歌を頼む。

 そしてお華は、真ん中で立ち上がり、微笑みながら、スパン! と扇を開く。

 それは、お華が京都で和宮に授けられた、緋の舞扇であった。

 当然、それには和宮も気づき、隣の家茂にそっと話す。

 そして緋扇が空中に踊り始め、三人は、大奥の大広間で、華麗に舞を披露した。

 

(4)


 帰りも駕籠で上機嫌に帰って来たお華一座。

 屋敷まで送って貰ったお華達は、座敷に祐三郎がいるのに目を剥いた。

「何やってんの、さぶちゃん」

 と言うと、祐三郎は両手を腰に当て、些か怒りの顔で、

「待ってたんですよ、ほら」

 と奥に顔を向けると、浩太郎一家が揃っていた。

 あらあら、とお吉が慌てて、「お茶の用意を」と言ったが、おさよが、

「大丈夫。もう自分達でやっといたわよ」

 と言う。

 そして祐三郎は、お華に、

「ほら、お華さんが頼んでいた物、今日届いたんですよ!」

 指を差す。

 それは、座敷の箱の上に置かれている、お華が横浜で見た、そして聞いた蓄音機が置かれていたのだ。

 さすがにお華は満面の笑みで喜び、

「きゃ~届いたの~!」

 と声を上げる。

 ただ、そこには優斎もいて、

 優斎は冷静に、

「お華。まず兄上に本日の事、ご報告しなさい」

 と言われ、お華と一行はまず座敷に上がり、お華は浩太郎とおさよに、

「上様。無事にお戻りになりました。それで、宮様のご希望で、私達皆で芸をご披露致しました」

 するとそれぞれ座敷に座った皆を見回し、

「これほど大勢で、あそこでご披露出来たのは、ひょっとすると最初で最後になるかも知れないけど、みんな満足出来たね」

 その言葉には、ノブ・お秋初め、お吉でさえ、大きく頷いた。

 すでに聞いていたとは言え、浩太郎は驚きである。

「ノブも大奥に入れたのか?」

 それにはお華も頷き、

「むしろこの人ですから、何の問題もありませんよ」

 すると、横のサキが、

「お華さん申し訳ありません。この人まで」

 と言うのだが、お華は首を振り、

「ノブさんがいなきゃ、喜んで貰えないもの。許されて当然よ」

 と言ってのけるが、お華は蓄音機に、今は気が行っている。

 お華は浩太郎に、

「兄上も、もう聞いたの?」

 と言ったが、浩太郎が、

「三郎君、もう少し待ってましょとか言って、まだなんだよ」

 と文句を言うが、優斎は薄々何だか想像出来ていたので、黙ったままだ。

「じゃ、さぶちゃん。皆に聞かせてあげて。本日のご褒美です。ところで何があるの?」

 とお華が言うから、祐三郎はノブ達を皆、前に寄せて、

「皆さんはオルゴールは充分お聞きですよね。あれはバッハという人の曲でしたが、まず、お聞き頂きたいのはベートーベン作曲、交響曲第五番、運命です」

「運命?」

 などとお華が聞き返す様に、お吉以下、何が何だか分からない。

 が、祐三郎はそんなことは全く気にせず、

「これは私がアメリカに行ったと時、実際の演奏を聞いた事がある曲です。その時私は本当に衝撃を受けました。この蓄音機でも充分それはわかります。特にノブさんなんかは驚きますよ~」

 と笑って、そして、

「まずは聞いて見て下さい。あなた方は、この国で一番初めにこの曲を聴く事になるでしょう」

 そして、

「新之助君、お春さんも、もっと近くに」

 と言って、祐三郎はレコードに針を置いた。

 すると、蓄音機上のラッパの様な所から、音が聞こえて来て、当然ながら、例のあの出だしである。

(♪じゃ、じゃ、じゃ~ん!)

