㉕安政の大獄とコロリ大乱
(1)
この日お華と優斎は、些か奇妙な格好で八丁堀に向かっていた。
二人とも地味な着物で、なぜか、口と鼻には黒の手拭いを巻いている。
玄関に迎えに出た、おきみは、声で誰だかわかったものの、目を丸くした。
「何故……?」
その日屋敷にいた浩太郎とおさよは、その格好を見て大笑いだ。
そして、浩太郎は、
「なんだそりゃ。闇の軍団か何かか?」
と笑いながら言うのだが、お華は目を細く、
「ここには大事な子供がいるんだから、仕方無いでしょ」
しかし優斎は、さすがにそれを取り払い、
「今、うちの子達も大丈夫なんだから、そこまで心配することは無いって言ったんですけどね~」
些かガックリした様に言う。
小春に横から不思議そうに見上げられながら、お華は、
「来る途中に移るかもしれないでしょ。気を抜いちゃいけないわ!」
などと言っているお華はほっといて、優斎は浩太郎に、
「どうです、町の様子は?」
それには浩太郎も真剣な顔で、
「どうやら品川でも出たと聞いた。確かめた訳じゃ無いが、あっちゅう間に死んじまったら、確定もなんもあるまい」
「そうですか……」
「ほらみなさい!」
とお華に言われてしまう。
苦笑した優斎はそれを受け、おさよに、
「そういう事でしたら奥様。そろそろ準備を」
おさよも大きく頷き、
「分かりました。父上と母上にも話したんですけどね~あたし達はもう年だからとか言っちゃって、真面目に聞かないのよ。でも下女や従者には言っといたから、余計な事さえしなければ大丈夫だと思うけど……」
優斎は大きく頷き、
「なるほど。それではお子達は私共が責任を持ってお預かり致します」
と頭を下げた。
すると、浩太郎は脇の文机から、一枚紙片を取り出し、
「お華。これ見てどう思う?」
と渡された。
お華は、その紙に書かれた物を見た途端、目元が険しくなった。
「まさか、これ……?」
浩太郎も難しい顔で頷き、
「お前が言ってた、こっちも流行病みたいなもんだ」
苦笑しながら、腕を組む。
しかし、お華は呆れた様な顔で、
「やるんじゃないかとは思っていたけど、まさかここまで。これじゃ根刮ぎじゃない。あ、やっぱり川路様も入っている……」
浩太郎は笑って、
「それは上の方々のみだ。家来も入れれば、膨大な数になる」
お華は、その紙を優斎にも見せる。
優斎も或る程度は聞いていたのだが、さすがに予想以上で固まってしまった。
そんな時、庭の方から裕三郞が帰ってきた。
「只今戻りました!」
と言ったが、そこに兄とお華がいたので、
「これはこれは兄上、お華さん」
軽く挨拶しながら、上に上がってくる。
お華は、浩太郎に、
「サブちゃんにはまだ?」
と聞くと、些か笑いながら良いよと首を振る。するとお華は、
「サブちゃん! 先生が仰ってたコロリの事。ちゃんとお屋敷でご説明したんでしょうねぇ」
などと些か厳しく言われ、裕三郞も怖々だが、
「ええ。申し上げましたよ。お嬢様が充分ご承知下されて皆さんに申し渡しておられたので、一応大丈夫だと思います」
「一応?」
とお華は厳しく言うが、優斎が、
「まあまあ、お華さん。三郎が言うのも限界がありますよ。お分かり戴いただけでも充分です」
お華は、そう言われると「そぉお?」
と矛を収めるが、再び、
「んで、もう一つの方は。ちゃんと留守居様にご報告したの?」
それには、裕三郞も余裕たっぷりと言う感じで、
「はい。そっちの方はこちらにも既に二、三報告が入ってましたから、すぐご理解戴きました」
しかし再び「そう?」と言いながら、お華はその紙を裕三郞に渡す。
そこには、以下のように書かれていた。
『蟄居』
徳川斉昭~前水戸藩主
岩瀬忠震~作事奉行
永井尚志~軍艦奉行
『譴責』
松平頼胤~高松藩主
松平頼誠~守山藩主
松平頼縄~常陸府中藩主
『甲府勝手』(甲府勤番への左遷)
平山敬忠~書物奉行
木村勝教~評定所組頭
『隠居・謹慎』
一橋慶喜~一橋徳川家当主
松平春嶽~福井藩主
徳川慶篤~水戸藩主
伊達宗城~宇和島藩主
