㉛お華上洛(2)
(1)
時代は万延二年二月。
この年、文久元年に改元されるが、丁度、その二月である。
優斎と一緒に後ろを歩くお華は、優斎が背中にえらい荷物を背負っているのに気付き、
それに後ろからそっと手をやり、
「何ですこれ? 先生」
と、面白そうに言う。
優斎は、片頬を上げ、
「今に分かりますよ。でも、足りるかな~」
と、首を傾げている。
お華は、何が何やら分からないから、
「足りる? って何が?」
と聞くが、優斎は笑って、
「そのうちわかりますよ」
などと言いながら、ドンドン先に行ってしまった。
さて、姉小路一行。当の姉小路(勝光院)と綾瀬は駕籠。
他、お華・優斎・るいと下女のふみは歩きで、この旅最初の宿所、川崎に着いた。
姉小路自身も居るから、宿所も当然、本陣である。
「ここが、本陣!」
敷地に入って、玄関があるのに驚く。
本陣は、各大名も泊まるところであるので、こうした場合、載せた駕籠ごと玄関前まで行き、そこで乗り降りする。
普段、町人などが利用する宿屋に比べると、格段の違いなのである。
そう、本陣は宿場の他の宿屋と違い、一見武家屋敷の様相をみせる宿なのだ。
通常は、参勤交代。または幕府の要人の宿泊所となっている。
大広間に進んだ一行は、姉小路を上座に丸くなって座っている。
それと同時に、食事も運ばれてくる。
女達は、川崎までさしたる困難も無く到着した事に、
「以外と、すんなり来れる物ですね~」
とか、
「これなら早めに着いてしまうのでは?」
などと言っている。
お華でさえ、
「また、明日から、サッサと行きましょう」
というものだから、優斎は苦笑して、
「御前様。こんなこと言ってますけど……」
と投げかけると、姉小路も苦笑している。
姉小路は、京都から来ている者だから、当然行程を良く知っている。
優斎は、少々難しい顔で、
「皆様。食事をし、お湯を頂いたらすぐ、お休みになって下さい。残念ながら、これから大変な道中になって行きます」
お華は目を丸くして、
「え? ずっとこんな感じじゃないの?」
優斎は、更に呆れた顔で、
「お華さん……。芸者なのに、東海道がどういう街道か知らないんですか?」
「え? 」
すると、優斎は、
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川。ってね」
その言葉にはさすがにお華も、
「あ、そういえば……」
「いいですか? ここまでは単なる準備運動。小田原まで行くと今度は箱根の山が待ってます。姉小路様や綾瀬様は馬越えですが、実はこれも楽な様で、これも結構な体力を使います。ましてや、お華さん達は今まで見た事のない坂を見る事になり、そして直に登らなければならない。しかも、行けども行けどもなかなか終わらない坂道です。お華さんでさえ、油断すると足を痛めますよ」
「え~!」
姉小路を除く女性一同、悲鳴を上げる。
優斎は笑って、
「ですから、今夜は早く寝ましょう。少しでも身体を休める為に」
と、言うと、今度は優斎。
姉小路に、一度頭を下げ、
「御前。今回の旅。箱根などの厳しい道は別にして、お好きなところで、なるべく歩きませんか?」
と言い出した。
姉小路もそれには少々驚いた。それには当然、綾瀬が、多少、厳しい顔で、
「御前に歩けと申されるのか!」
とキツく言うのだが、優斎は手を振り。
「これは、あくまで散歩がてらという事です」
今度はお華が、
「散歩?」
優斎は、穏やかに頷き、
「まず、東海道を全て駕籠でとなりますと、逆に必ず、足腰に負担がかかってしまいます。お若い時であればともかく、申し訳ありませんが、御前様そして綾瀬様ほどのお年になりますと如実に出てしまいます。要するにこれは、運動の不足を補う為でございます。御前様、いや、お大名などでもそうなのですが、偉くなればなるほど、寿命が短くなると言われています。何故だと思われますか?」
