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お華の髪飾りⅡ  作者: 本隠坊
27/65

㉗M1851NAVY

(1)


 安政六年も年が明け、安政七年正月の挨拶も一通り済んだ時の話である。

 「安政の大獄」は未だに続いており、京の六角獄舎は、満員御礼の状況である。

 これは、それまでの寛政や天保の改革とは違い、対象が武士。

 そして一部の(陽明学など)儒教を信仰するもの、攘夷思想を持つ者など、いわゆるイデオロギーの戦いなので、一般の農民・町民、特にこの頃、世界最大の人口とも言われる江戸の庶民は、いわゆる高みの見物である。

 その点では気楽なものの筈だったが、一方でコロリの蔓延など、違う事に心を痛めていた。

 しかし、そのコロリも、ようやく終わりを見せ始めた時の話である。


 もちろんこちらお華の屋敷でも、ようやく通常通りの生活を取り戻しつつあった。

 とは言え影響は大きく、芸者稼業はサッパリで、お華は結局、お春に屋敷の奥の大きな木の前で、手裏剣を教えているのか遊んでるのか分からない指導をしている有様であった。

「えい! えい!」

 と何度撃っても、木さえ当たらず、みんな地面に突き刺さっている。

「ねえ。どうしたら、おばちゃんみたいに上手くなるの?」

 まだ少女のお春は、お華に文句を言ってる。

 お華は笑いながら、

「あんたが、遊び半分でやってるからよ。集中しなきゃ集中!」

 と、どこかで聞いた様な事言いながら笑っている。

 もっとも、お華も本気で教えようと思っていない。

 せいぜい、身を守る為で良いと考えている。

 あまり上手くなられても、むしろ危ない様に思っている様だ。

 自分の事は棚に上げて、いい気なものである。


 さて、そんなことやってると、浩太郎夫婦と新之助が屋敷にやって来た。

 浩太郎は、側に寄ってきて小声で、

「何遊んでんだ。お前、真面目に教えてないだろ」

 などと、こちらも反対してた自分の事は棚に上げて、文句を言っている。

 お春は、相変わらず眉を寄せながら、一生懸命簪を投げているが、一つも当たらない。

 穴掘りしてるようだ。

 お華は、浩太郎に、

「あら、お休み? あら信ちゃんまで。いいのよ。遊び半分で、百発百中になったら、兄上は兄上で、別の問題が持ち上がって、大変でしょ」

 それには、おさよも笑って、

「そうね~難しい所ね」

 浩太郎も、さすがに苦笑して、

「まあな、お華がお父上にどれだけご迷惑をお掛けした事考えると、俺も嫌だからな」


 するとお華は、

「ところで、どうしたの家族揃って。お春迎えに来たんじゃないんでしょ?」

 それにはおさよが、

「そうなのよ。お屋敷に行ってる祐三郎さんから、使いがあってね。こちらで優斎先生とお華も一緒にご報告があるからって来るように言われたのよ」

 お華は不思議な顔で、

「サブちゃん? 何かあったのかしら。しかもみんな集めて」

 浩太郎も大きく頷いて、

「それだよ、しかも伊達様の屋敷から使いだから、ちょっと心配なんだけどな」

 お華も頷いて、

「そう。じゃもうすぐ来るね」

 と言うと、お春に、

「じゃ今日はおしまい。片づけて、優斎先生にお手隙なら大広間に来てくれるよう言ってくれる?」

 そう言ってお春は医療所へ走り出し、お華達は皆揃って、屋敷の居間に向かった。


「あら、あら」

 とお吉が、みんな揃ってきたものだから慌てて立ち上がると、浩太郎が、

「ああ、気を遣わないでくれ。呼ばれて来ただけだから」

 とは言ってくれたが、女将にしたらそうも行かず、台所の方に走り、大声でおゆきに仕度を命じる。

 そこに、お春に呼ばれた優斎とおかよがやって来た。

「これはこれは、浩太郎さん。一体どうしたのです?」

 それには浩太郎が笑いながら、

「祐三郎君に呼ばれたんだよ」

 と言うと、優斎は座りながら、

「三郎? なんだ彼奴、浩太郎さんなら、八丁堀でお話すれば良いのに……」

 それにはおさよが、

「何だかご報告とお屋敷のお使いが言ってましたから、一遍に済まそうとしたんじゃないかしら」

「奥様まで、誠に申し訳ありません。え? お屋敷からの使い?」

 それには浩太郎が、

「それだよ、先生。伊達様のお屋敷からだから、俺も不思議でさ。何か問題か何か有ったんだろうか?」

 するとおさよが、

「もしかしたら、嫁取りの事じゃ?」

 それにはお盆を持ったおゆきが、笑って、

「姉さん。危うし!」

 などと言うものだから、お華以外は皆笑い出す。

 お華は慌てて、

「何言ってんの、あんたは!」

 と叱りつける。

 しかし、優斎が笑って、

「はは、でもそれなら、まず私に一言言う筈ですよさすがに」

「そうですよね」

 何故かおかよがホッとした顔つきで言う。

 皆に、料理と酒を出し落ち着いたところに、その祐三郎が早足でやって来た。


「皆様! お呼び立てし、お待たせしまして誠に申し訳ありません」

 と頭を下げながら、居間に上がってきた。

 おかよが、早速、酒を注いでやる。

「ありがとうございます」

 とニコニコ笑顔で言うと、優斎が、

「こら三郎! 皆さん集めての報告らしいが、一体どういう事だ!」

 少々、きつく言うが、祐三郎は、

「いや、兄さん。兄さんと浩太郎さんがいらっしゃった方が分かり易いだろうと思いましてね、少々込み入ってますから……」

 それにはさすがに二人が、

「何~?」

 と不思議そうな顔をしている。

「まあ、お華さんはどうでもいいんですけどね。どうせ、からかわれるだけだから」

「何を!」とお華は半身浮き上がり、睨み付ける。

 浩太郎は笑いながら、

「わかったわかった。で、一体どうしたんだ?」

 祐三郎は軽く頷き、少し身体を後ろに下げ、半分平伏しながら、浩太郎に、

「浩太郎さん。お上から遣米使節団のお話、耳にされてますか?」

 と問う。

 さすがに浩太郎は眉を寄せ、首を横に振り、

「使節団? い、いや俺は聞いた事無いぞ。お華! お前は?」

 お華にしても何の事か分からず、

「いや~、一昨日大奥にご挨拶には行ったけど、そんな話は聞かなかったわよ」

 しかし、優斎は、

「遣米……。米って事は、まさかアメリカか?」

 皆の顔色が変わり、

「ちょっと待て、まさか三郎君、もしかしたらアメリカに行くのか?」

「アメリカ?」とお華は叫ぶ。

 おさよなど女達も驚いている。

 すると、彼は嬉しそうに大きく頷き、

「はい。勝先生のご推薦により、通訳として乗船する事になりました!」

 と、大声で報告する。

「え~……。おいおい、先生! 凄い事だぞ!」

 優斎はゆっくり頷き、今にも涙を流しそうである。

 するとお華は、

「で、でもさ、他国に行くのは御法度じゃないの? 大丈夫なの?」

 それには浩太郎が、

「何言ってやがる。お上が行けと仰ってるんだ。罪になるわけないだろ!」

 さすがに、それには皆が笑う。

「あ、そうか。それじゃさ、他は誰が行くの? 次郎ちゃんは?」

 と聞くと、祐三郎は、

「たぶん彼も一緒だと思うのですが、お上の旗本の下の方は明日が発表なのですよ。私は伊達の家臣なので、何より殿のお許しを得なければなりません。そして、伊達からは私と、兄上のご存じでしょう、湯島聖堂の塾長をやっておられた玉蟲佐太夫様が選ばれました。で早めにお話が参りまして、殿に許可をお願いしたところ、大変お喜び戴きまして……」