山内容堂~土佐藩主
堀田正睦~佐倉藩主
大田資始~前・掛川藩主
川路聖謨~江戸城西丸留守居
大久保忠寛~江戸城西丸留守居
中山信宝~水戸家老
松平忠固~上田藩主
本郷泰固~若年寄
土岐頼旨~大目付・海防係
石川政平~一橋徳川家家老
『隠居・差控』
鵜殿鳩翁~駿府奉行
浅野長祚~小普請奉行
『御役御免・差控』
板倉勝静~備中松山藩主
平岡円四郎~一橋徳川家家臣
黒川雅敬~一橋徳川家家臣
佐々木顕発~勘定奉行
高須鉄次郎~外国奉行支配調役
これが、一橋派として粛正された面々だ。
後で分かるが、まだ、これはホンの一部である。
さすがに裕三郞も目を剥いて仰天した。
「こ、こんなに? 二、三どころじゃ無いですね~」
「そうよ。言った通りお大名の方々も勢揃いでしょ。これが粛正って言うのよ。伊達様が無かったのは、本当に良かったわね」
裕三郞も、些か震えながら頷く。そして、
「しかし、ご三家・御三卿様もいらっしゃる。これはこれからどうなるんです?」
それにはさすがにお華も笑って、
「そこまで私が分かる訳ないでしょ。まあ、とりあえず、次の将軍様が、間もなく西の丸に入られる事だけは確実よ」
「は~」
するとお華は、浩太郎に、
「兄上はこれからどうするの?」
浩太郎は頷き、
「そっちの方は、目付以下の筋がやると思う。われわれは町の方だ。さすがに閉門の見張りやりながらなんて、南を会わせても無理だからな。しかもアメリカの事もあるし」
それにはお華も頷き、
「そうよね~。で、やっぱり横浜は開港するの?」
それには優斎も聞きたい話らしく、少し前のめりになる。
「横浜だけじゃないよ、他にもいくつか開港するって話がある。まだ正式ではないけどな……」
それには裕三郞が、
「仙台もですかね~」
と、言うが優斎は、さすがに首を捻る。
(2)
さて、幕府ではお華の予想通り、家定の養子が正式に決定、発表された。
紀伊藩主、徳川家福。後の家茂である。
もちろん既に反対勢力が一掃されている為、滞りなく家茂は西の丸に入った。
しかし、上方の方では重大な問題が起こっていた。
帝・孝明天皇は、勝手な条約締結と関係者の一斉摘発に、大変、激怒される。
公卿達の不満も相まって、とうとう一つの決断をなさった。
いわゆる「戊午の密勅」である。
外国との条約即時中止を促す、勅許の発行である。
要旨は大きく三つ。
①将軍が調印是非の伺いを立てながら、家臣が勝手に調印したのは不審。
②御三家か大老を指定して召命したのに水戸を処罰した理由が不審。
③内憂があっては国家の一大事であるから、大老・老中始め御三家・御家門など列藩一同が群議評定して公武合体の為に一致せよ。
以上、朝廷が幕府政治に介入する事自体、異例であった。
しかも、それには、
「別段、水戸中納言へ仰せ下され候」という添え書まで入っている。
ここまでしないと、《天皇の一分》が立たないと言う事だろう。
これは、朝廷・伝家の宝刀ともいうべき、最終兵器の発動であった。
さすがに井伊直弼もこれは計算に入ってい無かったらしく、京都で、直弼の為に市中、並びに朝廷を探索する長野義言も全く掴んでいなかった。
これは単なる知らせではない。これに従わぬ場合は朝敵とされてしまう。
このことは、鎌倉以前より、武力を持たぬ朝廷が唯一の手段で、平家も鎌倉幕府も、この事で一挙に世論が変わってしまう前例もある恐ろしいものである。
もっとも、これは江戸幕府を倒せと言う物では無く、条約の即時撤廃、またこの事を推進できる者の登用、そして井伊直弼の退任を促すものだった。
井伊側がこの事に気づいた時は、既に発行され、幕府老中・水戸家に送られてしまっていた。
ようやく気付いたものの直弼は、すぐそれを無効として回収を始める。
幕府宛ての物は抑えられたが、問題は水戸に行った勅諚だった。
水戸藩内では受ける受けないで、かなりな騒動になった様だ。
斉昭も処分された水戸である。幕府いや井伊に対する反発心も強い。