姉小路は困惑した顔である。
そしてお華が、
「先生。偉くなると寿命が縮むってどういう事?」
と首を傾げて聞くと、優斎は笑って、
「はい。何でもあれを、これを、と言うとお付きの侍や女中全てがやってくれる、下手すると煙草の火まで付けてくれる。何でもかんでも人にやらせ、自分は動かない。これを続けると、身体を保つために必要な運動もしなくなってしまうのです。人の身体というのは、肘膝など動かすように出来ていますが、何もしないと、ドンドン弱っていき、動かさないから、急に動かすと、腰が痛いだの膝が痛いだのとなってしまうのです」
これには、なるほど理屈は分かる。しかし、
「では、優斎。今回もなるべく歩けと申すのか?」
優斎は頭を振り、
「しかし、やりすぎは返って身体の負担になります。つまり、過ぎたるは及ばざるが如しでございます。ですから散歩程度にと申し上げているのです。東海道には、御前もご存じの通り、歌にも歌われる美保の松原や、各地、神社仏閣などの名所もございます。こういったものを眺めながら、お歩きになれば、身体にも良いし、気持ちも晴れるのではと思っております」
そういう事であれば、姉小路も大きく頷き、
「うん。それは良いの~」
と笑顔になる。
そして優斎は、多少笑いながら、
「まあ、その際は、お華さん連れて、ああだこうだと文句仰って、歩けばよろしいのです」
それには、綾瀬も笑ってしまう。
「せんせい~」
お華はこちらも文句を言うが、それ以上は言えないから、ガックリ肩を落とす。
(2)
さて、一行は小田原を過ぎ、とうとう箱根の山に差し掛かった。
お華は上の方を見上げ、
「え~ここを超えるの~? 始めて見たよこんな坂! さすがに天下の険ね~」
と言うとおり、姉小路と綾瀬は馬に乗り換え、お華達は歩き……いや現代と違い、舗装されてる訳でも無いから、むしろ登山である。
正月の山の神も足を痛めてしまう。
そんな長い坂道を、顎を上げながら、女達は上って行く。
お華も、顎が上がり、
「なるほどね~。みんなが大変だ大変だと言う通りだわ」
と一番、体力ありそうなお華でさえ、苦行の表情。
るいや、おふみは、それ以上に苦しそうで、休み休みになってしまう。
しかし優斎が、休んでしまうと余計に辛くなりますよ。などと言うから、歩く姿は殆ど病人の様である。
さて、やっと坂を登ったと思ったところに湖がある。
芦ノ湖である。
そしてここには、有名な箱根の関所がある。
「入鉄炮出女」で一番厳しいと言われる、小田原藩管理の関所である。
鉄炮の規制は、治安など理由は分かりやすいが、出女は?
当時江戸では、各藩の江戸屋敷に人質として置かれた妻子などが、勝手に領国への脱出を防止するのが第一の理由である。
そして、鉄炮は、老中の承認を得たという鉄炮手形。そして女が江戸を出る場合には、江戸城留守居が発行する女手形が必要であった。
特に女には、検分の為に「人見女」が配置されており、検査は厳重で、身体的特徴、髪の毛の有無、ほくろや妊娠の有無など、それは細かい吟味が行われる。
が、お尋ね者などは脇道を通ったりして、関所破りも相当な数だったと言われている。
勿論、これは厳しい罰があり、関所破りには男女構わず磔である。
しかし、江戸期当初はともかく、実際には滅多に無かった様だ。
さて姉小路一行だが、こちらは正真正銘、幕府のお役目だから、留守居ではなく、筆頭老中発行の手形・書類である。
これには係の者も、慌ててその場で平伏。当然、簡単に通過できた。
その上、小田原藩にも知られる姉小路なので、検分というより、小田原藩の関所関係者一同、頭を下げての送迎だ。
「ご苦労に存じまする」と責任者一同が礼を持って送る。
気楽なものである。
しかしお華は、他の旅行者の者達に対する、厳しい詮議も遠くから見ていたので、
優斎に、
「さすが、姉様ぐらいになると、全然違うのね~」
