㊴津軽の風と天才剣士
(1)
お華はその日。お秋と一緒に日本橋の通二丁目辺りを歩いていた。
二人は、ある商店に入ったのだが、直ぐにそこを後にした。
「特別注文って言われてもね~」
とお華は、困った顔をしている。
「すみません。お華さん。私が余計な事言ってしまったばかりに……」
お秋は、済まなそうな顔で謝るが、
「あんたが謝ることはないよ」と笑って、
「でもね~特別注文するほどの物を頼む訳じゃないからね。とは言え別に安きゃ良いって物でも無いけど。あんまり高い物もね~」
「やっぱり、江戸では使う人がいないんですね」
するとお秋が、
「あ、お華さん。あのぉ、オルゴールっての? 聞きましたよ!」
と声を上げる。
お華は微笑みながら、
「どう思った、秋ちゃんは」
それには、首を傾げ、
「おかよ姉さんに聞かせて貰ったんですけど、箱も驚きましたけど、あの曲。たまげましたよ~」
お華は頷き、
「そうでしょ、あれが外国の曲なんだって。雅楽や民謡も良いけど、ああ言うの聞かされちゃうとね~。まだまだ私達も甘いんだなって思うよ」
「誠にそう思いんした。あの祐三郎さんが持って来たのでしょう? あの方凄いでありんすね~」
しかし当然そこで、
「まだ落ち着いて喋らないと、廓言葉が出ちゃうね。気を付けなさいよ」
と叱りつけ、お秋も「あっ」という顔をしているが、お華は笑って、
「まあ、昨日今日の話だからね。なるべく落ち着いて話すのよ。あ、さぶちゃんだっけ? あ、あれは、今はどうでもいいや」
などと、酷い事言いながら、笑っている。
それから、お華はあることに気づく。
「仕方無い。すみやに行こうと思うんだけど。たださ。あんた津軽の侍と会うのはマズイよね~」
と聞くが、お秋は首を振り、
「いえいえ、それは大丈夫だと思います。いつもそこだけは避けてましたから」
それにはお華は笑って、
「あ、そうか。あそこはそういう事も出来たんだね。じゃ、言葉さえ上手くなってきたしら、そう心配することもないか」
お秋は笑顔で、
「はい。大丈夫だと思います」
と落ち着きを取り戻した様だった。
そうして二人は、隅田川沿いのすみやに向かう事にした。
暫く歩いていると、お華は正面から赤い顔して道を広がって歩いてくる侍に気が付いた。途端にお華の顔は厳しい顔になる。
しかし、だからといって何をするでも無く、ただ通り過ぎようとしたその時であった。
後ろをお華に喋りながら歩いていた、お秋がその寄りながら歩いて来た一人の侍の袖に当たってしまった。
小尻に当たった訳では無いので、すぐにどうなると言う事は無い筈なのだが、お秋が「あら、おゆるしなんしょ」
などと、つい吉原の言葉出てしまったのが始まりであった。
すると酔った侍が、
「おい! 吉原の女のくせに、侍の小尻に無礼を働くとは何事だ!」
と大声で叱りつける。
どうやらこの二人は、着物は上等そうで、如何にも象徴的な丁髷(銀杏髷)をしている。その様子から講武所の侍の様だとお華はとっくに気づいていた。
講武所とは、旗本、御家人などの子息を集め、剣、槍術・西洋訓練での砲術を享受している場所。
教授には、勝海舟、榊原鍵吉、村田蔵六(大村益次郎)などが勤めているが、侍の子息とは言っても、部屋住みの碌でもない者達だとお華は思っていた。
何より、講武所髷などにし、大して粋でも無いのに世間を練り歩き、町民に迷惑をかけている事が、町奉行の仕事も勤めるお華には何より気に入らない。
既に前を進んでいたお華は、お秋の言葉に思わず額に手を当てる。
すると、もう一人の男が、
「何? 吉原だと! 丁度良い、おいお前、わしらと一緒に飲み屋で酌をしろ!」
などと言い出すから、お華はプチンと切れた。
お華は素早く、お秋を自分の後ろにやり、鋭い目で二人を見やる。
「ふざけた事、お言いじゃないよ! あんた達、この子に百両払えんのかい! 部屋住み程度の癖に、偉そうな事言うんじゃないよ!」
と、お華は久々に、深川芸者の頃の様な啖呵を切った。
これには、周りで見ていた野次馬も久々に聞く深川の啖呵に「お~」と拍手を送る。
そうなると二人は、引っ込みが付かなくなる。
目尻を頂点まで上げ、