色々あったものの、ようやく回収を終えた井伊直弼は、朝廷に圧力をかけ勅許内容の無効を命じた。
しかし、無効とすれば良い物ではない。
こちらも激怒した井伊直弼は、この事に僅かにでも携わった者の摘発を始める。
これがまさに「安政の大獄」の開始と言って良いだろう。
京都所司代を筆頭に京都・大坂町奉行など各奉行所に対し、大号令を発し、この勅許降下に携わった者達の一斉検挙を命じた。
また、これは朝廷内においても例外ではない。
こちらも大嵐が吹いた。
さすがに孝明天皇も危険をお感じになったであろう。
そして、この事は関東にも当然命令された。
勅許について、運んだ者、返却反対を叫んだ連中、そしてそれに繋がる者などを奉行所に命令し捕縛するよう命じられた。
浩太郎も「こんな時に?」と首を傾げて思っていたが、その内、次々街道途中まで出張して街道途中で罪人引き渡しを受ける羽目になる。
それを聞いたお華は、頭を抱え、
「ここまでやるとは。兄上も思いも寄らない事だろうなぁ~」
と後に、知らせと子供達の様子を見に来たおさよにぼやく。
おさよも、
「本当よ。病気の事どころじゃ無いみたいね」
と、珍しく抗議めいた事を言ってしまう。
この密勅に対する、主な処分者は以下の通りである。
『死刑・獄死』
安島帯刀~水戸藩家老(切腹)
鵜飼吉左衛門~水戸藩京都留守居(斬罪)
鵜飼幸吉~水戸藩京都留守居役助役(獄門)
茅根伊予之介~水戸藩奥右筆(断罪)
梅田雲浜~元小浜藩士(獄死)
飯泉喜内~元土浦藩士・三条家家来(斬罪)
頼三樹三郎~京都町儒者(斬罪)
橋本左内~越前福井藩松平春嶽家臣(斬罪)
吉田松陰~長州藩毛利敬親(斬罪)※但し別の容疑。
日下部伊三治~薩摩藩士(獄死)
藤井尚弼~西園寺家家臣(獄死)
信海~僧侶、月照の弟(獄死)
近藤正慎~清水寺成就院(獄死)
中井数馬~与力(獄死)
『遠島』
鮎沢伊太夫~水戸藩勘定奉行
小林良典~鷹司家諸太夫(獄死)
六物空満~大覚寺門跡家士(獄死)
日下部裕之進~薩摩藩士(獄死)
勝野森之助~旗本、家来
茅根熊太郎~水戸藩
太宰八郎~上田藩士
『追放(重・中)』
吉見左膳~宇和島藩家老
池内大学~儒者
近藤茂左衛門~信濃国松本町大名主
丹羽正庸~三条家家臣
森寺常邦~三条家家臣
三国大学~鷹司家家臣
伊丹重賢~青蓮院家臣
入江則賢~一条家家臣
~他、押込・急度叱り置き・手鎖など多数~
『捕縛前に死去』
梁川星巌~漢詩人
月照~僧侶
山本貞一郎~浪人
勝野正道~陪臣
『朝廷への処分』
尊融入道親王~青蓮院門主(隠居・慎・永蟄居)
一条忠香~内大臣(慎十日)
近衛忠煕~左大臣(辞官・落飾)
鷹司輔煕~右大臣(辞官・落飾・慎)
鷹司政通~前関白(隠居・落飾・慎)
三条実万~前内大臣(隠居・落飾・慎)
二条斉敬~権大納言(慎十日)
近衛忠房~権大納言(慎)
広橋光成~前権大納言(慎)
万里小路正房~前大納言(慎三十日)
正親町三条実愛~権中納言(慎十日)
久我建通~右大将(慎)
後年、最も有名になったのは、橋本左内と吉田松陰だろう。
橋本左内の墓は、南千住の回向院にある。
そして吉田松陰は、ちょっと違っている。
何が違うかと言うと、この人の斬罪は、なんと聞いてもいないのに、
老中・間部詮勝殺害計画を白状してしてしまったからだ。
これには、むしろ取り調べ方の方が驚いた位だ。
しかし、長州の野山獄に幽閉されていた男が言う事である。
奉行も遠島が適当と考えていたようだが、井伊が死罪に変更した。
結局、橋本と同じく、伝馬町で首を落とされた。
辞世の句「身はたとい 武蔵野の野に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」
梟首され、ただ、古塚原に土を軽くかけただけで捨てられた松蔭の身体は、刑場の小者に金を掴ませ、松下村塾の門下生によって掘り出され、今もある世田谷の
松蔭神社に改葬された。
面白いのは、ホンの近所には豪徳寺がある。ここには井伊直弼の墓があるのだ。
あの世でも喧嘩しているのだろうか?