「殿様もお許し下されたか! しかも二人」

 優斎は、嬉しそうに言うと浩太郎が、

「先生。勝先生にお聞きした二百五十年以上前のお話から、やっと次が出来ましたな」

 それには優斎は、両足の袴を握り締め、

「そうなんです。やっと報われる……」

 そう感動に浸っている優斎にお華は、

「先生も残念ね~。そういうのはてっきり先生が最初かと思ったけど、まさかサブちゃんが先に外国行っちゃうなんてね~」

 それには、兄弟二人が苦笑いだが、浩太郎が、

「お前は全く。いいんだよどっちだって。行けること自体これまで許されてなかったんだ。むしろ三郎君だからこそ、行ける事になったと思うぞ」

「そんなもの?」

 おさよも笑って、

「そんなものよ。剣が強いから良いって訳じゃないんだから。やっていた事と、時代が合っていたって事よ」

「なるほどね~」

 お華は斜め上を見ながら、納得しようとしている。 

 祐三郎は頭を下げ、

「やはり、皆さん居て良かったです。これ一々説明するのは大変ですから」

「確かにな~」

 と、浩太郎始め、皆が笑う。


 安政五年六月十九日に「日米修好条約」が締結された。

 批准書の交換は、ワシントンで行うとされたため、江戸幕府は米国に使節団を送る事にした。

 遣米使節団はその一行である。

 正使には、外国・神奈川奉行の新見正興。副使には同じく外国奉行の村垣範正が命じられ、そして目付に小栗忠順が選ばれた。

 この使節団は、単に批准書の交換だけでは無く、非公式ながら、通過交換比率の

交渉という役目もあった。

 そのために、米国の船「ポーハッタン」号と、日本の「咸臨丸」で向かう。


「批准書交換かぁ~」

 と浩太郎が言うとお華が、

「なんだ兄上、聞いて無いの?」

 それには浩太郎も、多少腹を立てた様で、

「馬鹿者。廻り同心の俺が、そんなご相談にあずかる訳ないだろ!」

 と言うと、お華も、

「まあ、そうよね。歩き回るだけだしね~」

 などと言うので、浩太郎は「お前は!」と声を上げると、おさよが笑いながら、

「お奉行様だってお聞きではないかもよ。それこそ、込み入った話だもん」

 すると突然、お華はスクッと立ち上がると、

 浩太郎とおさよの横に、お春をむりやりずらして座り、「もう!」とか言ってるお春に「あんたも一緒にやるのよ」と言いながら、正面に座っている優斎姉弟に向かって、

「さて、秋月様ご兄弟に申し上げます。桜田家を代表致しまして桜田のお華。祐三郎様のお喜びと、お勤めを無事終わられ、ご無事のご帰還できます様、お祈り申し上げる次第にございます」

 すると、お華とおさよは揃って平伏する。

 それを見た、新之助とお春も慌てて頭を下げる。浩太郎も軽く頭を下げる。すると、お吉やおゆきも同じく頭を下げる。

 少し驚いた優斎だが祐三郎の腿を軽く叩く。

 祐三郎も、慌てた感じで、

「これは、有り難いお言葉。誠にありがとうございます。秋月祐三郎、御役に立てるよう頑張り、無事に戻って参ります」

 と、兄弟二人は深く返礼する。

 しかし、お華は、

「だいたいね、サブちゃん。無事に帰ってくれないと、皆、お土産パーになっちゃうからね。しっかり持って帰ってくるのよ!」

 などと、少し涙ぐみながらもそんなこと言うから、女達はクスクス笑い出してしまう。

 さすがに浩太郎は、「馬鹿者」と叱りつけ、

「土産なんぞより、無事に帰って来れば良いのじゃ。仙台にはお母上とていらっしゃるのだから」

 それには、祐三郎が横の優斎に、

「そうだ兄上。母上にこの事、書状を出していただけませんか。私も出しますけど、私だけでは信じてくれないかも知れませんし」

 それにはお華が笑って、

「確かにね~。サブちゃんじゃ冗談言ってるんじゃないかって御心配になるかもね」

 それには優斎も和やかに、

「わかった。私からも出しておこう。で、いつ出発するのだ」

 祐三郎は、

「はい。今月十八日の予定です。お偉い方は築地から、私共は品川沖から出発致します」

 あまり日が無い。

 それにはお華が、

「十八日? そんなに早く? それじゃ明日にでも、早速、横浜いって、あの女将さん先生に、聞きにいきなさい。交渉もあるんじゃ、普通の通訳じゃ、足りないかも知れない」

 祐三郎は驚いて、

「え? な、なにを」

 浩太郎も、

「どういうことだお華」

 お華は、

「姉上。大奥に上がったら言葉、大変だったでしょう?」

 と一見、別の話をし出す。

 おさよは大きく頷いて、

「ああ、そう言えばそうだったわね~。下の子は良いんだけど、ご身分の高い方は、なんか違った言葉使ったりするからね」

 お華は頷き、

「そう。あれは源氏物語を混ぜたりするのよ。あたしもよく、姉様と喧嘩してたわ。芸者が源氏なんぞ知ってる訳ないでしょ! ってさ」

 それにはおさよも笑って、

「そうそう、よく喧嘩してたよね」

 するとお華は、

「大奥は特別だけど、表も、江戸の町家のものとは言葉が違うの」

「あっ!」と優斎も気づいた様だ。

 伊達に限らず、大きな藩は江戸に出向する場合、江戸城の言葉を覚える。いや、そういった家柄なら、子供の頃から教えられると言われている。

 いい加減にお国言葉で城に登ると、あっという間に「田舎者」のレッテルが貼られるからだ。

 お華は、祐三郎に、

「いい。千代田でさえ、普通の長屋に住む者には分からない言葉使ったりするの。じゃ、アメリカはどうなんだろう。これ確認しとかないと、通訳の役には立たないかも知れないよ。これが分からないと、お話し合いも上手く行かないだろうし、何より伊達のお殿様に恥をお掛けする事にもなりかねないわ」

 祐三郎は、目を大きくして、聞き入っている。

「まあ、江戸とアメリカじゃ違うかも知れないけど、念の為、一応確かめておかないと、あんただって恥かくよ。日にちも無いから限られるだろうけど、明日でも横浜のおじちゃんとおばちゃんに説明して、お聞きしてきなさい!」

 と、お華は言い放つ。

 優斎も、頷き、

「そうだ。確かにその通りだ。疑問は少しでも無くした方が良い」

 祐三郎も納得した様で、

「承知しました。明日急いで」

 と平伏した。



(2)


 さて十八日。

 祐三郎は、慌てて横浜の英語の先生に報告し、お華に言われた件を聞いていた。

 喜んでお祝いを言ってくれたが、しかし、一介の業者だ。

 そんな事を聞かれるとは思わなかった様で、近所で結構な騒ぎになったらしい。

 とは言え、そう心配する事はないとの事に落ち着いた様だ。

 と言う事で、当日、お華達は、祐三郎を品川まで送りに行った。

 立石斧次郎も、お華の前に現れ、

「これはお華さん。お見送り、ありがとうございます」

 彼も満面の笑顔で、深く挨拶してきた。

 お華もニコニコしながら、若い斧次郎の腕をポンと叩き、

「次郎さん。申し訳ありませんけど、サブちゃんの事、よろしくお願いします」

 と頭を下げ、

「あなたもどうか、ご無事でのお帰りをお待ちしております」

 再度、深く頭を下げた。

「はい。ありがとうございます」

 と彼は、乗り継ぎの小舟に向かって行った。

 すると、浩太郎が、

「お華! あちらにお殿様が!」

 なんと、伊達義邦が家臣を引き連れ、見送りに来ていた。

 優斎は、とっくに先に行き、目前で片膝着いて頭を下げているから、お華達も同じ様に挨拶しようとしたら、

義邦本人が、

「よいよい。忍びじゃ」

 と三人を立たせ、

「お華。そなたのお陰で、今回の事、我が家中の者を加える事が出来た。嬉しゅう思っておるぞ」

 と、向こうの船を見詰めながら、笑って礼をいってくれた。

 さすがにお華は、

「いえいえ」と首を振りながら、

「全ては、お殿様のご卓見の賜。他に全く褒められるところはございませんが、あの子は必死に英語を勉強しておりました。それが実っただけにございます」

 それにはさすがに義邦も笑って、

「お前らしいの~。が、しかし、これで我が家中が長年、禁忌としていた事がようやく片づいたのは大変ありがたい事じゃ」

 それには浩太郎が頭を下げながら、

「左様にございます。これにて、もう何も隠す事はございません。勝様もゆうておられました。その頃の詳細な記録が残っていれば、我が国は何も恐れる事は無かったと。当時の方々もさぞやご無念であったでしょうし、何より瑞鳳殿(伊達正宗)が、さぞご満足頂けるのではないでしょうか」