「無礼者! そこへ直れ!」
と言い放つ。
しかし、お華は既に簪を両手に持っていた。
ピクっと両腕が上がろうとしたその時だった。
脇の方から、目にも留まらぬ速さで、抜こうとした侍の横に踏み込み、同時に、掌を刀頭に置いて、抜けない様刀を止めた。
そして、
「お武家さま。こんな昼日中に、それはやり過ぎですよ」
と一言。余りの早業に侍の目が点になる。
お華はお華で、その一連の動き、その飛び込みを見て驚いていた。
(先生や姉上並みの、いやそれ以上の速さだわ……)
である。
しかも如何にも若い、そしてお華には良い男に見えた。
しかし、もう一人がそれでは抑えきれず、
「何をしている!」
と叫び、今度はこの男が刀を抜こうと手を柄にかけたが、同時に若い侍も刀手をかけたが、既にお華は一回転。
簪は二本。昼の光をしっかり受けて、キラキラと二人に飛び込んでいく。
若い侍は自分の耳元近くを、轟音を立てて抜けて行く物に驚愕し目を丸くしている。
何より目の前で、嫌、直前で髷が爆発するのである。
思わず自分の頭に手をやってしまった位だ。
それは、お華が気に入らないと思っていた銀杏髷を見事に粉砕するいつもの技だった。
さすがに連中は、何事が起こったのか理解出来ず、頭を抑え、あわあわ言いながら逃げて行く。
同時に周りの野次馬も大騒ぎと言いたい所だが、余りに凄すぎて、逆にシーンとなってしまった。
お華は、後ろで、これも余りの凄さに硬直しているお秋に、
「悪いけどさ、あっちとあっちの下に簪行っちゃったから拾ってくれる?」
と頼むと、お秋は怯えながらも頷き、とっとと走って行った。
お華は、その若い侍に近づき、
「悪いね。あんた。巻き込んじゃって」
と言うのだが、彼は、今まで見たことが無い技を目の前で見せつけられ、
「いえいえ」と言うだけである。
するとお華は、
「でもあんた。もの凄い飛び込みだね~。初めて見たよ、若いのに凄いもんだね」
笑って言うと、彼も微笑み、
「貴方の技を見せつけられたら、何も言えませんよ」
と手を振って笑い。
「あれって、手裏剣ですよね?」
「そうよ、棒手裏剣の一種。私は柳橋芸者のお華。あんたは?」
男は、多少はにかみながら、
「私は、天然理心流の沖田総司と申します。市ヶ谷柳町に道場があります」
お華はへ~と頷いて、
「じゃ、あんた塾頭かい?」
しかし、それには恥ずかしがって、
「いえいえ私など。他にも強い猛者がおりますよ」
と言うのだが、お華は今まで聞いた事のない流派だった。
すると、お秋が、
「ありました! ありましたよお華さん」
と寄って来たので、彼は、
「それでは失礼します。私はこれから日野に行かなければいけないので」
お華も頭を下げ、
「気を付けてね~」
その後ろ姿に声をかけたのだが、お華は急に、
「ちょっと待って!」
と沖田を引き留め、小声で何か喋りかける。
その時の沖田の顔は、驚きの顔だった。
(2)
こうしてお華とお秋は、再びすみやに向かった。
途中、お華は、
「分かったでしょう? 言葉変えないと面倒な目に遭うって」
お秋も頷き、
「とっさの事で、つい……。お華さんありがとうございました」
と頭を下げる。しかしお華は、
「まあ、あの連中は以前から、腕も無いくせに威張っていたからさ、まあ丁度良いとは思っていたけどね」
しかしお秋は、
「相変わらず、お華さんって強いですね~。なんだか懐かしくなっちゃいました」
と嬉しそうなのだが、お華は、
「何言ってんの。ホントに気を付けなさいよ~」
などと言い合いながら、すみやに到着した。
中に入ると、もう昼も過ぎていたので、空いていた。
「お久しぶり」
とお華が軽く言うと、おていとおちよが二人並んで、
「いらっしゃいませ」と頭を下げる。
二人は、小座敷に座ると、おちよにお華が、
「お昼、お任せで。そして平吉さん手が空いたら、話があるって伝えてくれる?」
おちよは、笑顔で「承知しました」と下がる。
お華はお秋に、
「ここは、私の亡くなった父上の頃から、馴染みの店なのよ。それと例の三味の件だけど、さっき見せたでしょお米蔵。そこに米を運ぶ津軽の人、ここにも多く来るからお願いしようと思ってね」