 ベートーベンについて、言葉はいらないだろう。

 今でも「楽聖」飛ばれる作曲家である。

 そして、運命が日本で初めて日本の家庭で流される。


 予想通り、皆、驚きで身体を仰け反る。

 特にノブは耳を向けた体勢で、袴を握り締めて聞いている。

 最も、この驚きを予想していたお華でさえ、畳に両手をついて聞いている。

 これは、浩太郎・おさよも同じ。何も言えない。

 ただ、赤ん坊の七重だけが、嬉しそうにケラケラ笑っている。

 お華はようやく、

「凄いわね、これ。その辺で大勢が演奏しているみたいだわ……」

 これには皆が頷く。


 これが終わると、もともと皆、疲労困憊だ。腹も空いている。

簡単な食事が用意され、それを取りながら、引き続き祐三郎は、

「ゆっくりしながらお聞き下さい。今度はオーストリアという国のモーツァルトと言う人が作曲した交響曲第二十五番です」

 とまた曲が始まる。

「さすが国が違うと、ちょっと違うな」

 と浩太郎が言うと、優斎も頷く。

 神に愛される、神が愛すると付けられた「アマデウス」の名を持つ、モーツァルトである。

 モーツァルトの曲の中でも珍しく短調で作られた曲で、短調で書かれているのはこれと第40番のみである。

 その曲には当然、皆、驚愕する。


 そしてお華は、それを聞きながら、前の浩太郎達に身体を向け、

「兄上、姉上。ご褒美の御報告があります」

 と言った。

 しかし、それにはさすがに浩太郎は、

「おまえ! そんな事、お願いしたのか!」

 出過ぎた事をと、些か怒っていたが、お華は、

「そんな訳ないでしょ。将軍様自ら、仰って下されたのよ」

 と軽く躱す。

 それには、浩太郎も多少安心したのか、

「ほう。どういうご褒美だ」

 お華は、ノブとお秋を呼んで、

「将軍様は、ノブさんを検校に。お秋を大奥笛教授にご推薦下さると言って頂きました」

 これには、浩太郎夫婦、なにより身重のサキが驚愕だ。

 ノブとお秋は、浩太郎に頭を下げる。

「ま、誠か?」

 お華は少々面倒臭そうに、

「ノブさんなんかは当然だと思うけどね。ただ、検校になるには金かかるっていわれてるけど、何と言っても将軍様と御台様お二方のご推薦だもん。一文も掛からないわよ。これは本当に助かったわよ。ねえ、ノブさん」

 ノブは笑いながらも恐縮し、

「いや本当に有り難い事です。すべてお華さんのおかげです」

 その言葉には同時に、サキも、

「お華さん。本当にありがとうございます」

 と涙を流しながら、身重なのに頭を低く下げる。

 お華は笑って、

「何言ってるの、将軍様のお陰よ。ま、でも生まれてくる子供にも良い事だからね。それより今聞いてる外国の曲。我が国の検校として、これに負けない様、一層研鑽してね」

 ノブは、素直に平伏する。

 すると優斎が、

「でも、お秋さんは大奥の笛の教授ってなんだ?」

 それにはお華も笑い。

「まあ、おまけだってさ。この子は目が見えるからね。大奥で笛を教えてやれって事よ。もっとも、私、あそこで笛を上手に吹ける人なんか見たこと無いしさ。まあ、何時でも宮様の前で演奏しても良いよって事なんじゃない?」

 お秋は、感極まった様子で、

「私は何と申して良いのか分かりません。でもそれが私の道なのだとしたら、一生懸命やらせて頂きます」

 と頭を下げる。


(5)