 義邦も嬉しそうに頷き、

「その事じゃ。二百年以上経って、ようやく胸張ってご報告出来る。ありがたい」

 と言うと、優斎も涙ぐんで、頭を下げている。

 するとお華が、

「あ! もう行くみたいですよ皆さん」

 と叫び、大きく手を振った。

 そこに居る殿様を除く他の者も軽く頭を下げる。

 少し離れて、おかよやお春も、お華を真似て、大きく手を振る。

 甲板に立つ祐三郎も手を振っていたようだった。

 

 これでとうとう、二百五十年以上の鎖を壊し、「万延元年遣米使節団」の一行は旅だっていった。


(3)


 と言う事で、祐三郎達は行ってしまったが、お華達の生活は特に変わる事はなく、

 いつもの暮らしに戻って行く。

 病気の方も一息ついたので、ちょこちょこ芸者の仕事も復活していった。

 おゆきも完全に元の通りになり、お華の後について柳橋に行けるようになった。

 しかし、優斎が、

「お華さん。一度、病気になれば大丈夫という病ではありませんから……」

 と、無理させるなと言うものだから、おかよを連れて行ったりしてる。

 おかよは、元吉原の呼び出しだったから、吉原の時の客ではなくても、顔を知っている者が居たりする。

 後ろで三味線弾いているお座敷で、わざわざ近寄ってきて、

「あんた。吉原の花風さんじゃ……」

 とか言われると、当然「何かのお間違えでは……」と否定するのか、お華が後ろに魔王の様に立ち、

「あ~ら、お客さん。ただの三味線屋さんですよ~」

 と、優しげな言葉とは裏腹に、引き摺る様に引っ張って席に戻すものだから、おかよは一度もバレた事がない。

 しかし、おかよは座敷からの帰り道、おかしくておかしくて、

「お華さん。何もあんなに無理矢理引っ張っていかなくても……」

 と言いながら、大笑いだ。

 さすがにおかよも、多少の事は覚悟していたが、一切合切お華が、そんな隙を与えないから、逆に気の毒に思えてくるのだ。

 しかし、お華は、

「いいのよ。ああいうのは、しつこいからね。バッサリ斬って捨てないと。おかよちゃんに手伝って貰うのも、おゆきの看護の代わりみたいなもんだからね」

 そう言われると、おかよも、

「お気遣いありがとうございます」

 と言うしか無いのだが、侍でさえ、お華を怖がる理由が、何となく分かった様な気がした。

 さて、同じく安政七年二月の或る夜の事。

 今回もお華はおかよを連れ、宴席に出向いた。

 この宴席は、三味にお酌のせいぜい線香一本分の席だったから、早く終わり、お華達は、女将のところに座り、喋って一服していた。

「あんたも凄いわね。優斎とこ手伝いながら、宴席で三味なんて。とても北(吉原)の呼び出しだったと思えないわね~」

 と女将が感心する。

 するとお華が、

「で、しょう? しかも、うちのおゆきだって直しちゃったんだから。三味もうちのノブさんが教える事無いっていうくらいだからね。あたしもあんな後だけど、助かるわよ」

「そうよね~」

 なんて会話を聞きながら、おかよは照れてしまい、

「止めて下さいよ~。恥ずかしくなっちゃう」

 と言うのだが、お華は、

「何言ってんの、堂々として良いのよ。別に恥ずかしい事してるわけじゃないんだから」

 などといって、皆笑顔になった、その時。

 玄関から、仲居の女が、

「頼母子講のお客様、いらっしゃいました!」

 と声が上がったので、女将は慌てて、立ち上がり玄関先へ。

 お華も、何となくチラっと、その方向を見た。

 何やら、四、五人の侍連中が、刀も預けず、女将を先頭にぞろぞろと階段を上がって行く。

 お華は首を捻って、おかよに、

「ねえ、おかよちゃん。頼母子講って知ってるよね?」

 おかよは柔らかな顔で、

「ええ」と頷き、「昔、里(吉原)で宴席に出た事ありますよ」

 と答える。

 するとお華が、

「でもさ、頼母子講って、侍がゾロゾロ集まって宴席なんてするもんだっけ?」

 さすがにその言葉には、彼女も首を捻る。

「いや~、ああいうものは、職人や商家の方が中心に行う者で、お侍がいないわけじゃ無いですけど、それだけってのは……」

 お華も斜め上を向き、

「そうなのよ。私も何回かあるけど、刀も預けず、侍が五人くらいで、しかも芸者も付けずなんて聞いた事ないな~」

 すると戻って来た女将に、

「女将さん。今の客の隣は誰が入ってるの?」

 と聞いた。女将は、特に何も考えずに、

「え~とね。日本橋の商家のお客さんお二人と……。ほら若い、市豆ちゃんと福豆ちゃんよ。まだ若いから三味も無いけど、何と言っても出たてだから人気があるのよ」

 若いから……に少々ピクっとしたお華だが、それはともかく、

「あ、あの子達ね。よし、それならちょっとそこに行きましょう。あの侍達、ちょっと心配なのよ」

 と言うと、おかよに、

「おかよちゃん。三味持って着いて来て!」

 同時にお華は立ち上がり、再び茶屋の階段に向かって行った。

 そんなこと言われた、おかよ、そして当然女将も驚き、

「ち、ちょっと、大丈夫なの?」

 お華は笑顔で振り向いて、

「心配要らない。私もお華太夫だからね」

 お華太夫だからと言われても全く訳が分からないが、おかよは慌てて、三味を慌てて箱から出して、

「お華さん。大丈夫なの? 人のお座敷に」

 吉原に限らず、芸者といっても宴会の席に勝手に入って行くなど、おかよには考えられなかったが、

「心配ない、心配ない」

 と言いながら、階段を上がっていくお華には、それ以上言えない。

 お華は座敷の前に座って、ガラっと戸を開いた。

 突然の事に、客はともかく、若い芸者二人は、思いっきり目を大きくしている。

「本日は、お出で頂き誠にありがとうございました。せっかくのお越しに三味の一つも無いのはあまりにも申し訳ありません。まだまだ、この子達は修行途中なので、本当に申し訳ありません。と言う事で、甚だわずかの間ですが、三味の名手かよ奴が奏でる曲を一つお楽しみ下さいませ。あ、これは本日細やかなおもてなしでございますから、お代は頂戴致しません。どうぞご安心を」

 そう聞くと、

 お客も「おお、それは嬉しい、なあ、××屋さん」

 などと言って喜んでいる。

 そしてお華は、後ろのおかよに、「ほれ!」と手を振るので、おかよは追い出される様に、座敷の客、はす向かいの奥に三味と共に座り、深々と挨拶した。

 するとお華は、芸者達に、

「あらあら、あなたたち、お客様にお酒をお注ぎしなきゃ!」

 などと言いながら隣の部屋のギリギリまで下がり

「では、かよ奴さん?」

 と笑って言うのだが、おかよは、

(私がいつ、かよ奴になったのよ)と苦笑しつつ、ノブの様に一つ音を大きく高く鳴らした。

 客の町人は、大きく手を叩く。

 