お秋は、「へ~」と笑顔だ。
間もなく平吉がやって来た。
「お嬢さん。いらっしゃいませ」
食事盆を置きながら、
「なにかあったので?」
と聞く。
お華はまず、お秋の紹介をしてから、早速、津軽三味線の話をし出す。
平吉は大きく頷き、
「ああ、津軽の……よろしゅうございます。少し当たってみましょう。なに特に面倒なことでもありませんし、直ぐ分かるでしょう。お屋敷にお知らせしますよ」
と気持ちよく引き受けてくれた。
お華とお秋は和やかに、微笑む。
そしてお華は、
「なんだ。最初からこっちに来れば良かったかな~」
しかし、お華は少し語調を変え、
「でもね平吉さん。あれよ。あんまり高いのは困るわよ。家は屋敷は大きいけど、貧乏だからね。何とか十両程度で話付けてくれるとありがたいんだけど」
お秋は十両と聞いて、どこが貧乏だと大きく驚く。
「そ、そんなに大丈夫なんですか?」
と心配して聞くが、お華は、
「以下って事よ。さすがにそれ以上は困っちゃうからさ」
などと言うのだが、平吉は笑って、
「何れにしても、まずはあるかどうかですから。それからお考えになったらどうですか?」
当然だが、そう言う。
「そうね。まあ、頼むわよ。お手柔らかにね」
平吉は口に手を当てながら、笑いながら調理場に去っていく。
あらためて、お秋は、
「すみませんお華さん」
と言うが、お華は手を振って、
「良いのよ、良いのよ。この前、御台様護衛のご褒美も入ったしそれくらいならね」
などと言う者だから、お秋は、
「護衛って……」と言葉を無くす。
お華は、横の窓を開け、外を眺めながら、
「あんたももう十年以上江戸にいるけど、江戸を本当に見たのは初めてだったでしょ?」
お秋は大きく頷き、
「本当です。やっとお城も遠くから見えて、日本橋も見ることが出来るなんて、夢の様でした」
お華は微笑み、
「あんたのお休みは終わったからね。これからは、あっちだこっちだと動く事になると思うわよ~」
と、笑う。
さて、屋敷に帰り、お華は診療所に行くと、優斎とおかよが居た。
「患者はお休みね」
と言いながら、優斎の正面に座ると、振り向きおかよに、
「お秋ちゃん連れて日本橋に行って来たわよ。結構喜んでくれたわ」
というと、おかよは自分の事の様に驚き、
「ありがとうございます、お華さん。本当は私が行くべきなんでしょうけど」
頭を下げるのだが、お華は笑って、
「いやいや、私が一緒で良かったわよ。あんたが行ってたら大変な事になってたもん」
と言うから、優斎が笑って、
「また何かあったんですか?」
と聞く。
するとお華は、
「ねえ先生。天然無心流って知ってる?」
「天然? 何です? それ」
お華は頷いて、
「やっぱり知らないか。いや、私も知らなかったんだけどね、市ヶ谷の方に道場があるんだって」
「ああ、剣術道場ですか。確かに私も聞いた事ありませんね。その者に何かされたんですか?」
お華は首を振り、
「悪いのは講武所の連中よ。その人は、助けてくれたのよ」
とお華は、日本橋の一連の出来事を話す。
すると、おかよが青い顔で、
「お秋ちゃんがですか?」
と言うのだが、お華は笑って、
「まあ、昨日の今日だもん。仕方無いんだけどね。それより!」
声を上げて優斎に、
「ねえ先生? 刀を抜こうとしてる奴。しかも講武所の男に、離れた横の方から一気に飛び込んで、刀の頭に手を被せて、抜かない様にするって凄い事だよね」
それには優斎も、
「ほう、それは素早い飛び込みですね」
と言いながら頷く。
「そうなのよ。まるで、姉上や先生と同等以上の飛び込みでさ。しかもその子、まだ十七位の侍でね。私もまだそんな人居たんだって驚いたわよ」
それには優斎も笑って、
「それじゃ講武所の人達も形無しですね~」
お華はおかよに、
「まるで、天才美剣士ってとこよ。あんたも喜んじゃうんじゃない?」
などと言うと、おかよは多少顔を赤くして、
「嫌ですよ、お華さん」
と向こうへ行ってしまう。
するとお華は、優斎に、
「どうもね、その子が言うには江戸の各道場の剣士を集めて、京に行くって話があるそうよ。やっぱりお先手じゃ敵わないから、お上もそんな事始めたのかしら?」