と耳打ちする。
優斎も頷き、
「そうですね~」
と優斎は何か思うことがあった様だが、それは言わず、微笑みながら歩き出す。
そしてこの日は、三島宿に宿を取る。
そして、その晩は一騒動である。
そう、みんな足が大疲労。
一人一人順番に、優斎に足を揉んで貰い、優斎が用意した湿布を貼りまくる。
「なるほど、この為なんだ……
とお華は感心して、おふみの両足に湿布を貼るのを手伝っている。
おふみは、
「お華様。足、大丈夫なんですか?」
と些か呆れた様に聞くが、お華は笑いながら、
「まあ、しょちゅう踊りとかやってるからね」
などと笑いながら、湿布を貼っている。
優斎は微笑みながら、
「後は、大井川が素直に通れれば、後は箱根ほど大変では無いと思いますよ」
と、皆を励ます。
途中、美保松原に寄った姉小路は、優斎が言う通り、駕籠を降り歩き始めた。
もちろんお華も一緒に寄り添っている。
「いや、後ろは富士のお山だし、海は綺麗で、さすが羽衣伝説がありそうなところですねぇ」
お華も、優しい海からの風を受けながら、姉小路に語りかける。
「そうじゃな~。わらわもこれまでしっかりと見たことはなかったが、優斎の言う通り、こうして見る事が出来て、実に嬉しい」
とこちらも、上機嫌である。
すると、周りを警戒しながら、姉小路に、
「この度は、我が兄が余計な事を、誠に申し訳ありません」
と頭を軽く下げるが、姉小路は、
「何を言っておる。わらわも助かったわ。昨日の夜の様子を見たが、さすがに良く分かっておる」
「ハハハ」
と、お華は、恥ずかしそうに笑う。
姉小路は、
「そなたの兄がわざわざ来たというから、わらわも楽しみだったのじゃ。そなたの兄はどういう男かのとな。すると何とも妹思いの良い兄御ではないか」
お華は、盆の窪に手を当てて、恥ずかしげに、
「あの人は、心配性なのです。私一人でも大丈夫なのに……」
「何を言っている。顔に嬉しいと書いてあるぞ」
と姉小路は笑っている。そして、
「わらわも、色々侍は見たが、身分は低くともあれほど言う事に隙がなく、そして理路整然とした男はそうはいない。そなたの兄にしては、上等じゃ」
お華はそこまで言われ、もう言葉が無く、頭を下げるばかりである。
そして、姉小路は、真面目な顔に戻り、
「良い家に恵まれ、そなたも幸運じゃったの……」
と言うものだから、お華は驚き、
「兄は、そんなことまで?」
「まあ、そなたの強さを聞いたら、話の接ぎ穂でな」
お華はそれには頷き、
「お聞きであれば、申し上げます。本当にその事は、私もありがたく思っております。こうして、姉様のお供が出来るまでになった事だけでも考えられぬ事と、私自身、誠に感謝しております」
今度は姉小路がウンウンと頷きながら、横の松間の海に目を向ける。
そして、思い出した様に、
「そうそう、そなた。あの優斎と一緒になるんじゃろ? 兄が言っておったぞ」
お華も、それにはさすがに「え」と驚き、
(兄上はそんな余計な事を!)
と横を向いてぼやくが、姉小路は、
「女として、そういう話がある事はありがたい事じゃ。わらわも、あの男なら、お華にはお似合いじゃ。しかし、あの男もそんなに強いのか?」
などと聞くから、お華は頷いて、
「これ迄、投げた私の簪を、我が手で掴み取る事が出来たのは、父、兄、そしてあの人だけです。とてもじゃありませんが、私には勝てませんよ」
「なるほど、そして今は医者か。その辺、そなたと一緒じゃの?」
と言うと、笑ってしまう。
お華は、恥ずかしがって下を向いてしまう。
(3)
それから暫く何事も無く、五十三次の四十一番目の宿、宮宿(熱田宿)までたどり着いた。
ここでは当然の如く、皆で熱田神宮へのお参りだ。
この熱田神宮は、天照大神を主祭神として、
建速須佐之命・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命を祀っており、天照大神は草薙の剣の正体としている。