(3)
さて一方ではこの頃、とうとうコレラが江戸に蔓延してしまった。
死亡者が一気に増大し、両国橋ではあまりの数に、百件に一回など数えている場合では無くなったようだ。
真面目な信吉は、お華に言われた通り、橋番に状況を聞きに行くのだが、その年寄りの橋番は、もはや疲れた顔で、
「もう、何回だか分かりゃしねえよ~」
と両手を挙げる有様だ。
それでは正確なことは分からないと思った信吉は、改めて手拭いを口に巻き、
小塚原の焼き場(処刑場周辺の寺)に様子を見に行くと、驚愕し、足が止まってしまった。
なんと焼き場の前には、早桶がまるで荷物の様に、積み重なっていたからだ。
つまり、あまりに数が多く、火葬が間に合わないのだ。
その現状を見た信吉は、その場で震えを感じた。
死体そのものでは無く、その多さだった。
そして手拭いで口と鼻を塞いでいるのにも関わらず、突き刺さってくる死臭。
中には、早桶ではなく、筵にくるまったままという遺体もあるから余計である。
信吉は、慌てた様に両国方面に戻り、浩太郎が留守だからお華の所に報告に行った。
「そう。そんなに……」
お華も言葉が無い。
奉行所の資料では、死者○○との報告が残されているが、他の町人などの日記などによると○○万人などとも残されている。
やはり江戸パンデミックであったようだ。
しかしそんな時、おかよがやって来て、慌てた声で、
「お華さん! おふみちゃんがどうも具合が悪い!」
と教えに来てくれた。
おふみは信吉の妹。
信吉も眼を大きく開け、「本当ですか!」と叫ぶ。
先程信吉は、早桶の重なりを見てきているから、余計に恐ろしさが重なってしまうのだろう。
しかしお華は、
「いったい何で? 外には出てないんでしょ?」
と言うと、騒ぎを聞いたお吉が、悲しそうな顔をしてやって来て、
「おゆきが、柳橋の料亭に行く用事があって、ふみちゃん連れて行ってるのよ」
それにはお華は驚き、
「お母さんなんで! なんでおふみまで」
「どうもね。座敷の今後の様子が気になったらしくてね。おふみちゃんは、外に出たがってたから……。ちゃんと手拭い巻いて行くのよとは言ったんだけどね……」
と、もう涙が溢れている。
しかし、やって来た優斎は、
「お華さん! そんな事、今言っても意味が無い。とにかく治療を!」
と言って、二人は運ばれた長屋に運んでいく。
そして、
「あの上に寝かせて!」と優斎が指示を出す。
実は、事前に優斎は、今で言う簡易ベッドを用意していた。
要するに、長方形の箱状の物に、布団を敷き、布団はお尻の位置に穴を開け、下から物が出し入れ出来るようにしていたのだ。
寝かせた二人を診た優斎は、一旦外に出て、
「女将さん! サキさん! 言っておいたサラシと桶二つ、至急持って来て下さい。但し、手拭いをしてね!」
と叫ぶ。二人は屋敷の台所方面に早足で向かっていく。
信吉も長屋の前で、泣きそうな顔で立ち尽くしている。
部屋のお華は、ウンウン唸っている中の二人に、
「頑張りなさい! 諦めちゃ駄目よ!」
と、怒鳴るように言っている。
優斎は、大屋敷の他の子供たちの所に行き、二人と話しているか聞いた上で、素早く手の裏で熱を測った。
頷いた優斎は、居間に座って、心配そうにこちらを見ているおさよに、
「このまま、子供達を絶対に外に出さないようお願いします」
おさよも厳しい顔で頷き、
「あなたたち! こっちに来なさい!」
と側に寄せ、まるで叱りつける様に指示する。
優斎は、また長屋に戻り、土間に桶を置き、お尻に穴の空いたサラシをお華とおかよが二人で、二人の下半身に捲く。
既に、下痢、嘔吐が始まっていた。
とりあえずそこをおかよに任せ、優斎とお華は台所に行った。
当然ながら薬はない。
唯一の方法は、とにかく水分補給である。
いや、それは既にお華達が湯冷めの水を飲ませたが、すぐ吐き出してしまう。
それを聞いた優斎は、頭を抱えた。