その話には、さすがに優斎も腕を組んで唸る。そして、
「まあ、お先手はともかく、京都は今、荒れてるらしいからね。所司代と奉行では追い付かないんだろう。そうですか、そんな話が……」
お華は頷いたが、
「まあ、それはともかく、その子がね。どうも息がおかしくてさ」
優斎は眉を寄せて、
「息?」
「うん。速いって言っても、遙か遠くからって程でも無かったし、それより何より、八丁堀の亡くなった私の母上。母上が寝込んでいた時に聞いた事のある……」
優斎は、目を大きく開け、
「結核か?」
お華は頷き、
「そうなのよ。私はすぐ分かったわ。だから、その子になるべく疲れないように、滋養のある物を食べるのよ。ぐらいしか言えなかったけどさ。それで良かったかな?」
優斎は頷きながらも、渋い表情で、
「まあ、そうなんだけど、それで京都か?」
お華は大きく頷いて、
「それよ。あれ程素質があるのに、今、そんなとこ言っちゃったら、マズイよね」
優斎は、頷きながらも、
「でも、それなら余計に行きたくなるんじゃないかな。多分自分でも分かっているんだろうし。仙台の方にも、結核の剣豪が居たって聞いた事があるよ。あれは確か、平手酒造とか言ったな~。この人も剣は千葉道場で四天王とも言われた強い人だったらしいけど、やはり、病で死ぬより戦いの中でっていうことなんだろう。博徒の斬り合いに助太刀して、みんな殆ど倒したけど、さすがに最後は、体力の限界で斬られて死んだっていう侍だ。もしかしたら同じ様になるかも知れない」
「そうよね~。それは私にも分かる気がする」
と二人とも、暗い顔になってしまった。
そう、その先行きが想像出来るからだ。
(3)
翌日、屋敷は三味の稽古の日だった。
おかよとお秋は、やって来た芸者達の世話が終わると横に座り、ノブが教える三味の稽古を眺めていた。
「いや~何時聞いてもあの人は上手ですね~」
とお秋はおかよに言うと、おかよも大きく頷き、
「私らももっと早く、教えて貰うんだったよ。少しは違ったと思うよ~」
「本当に、本当に」
二人は微笑みながら、大勢の教え子とノブの三味を聞いていた。
一方、お華は廊下に座り、些か居眠りながら柱に寄りかかっていた。
しかし、大門の方から、
「お華お嬢様!」
という声を聞いて、目座めた。平吉だった。
平吉は、何か大きい包みを持ちながら寄っていく。
そして笑顔で、
「お嬢さん。仰られていた三味。手に入りましたよ」
などと言うものだから、「ええ?」っとお華は驚いた。
そして慌てて、
「平吉さん。手に入ったって、言ったのは昨日よ。もう?」
平吉は笑顔で、
「はい。あれから直ぐ、津軽のお留守居様にお会いする事が叶いまして、早速お話ししたところ、殿様のお許しを得まして、頂いて来て参りました」
「ひえ~」とお華はその速さに驚いているが、目を細め、
「でもさ、条件も申し上げたんでしょうね?」
それにも平吉は、
「ええ、三両で良いと仰るもので」
「さ、三両? 本当にそれで?」
「はい」と言うから、お華は後ろに向かって、
「みんな! お稽古は休憩。暫く待ってて!」
と言い、同時に、
「お秋ちゃん! ノブさん連れて一緒にこっちに来て!」
大声で言う。お秋は驚いたが、言われた通りノブを連れ、お華の方にやって来た。
既に平吉は、荷物と共に、廊下に座っていた。
お華が、
「あのね、お秋ちゃん。きのうの津軽三味線だけど、手に入ったのよ」
と言うから、お秋は「え~」と驚き、ノブも驚愕の顔をしている。
そしてお華は、
「とりあえず安かったんだけど、ならば余計に確かめなきゃね。ノブさん、ちょっとお願いできる?」
その言葉で、平吉はノブの手前に、その包みを置く。
それを、代わりにお秋が開け、中身を出すと、彼女自身歓喜の声を上げた。
「これ、これですよ。立派な三味です」
言いながらノブに渡すとノブもあちこち触り、唸りを上げる。
その時、いつの間にか、おかよとお吉も近くに座っていて、お吉がそれを眺めながら、
「これは上等な物よ!」
と感心している。
ノブは、三味本体、そして周りの肌触りの感覚から、
「仰る通り、これは上等な三味です」
お華は、念のため、もう一度平吉に、