 暫くすると、その隣の部屋の障子が、些か乱暴に開けられた。

 刀片手の若い浪人風の男だった。

 しかし、お華は予想していた様だ。

 落ち着き払って、クルッと座りながらそちらに正面を向け、

「あ~ら、お隣のお客様。お耳に触りましたか? 誠に申し訳ありません。少々の三味ですので、よろしければ、どうぞご一緒に」

 と言うのだが、しかし、その男は、居る人間に顔ぶれを見回し、

「ふん!」

 と、また同じ様に戸を閉める。

 お華は、こちらの客に頭を下げ、

「驚かしましたか? まあ気を取り直して、かよ奴の三味をお聞き下さい」

 と言って、またおかよが演奏を始めた。


 隣では、その若い男が小声で叱られている。

「馬鹿者。確かめろと言うのは、正面からじゃ。横からじゃ、如何にもわしらが密談してるようではないか!」

「も、申し訳無か」

 とその若い男は頭を下げる。

 すると横の男が、おかよの鳴らす曲を聴きながら、

「まあまあ。大きな家中では、極秘の話は、三味か琵琶を弾かせながらやるらしいぞ。丁度良いではないか」

「まあ、そう言われればそうだが……」

 などと向こうでは話しているが、お華はまた、ギリギリまで障子に寄っている。

 ここまで来たら、おかよにも、お華がやろうとしている事が分かったので、

 なるべく、優しい曲をポロンポロンと弾いている。

 そして、おかよの二曲目が終わった。

 すると、お華は、

「如何でしたでしょうか? 柳橋に来たと思えたのではないでしょうか? それでは私共は失礼致します」

 と二人、頭を下げると、お華は、若い芸者達に、

「後、よろしくね。しっかりおもてなししてね」

 などと言いながら去って行ったが、残された芸者二人は何が起こったのか訳が分からず、口を開いたまま驚いている。


 お華は、女将に詳しい事を早口で教え、隣には、呼ばれるまでは近づかないよう言い残し、おかよと二人、屋敷に帰って行った。

 ようやくおかよは、

「話、聞けたんですか?」

 お華はチョコッと笑い、

「おかよちゃんにも分かった? 本当なら、甲賀の女将さんの様に天井でも潜むのが良いんだろうけど、残念ながら私にゃそんな真似は出来ないからね」

 おかよは眉を寄せ、「で、なんと」

「うん。さすがにみんなは聞けなかったけど(これが鳴ったら、一気に行列に斬りこむ)だってよ」

 さすがにおかよは驚き、

「斬り込むって……」

 お華は頷き、

「行列っていうと、お大名か大きなお旗本でしょ。誰かまでは分からなかったけど。兄上にすぐ知らせなきゃ」

 おかよは眼を大きく開き、

「でも、さすがお華さんですね~。そんな事まで……」

 するとお華は、

「あたしはね。元々、昔、遠山様に奉行所の御役に立ちたいって言って、芸者やらせて貰ったようなもんなのよ。でも、どうも今までは違った事が多くて、そんな仕事あまりしてなかったけど、ようやく本来の仕事が出来たわよ」

「へ~」

 その話に、おかよは驚くばかりだ。



(4)


 お華はおかよを屋敷まで送り届け、早速、八丁堀に向かった

 夜中であるので、子供達はもう寝てて、浩太郎達ももうそろそろ寝ようかという時分の居間であった。

「なんだ、なんだお華。こんな夜中に」

 と小声だが驚いた様に、庭先のお華に声を上げる。

「あら、お華ちゃん。入んなさい、入んなさい」

 おさよが言い、おきみに目をやると、「はい」とすぐ茶の仕度を始める。

 お華は、頷きながら、

「兄上。報告で来たのよ」

 さすがにこの夜中の注進だ。浩太郎も驚いて、

「なんだなんだ、何があった」

 お華は、「いえね……」と先程の柳橋での報告をした。

 そして、

「どう思う? 兄上」

 と聞かれ、浩太郎は「う~ん」と腕を組み、首を傾げ、

「他は?」

 おきみに礼を言い、茶を一口飲んだお華は、

「パンと鳴ったら、行列に飛び込む。これしか聞かなかった。あ! 後ね品川で皆と集まるってぐらいかな」

 そしてお華はおさよに、

「これだけでもどこかのお大名か、旗本に斬りこむだよね~姉上」

 おさよも頷き、

「十中八九、そうでしょうね。それに、実際はその五人より恐らく多いんでしょう? かなり大きい所を狙ってるんじゃないかしら」

 浩太郎も、

「そうだろうな。が、しかし。一体誰を……」

 するとお華は、

「あのね。私は“パーン”と鳴ったらっていうのが気になるのよ」

 それには浩太郎も、

「なんだ? どういう意味だ?」

 お華はもう一口お茶を飲み、

「兄上、横浜の一件あったでしょ」

「ああ、あれか。優斎さんからも聞いたが」

「そう。まあ、顛末はいつもの通りなんだけどさ……」

 それにはおさよもおきみもクスッと笑ってしまう。

 しかしお華は、

「いや、問題はね。あの時、アメリカ人の店主が、鉄砲いや、こんな……」

 と、手で大きさを示し、

「こんな小さい鉄砲を撃とうとしたのよ!」

 それには、おきみ以外、浩太郎とおさよは目を大きく開ける。

「あんな時だから気持ちは分かるけどさ、あんなものいきなり撃ったら、奉行所も大騒ぎになっちゃうでしょ。何とか、扇子広げて止めたけどさ。私が思ったのは、パンと言うのはその音の事なんじゃないかと」

 浩太郎は驚き、

「そんなものアメリカ人が持ってるのか? 驚いたな!」

 と声を上げ、

「でも、だからといって、その辺の武士がそんなもの持ってる訳無いだろ」

 その意見は、一応正しい。

 しかしお華は、指を一本出し、

「私もまさかとは思うけど、一つだけ思い当たる事があるのよ」

 こんどはおさよが、

「一つだけ?」

 と声を上げる。お華は頷き、

「アメリカ行っちゃった斧ちゃんから聞いたんだけどさ。ペリーが浦賀に来た時、ご公儀のお偉い方々に、お土産でその……何だっけ……」

 などと頭を叩きながら、ようやく思いついて目を開き、

「ご老中とか、一人ずつに……ええっと、コルト? とかいう小さな鉄砲を配ったそうなのよ。そしてそれは、水戸のご老公にも……」

 さすがにそれには、浩太郎とおさわは夜にも関わらず、大きく叫んだ。

 浩太郎は慌てた感じで、

「ち、ちょっと待て、それはまさか、水戸様がご大老をって事か?」

 しかし、お華は笑って、

「そういう見込みもあるって事よ。だって、動機は充分でしょ?」

「おお……しかし、そんなことに鳴ったら、吉良邸討ち入りみたいな事になってしまう……」

 浩太郎は、より頭を捻ってしまった。

 するとお華は、おさよに、

「でも私は、大した腕でもない、侍連中が何をしようとどうでも良いの。ただ、町中で、鉄砲使って斬り込みなんかやったら、その辺の町人まで巻き添いになっちゃう。それだけは嫌なのよ。ねえ姉上」

 それにはおさよも、

「そうね。それだけは絶対駄目ね」 

 と大きく頷く。

 すると、浩太郎が、

「分かった。明日朝、佐久間様に報告して……品川だったな」

 お華は頷いた。

「大至急、網を張ろう。お前の言う通りになったら、彦根と水戸は戦になってしまう。さすがにそれはマズイ」

「そうよ。よろしくね」

 すると、おきみが、

「お華さんの簪とその鉄砲、どっちが強いんですか?」

 などと聞いて来るから、お華は大笑いして、

「あのね。優斎先生に聞いたんだけど、私の簪は例えば腕に刺さったらそれなりに痛いけど死にゃしないわ。でも鉄砲じゃ、もうその腕は使えなくなるか、血が一杯出て死んじゃうんですって。だから余計、よく分かって無い者が使うと、とんでもない事になっちゃうのよ」