この頃、コレラには唯一の治療法はこれしかない。しかし、それを嫌がってしまえばどうしようも無い。
優斎はとりあえず、一回外に出て、居間の前に行き、庭先から居間で難しい顔をして座っているノブに、
「ノブさん申し訳無い。風呂の方、お願い出来るかい。悪いけど信吉君と二人でやってくれるかい?」
と声をかける。
ノブにしても、ただ座っているだけより、何かした方が気が紛れる。
「はい!」と言って立ち上がり、長屋の前で立ち尽くす信吉を大声で呼んだ。
すると、お華が長屋からやって来た。
「じゃ、あたしが」と今度はサキが手拭いを取り出して、庭に出る。
「すまないね~」と言いながら、お華は優斎に。
「駄目よ。出しちまうだけで、水を受け付けてくれない」
と、あまりの様子に、困った顔をしている。
すると新之助が、
「水を飲まないと駄目なんですか?」
と優斎に聞く。優斎は大きく頷いて、
「そうなんだ。新之助君。君は人の身体の半分以上は水で出来ているって知ってるかい?」
それには新之助は目を丸くして、
「え? 半分以上?」
と驚く。
正確には、大人ならおおよそ60%、子供なら70%というところだ。
優斎は頷いて、
「そう。血も会わせてね。それぐらいでないと身体は動かせないんだ。もちろん剣術も」
するとお華が、
「で、どうする? 先生何か考えていたんでしょ?」
優斎も渋い顔で、
「そう。だけどね。これっと言う物が浮かばなくてね。砂糖水なら飲むだろうか?」
「う~ん、砂糖ねぇ~。じゃ、とりあえず作ってみようか。姉上も一緒に」
おさよも、ただ座っているだけなど性分では無い。
三人は台所に向かった。
お湯を沸かしながら、お華は、
「でもな~砂糖水そのものを飲むかな。ねえ、姉上」
「そうねぇ、最初は良いけどすぐ止まってしまうんじゃ……」
と言いながら、お湯が沸いたので、白湯に砂糖を入れて飲んでみた。
当然、砂糖湯だ。
おさよは首を振り、
「やっぱり、長くは続かないわよ。飽きちゃうのよ」
と二人にも渡すが、やはり反応は一緒だった。
三人は、そろって首を傾げ考えている。
その時だ、お華の頭が上がり、笑顔で、
「ねえ、姉上。塩は?」
と言った。
「塩?」
おさよも少し考えたが、目が大きく開き「あ~あ」と頷いた。
そして改めて、砂糖湯を作り、塩をひとつまみ入れてかき回す。
それをお華に渡し、一口飲むと大きく頷いた。
「これよ、これ」
と笑顔になった。
居間で待っていた優斎に一杯飲んで貰う。
驚きながら、笑顔で頷いた。
「こ、これは……」
お華は軽く笑って、
「昔ね、母上が生きてる頃、私達が稽古なんかして帰ってくると、真桑瓜やスイカに塩振って、よく食べさせてくれたのよ。ねえ姉上」
おさよも懐かしそうな顔で、
「そうそう。私もなんであんな甘い物に塩なんかと思ったけど、食べてみたら意外と美味しかったのよ」
と笑顔になる。
「そうそう。たしか和菓子屋さんでも、アンに塩入れるって菓子屋のお座敷で聞いた事あるわよ」
優斎は、大いに感心し、大きく頷いた。
そして、
「良いでしょう。いずれにせよ今はそれしかありません。申し訳ありませんが、これをあの二人に飲みやすいと信じた割合で作って貰えませんか。配分も忘れずに記録して戴いて」
それには二人、笑って承知した。
今で言えば、即席、経口保水液、若しくはスポーツドリンクといったところか。
原料自体も天然であるし、水分が大量に欠乏している状態だし、砂糖と塩なら身体には影響無い筈だ。
そして完成したものを、試しに風呂から上がった新之助とお春に飲ませてみると、二人とも美味しいと喜んで飲んだので、早速、病人にも飲ませてみた。
少量づつではあるものの、これはしっかり飲めた。
これには、優斎もお華・おさよも満面の笑みだ。
「この調子なら、大丈夫だ。暫く我慢すれば元に戻る」
と優斎は寝ている二人に優しく声をかけた。
(4)
しばらくこれを続け、おゆき達はお華の目にも、快方に向かっている様に見えた。