 まだ、モーツァルトの切迫感溢れたこの曲は、居間全体に鳴り響いている。

 そして、お華は少々悪魔的な笑顔で、浩太郎に、

「実はね。私にもご褒美を頂いたのよ」

 と言うから、浩太郎は再び本当に怒り出したが、おさよはすかさずそれを止め、

「何を頂いたの? あなた。怒るのはその後よ」

 などとスパっと言われ、浩太郎はブスっと黙る。

 これには「さすが小太刀の名手」と優斎は笑みを零している。


 するとお華は真剣な顔で、

「ご褒美と言っても、私本人じゃないのよ」

 と突然、新之助とお春を側に呼ぶ。

 囲む形になり、お華は、

「私にとは仰ったんだけど、兄上に言われるまでも無く、もう屋敷も貰ってるし、着物は姉様から頂いているからね。それより、この二人にとお願いしたのよ」

 それには、母親のおさよが途端に喜び、浩太郎も意外な顔をして、

「な、何? この子達に?」

 お華は頷き、

「まず、新之助。この子を北町奉行所同心にとお願いしたわ」

 と言うから、浩太郎はひっくり返って驚く。

 新之助も思わぬ話に目を大きくする。

 確かに新之助の年。まだ、今で言う中一ぐらいの年で、奉行所同心本役など普通は有り得ない。

 通常はもう少ししたら見習いにと、浩太郎自身が想像していたぐらいだ。 

 そして見習いを、長い人なら十数年たって、親が引退と決めた時点でようやく本役になる。と言うのが、この頃の一般的な道筋である。

 例えば、与力の佐久間でも、まだ、役目自体には付いているものの、本人は既に引退をお願いしている。だから嫡子が本役となれたのだ。

 相当な期間が普通は必要なのに、お華はもう本役と言っているから、親として嬉しい事ではある。

 しかし浩太郎は、

「お華。気持ちは嬉しいが、お前だって本役になるってのがどういう事だか知ってるだろう」

 と渋い顔で言う。

 それにはお華も笑顔で、

「そんな事分かってるわよ。だからね、とりあえず三年は見習い。問題無ければその時点で本役に。とお願いしたよ」

 それには、浩太郎も少しは安心したが、それでもよく考えれば三年である。

「三年か……。でも大丈夫かな~。俺は心配だぞ~」

 おさよも笑って、

「どうでしょうね。そう言われると、私もちょっと心配よ」

 するとお華は、

「何言ってるの姉上。あの信濃の時。新之助は御台様前面で身体を張ってお守りしたでしょ。御台様もあの子なら私もお願いしたいと言って下さったのよ」

 おさよもそれを思い出し、

「あ~あれね」

 と言うが、それでも笑い出し、

「でも、貴方だって、何時でもそこに戻る準備は出来ていたでしょ。私だってそうだもの。子供だからね」

 お華も、さすがに笑い出し、

「そうそう。本当はね。でも宮様は感心して頂いたみたいよ。でも、そう言われれば姉上だって断れないでしょ?」

 おさよも苦笑して、

「まあね」

「ま、あと三年。兄上が何とか物になるようにしてくれればいいのよ。油断すると、とくぼんみたいになっちゃうよ」

 これには優斎まで笑ってしまう。

 しかし、浩太郎は、

「おいおい、そんなに俺を隠居させたいのかお前は……」

 と一応、了承してくれた。が、

「お奉行にどう言えばいいんだろ。やっぱりお華のお陰でこうなったかね……」

 と浩太郎はぼやいているが、するとお華は笑い出し、

「何言ってんの兄上。同心本役は定周りだけじゃないでしょ。しかもうちにはもう一つ、お役目があるでしょ!」

 と言うから、途端におさよの目が大きく開き、

「お華ちゃん。それまさか高積の事言ってるの?」

 お華は笑みを零し、

「さすが姉上」と言うと、

 大きく目を開いた浩太郎も、大きく目を開き、

「そうか~確かにそれもあった」

 と起き上がって、声を上げる。

 するとお華は、おさよに、

「姉上、お父上は今、お身体壊されているのよね」

 それにはおさよも大きく頷き、

「そうなのよ。お奉行所もお休みしているぐらいだし」

 お華はうんうん頷き、浩太郎に、

「もともと兄上は、お父上の家をどうするかって考えていたんでしょ? まあ今は、家名はともかく、仕事はお父上の後を継ぐってのはどうかしら? 私はそれを上様にお願いしたのよ。もっとも、上様も御台様はさすがに大笑いされて、姉様なんか、なんじゃそれ? って顔してたけどさ。お父上だって、名前はともかく、長年の自分の仕事を実の孫が継ぐと言われたら、きっと大喜びの筈よ」

 と言うと、おさよは手を合わせ喜んでいる。

 お華は更に、

「あの仕事も実際は、町見廻りの様なもんだし、事によれば仕事も重なる。しかも上に与力様もいらっしゃるから命令通りに動けばいい。剣の腕は私も首を捻るけど、基本的にあれは一尺棒を持って町を歩くのが基本だから、それも心配いらないでしょ?」