 おきみは眉を大きく上げて、驚いた顔になる。

 お華は、

「まあ、ここからはお兄様が何とかしてくれるでしょ」

 と大笑いだが、浩太郎は、

「何言ってやがる!」

 また、厳しい顔だ。



(5)


 安政七年三月三日、朝。

 世間では「ひな祭り」女の子の節句である。

 しかし、雪が降るぐらいの寒さであった為、お華は布団に潜り何時までも出て来ない。ひな祭りなど、全く頭の中に入っていなかったお華は、妹芸者、おゆきに叩き起こされる。

「おゆき~まだ、寒いよ~」

 などと言ってるが、おゆきは、

「姉さん! 今日はひな祭りの節句ですよ! 八丁堀の奥様もいらっしゃってるから、早く来て下さい!」

 と言い付けられ、お華は、

「姉上も~?」などと言いながら、やっと起き出す。


 もう広間には、遠山の奥様、今は大奥様だが、けいから戴いたひな飾りが、既に飾られてる。

 その前で、おふみ、お春、おゆき。そして、おかよまで一緒人形を眺めながら、楽しそうに話している。

 お華は、両手を挙げ、欠伸しながらおさよの横に座った。

「お華ちゃん。忘れてたでしょ」

 と言われ、苦笑い。

「姉上。今更お祭りって言われてもね~」

 おさよも、

「まあ、そうだけどね~」

 と二人で笑う。

 すると、おかよが、

「ねえ、お華さん? 大奥のひな祭りってどんなもんなんです?」

 と何気なく、聞いた。

 すると、お春まで、

「叔母ちゃん! 教えて!」

 と騒ぐが、お華とおさよは顔を合わせて、これまた苦笑い。

 お華が、

「聞きたいの? 聞かない方が良いと思うけど~ねえ、姉上」

 おさよも、両手を顔に当て、

「まあね」

 と言った感じだ。

 しかし、おふみまで一緒になってきくものだから、「仕方無いわね~」と

 お華は、出された豊島屋の白酒を一口すると、額に皺が寄り、

「あいかわらず、甘いわね~」

 ろ言いながら、

「あれは、まだ姉様、いや姉小路様が大奥に居た頃、私と姉上は、大奥の節句に呼ばれた事があるのよ」

話始めると、子供達とおかよまで近づいて来る。

 おかよは吉原にいたから、そちらでもひな祭りはやっていたが、あくまで商売上のものだし、さぞ、心境は複雑だったろう。

 ならば、江戸時代、吉原以上の女の仕事場、大奥ではと知りたいのは当然だ。 お華はそれも分かるから、余計に話さなきゃいけなくなった。

「あそこはね。もう二日前くらいから、飾りをやりはじめるのよ。うちだけじゃ無く、だいたいどこの家も、人形は一揃えなんだけどさ、あそこはもう、目一杯飾るのよ。あの時火事かあった後にも関わらず、そりゃ部屋中、凄い量よ」

 それには、子供達でさえ、「ほ~」とおじさんの様な声をあげる。

「人形屋さん達がね、どこも、うちの人形を、うちの人形をと次々言ってくるから、大変みたいよ~」

 おかよは、その辺の事情を見通せるので、大きく頷く。

 すると、お春が、

「で、それからどうなるの? お菓子とか凄く美味しいものが出るんでしょうね」 などと言うので、お華はまた苦笑い。

「まあ、あんた達はまだ甘いお菓子とかが好きだから、そんな事言うだろうけどね。人形がそうなら、そっちもそうなのよ」

「そっちも?」

 お華は頷き、

「そりゃたっくさん、菱餅やら饅頭。この白酒だって山の様に集まってくるのよ。すると姉さんなんかがさ、折角、頂いたものだから全部戴きなさい。とか余計な事言うから、みんな馬鹿食いよ~」

 さすがに子供達は仰天している。するとお華は、

「姉上? 姉上の話もしていい?」

 と些か、ニヤけて聞く。おさよは、珍しく畳に両手を付き、仕方無いという様子で、小さく頭を下げる。

 お華は、少し笑って、

「姉上は、実は甘い物、苦手なのよ。だから今日だって、白酒飲んでないでしょ」 それにはお春が、

「あ! 母上は、大人だからお茶で良いって……」

 お華は、

「この人は昔からそうなのよ。だいたいひな祭りの節句なんか行く気は無かったみたいだけど、さすがにお城で、大奥直々お招待だから嫌とは言えなかったのよ。だから、もう大変」

 続けて、

「大奥は、そもそも人は多いんだけど、さすがに江戸中の甘い物が集まちゃうと、もの凄い量だから、姉上も、食べなきゃならない。この、侍より強いって剣豪が、もうそれで、ひっくり返っちゃってさ。私が抱いて他の座敷に連れてって寝かしたのよ」

 と大笑い。おさよは死んでる。

 すると、おかよが、

「お華さんは大丈夫だったの?」

 それにはお華は笑って、

「そこは私も芸者。自分のはそこそこ飲んだ振りして、もう徹底して白酒注ぎに回ったわよ。お菓子もさ、あなたも、あなたも、さあさどうぞ! 何て言いながら逃げ回ったわよ」

 さすがにそれには、子供達やおかよ、そしてお吉まで大笑いしている。



(6)



 そんな様子で笑い合ってる時、信吉が庭の方からやって来た。

「お華様!」

 と声がしたので、蘇ったおさよが、自ら障子を開けてやる。

「あ、奥様!」

 笑顔のおさよが、

「どうしたの信吉ちゃん」

「すみませんお華さんは?」

 と言うので、

「お華ちゃん! 信吉ちゃんが用があるみたいよ」

 お華は「おう信ちゃん。どうしたの?」

 すると信吉は、

「すみません。佐久間様が奉行所に来て欲しいって。旦那様から読んでこいと言われまして……」

 しかし、お華は外を見ながら、

「え~雪なのに、奉行所? まあ佐久間様なら仕方ないけどさ……。まいいわ、ちょっと待ってて用意するから。あ、おふみも元気になったから、見てやって」

 と言って、「おふみ!」

 と呼び、自分は仕度に向かう。


 さて、そして二人は奉行所に向かった。

 もう雪は降っていないのだが、さすがに降り積もっているので、歩きにくいっていったら、ありゃしない。

「まったく下駄で、奉行所に行くとは……。今日は節句なのにな~」

 などと忘れていたくせに文句を言ってるが、信吉は、お華のぼやきには慣れてるのでニコニコしながら反論しない。 

 するとお華は、

「ねえ、信吉ちゃん。例の妙な侍達の件なんでしょ。あれから、どうなったの?」

 それには、困った顔で、

「実は私、それには加わってないんですよ。ただ、先程の佐久間様のお話では、お華様に直に確認したいとおっしゃってるとか……」

 それにはお華も呆れ顔で、

「直にって言ってもね~」

 お華は、柳橋で少し会っただけ、それ以上は正直、言う事は無いから、こちらも困った顔だ。

なんだかんだ言いながら、二人はようやく呉服橋に差し掛かった。

 お華はここでも、

「あ~ズルズルだよ。気を付けないと転んじゃう……」

 と文句を言ってたが、橋の真ん中に到着したその時だった。


「パーン!」


 信吉はもちろん、お華にも聞き慣れない大きな音が響いた。

 二人は同時に、空に顔を上げる。

 すると、お華はようやくその音の正体に気付いた、いや見当をつけた。

 途端にお華の声が変わり、

「行くよ! 信吉!」

 とまるで飛び越える様に橋を渡り、素早く奉行所を通り過ぎ、城の方へ走った。 信吉も追い付くべく急いだが、お華の早さにはまだまだ敵わない。

 お華は悪路の中、全速力で走り、馬場先堀を曲がり、あの爆音がした方に曲がって日比谷御門を抜けたところでようやく足が止まった。いや、進む事が出来なかったのだ。あとの信吉も同じ所で急停車し、彼は後ろにスッ転んでしまう有様。