また、後年の戦国時代。
あの織田信長が、桶狭間の合戦の際、戦勝を祈った社としても有名である。
一同は、こちらでのお参りの後、再び街道に戻り、もうすぐ宿場へと言う、その時であった。
街道には、殆ど人影が無かった。
ところが、
行く先の方に四人ばかり、それぞれ妙な笑みを浮かべ、立ちはだかった
お華は、その連中をパッと確認し、まずおふみに、笑いながら、
「来る途中、番屋があったでしょう。悪いけど急いでこの事伝えてくれる。お縄もってすぐ来なさいって」
さすがにおふみも厳しい顔で「はい」と返事をし、すぐ走って戻って行く。
そして、るいに、
「るいちゃん、出番よ!」
るいは突然の指名に驚き、
「わ、私ですかぁ~」
お華は僅かに笑い、
「あの程度なら、貴方で充分よ。それに、貴方もそろそろ、そっちの方の準備しとかないといけないからね」
と優斎に目をやりながら、言う。
優斎も、少し笑いながら頷く。
すると、
「こら! 女共! おめえら江戸のもんだな! 身ぐるみ脱いで置いて行け!」
と、追い剥ぎ定番のセリフである。
どうやら連中は、侍だか農民だか分からない男達であった。
お華は嘲笑い、
「熱田のお膝元で、罰当たりな事するねぇ~。覚悟しな!」
と、それぞれ駕籠から見詰める姉小路と綾瀬も完全に安心してる様だ。
お華は、既に握り締めている小石をから、素早く一つ振り上げる。
「やっちまえ!」
と刀を振り上げて、襲いかかろうとする先頭の者は、まず最初に脳天に大きな衝撃を喰らう。
それと同時に、るいも連中に向かって飛び込む。
優斎は、刀を抜きもしないで腕を組んで眺めている。
るいはまず、その先頭の男の下に潜って、小太刀で膝関節辺りを切り裂いた。
その時、既にお華は残る連中も、小石で次々に打ち抜いている。
るいは、まるでおさよと同じ様に、次々斬りまくる。
これで終わりである。
ただ、一人、後ろに居た若い男が、かなり驚いた顔で、一目散に走り去っていった。
お華は、それも小石を打とうと、一瞬思ったが、「ま、いいか」と大きく息を一つ漏らしながら、持っている小石を、脇に転がす。
そして、るいに、
「全く、どこ行ってもこういうのは変わんないねぇ~」
などと言っていると、おふみが、捕り手を率いて駆け込んできた。
「追い剥ぎは、あそこよ!」
と、両手を頭、そして足を抱えて、苦しみながら寝ている連中を指差した。
やって来た、捕り手の代表と思われる者が、その状況に驚愕して、
「こ、これをあんた達が?」
と目を丸くした。
お華は軽く笑って、
「江戸じゃ、よくある事よ」
と言うのだが、優斎と、姉小路・綾瀬は口を押さえて笑っている。
お華は戻って来た、るいに、
「しばらくこんな事無かっただろうけど、相変わらず良い腕ね。これで安心したわ」
と言うので、るいは、
「やっぱり、腕試しですか? もちろん稽古はしてましたよ。でも、突然言うから、驚きましたよ~」
と、口を尖らせて文句を言う。
しかし、お華は、
「でも、これからが本番らしいから。るいちゃんも準備しとかなきゃね」
と笑っている。
後ろの、優斎他、皆、和やかに見ているが、優斎が、
「では、参りましょうか」
の言葉と共に、また一斉に歩き出した。
さて、それからまた歩き続け、ようやく京へ一歩手前、近江・大津宿へと辿り着いた。
ここから次は、いよいよ三条大橋となる。
翌日、三条大橋を渡出すと、皆、喜色を浮かべる。
江戸の日本橋より大きく、人通りも多く、お華は鴨川を横目に、嬉しそうな顔で橋を渡りながら、横の優斎に、
「これが三条大橋かぁ~。ねえ先生、ここは浮世絵なんかでよく見るけど、実際に見ると、江戸の大橋とあんまり変わらないね」
優斎も頷き、
「ここから少し下流の方には五条大橋があります。京の五条の橋の上♪ ってね」 お華は、珍しく陽気な歌など歌う、優斎に笑いながら、