 浩太郎もさすがにそれには大きく頷き、

「そうだよな~その手があったか~」と感心している。

「まあ剣は、うちの先生にでも特訓して貰って、基本的な事は、お父上に教えて頂く」

 それには優斎も大笑いしている。

 お華は、新之助の顔を見て、

「おじいさまに、信吉と一緒に基本からお聞きなさい。しっかり跡が継げる様にね。おじいさまも今は寝たきりでも、さすがにやる気も出るだろうからね。あとは、兄上。そこのところ父上にご説明してくれれば、兄上も当分、引退する必要はないよ」

 浩太郎も笑顔で、

「分かった。上様直々の御命令なら、否応は無いからな」

「でもね……」と少し小さな声に変わり、

「もしかするとこの先、親子で勤めるのはどうか? とか年番与力様あたりに言われたりするかも知れない。そしたら、すぐあっちの家の養子にしちゃえば良いよ。そうすれば文句は言えないでしょ」

 さすがにお華は、幼い頃から父に手を引かれ、奉行所に通う、いや遊びに行っているから、新之助などより奉行所内部にも詳しい。

 それにはおさよが、

「でもさ、それだと旦那様は誰に……」

 というおさよを手で押さえ、更に小さな声で、

「その時は、新之助を戻せば良いでしょ。そして向こうは、信吉を養子にして全て継がせる。そして七重を嫁にする。これで、最初にお母様が考えていた事と同じになるでしょ。お母様だって、下手に他家の御家人を養子にするより、小さな頃から知っている信吉の方がむしろ安心だと思うし、さらに血も繋がるしね。まあ、これは最後の手段。その辺は兄上が考えてくれれば良いわ。もしそうなれば、亡きお父上みたいに、信吉の将来を心配しなくて済むでしょ」

 七重はまだ赤子なのに、もう嫁が決まって気の毒だが、これが武家の社会。

 浩太郎も大きく頷き、優斎に、

「これ、まるで優斎さんの家みたいな話だな」

 と笑って言う。

 祐三郎も、長男の子供がいないため、養子になった判断と似ているからだ。

 優斎も些か困った顔で、

「申し訳ありません、兄上」

 と頭を下げるが笑っている。

 お華は、新之助に、

「分かったね新之助。これは上様御直々のお許しを頂いた事だから、上様のお顔に泥を塗るような真似、御台様のご期待に背く事はしてはいけません」

 新之助も事の重要さが理解出来た様で、お華に頭を下げる。

 

 すると、お華は、

「そして、もう一つ!」

 と言う。

「まだあんのか、お華」

 浩太郎は呆れながら言う。

 お華は大きく頷き、

「姉様がね。新之助だけではお春が可哀想だと言うからさ。双子だからね」

「え~お春もか?」

 当然、浩太郎、いや、それよりお春本人の方が驚く。

 お華はお春の顔を見ながら、

「実はね。大奥に上がりなさいって」

 それには浩太郎夫婦も驚愕だ。

 そしてお華は、

「あのね。これは私からお願いしたかった事なの」

 おさよが、眉を寄せながら、

「ど、どういう事なの?」

 お華は頷き、

「宮様のお部屋に、御台付きの下働き扱いでお願いしたのよ」

「え? よりによって宮様? そんな恐れ多い所、大丈夫なの?」

 と聞くが、お華は、

「宮様はお春が新之助の双子の妹とお聞きになって、快く引き受けてくれたわ。まあ」と少し笑って、

「二代目・姉小路としてね」

 などと言っている。

 すると浩太郎が、

「しかしお城とは……。いやいや、もし事が起こったらお城が狙い撃ちされるって言ってたのはお前じゃないか」

 そう言われるとお華は頷きながら少し笑って、

「確かにもし戦争になったら、品川からまず狙われるのはお城よ。でもね、それは距離を考えると、どこまでも本城か三の丸。それより、いち早く御台様をお連れして、北か西詰橋を渡り、(ふき)(あげ)に行って紅葉茶屋にでも逃げれば、宮様も安全になると思うし、同時に一緒にいれば、この子も命を無くす事はないでしょう? 姉上」