 なぜ? そう目の前では、侍同士が激闘していたからだ。

 信吉も起き上がり、

「お華様、ど、どうしたら……」

 お華は、苦笑して、

「どうしようも無いわよ。眺めてるしか……ただ、回りで見てる見物の町人に注意して。巻き込まれないように!」

「はい!」

 通常、江戸見物の一つと言われる、幕臣、大名達の登城を見ようと、雪の後にも関わらず見物していたのだ。

 今度は信吉を先頭に、遠巻きに町民が恐怖で動けなくなってる所に急いで向かう。

 そして、行列の家門を遠目で確認すると、お華が思っていた通り、「彦根橘」

 だった。

 お華は暗い顔で、深い溜息を吐いた。その白い息が両頬を伝う。

「こんなことしたら、大乱だよ……」と一人呟く。

 しかし信吉は大声で、見物の町民達に向かって、

「そこから後ろに下がって! 斬られるよ!」

 と、大声と手振りで、危険を伝える。

 そう、こうした場合、奉行所の者が出来る事はこれぐらいだ。

 すると信吉が、

「お華さん! 簪は?」

 と言うのだが、お華は苦笑して、

「こんなのに使えやしないよ。あたしたちはどっちの味方もできないからね」

 信吉も頷いて、

「そうですね……」と言ったその時だった、

 母親とはぐれたのかまだ小さい女の子がひとり立ちすくんでいるのが見えた。

 すると、そこに斬り合っている、いや正確には、刀を交えている二人がその子に近づく。しかし、本人達も命のやり取りなので、子供の事など分からない。

 信吉は大声で、「危ない!」と叫ぶのだが、その子は竦んでしまい、立ち止まったままだ。

 仕方無く信吉は、危険を顧みず走り始めた。

 お華もそれを確認しながら、今、仕えないと言ってたのに、頭から簪を一本抜いた。

 しかし、どこでも撃って良いと言うわけではない。

 お華は慎重に眉を目一杯寄せ「よし」と頷いた。

 大上段の浪人風の男が、相手、いや女の子に向かって走り始める。

 そこでお華は大きく振りかぶり、下から腕を振り上げた。

 お華の手から走り始めた簪は、斬り掛かった浪人の手首に深々と突き刺さった。

 あまりの事に周りの人間、いや当人でさえ、何が起こったのか分からなかっただろう。

 ただ、あまりの激痛に刀を後ろに飛ばしてしまった。

 その手首からは鮮血が四方八方飛び散る。動脈に当たってしまったのかもしれない。

 その激痛と、湧き上がる恐怖に怯え、這いつくばって慌てて左手で刀を拾い、大手の方に逃げ始めた。

 しかし信吉だけは、何が起こったのかすぐ分かった。走りながらニヤリと笑い、滑るように子供に飛びつき、道の端に引き寄せた。

 そして同時に、

「この子のおかあさん!」

 と大声で知らせる。

 お華も、信吉のやりように微笑み、後を小走りに近づいていく。

 母親は余りの事に腰を抜かして倒れてしまっていたようで、お華が着く頃ようやく、子供の所に摺り寄って、抱きしめる。二人とも大泣きだ。

 それをなんども頷きながら、やって来たお華に、

「やっちゃいましたね」

 と些か、からかう様に言うと、お華は、

「ばか。関係無い人が危ない時は別よ!」

 と叱りつけるが、笑ってしまう。


 そう、これが有名な「桜田門の変」の始まりである。


 お華達は、町人の安全を確認しながら、事の成り行きを見詰めていた。

 奉行所に知らせる暇は無い。

 何も出来ない。

 前方では死闘が続いているが、手は出せない。いや、その気は無いのだが、お華はどちらの侍も、斬り合いと言うには芸も無く、あまりに情けない様に見えた。

 そんな時、向こうの方の駕籠の辺りから、大声が飛んだ。

「彦根・大老井伊直弼! 討ち取ったり!」

 声と同時に、その首を上げた。

 しかし、その声が澄まぬ内に、再び戦いが始まる。

 目的を達成させた浪人達、今度は一斉に逃げに入った。

 とはいえ、主人を撃たれた家来達が簡単に見逃す筈もない。

 お華達の前からドンドン波のように、大手の方に戦いが移っていく。

 そこでお華は、信吉に、

「お駕籠の方に行くよ!」

 と声をかける。

 

 お華は側に倒れている首なし死体をチラっと見ながら、駕籠に行くと、すぐこちら側の下の方に割と目立った穴が空いているのに気づいた。信吉はそれを見守っている。

 そしてそのまま、お華は駕籠の反対側に行き、駕籠上部ににも穴があったのを見つけた。

「やはり……」

 と言って、信吉に、

「そこの死体。どう思う?」

 と聞いた。

「え?」と言いながら、あまり見たくは無いが、仕方無く、その首なし死体を見詰める。

 しかし、信吉はある事に気付いた。

 お華に、

「この仏。血があまり流れてないですね」

 と言う。

「そうね。じゃ、死因は?」

 と聞く。

 ちょっとした試験の様だが、これは実地の見聞である。

 これほどの機会はそうは無い。

 お華も、必要性を感じたのだろうか?

 信吉は、

「これは首を切られて死んだのでは、ないですね~もっと他の……」

 お華は笑って頷き、

「その通りよ、この駕籠には鉄砲の後が付いていた」

 それには信吉は驚き、お華が指差す穴を真剣に見詰める。

「たぶん。この鉄砲で死んでしまったか、ほら駕籠の上に刀を刺した傷があるでしょう。たぶん、この時点でもう亡くなっていたのよ」

 

 しかし、この桜田門で長銃を持ち出すのは無理だ。

 あまりにも目立ちすぎ、襲う前にバレてしまう。

 彼らも警戒の目が注がれているのは分かっていたから、そう大胆な真似は出来なかった。

 となると、やはり、橋で聞いたあの音は拳銃の音だろう。

 お華は信吉に、

「信ちゃん。今すぐ奉行所に行って、この事兄上に伝え、同心をみんなこっちに、すぐ来る様に言って!」

 というと、信吉は大きく頷き、

「承知しました!」の声と共に走り出して行った。



(7)

 