「ああ、弁慶さんと義経さんね。それも子供の頃、よく聞いたわ」
と二人は笑っている。
すると、駕籠の中から、
「お華。このまま真っ直ぐ行って、烏丸通りを右に御所が見える」
と、姉小路の声が飛んできた。
「はぁ~」
同じく初めて京に来た優斎も、目を丸くするが、るいが、
「京は碁盤の目の様に町が出来ていますから、すぐ分かるそうです」
それにはお華が、
「碁盤ね~。さすがに古くからの都は江戸とは違うわね」
と、これも笑いながら頷く。
すると、また、
「そこを右!」
とまた駕籠から、声が聞こえる。
お華は笑いながら、
「姉様。地元なんだし、お歩きになったら?」
と言うから、姉小路も苦笑いしながら、駕籠を降りた。
そして、
「あそこを左に行くと、姉小路通りよ」
と言うから、お華と優斎は、少し驚き、
「姉様の名前は、通りの名になってるの?」
それには、姉小路も微笑みながら、
「違うわよ。わらわの方がそれにあやかって、姉小路としたのよ」
と答える。
「へ~」
などと返事しながら、そこを曲がると、今度は、それぞれ目の鋭い侍集団が、人々を監視する様に立っていた。
そして、お華達を見つけた途端、
「妙な女と医もんの男! あれやか!」
などと声を上げる。
同時に道を塞ぐ様、六人ほどが並ぶ。
しかし、またその向こうで一人、何故か微笑みながら壁に寄りかかった侍がいた。
しかし、その言葉を聞いたお華は、お出でなさったとそちらに鋭い目を向けて、
「妙な女ってのはアイツか!」
などと叫ぶと、隣に居た若い男が、
「あれです、あれ。彼奴らです!」
などと言う声が聞こえ、(あン時の仲間か……)とお華は確信した。
お華は直ぐさま、後ろのるいに、
「姉様をよろしくね!」
と声を上げ、一歩一歩優斎と共に、その連中へと近づいて行く。
そして五間程、近づいた時、優斎が、
「申し訳無いが、そこを通してくれないかな?」
と言うと、中の一人が、
「おんしら江戸んもんじゃな! 幕府のもんか!」
お華はその言葉に少し笑いながら、
「そうよ~。それが何か? 土佐の方々」
と言うものだから、その連中は驚いている。横の優斎さえ驚いていたぐらいだ。
「な、何故そがな事を」
お華は、笑いながら、
「ふん。柳橋の、と言っても知らん田舎者か。ま、お江戸の芸者にゃお見通しよ」
と、殆どお華は遊んでいる。
そして、優斎が、
「土佐のお殿様は、幕府の使いの者に手を出して良いとでも仰ったのかな?」
と、突っ込まれると、連中、一瞬言葉に詰まる。
当主、山内容堂は、底意はどうであれ、表だって幕府に楯突いたりはしない。
後ろで聞いていた、姉小路も二人の言いたい事が良く分かり、
「勝負あったの……」と呟くように言った。
すると、その連中の一人が、
「おい、岡田!」
と、後押しするように声をかけると岡田。そう、のちに有名となる岡田以蔵が、
「我々は殿様のご意志とは関わりない! 公武合体はつぶさにゃならん」
などと言った途端に刀に手を掛けた。
お華は、ふふんと鼻を鳴らし、
「盗賊使って待ち伏せたあ、長宗我部の侍も墜ちたもんだね~」
と、蔑むように笑う。
これには連中の後ろの方で、壁に寄りかかっていた男が、苦笑気味で大笑いだ。
「やかましい!」
と、岡田達は長刀を一斉に抜き、猿叫を上げながら一斉に走りだそうと一歩踏み出した瞬間だった。
お華の両手から、今度は華麗に円を描いて京の空気を貫き、本当の簪が六本飛ぶ。
後ろの男は、その瞬間、「あ~あ」と項を垂れて手を額に当てる。
そして、突進した侍達は一人残らず、頬に簪が次々突き刺さり、悲鳴を上げる。
同時に、優斎も刀を抜いていて、軽やかにそれぞれの膝を切割って行く。
こちらも相変わらず、華麗な手並みである。
連中は頬の激痛と、同時にあまりの手腕で、再び悲鳴を上げる。
しかし、倒れた男の内、上半身を起こした岡田が、
「こ、このまま、やられて堪ろうか!」