「これ。三両で良いって言ってるの?」
と言った途端、お吉が悲鳴を上げる。
「これが?」
余りに、金額と合わない三味線だったからだろう。
細竿の三味でも、この素材ならそれより高いと感じたからである。
すると、ノブが、
「お、指掛けと撥もある。全て揃っているじゃないですか」
と声を上げると、お吉が、その撥をみせて貰うと、
「これ、鼈甲よ。大丈夫なの?」
すると、平吉は、
「実は女将さん、お華さん。この三味は、津軽のお殿様の亡くなった、お母様の三味だそうで……」
それにはさすがにお華が顔を顰め、
「まずいよ、こりゃお形見じゃないの。幾らなんだって、私らなんぞに……」
その言葉は予想していたようで、平吉は笑って、
「実は、先の御台様は津軽三味線がお好きだった様で、まだ何本もあるそうです。そして今回この話を持って行きましたら、私が奉行所の岡っ引き、そしてお華さんという名前を聞いて信用して下さった様です」
さすがにそれにはお華も驚き、
「え? 私の事ご存じなの? お殿様」
平吉は笑い、
「お嬢様は、あちこち有名ですね~私も驚きましたよ。で、一つお殿様からの条件があります」
「条件?」
とお華は、身構えるような素振りで、顔を強ばらせると、
「はい。明日にでも津軽の屋敷で、弾いて欲しいと仰ってます。大丈夫ですか?」
意外な申し出に、安心はしたものの、今度は別の問題が降りかかった。
「秋ちゃん。津軽のお屋敷だって、あんた顔出して大丈夫かな?」
秋も思いも寄らない事で驚いていたが、
「昨日もお話ししましたけど、問題は無いであ……」
とお秋は笑って、
「問題はありません」と頭を下げる。
お華は、少し笑って、
「危ない、危ない。それじゃそっちの方が問題ね。何、明日は私もお礼に伺わなけりゃならないから、殆どあたしが喋るから、はい。そうです。とかだけ言ってれば良いからね」
お秋も笑って、再び頭を下げる。
すると、ノブが早速、津軽じょんがらの音取り(チューニング)をし出した。
ノブは合いの手の代わりに「これこれ」と言いながら合わせている。
お秋の嬉しげな歓声が上がる。
そして、ノブ単独で、津軽じょんからが始まった。
三味線の稽古にきた娘達も、今まで聞いた事が無い演奏に驚愕し、驚愕の表情。
お華はうんうん頷いていた。
(4)
そして当日、お華とお秋・ノブは、本所に向かった。
昨日、あれから練習していたノブ。
お吉は、
「これなら大丈夫。なんの問題も無いわ」
と言ってくれたが、お華は気が気ではない。
特に、お秋にとっては自分の地元の殿様の屋敷に行くのだ。緊張も倍加される。
すると、ノブが、
「お秋さん。心配要りませんよ。練習通り、笛をいつもの様に吹けば良いのです。問題は、私ですよ~」
と言ってくれるのだが、どうもその様子は本当に問題とは思っておらず、余計、心配になったが、お華が、
「あんたは、前の事知ってる人だって居ないんでしょう? だったら何も無いわよ知らん顔で、あの笛を吹くだけで良いんだからね」
と、肩を叩く。
さて、本所は近い。
すぐ、お屋敷前に着き、
「さあ、行きましょう」と言うお華の声に頷き、三人は入って行った。
三人は、まず留守居に挨拶し、引き続き広間に通された。
戸を開ければ、庭という座敷であった。
すると待ちかねていたのか、津軽第十二代藩主・津軽承昭が現れた。
当然三人は、平伏する。
留守居が、紹介すると承昭が、
「おう、そなたがお華か、名前は良く聞いておるぞ」
と落ち着いた声で言うから、お華は少し身体を起こし、笑いながら、
「恐れ入ります。しかしながら、私はただの柳橋の芸者にございます。何かのお間違いでは?」
些か恐縮気味に言ったが、
「何を申す。わしはな、外国奉行であった頃から川路殿と昵懇でな。柳橋のお華、そなたの名前は良く聞いておったのじゃ」
さすがにそれにはお華も頭を掻き、笑いながら、
「あ、川路様。これは失礼致しました。まあ、あの方には何かと……お世話を致しまして、それであれば仕方がございません」
と起き上がると、二人は大笑いとなる。
すると、承昭は、
「スマンが、御台と姫を呼んでも構わんか?」
「奥方様や姫様は三味などお聞きになるので?」