 この日浩太郎は、雪でもあったから、同心部屋で書き物をしていた。

 お華が来る事も知っていたので、割と気楽に書き机に向かっていた。

 そんな時だ。大きく戸を開ける音が響いた。

「旦那様!」

 この大きい声も、部屋中に響き渡った。

 浩太郎は信吉の様子に驚き、すぐ書き物を止め、

「どうしたんだ信吉!」

 と玄関口に進む。

 当然、こんな日だから、同心は皆部屋に居る。

 こちらも他人事ながら驚き、皆の視線は信吉に。

 信吉は大声で、

「只今、桜田門前にて刃傷でございます。それも一人や二人ではございません」

 浩太郎は驚愕で、瞼が大きく上に上がる。

「刃傷だと? まさか……」

 信吉は大きく頷き、

「ご大老、井伊様の行列に多数の浪人どもが打ち込みました。お華様によると、鉄砲にて撃った後、駕籠を襲撃。ご大老は首を打たれました!」

「ご、ご大老様だと!」

 この言葉は浩太郎だけで無く、全ての人間の度肝を抜いた。

 あまりに衝撃の為、雑談する余裕もない。

「で、お華は一緒に居たのか?」

「はい。お華さんがそこの橋を渡る途中、鉄砲の音に気付き、奉行所飛ばして、駆け付けたのです。行列を見物していた子供の命をお救いになりました!」

 それには、浩太郎はどうしても笑ってしまう。

 しかし、

「お華で良かった。他の者なら斬り合いになってるだろう」

 浩太郎は、後ろを振り返り、

「皆さん聞かれたな。とくぼんも聞こえたな?」

 部屋にいた、早坂徳之介・とくぼんは、「は~い」と苦笑いしながら返事をする。

「寒いところ悪いが、皆、行ってくれるか。但し、我々はお指図が無い以上、今は、どちらの味方でもない。とにかく関係の無い町人などを散らしてくれ」

 浩太郎も、この頃は同心部屋の部屋頭の様になっていた。

 出世と言えば出世だが、単に年を取ったというだけとも言える。

 浩太郎は信吉に、

「とりあえず、お華の所行こう!」

 と、すぐに羽織を取り出し、信吉と一緒に部屋を出た。


 やはり浩太郎も、お華と同じ所で足が止まった。

「こ、これは……」

 激闘はもう、こちらの方まで来ている。

 それより、この雪の一面に、まるで点描の絵の様に描かれた光景に、仰天した。

(こりゃ、浮世絵でも描けまい……)などと思ったが、

 信吉に、

「こちらです」と誘導され、やっと足が動き出した。

 そして、

「兄上!」

 と向こうから声が飛んだ。

「おう、お華! 大丈夫か?」

 それには笑って、

「大丈夫よ」と言うと、浩太郎も、「そうだろうな」と笑顔で答える。そして、

「で、どんな感じだ。あらかた信吉に聞いたが、他に何か」

 お華は首を振り、

「いいえ。駕籠と、ご大老の亡骸は、屋敷の方から人が来て引き取って行ったわ」

「やはり、首、討たれたのか?」

 それもお華は頷き、

「ええ。見事に」

 浩太郎は、ク~っと悔しげな声が出てしまう。

 お華は、

「どうするの兄上」

 と聞くので、浩太郎は、

「まず、お前達は奉行所に。お奉行様と佐久間様にご報告しなければならない。お前なら、ご信用下さるだろう。それよりなにより……」

 と笑顔になり、

「寒いだろうからな」

 それには、お華は少々怒りながら、

「本当よ! よりによって、私が来たらこんな事始まるんだもん。暖まる暇も無いわよ」

 浩太郎はハハと笑いながら、

「今、他の同心連中も出てる。とりあえずは何とかなるだろう」

 と言うと、三人は、奉行所の方に進み始めた。

 しばらく、あれやこれやと話ながら歩いていると、ある屋敷の前で、声が聞こえた。

「その首、こちらに渡せ!」

 これはお華達にもしっかり耳に入った。

 二人は、何も言わず、自然と走り出していた。

 その屋敷は、近江三上藩主・遠藤但馬守という屋敷前であった。

 ちなみに、現在のパレスホテル付近である。

 

 その屋敷の前に行くと、三人が刀を振り回していた。

 いや、もう疲れ切っていたようで、方も何もなく、ただ振り回していた。

 そして、一人の方は、首の髷の部分を持ちながらであった。

 しかし、首というのは、荷物とすればかなりのものだ。

 彼は、かなりの使い手なのだろうとお華でも思ったが、さすがに疲労が全身を縛り、動きも鈍い。

 それでも、何とか彼は追っ手の足を斬り、優勢になったがそこまでの様だった。

 そこにお華と浩太郎が来たので、さすがに観念したようで、いきなり刀を逆手に、自分の腹を掻っ捌いた。


 切腹というのは、刺した時点では痛みは少ない。

 また、一度刺し斬ったぐらいではすぐには死なない。

 この時、動脈などに刃が届いて無いと、完全に死ぬのは、下手すると翌日になってしまい、苦しみ抜いての切腹は珍しい事ではない。

 だから、介錯が必要なのである。

 ただ、打ち首でもそうだが、これはどうしても、斬り手の技量に左右される。

 「人斬り浅右衛門」が居りゃ良いが、不慣れな侍では最悪、何回も首を斬る事になり、また違った責め苦を味わってしまう。

 

 彼は、腹をしっかり斬っていない様だった。さすがに悶絶している。

 その様子を眺めていたお華は目尻を釣り上げ、近づいていく。

 浩太郎や信吉が、慌てて止める声も聞かず、

 その男の前に腰を下ろした。

「おい! お華!」浩太郎は、驚愕の声を上げる。

 しかし、お華は微かに微笑む。

 そう、この男は柳橋で、いきなり障子を開け、お華と顔を合わせた男だったからだ。お華は気付いていたのだ。

 この男は、有村寺左衛門という男だ。

 この男の兄弟は明治維新でこれから有名になっていくが、兄になるほど人が墜ちるなどと言われている有村家の末の弟である。

 

 お華は、冷静なそして厳しい声で、

「あんた、それじゃすぐは逝けないよ。女のあたしにゃ出来ないから、自分で介錯しないと」

 と冷たい声で言った。

 そして、頭を軽く下げ、

「おめでとうございます。これであんたの名前が後世に残るよ」

 言いながら、指で中心から少し左の胸を指差し、

「ここを一気に……」

 刺すように教えてやった。

 その男は、息も絶え絶えに、

「あ、いがと、ご、わす……」

 と軽い笑顔のまま、一気に心臓を正確に突き刺す。

 彼はガックリ、目のめりになった。

「お華さま!」と信吉が叫ぶ。

 お華は顔を上げ、向こうの方で同じ様に驚愕し、口を空いたままの早坂に、

「とくぼん! この人を戸板に乗せて、奉行所に。佐久間様にご確認頂くのよ!」

 と、叫ぶ。

「は、はい!」と、とくぼんは慌てて、従者などに戸板の用意を命じている。

 一方、大門前では、侍同士が言い合っている。

 自害した彼は、既に首をこの屋敷の中に放り込んでいたから、井伊家の侍と首の引き渡しを要求しての事だ。

 遠藤家の侍は、「誰の首だか分からない。お目付様にご報告しなければならない!」と言って要求に応じないが、

 お華はが、苦い顔でそこに行き、

「お首はお返しな。何時までもぐだぐだ言ってると、赤備えがあんたの主君とあんたを狙って攻め込むよ。それぐらいして当たり前なんだから!」

 と口を挟むと、さすがにそれ以上何も言い返せず、渋々、首を返した。

 しかし、こんな所に井伊直弼が、如何に恐れられ、嫌われていたかを表している様にも思える。

 浩太郎は、怒り顔でお華の尻を叩き、

「何、余計な事言ってるんだ! 奉行所に帰るぞ! ご報告しなければならん!」

 と叱られ、お華は頭を掻きながら「は~い」と浩太郎達の後を行く。

 信吉は別の意味で驚き、(無敵だな……)などと言いながら、後に付いていく。



(8)


 奉行所の広間に連れてこられたお華と信吉は、真っ先に火鉢の側に飛び込む。

「あ~あ、生き返った! ねえ、信ちゃん」

「はい!」

 と言いながら二人とも、手の平を上に炙り、足の裏を火の入った火鉢の横に付け、とても芸者とは思えない有様で、暖を取っている。

 一方、浩太郎は、佐久間に知らせに行っている。

 そして、暫くすると、上座の方の襖が開いた。

 戻って来ている浩太郎が、

「おい! お華! 信吉!」

 と叱りつけると、二人共慌てて、座り直し、信吉は少し離れた後ろの方に下がった。

 入って来たのは、吟味与力佐久間と、何と、奉行も一緒に現れた。

 浩太郎はもちろん、お華達も慌てて平伏する。

 