などと言いながら、駕籠の方に脇差しを投げた。
この予想外の反抗にお華も驚いたが、彼女はそれには間に合わず、何も出来なかった。
しかし方向が駕籠だったので、既に表にいる姉小路には問題あるまいと一瞬で思っただろう。
これには当然、後ろのるいも気づいていて、駕籠の方に一瞬で走り寄り、小太刀で刀を叩き落とす。
これにはお華も、
「さすが、るいちゃん。準備運動した甲斐があったね」
と言いながら、打った男に、素早くもう一本、簪を抜いた。
それは強烈に肩へ突き刺さり、以藏はまた、悲鳴を上げ沈んでいく。
後年人斬りと恐れられた男も、お華にはなすすべが無い。
頃は良しと、お華は後ろの姉小路達に、
「先に行って下さい。るいちゃんよろしく!」
駕籠と一同は、道の端を、急ぎ足で駆け抜けていく。
前を通り過ぎる姉小路を見送っている男にお華は、
「そこのあんた! あんたも仲間なの?」
と言うと、その男は大笑いしながら寄って行き、
「ひっさしぶりじゃのう。お華さん」
などと言うから、お華の方が大層驚いて、その男の顔をよく見ると、
なんと、坂本龍馬であった。
「あれ? 坂本さんじゃないの! なんで京なんかに」
と声を掛け、隣の優斎が、
「お華さん、お知り合いかい?」
「そうなの。北辰一刀流でさ、新之助のお師匠なのよ」
「え? 北辰? 新之助君の?」
さすがに優斎も驚く。
頭を掻きながら寄って来た龍馬は、苦笑いで、
「わしゃ、こいつらと同郷じゃからな。お前も来いって言われて来たんじゃ。わしもこんな事、好きではないからの。で、誰でも適当なところで止めようと一緒に来たんじゃが、出てきたのが、なんとあんたじゃ。笑ろうてしまっての。あんたなら心配ないと思って見学しとったんじゃ」
お華は、眉を寄せ、
「なんなのこいつら。あの剣筋は、たしか鏡心の士学館の一刀流でしょ?」
龍馬は驚いて、
「さすがじゃな。そんなことも分かるんかい!」
お華は不機嫌な顔で、
「一応ね。でもそんなとこで学んどいてこのザマじゃ、桃井先生もお嘆きよ。しかも、女の行列に突っ込むなんざ、土佐も噂ほどじゃないね」
これには、龍馬も頭を下げつつ、
「そこまで分かってるんなら返す言葉なんぞないわ。よく言っとくから、今回の事は勘弁せい」
お華は不承不承ながら、
「まあ、新之助の師匠であるあんたの顔を立てて、許すけど、こいつらの頭目に言っといてよ。こんな事したら、帝もお怒りだってね」
それには、優斎が吹き出す。
龍馬も苦笑いしながら、
「あんたには敵わんの~。ただな、こいつら、安政の大獄でとち狂ってしもうたんじゃ。もう、頼るのは帝しか無いってゆうてな。そこで、帝と幕府が一緒になるのが許せなかったんじゃ」
それにはお華も、おお~と言いながら、
「なるほど井伊様の。あれが土佐まで行っちゃったんだ」
優斎も頷いて、
「そうだな……たしか土佐のお殿様も処分されてしまっていたから、余計だよ」
すると、龍馬は頷きながら、
「わしも近い内また、江戸に行くきに、そんときまた、お二人よろしくな」
と言って、周りを見渡し、まだ痛みで転がっている連中に、
「どうしようかなこいつら。とりあえず、連れて帰んなきゃ」
お華は、思い出した様に、
「あ、先生、簪抜かなきゃ!」
というのだが、優斎は半分呆れながら、「はいはい」と近寄って一人ずつ抜いていく。
するとお華は、龍馬に、
「ところで、あんたはなんで京なんぞにいるのさ」
すると龍馬は、事も無げに、
「わしゃ~脱藩したんじゃ」
などと言うものだから、お華は驚愕して、
「だ、脱藩? 本当なの?」
と聞くが、素直に彼は頷く。
お華はむしろ感心した顔で、
「へ~やるね~」
と笑い、
「でもさ、そんなんじゃ京なんかにいたら、土佐の奉行所に捕まるよ~」
龍馬は笑って、
「今回はたまたまじゃ。知り合い頼って来たら巻き込まれての~」
と言うとお華は、何か思い出した様に、