とお華が聞くと、既に、承昭は盃を片手にしている。
「そうなのじゃ、聞きたいと言うのでな?」
それには、お華も、
「それは、勿論問題ございませんがが、お気を悪くなされないかと心配で……」
すると、承昭は盃を空けながら、笑い。
「何、暇なのよ。それに、津軽の姫でありながら津軽三味線を知らぬと言うのも、自分で恥ずかしくなったのだろう」
それにはお華も、
「はは、それは私も同じにございます。柳橋にいながら、津軽三味線というものを知りませんでした。ただ、これからは柳橋でもと思ってますので、あそこで弾く様になれば全国の侍が聞く事にもなります。そう言う意味では、姫様も賢いお方で」
と言うと、承昭は脇に座っている留守居に頷く。
すると、二人がやって来た。
三人はまた、平伏である。
お華は、
「初めてお目にかかります。八丁堀同心妹、そして柳橋の芸者、お華にございます」
と言うと、二人は驚きの表情だが、承昭は笑顔で「面倒な自己紹介だな」と笑っている。
お華は二人の紹介をした後、まだ年若い姫に、
「姫様は、もしやすると琴などをおやりになるのでは?」
お華が聞くと、その姫は和やかに、
「実はそうなのじゃ。今回、そなた達が参ると留守居から聞いての。祖母がやっていたという三味線を一度聞いてみようと思っての」
と、言うのでお華は、
「それはそれは。では、今回は少々、変わった曲をお聴き頂く事になります。ただ、お琴をおやりならば、多少なりとも無駄ではないと存じます。気に入って頂ければ、私共も有りがたい事に存じます」
と頭を下げる。そして、お華は続けて、
「それでは、皆様お揃いですので始めさせて頂きます」
と三人は一斉に頭を下げる。そして、お秋に目をやると、お秋は頭を下げる。
お華は、
「まずはこの子。この子はこちらと縁深き、津軽出身の女にございます。これまで幼い頃から商家で奉公していましたが、夢を捨て去れず、この度私共の方に参った者でございます。ところが縁あって、何とお殿様の御前にて笛を吹かせて頂くという栄誉、誠にありがとうございます。では、まずはこの子の、越天楽、独奏をお聞き下さいませ」
「越天楽?!」
これには、承昭も驚いた。津軽出身というのもそうだが、まさか越天楽とは、とてもでは無いが、考えられなかった事である。
お秋は、落ち着いた様子で、高らかに龍笛の調べを奏でる。
これには、奥方や姫も顔を見合わせる程である。
お華は、密かに拳を握り満足そうだ。
しかし、これだけではない。
続いては、お秋とノブの三味による「六段」である。
これには、姫も驚愕の顔だ。
ノブは細棹、お秋は篠笛なのに、まるで琴の演奏となんら違いが無い。
承昭の盃も止まってしまった。
しかも笛が入っているので、余計に壮大な物に生まれ変わってしまう。
これには、姫も両手を前に出し、食い入るように音を聞いている。
そして、曲が終わるとお華は、
「姫様、奥方様如何でしたでしょうか?」
と聞くのだが、二人は言葉が出ないようだ。
代わりに、承昭が、
「こりゃ、驚いたぞ。しかも一人は目が不自由、そして津軽の女とは。さすが川路様の仰ってた通りじゃ。驚かせてくれるのう」
とようやく、盃を空ける。
するとお華は一度頭を下げ、
お華は芸者らしく、殿様の前に行き、酌をする。
殿様は、「良いの~良いの~」とご満足である。
席に戻ったお華は、再び、
「これらはとりあえず、小手調べの様なものにございます。それでは今回お呼び頂いた津軽三味線をやらせて頂きます」
と言っている間にノブが準備を始める。
するとお華が、
「お殿様? もしよろしければ、あちらの襖と窓の戸を開けて頂けませんか?」
「何?」と言いながら、承昭は留守居に目で命じる。そして開けた途端、外には津軽藩の小者たち、そして襖を開けると家臣達が、大勢座っていたのには、承昭と奥方は驚いた。
「お華。気づいていたのか?」
お華は笑って、
「はい」と頷き、「津軽三味線と言う事で、皆さんお待ちなんでしょう。そりゃお国の曲ですから当然お聞きになりたいのは分かります。いかがです? 家中の皆さんと共にお聞きになるというのは?」
承昭は笑顔になって、