安心して胸を撫で下ろす程だ。
お華が自分で思い立ったくせに、
「あんな物でも役に立つんだね~」と笑う。
優斎も頷き、
「あの子達も、症状が治まれば、あとは普通に寝かせていれば大丈夫です。確かに奇跡的だ」
お華は信吉に、
「良かったね。お父さんお母さんが守ってくれたよ」
と微笑んで優しく話すと信吉は、涙を流しながら何度も頷く。
しかし、それ以外の場所では、相変わらずコレラが猛威を振るっている。
相変わらず、両国橋は早桶の渋滞である。
すると、子供の医者優斎の所では、子供が回復したとの噂が流れた様で、
あちこちから、子供を助けてという話がやって来るようになった。
まあ、大抵「あまりお金が無いのですけど」という親たちだ。
もちろん優斎はいつもの如く、せいぜい砂糖代の実費を受け取る位である。
そして重傷の子供はいわゆる入院となり、最初の二人も追い出されてしまい、長屋はあっという間にほぼ一杯になってしまう。
まあ追い出されたとは言っても、もう、下痢も吐き気も治まってきた様だったので、大きい方の屋敷に信吉や優斎が運び移されただけである。
やることは何も変わらない。
母親が手拭いで鼻と口を塞いで、ひたすら例の水分を補給する。
お華は、余りの事におかしくなって、
「何だか、大きな子供の医療所になっちゃったね~」
結局、お華屋敷の周りだけの事だが、何とかこれで死人は出さずに済んだ。
優斎は、今後の医者、いや後に言う病院というもののあるべき姿を見た様な気がして、実際そうなっていく。
疫病も悪い事ばかりでは無いと言う事だろうか……。
一方、その頃京都では、井伊直弼の命により、厳しい取締が続けられていた。
今回の、勅諚に関わったと思われる儒者なども、奉行所の手により確保された。
それを皮切りに、京都内に住み着く、胡乱な浪人達も一斉に捕縛され、京都の牢獄、六角獄舎に放り込まれた。
身体が空いて、お華の屋敷の様子を見に来た浩太郎は、おゆき達がコロリにかかっていると聞いて驚いた。
「もう、そんなに……」
縁側に座るお華は、
「今、先生が一生懸命治療してるよ。さすがだねあの人は。三日で死ぬと言われてる病気に掛かっても、悪くなるどころか少しずつ良くなってるから」
浩太郎は「ほ~」と驚き、傍らで父親にくっついているお春の頭を撫でながら、
和やかな顔になるが、お華は、
「一応さ、今やってること、医学館や医学所にも報告したんだけど、どうもまともに受け取ってくれないようでさ。今、両国橋はもう洗うの止めちゃった見たいよ」
「本当か?」
と、さすがにそれには浩太郎も驚いた。お華は頷き、
「あまりにも多いからでしょ。信吉ちゃんが小塚橋辺りまで見てくれたけど、まだ死者の山が出来てるってよ」
浩太郎も、頭を捻って渋い顔だ。
するとお華は、
「兄上、何かやたら出張してたらしいけど、奉行所にしては珍しいわね」
「ああ。ほぼ全て街道途中で、罪人引き取りだけだけどな。佐久間様がな、大変らしいよ」
お華は、
「え? 佐久間様が? 何で?」
と不思議な顔で言う。
取り調べ、罪刑の決定の申請は、吟味与力の職務である。
それには浩太郎が、
「お前は、罪人の判決をどう決めるか知ってるだろう」
お華は軽く頷き、
「中追放までは手切りで、それ以上はご老中・将軍様で、奉行所の例繰方が出す前例を参考に決めるんでしょ」
浩太郎は破顔し、
「さすが子供の頃から遊びに来てるから、見習いより詳しいな」
などと笑ってしまう。
しかしお華は、
「でも、それで何が大変なの?」
浩太郎は頷いて、
「大抵はな、それでそのまま死罪も遠島も決まるんだが、どうも佐久間様が出した申請書に全て付箋がついてるんだと」
「付箋? だれが?」
「当然、大老様だよ。殆ど全て、罪が一以上段上げる様、指示が出るんだそうな」
それには、
「ええ? んじゃ、遠島は死罪って事?」
浩太郎は頷いて、