 この時の北町奉行は、石谷因幡守であった。

 石谷は、安政の大獄、責任者の一人でもあった。

 だからなのか。佐久間より先に、

「おい。ご大老が殺されたのは、しかと誠か?」

 と、説明を始める前に聞き始めた。

 この焦りは当然である。

 この後、井伊直弼の政治が全否定され、それに加担したと思われる者も、左遷・隠居の扱いを受けている。

 それには、浩太郎が、

「恐れながら、お奉行様に申し上げます。横の我が妹、お華が全て確認しての事でございます」

 と、また平伏する。

 石谷は、ガックリと肩を落とす。

 それを横目で確認し、些か微笑の佐久間が口を開く。

「すまんなお華。ちょうどこの事詳しくと思って読んだのだが、まさかその前で始まってしまうとはな。さすがお華、ひな祭りでも大暴れだな」

 と笑ってしまう。

 お華は首を振り、

「嫌ですよ佐久間様。大した事はしてませんよ。あの、私とこの信吉がそこの呉服橋を渡った、ちょうどその時です。パンと聞き慣れない大きな音がしたんですけど、お聞きになりませんでした?」

「いや。わからなかった。他の事やっていたからかも知れない」

 と言ったが、石谷因幡守は、

「わしは聞こえた。ちょうど庭を見ていてな」

 と苦い顔で言う。

 するとお華が、

「そうでございましょう。ですから私はこの子と一緒に音の方向に走りました」

 とその後の一連の動きを説明した後、

「はい。もう桜田の辺りは血の海です。雪が積もってましたから、余計に目立って……」

 佐久間も、

「さもあろう」 

 と大きく頷き、

「わしも、内密に危険の知らせを出しておいたのじゃがな」

 お華は、

「甘く見ていたのでしょう。大行列であっても、この雪。御家来は合羽に、その上、全て刀を鞘袋に入れてたものですから、あれでは急の役には立ちません」

 それには佐久間も、

「なるほど! 雪だったからな。何とも間の悪い……」 

「それからその内、井伊掃部頭討ち取ったり! と声が上がりました。私共も、その連中が逃げた後、お駕籠と、お首はございませんでしたが、ご遺体を確認致しました。正しく家門は、彦根橘でございました」

「んん~」

 と上座の二人は、大きな溜め息である。


 すると佐久間は、

「お前の事じゃ、他にも何か見つけたのじゃろう」

 と聞くと、お華は頷き、

「ええ。周りに居た町人に話を聞くと、まず連中は、駕籠訴と称して行列を止め、駕籠横から、鉄砲で打ち抜いた様にございます」

「て、鉄砲か?」

 驚く佐久間だが、それは聞いていなかった浩太郎が、眉を顰め、

「何を言っている。あんな長いもの持っているのが居れば、駕籠も止まらずに逃げるだろう」

 お華は首を振り、

「あれは恐らく小さな物よ。これぐらいの……」

 と、手で親指と一差し指を立てて

「もし、水戸であれば、これぐらいの鉄砲を持っていてもおかしくはございません」

「な、何だと! 水戸? なんでそんな事分かるんだ」

 浩太郎はさらに聞く。

「私はね、大奥の瀧山様に聞いた事があるの。あのペリーが浦賀に来た時よ。あの時、上様はもちろん、ご大老・老中様と御三家それぞれに、小さな鉄砲を土産として渡されたと仰ってたわ」

「何だって?」

 浩太郎はもちろん、上座の二人も驚いている。

 お華は頭を捻り、

「え~と、なんと言ったけな……。あ! そうよコルトとかいう鉄砲よ」

 事実、ペリー一行は条約締結時、親善の祝いということで、幕府や御三家など主立った人々に拳銃を送っている。

「コルトM1851 NAVY」という名の拳銃であった。

 ちなみに、最近。この模造拳銃が発見された様だが、今となってはどちらが使われたのか分からない。

 そもそも、発射された弾丸が見つかっていない。

 今も江戸城、堀の中ではないだろうか……。


「しっかり、駕籠双方に、斜め下から反対の斜め上に鉄砲のものと思われる穴が空いていました。その上、駕籠の上から何本か刀の後もありました。私が思うに、おそらくその時点で殺されて居たものと思われます」

 さすがに、それには石谷が驚き、

「ま、待て。しかし大奥が、何故その様な事を知ってるのだ」

 それにはお華は一度頭を下げ、

「実はその折り、大御台様も、ミシンとか言う、勝手に着物を縫ってしまうというカラクリの道具も土産に貰っているからでございます」

 大御台とは天璋院篤姫の事。

 十三代将軍家定は、安政五年に亡くなっており、今は十四代家茂の世となっている。

 さすがに、石谷はそれ以上言えず、佐久間は呆れた顔で、

「相変わらず、お前さんは……。相変わらず大奥のお目付様じゃの~」

 と大笑いする。

 するとお華は、あ! と目を大きく開け、

「一つ言い忘れておりました。先程、水戸の者がと申しましたが、実は、一人かどうかまでは分かりませんが、薩摩の者もおりました」

 と、平伏する。

 水戸ならこれまでの経緯から、まだ分かるが、「薩摩」と言われて、他の者は驚愕した。

「おい! お華。なんでそんな事分かるんだ!」

 と浩太郎が、むしろお華を取り調べている様な言い口だ。

 お華は浩太郎に顔を向け、

「兄上も見たでしょ、自害した浪人」

「ああ、あれか」

「あの人の言葉が薩摩の言葉だったのよ。私も芸者。それぐらい分かるわ。それぐらい特徴があるのよ。それにあの、おかよちゃんも確認しているのよ」

 浩太郎は「なるほど」黙り込んだが、前の二人は、すでに言葉を無くしていた。

 芸者と吉原の元遊女がいうのだから、これ以上の証言はない。

 しかし、薩摩もとなれば、ただじゃ済まない様な気がした。

 佐久間は、思ってもいなかった事態に少し落ち着いて考えたいと思った様だ。

 それは、奉行も一緒である。

「それはこれからお奉行と与力達で相談する。お華、ご苦労じゃった」

 と二人は顔を見合わせ、席を立った。


 お華は、平伏して二人を送り、見えなくなると、早速また火鉢に足を付け、

「信ちゃん、あんたも暖まりなさい」

 とか言って、

「あ~寒い、寒い」

 と言っている。

 浩太郎は呆れた顔で、

「全くお前は……」

 と嘆くが、

「でも、よくやってくれた。お前もな」

 と微笑んで言い、信吉の頭を撫でる。するとお華が、

「ねえ、兄上……」

「なんだ」

「あのさ、これってもしかしたら時代が変わる印なのかしら?」

 と聞く。

 実は、浩太郎もそこまでハッキリしてないが、大老がこんなにあっさりやられてしまう事に、僅かながら、恐れを感じていた。

 大老暗殺は、それだけの出来事であった。

「何、言ってんだ……」

 と横を向いたが、彼も妙な不安感に包まれている。

 



~つづく~



 今回もお読み頂いてありがとうございました。

 

 さて、とうとう「桜田門の変」でした。

 題名の(M1851NAVY)って何だ? と思われた方もいらっしゃると思いますが、

 この事、すぐに理解された方は、かなりの江戸、もしくはかなりの幕末通と言えるのではないでしょうか?


 当然ながら、江戸以前の日本で、銃による暗殺事件は滅多に無い。

 古くは、天正元年、織田信長への杉谷善住坊の暗殺未遂事件。

 江戸時代だと、人吉藩の竹鉄砲事件が有名である。

 桜田門の変の場合、銃によるというのは、少々外れているかも知れないが、現在でも、銃に撃たれ死んでいたのでは? という説もあり、しかも、

コルト・リボルバー(模造であったとしても)となると、日本初の拳銃による暗殺事件となる。

 この辺も、時代の変革を感じます。


 いずれにしても、力で押さえつければ、力で返されますね。

 これは今も昔も同じ。

 2022年でも同じ様な事が世界で起こってますが、私にはそんな結果が予想され、地球は大変な事になるかも知れません。

 そして日本の今は、江戸時代の江戸と似てる様に感じます。

 何もないで済めば良いですが、どうもね……。


 と言う事で、大した事が無ければ(笑)、

 また次回もよろしくお願い致します。

 ありがとうございました

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