「話の通りじゃ、さすがじゃの。うむ。皆で津軽三味線を聞こうか」
お華は、真面目な顔で、
「お亡くなりになられた大奥方様も恐らくお望みでは無いかと推察致します。大奥方様とはいえ、三味を持ったら一人の芸人にございます。きっと亡き奥方の三味の音を、お孫様にもお聞かせなさりたかったでしょうし」
承昭は大きく何回も頷いて、
「そうじゃの~」
と姫と目を合わせ、
「これは有りがたい事じゃ」
すると、お華は、
「では三味は、ノブ。合いの手と笛は秋で一曲。津軽じょんがら節を」
と頭を下げると、庭の連中から声が上がる。
独特の音が屋敷中鳴り響くと「ほう~」と感心の唸りが聞こえる。
「はっ!」とお秋の声が上がる。
そして、さすが津軽の子。お秋の合いの手と演奏が湧き上がり、いよいよ津軽の情景や懐かしさが込み上げてきたのか、家臣達も涙を流す者までいる。
姫は、勿論初めて聞くから、その美しさと迫力。そして家臣達の反応に驚いていた。
参勤交代は、通常一年毎に入れ替わるが、江戸常勤の者に取っては、誠に久々の津軽の音である。江戸の津軽藩邸に居てもさすがに懐かしいだろう。
演奏が終わると、三人は平伏し、お華は、
「如何でしたでしょうか。津軽三味線を持つ事、お許し頂けますでしょうか?」
と聞くと、承昭より先に姫が、
「私が許します。ノブさんとやら。今度、三味を教えて頂けないでしょうか」
と言ってしまうから、承昭と奥方は笑ってしまっている。
ノブは笑顔で、
「はい。よろこんで」
とまた三人頭を下げながら、互いに微笑みあう。
演奏会は夜まで続いた。
(5)
二日後、市ヶ谷柳町にある「試衛館」に沖田が日野から戻って来た。
道場に入っていくと、道場の角で、後に有名となる土方歳三、藤堂平助そして斉藤一ら三人が車座になって、何やら話をしながら休憩している。
沖田はそれらの前に座り、まずは土方に、
「只今、日野から戻りました。皆さんもありがとうございます」
とぺこんと頭を下げる。
後年、鬼の副長と言われた土方だが、この頃はまだ試衛館の一練習生。
若い沖田を、弟の様に可愛がっていたから、沖田もまずは土方に挨拶したのだろう。
「おう。戻ったか。何でもな、京都守護職に会津のお殿様が就任なさるというお噂だ。いよいよ、わしらの出番かも知れん」
と言うと、沖田も嬉しげに、
「それはそれは。じゃ、近藤さんは、それに向けて、走り回っているって所ですか?」
「そうだな。わしにしても何時、お呼びが掛かるか楽しみにしているのじゃ」
などと話し合っていると、沖田は突然、
「いや、土方さん。日野に行く途中、日本橋辺りの事なんですけど、あの講武所の侍と、ちょっと一悶着ありましてね」
それにはさすがに、土方は驚き、渋い顔で、
「おいおい、こんな時に、しかも講武所とか? 一体どういう事だ?」
と言う。
それはそうだ、今そんな連中と揉め事になれば、京都行きも今後どうなるか分からなくなってしまう。
しかし、沖田も、その恐れに気づいていて、笑いながら、
「大丈夫ですよ。私の名前は言ってませんから」
と笑ったが、
「いやその時ですよ。私は講武所の連中が若い娘さんに何やら無体な事して、刀まで抜こうとしてましたから、それを止めようとしていただけなんですけど、そこで、その女の連れ合いのもう一人の、芸者らしきお姉さんがね、馬鹿者! とか言って叱りつけるのですよ」
土方は不思議そうな顔で、
「その侍に、芸者らしき女が? すげえ度胸だな」
と言うと沖田は、
「それだけじゃないんです。もう一人の講武所の男が、無礼な奴とか声張り上げて、刀を抜こうとした、その時、私の耳元に、もの凄い音が聞こえまして、同時に二人の髷が、四方八方髪の毛が飛ばされましてね。いや、私も驚いたのなんのって。私も色々な猛者を見てきましたが、女の人があんな技を使えるなんて感動しちゃいましたよ」
その話には、土方も眉を顰め、
「それって、手裏剣じゃないか?」
「後で聞いたら、そうでした。いや、私は髷が飛ばされるまで気づかず、今日まで、色々考えてたのですが、とても叶わないと。私もまだまだです」
と沖田が言うと、突然、藤堂平助が声を上げ、