「その通りだ。まあ、殆どが例の件だがな。しかし、生死を分ける判決に手を入れるのは、忙しいと言うよりも、違った重圧が掛かると仰っていた」
この頃、井伊直弼は、一橋事件や勅諚に関わった者達へは、これ見よがしに重刑に科しているのだ。
浩太郎は、
「ここの方が、まだ、人間らしさを感じて安心するよ」
お春を抱き上げ、自分の膝に載せる。
すると浩太郎は、
「おうおう、そうだそうだ」
と懐に手をやった。
それにはお華は嫌そうな顔で、
「また、だれか捕まったって話?」
しかし、浩太郎は笑って、
「そうじゃない、そうじゃない」
と言って、微笑しながら紙を一枚、渡した。
それには、
「いそがしいへ・ひまだねへ番付」
~ いそがしい~
大利……火葬三昧場
潤益……早桶屋職人
古着……湯灌場買
混合……腹按揉治療
内職……穴掘の寺男
現金……薬屋の調合
参詣……花売りババア
強飯……寺町のとんとん
~ひまだね~
大息……水道の水汲
損耗……夕河岸の鰯瓜
引込……下シ薬の看板
二八……夜蕎麦商人
芋田……夜見世の四文屋
贅沢……栄耀あきうど
これを見た、お華は笑ってしまう。
しかし、お華は少し不機嫌そうな顔に変わり、
「芸者に比べりゃ、皆マシよ!」
などと言っていると、お春が「あっ!」と大門の方向を指差して大声を上げる。
ふたりがその方向を見ると、なんと武士の行列が入って来たのだ。
すると浩太郎が、駕籠の家門を眺め、こちらも驚く様に、
「あ、あれは、丸に六本格子! と、遠山様じゃ!」
なんて言う者だから、浩太郎はお春を後ろに放り投げ、そちらに走る。
当然、お華も
「遠山様?」
と叫ぶ様に慌てて草履を履いて、そちらに向かった。
すると、止まった女駕籠から降りてきた身分の高そうな女に、二人は揃って片膝を付けた。
「お華!」
と、その女性は、亡くなった遠山左衛門尉の妻であった、けいであった。
浩太郎はすぐ、
「奥方様! どうなされました、この行列は」
けいは厳しい顔で、
「景彰がの、突然苦しみだしてな……」
との言葉と同時に、お華は「優斎先生!」と大声で叫ぶ。そして、
「わ、若君が……」
お華も青い顔で眉を寄せる。
すると優斎が走ってきた。
優斎もその行列に驚いた様子で、
「お華さん、ど、どうなされた」
お華は、けいを紹介し、患者の様子を素早く伝えた。
優斎は頷き、すぐ次に並ぶ駕籠の戸を開け、目を広げた。
載せられている景彰の様子の様子を見て、大きく頷いた。
もう一台の駕籠からまた女性が降りてきた。
まだ十五、六の若い嫁である。
けいはお華に、
「これは景彰の嫁、美衣じゃ」
「これはこれは、奥様でいらっしゃりますか、私は、先代、先々代とお世話になりました、兄、浩太郎とお華にございます」
その若い嫁は微笑んで、
「お世話かけます」
と軽く頭を下げる。
お華は優斎に耳打ちされ、けいに、
「一体、どうなされたのです。確かにこれはコロリの症状。しかし、この事はもう事前にお伝えしていたのに」
それには、けいも困った顔で、
「私も、そなたの知らせを聞いて、嫁はもちろん家中にも言って置いたのだが、どうもあの子は、軽く見ていた様で、井戸水をがぶがぶ飲んでいたらしいのじゃ」
お華と浩太郎は衝撃を受けた顔で、
浩太郎は優斎に、
「どの程度じゃ?」
優斎は頷き、
「昨日の夜からではありませんか?」
と逆に嫁と言われている女性に聞く。
美衣は大きく頷き、
「はい。夜中から苦しみ出しまして、慌ててお婆さまにご相談したのです」
その言葉に三人は大きく頷き、優斎は、けいに、
「危ない所でございました。あと一日遅ければ……。しかし、まだ油断は出来ません。若様にはご身分違いではございますが、あちらの長屋にお休み戴きます。どうかご了承下さいます様、お願い致します」
けいが頷くと直ぐさま、優斎は浩太郎に、
「浩太郎さん。戸板をお願い出来ますか?」
と頼むと浩太郎は返事を残しすぐ屋敷の方に向かって行った。