 それにはおさよも大きく頷き、

「そうね。あそこだったら目立たないしね」

「そう。あの時の火事と同じ要領よ」

 しかし浩太郎は、

「しかし、それで本当に大丈夫なのか?」

 お華は余裕の顔で、

「逃げてしまえばお春の勝ちよ。さすがにそれ以上は攻めてこないと思うからね」

 それには優斎も頷き、

「なるほど、一番危ない所が、実は一番安全って事か」

 お華も頷き、

「そう。だから最初は、姉上に付き添って貰って、そこのところを徹底的に教えてやる」

 おさよは、

「やっぱり私か」

 と大笑いだ。

 お華も笑って、

「だって、あの時の火事の事、知ってる女はもうあそこには居ないもん」

 優斎は少し笑い、

「それは、単なるご褒美とちょっと違った事考えてないかい? お華」

 お華は大きく頷き、

「実はね、兄上。姉上。やはり上様は、今年「五月十日」に攘夷の期限を定められた様よ」

 これには、浩太郎ら三人は驚愕の顔だ。

「本当か? お華!」

 とこれは優斎。お華は頷き、

「そうよ。恐れていた事が起きてしまったのよ。そうそう、さぶちゃ~ん?」

 と、突然遠くからお華に祐三郎が呼ばれ、お華は、

「ねえさぶちゃん。横浜に軍艦が結構な数入って来たって言ってたわよね?」

 それには近くに座った祐三郎も、

「ええ。私と斧次郎さんは、薩摩との戦争の為か? とか話していましたよ」

 それを聞いて、お華は妙な笑いで、

「ね。向こうは準備万端でしょ? いつでも品川から狙えるわ」

 これには浩太郎と優斎は、更に驚いてしまう。


 しかしお華は真剣な顔で、

「ご褒美の件は、たまたま上様が仰って下さったから、それに乗っただけで、実はこの事は、前々から考えていた事なの」

 おさよが、

「新之助とお春?」

 お華は頷いて、

「これはもちろん、お上への御忠義ではあるんだけど、実は、桜田家・秋月家、そしてここにいる人達の為でもあるのよ」

 それには浩太郎は驚き、

「どういうことだお華」

「あのね、兄上。もし事が起こったら、お春はさっき言った様に逃げて貰えれば、少なくとも命は安全。もし、もっと迫ってきたら半蔵門抜けて、伊賀さんのところでも逃げてくれれば完璧。そして新之助は逃げる人達を信ちゃんと一緒にしっかり誘導して貰えば、本人達も安全になる。もし弾が逸れたりすると、八丁堀あたりに落ちる事も考えられる。その時、八丁堀は爆発の炎で大変な事になるわよ。姉上はおきみちゃんと七重だけ抱きかかえて、ここに逃げるか、逆に伊達様のお屋敷にでも脱げれば、三人連れて行くより、遙かに楽だろうからね」

 それには、おさよも大きく頷く。

「危ないと思ったら、私や兄上が梅林坂を駆け上っていくけど、とにかくお春は音が聞こえたら、教えられた通り逃げれば良いの。あんたも礼砲の音聞いた事あるでしょ? そしてここの女の子達は、うちの人とノブ検校に従って、庭の端でとりあえず炎を避けて、浅草方面に逃げてくれれば良いわ」