「その女。もしかしたらお華って言わなかったか? それだったらわしも知ってるぞ~」
などと言うから、沖田は驚いたが大きく頷き、そして、
「え? 藤堂さんもご存じなんですか?」
と聞くと、藤堂は手拭いで額の汗を拭きながら、
「わしは以前、千葉道場にいた事があってな。桶町の道場に行った時、たまたま女二人が稽古を見学してたんじゃ。その時は子供の稽古の刻限で、その入れ替わりでな」
と一旦、藤堂は前の茶を一口して、
「どうもその二人は奉行所の関係者であった様で、その内の一人の女が、武芸が強いと聞いて、その頃、土佐の坂本って言う、わしも仲が良かった男と手合わせをと言ったんだが、今思うと辞めときゃ良かったって思ったもんだ」
〔⑭遠山桜は、おてんと様へ〕
なぜか、芝居の講釈の様に、珍しく藤堂は次々話していく。
他の土方も、興味深そうに聞いている。
「立ち会ったって、女は木刀を持たずにただスラッと立っているだけ。坂本さんは、まあ、サッと打ち下ろせば、恐れて終わりだろうと思ったらしいが、その女、いきなり足下にもの凄い速さで、続け様に手裏剣を飛ばしやがって、さすがに坂本さんも後ろに除けたが、更に続いたんだ」
それには沖田が、そ、それからどうなりました?
藤堂は頷いて、
「坂本さんは、壁にぶち当たってしまった。そうしたら今度は何と、六本、六本の十二本だぞ! それを投げたんだ。それも素早い事、素早い事!」
さすがに沖田と土方は驚いて、
「十二本?」と揃って叫ぶ。
藤堂は再び頷いて、
「それで、着物のあちこちに刺さり、まるで磔。私もあれには驚きどころか恐怖を感じましたよ」
横の斉藤も額に手を当て想像しているのだろう。顔が恐い。
沖田は大きく頷き、
「やっぱり……。私の時は、二本でしたけど、それも、ここ!」
と自分の髷、それも元結いを指差し、
「ここを正確に、というかあれ、三寸下に打ったら彼奴ら死んでましたよ。おまけに私はそれに気づかなかった。本当に私は修行が足りないと思いましたよ」
すると藤堂は、
「京に行ったら、ああいうのが居るんですかね~」
と土方に聞くが、さすがに土方は笑って、
「いや、どうだかな~。ただ、これから京に行くのに、いい話だ。何事も油断するなって事さ」
沖田は、「全くです」と言うのだが、
「でもね。あの人優しいんですよ。私になるべく休めって言うんですよ」
土方も多少気付いていたから、
「おうおう、そんなことも見破られたか……。じゃ、折角、江戸の天才が言うんだから言う通りにしろ。まだ修業が足りないんだからさ」
と二人は笑う。
話を聞いていただけだが斉藤は、
「そんな女が江戸にいるなんて驚きじゃな。まだまだ江戸も捨てたもんじゃ無いって事だ」
それには皆も大きく頷く。
結局、この中で生き残ったのは一人だけ、殆ど悲しい結末を迎える事になるのだが、今はそんな事。誰も想像していない。
※※※つづく※※※
今回もお読み頂き、ありがとうございました。
さて、今回はとうとう「沖田総司」の登場です。
いよいよ、幕末も本番。
とはいえ、まだこれから新撰組の前身の前身。京都浪士隊に参加しようとしている所。
しかし沖田は、彼一番の強敵とも言える「お華」出会ってしまいました。
天才剣士の呼び声も高い沖田でしたが、さすがにお華には驚愕したです。
まあ、武芸といっても全く方向性が違いますからね。
驚くのも当然だと思います。
私は壬生の八木家で、新撰組の話をお聞きした事がありますが、その時、沖田については、顔が「草履の底」の様な顔と聞いた事があります。
まあ、芝居。そしてこの小説でも表現するような美男子というのではなく、
「ヒラメ顔」とお聞きし、笑ってしまいました。
けれども、彼はその頃、肺結核の病人。顔が浮腫んでいたか、反対に痩せこけていたかも知れず、その時はそう見えたのかも知れません。
こうして彼は死出の旅を、短いながらも激しく、そして後世に名を残す活動をしていきます。
津軽藩は、前回からの続きです。
お江戸ではあっても、お秋も故郷に錦を飾りたいでしょうしね。
では次回もよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。