「あ~そうだ! あんた。桶町のさな子さん。どうすんの?」
突然のその名には、さすがの龍馬も「え?」っと動揺してしまう。
お華が続けて、
「うちの新之助でさえ、おさな先生は坂本先生をお待ちしてるらしいですよ。とか、子供にも言われてるよ~。土佐より、桶町の連中が捕まえにくるかもしんないよ」
と笑うが、途端に、別方向の攻撃に、龍馬は「本当かい!」と瞳に落ち着きが無い顔をしている。
戻って来ていた優斎も、その話を聞いて、腹を抱えている。
すると、龍馬は、
「だ、大丈夫じゃ。わしゃこれから江戸にいくからの」
「ふ~ん」と返事をして、
「んじゃ、私らも江戸に戻ったら遊びにおいで」
と言うと、龍馬も、
「あ、ああ、ありがとな~」
まだ、何かに怯えて居る様だが、お華と優斎は、あとはよろしくと、
駕籠を追っていった。
(4)
姉小路通りの奥、丁度右手に二条城が見える辺りに、橋本家はあった。
橋本家は江戸時代後期の公家である。
官位は、正二位、権大納言の橋本実久が当主で、姉小路にとっては兄にあたる。
そして、娘の経子は宮中に昇り、和宮の生母となった。
従って、姉小路は、和宮の大叔母にあたる。
一行は、当主、橋本実久に、姉小路以下、後ろに並んで座り、挨拶をする。
姉小路の実家とは言っても、当主は公家。
お華が公家という人間をみたのは初めての事。
「おっほほ」と扇子を口に当て笑う姉小路の兄である橋本実久。
お華にとっては、初めて外国人を見るのと、さほど変わらない。
そして、それぞれ部屋に案内され、落ち着くが、やはり江戸とは佇まいが違う。
大袈裟に言えば、空気も違う様に感じたお華は、妙に落ち着かず、すぐ、隣の部屋に案内された優斎の部屋に行った。
部屋で落ち着き、庭を眺めていた優斎は、入って来たお華に笑顔で、
「どうしました?」
お華は苦笑いで、優斎の前に座り、
「どうも、落ち着かなくて。やっぱり土地が違うと、部屋も違って見えるのかしら」
それには優斎も笑って、
「そりゃ、二千年位の歴史があるところですから……」
「そうだよね。さすがに江戸とは違うよね」
優斎は頷いて、
「そうです。失礼ながら江戸は二百五十年程度の場所。仕方ありませんよ。でもお華さんのご先祖は、京にいらっしゃったかも知れませんから、まるっきり縁が無いとは言えないんじゃないですか?」
それにはお華も、軽く笑いながら、
「まあ、話通りならね」
と笑い、優斎も、
「今夜寝るときに、ご挨拶しといた方が良いんじゃないですか、先祖のご供養に」
こちらも笑みで答える。
そして、優斎は真面目な顔に戻り、
「ところで、やはり浩太郎さんの思った通りになりましたね」
それにはお華も頷き、
「あれは、ちょっと失敗だったわ。外に出て無くて、るいちゃんが、身体動かしてなかったらと思うと、青くなりましたよ」
優斎は、
「確かに」と頷き、
「あの連中は、簡単にはいかないようです。お互い気を付けましょう」
と言うと、お華も、
「はい」と微笑む。
~つづく~
今回もお読み頂き、ありがとうございます。
いよいよ、お華は上洛致しました。
今回はゲストとして、龍馬さんと岡田以蔵さんにおいで頂きました。(笑)
京都に血の雨が降り出すのは、まさにこれから。
土佐勤王党も、あまりの暴れっぷりでしたが、さすがに人の命を奪い過ぎにより、後年、自分達に跳ね返る事となり、悲惨な最期を迎えてしまいます。
それはともかく、お華が上洛する事で、京都の幕末喜悲劇の幕を開けたという事になったのでしょう。
それはそうとして、次回、お華は別に新たな道を歩く事になります。
まあ、前から分かっている事ではありましたが、時といい、場所といい、お華には一番ふさわしい様にも思います。
ということで、次回もよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。