 浩太郎もようやく、

「そうか、実はわれわれの為か……。うん、そうだなそれが一番良さそうだ」

 するとお華は、新之助に、

「新之助。人を逃がす時は、大きな橋なんか使わせちゃ駄目よ。そんな時、人が大勢、本所や深川に逃げようとするとどうなるか。ねえ、兄上」

 それには浩太郎も、

「ああ、永代橋の件もあるからな」

 永代橋は、文化四年(1807)、祭りが久々に始まるからと言うだけで、大勢の人が渡った結果、橋が崩れ、千人程、溺れて亡くなったと言う事件が起こっている。

 この事を言っているのだろう。


 そして、お華は若干、目をキッと新之助にむけて、

「あんた。奉行所に勤めるからって言って、吉原で遊ぼうとか考えてないでしょうねぇ?」

 さすがにそれには新之助も驚いて、

「そ、そんな事。思ってやしませんよ。大体、そこがどういう所だか知らないし」

 と返事をしたが、お華は、油断しているお秋に、

「お秋ちゃんだって、こんな若い男が遊びに行くとこじゃないって思うよね?」

 などと、いきなり聞くから、お秋は驚きながら大きく目を開けて、

「あ、いや、私もその辺は……」

 などと言って、言葉に詰まっている。

 それには、後ろのおかよが腹を抱えて笑っている。

 祐三郎は渋い顔で、

「また、お華さんそんなこと言って。芸者のくせに」

 と言い返しているが、お華は、

「あれは金がかかるんだから、足りないからって、母上に言ったら、いきなり庭の木に縛られて、尻を小太刀で切り刻まれて、当分正座出来なくなるからね。気を付けなさいよ!」

 とか言うから、浩太郎とおさよも大笑いしてしまう。

 すると優斎が、

「お華、それぐらいにしなさい。そんなこと聞かれてもお秋さんだって困るでしょ」

 と叱られると、お秋は密かに胸を撫で下ろしている。


 そしてお華は祐三郎に、

「ところでさぶちゃん! まさか伊達のお殿様。攘夷で船を沈めろ! なんて仰って無いよね?」

 それには祐三郎も笑って、

「そんな事仰ってませんよ。そんな火に油を注ぐような事」

 しかし、お華は周りを見回しながら、

「それなら良いけどさ、ところが攘夷期限が決められた途端に、火に油を注いでいる奴が出てきたのよ!」

 それには、優斎と浩太郎が驚き、

「おい、それは本当か?」

 と一緒に声を上げる。

 先ほどから、余りにも難しい話をしてるお華達に顔を向けながら、ただただ黙って聞いていた、お秋とノブ。

 そのお秋に、

「あなたは津軽出身。あそこは我が国の端の国、じゃ、反対側の端の国ってどこか知ってる?」

 と言うが、お秋は分からない。代わりに祐三郎が、

「まさか、長州ですか? 姉上」

 お華は大きく頷き、

「そう。長州よ。あの下関の海峡を通る外国船を無闇矢鱈に、砲撃しているそうよ」

 これには、祐三郎も驚いた。

「げ! てっきり薩摩かと思ってました。長州なのか……」

 しかしお華は、

「薩摩だって危ないわよ。聞いた話じゃ、まだ決着してないみたいだから」

「ひえ~」

 と祐三郎は額の汗を腕で拭う。

 お華は改めて、

「新之助、お春。あんたたちは武家の出。とにかく与えられた仕事に集中するのよ。お父上、母上の為に、そして自分達の為に。分かった?」

 それには、二人とも嫌とは言えない。

 新之助が頭を下げ、

「おばさま。承知しました」

 すると七重を抱いて座って聞いていたお吉がぼそりと、

「まるで、お華は将軍様みたいね?」

 と言うから、みんな笑ってしまう。

 それでお華は、祐三郎に、

「曲が終わったわ。最後にもう一曲。なんか無いの?」

 それには祐三郎も笑顔で、

「ああ、ちゃんと用意してますよ」

 彼は立ち上がり用意をする。


 そして祐三郎は皆に、

「もう遅いので、今日はこれが最後の曲です」

 と言い、そのレコードを設置すると、

「話はちょっと長くなります。これは、最初に聞いて頂いた、ベートーベンのピアノ曲です。皆さんピアノって楽器、聞いた事無いでしょ。そうなんですピアノは我が国にはない楽器です。でも、我が国に無いというのは少し間違ってて、実は、戦国時代では我が国にもあった楽器なのです。当時はオルガンと言われていましたが、あることで無くなってしまいました。ですから奉行所の浩太郎さんは、聞かなかった事にして下さい」

 と少し笑うと、浩太郎も苦笑い。

 彼もそれがどういう意味だか気付いた様だ。

 祐三郎は、続けて、

「実は戦国時代、宣教師はこれで神に捧げる歌を歌っていた事がありました」

 これには、皆も驚きの顔で、優斎も苦笑せざるを得ない。

 つまり、賛美歌、キリシタンの事を言っている。

 お華はその事よりも、隣の優斎に、

「あの子、こういう説明が上手いね~。何て言うんだろう、こういう才能って、何かの師匠に向いてるね」と言うと優斎も頷き、二人で微笑む。

 その祐三郎は続けて、

「何故この曲を選んだかと言うと、是非、検校になったノブさんに聞いて欲しかったからです。曲の名は悲愴。深い悲しみという意味です。実はこのベートーベンという人、この曲を作った時、実は病気で耳が聞こえなかったのです」

 この事には、ノブも驚く。

「ノブさんは気の毒な事に目が見えない。でも三味は弾ける。そう音は聞こえるからです。ノブさん。もし目じゃ無く耳が聞こえなかったらどうです?」

 ノブも苦笑いで、

「どうするも何も耳が聞こえなきゃ、三味なんぞ弾けませんよ~」

 それにはお秋も同じ事、大きく頷く。

 まあ、ベートーベンは正確には、年齢による難聴と言われている。

 すると祐三郎は、少し微笑み、

「でもね。一つだけ分かる方法があるんです」

 と、例のスプーンを咥え、ピアノにその端を載せ、歯から骨に伝わる音(骨伝導)で聞く。という有名な話だ。

「本当なの?」お華と、医者の優斎までも驚愕する。

「お華さんの簪で、陶器の皿に端を載せて耳を塞ぎ、誰かに皿を叩いて貰って下さい。あら不思議、何故か音が聞こえます」

 言われたお華は、言われた通り、優斎に皿を叩いて見ると、明瞭では無いが分かる様な気がした。

「本当だよ先生!」

 と言うから、今度は優斎がやっても結果は同じ。

「驚いたな~私も知らなかった」

 優斎も後ろに仰け反って、感動する。

 祐三郎は小声で、

「やった、兄上に勝った」と喜んでいるが、お華が渋い顔で、

「あんただって、教えて貰って分かったんでしょ」

 と言うと皆が笑うが、ノブは真剣な顔をしている。

 祐三郎はまた、

「でも、いくら分かっても、こんなの大変です。それが作曲家と言うのだから、それはどのくらい困難な事か想像出来ません。ただこの国にも、ノブさんという人がいます。外国人に言わせれば、どっちも大変と言うでしょう。ノブさん。世界は広い。ちょうど良い機会だからそれを味わって下さい。ではお聞き下さい、

ベートーベン作曲、ピアノソナタ第八番、悲愴です」

 祐三郎は針を落とした。

 もう最初から、ノブは微動だにしない。

 そしてお秋も胸に手を合わせ、曲に感動している様だった。

 勿論、お華達、他の人々。そして、七重でさえ、お吉に抱きつきながら静かに聞いていた。

 



※※※つづく※※※



 今回もお読み頂き、ありがとうございます。


 題名については、ご説明するまでも無いでしょうが、実は個人的に、京都の高校生マーチングバンドが好きだったりしますので、すぐ思い付きました。

 ちなみに、JK好きだからと言う訳ではありませんよ。念のため(笑)

 それと、お華がいますから、スナイパーという意味も加えています。

 江戸時代の芸者達が、そういった今の若い女の子達が、踊りながら曲を演奏する。

 きっと、あの世で自分達もやりたかったと思っているかも知れません。

 私はそんなことを考えてしまうのです。


 このお話は和洋の曲、一遍に流れるお話でした。

 さすがにJazzと言う訳にはいきませんでしたが、まあこんなところだと思います。


 ただ、ここでお詫びしなくてはなりません。

 実は蓄音機が日本で発売されるのは、十年後。明治になってからです。

 まあ、フィクションですので、有ったとお思いになって読んで頂ければ、ありがたいです。


 さて選曲。

 日本の場合は最初から頭にありましたが、向こうの曲には頭を悩ませました。

 ベートーベンやモーツァルトは、その時より古い時代の人だし、今の時代でも定番です。

 特に、「運命」は幕町のこの時代にも合っていると思いましたがいかがだったでしょうか。


 後は、武家の面倒くささを書きました。

 ところが、お華は忍びの信濃衆……って事になっていますので、ご褒美にかこつけ、何とか一族を守ろうとしたのでしょう。

 この事は、幕府崩壊の後の旗本達も、最後には同じ様に動いて行きますので、結局皆、同じ様に落ち着きますけれどね。


 と言うことで、よろしければまた次回もお読み頂ければありがたく存じます。

 ありがとうございました。

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