そしてお華が、座っている家来衆の前に立ち、
「奥様と大奥様を残して、皆はこうして」
と自分の口を指差し、
「手拭いで塞いで、屋敷、自宅に戻り、すぐに風呂に入るように。行水や風呂屋は駄目。全く意味が無いから。かならず水を沸かす様に。そして、若様が乗っていたこの駕籠は焼き捨てる様に。いいですねこれはお殿様とあなたたち、そして家族の命の為です。まだ桶には入りたくないでしょ!」
と言い放つと、皆、驚いたが頷き、立ち上がった。
そして、けいに、
「大奥様、大変申し訳ないのですが、一度、我が風呂に入って、お身体を流して戴きたいと存じます。若奥様もでございます。お二人に移ってしまったら、御家は潰れてしまいます。その様な事、あの「遠山の金さん」はお許しにならないでしょうから」
些か笑いながら言う。
けいも、和やかに、
「懐かしいこと言うのう」
そしてお華は、若奥様に、
「奥様には、それが済み次第、若殿のご介護を。一生に一度ぐらいその様な事があってもよろしいでしょう」
と言うと、浩太郎が笑って、
「お華に言われちゃ、閻魔様もビックリだ。って、遠山様が仰ってるぞ!」
これには皆も軽く笑う。
(5)
と言う事で、景彰は戸板に乗せられ、優斎と共に、いわゆる病室に入っていった。
そして、若奥様も、既に湯を浴び、前に座った。
浩太郎夫婦とお華は改めて、風呂から戻った、けいに、
「此度は、誠にありがとうございます」
と深々平伏する。
「やめなさい。お礼を言わなければならないのはこちらの方よ。お華に事前に教えて貰わなければ、どうしようも無かったわ」
おさよは、
「これは勿体ないお言葉、ありがとうございます」
とお華と二人で、また頭を下げる。
そして、お華は、
「若様は、御役には?」
江戸城の役職の事を言っている。
「実は、来春から勘定奉行所に決まっているんだけどね。だから余計に慌てちゃってね~」
それには、お華も、
「それはおめでとうございます。確か、お爺さまも勘定からでしたものね」
「そうなのよ。でもこんな事になってしまって、大丈夫かしら」
浩太郎が、
「この病気は、直ってしまえば復活は早いと申しますから、回復次第かと」
と笑顔で答え、
「そう? それなら良いんだけど……」
けいは心配そうに言っているところで、おかよと優斎が走ってきた。
浩太郎が少々驚いて、
「どうなされた、二人とも」
すると優斎が、困った顔で、
「若様は、あの水は飲まないんですよ。他の子供達はドンドン飲んでいるののだが……」
それを聞いたお華は、けいに、
「大奥様? もしかしたら若様は、酒好きですか?」
と聞くと、けいは驚いた顔で、
「その通りよ。あなた、良く分かるわね?」
お華は片頬を上げ、
「これでも一応、芸者なもんで」
と少し笑い、おさよに、
「どう思う姉上」
それには、おさよも首を捻ってしまうのだが、お華はポンと手を叩く。
そして奥に座っているお吉に、
「ねえ、おかあさん。たしか家に梅浸けがあったよね?」
お吉は、「ああ」と頷く。
「姉上、あれをすりつぶして混ぜれば、飲んでくれるかもよ」
さすがにおさよは驚いた顔で、
「え? それで?」
お華は自信満々で、
「ほら、二日酔いには梅干しでしょ。お酒好きなら必ずやってるはずよ。だから無理なく入るんじゃないかしら」
さすがに浩太郎は渋い顔で、
「おいおい。二日酔いと一緒か?」
と呆れた様に言うが、優斎は、
「恐らく大人と子供では、受ける印象も違うはず。どうせ何もないんですから。やってみても良いのでは? それに梅なら身体には良いでしょうし」
頷いた、おさよとお吉は早速、台所に向かった。
お華は、けいに、
「お奉行様も、酒好きでしたからね~。お孫様がお好きでも仕方ありません」
けいも苦笑して頷き、
「そうでしたね~」
しばらく梅入りの薬が出来た様なので、早速持って行き、飲ませた様だ。
待っていると優斎が嬉しそうに、またやって来て、
「飲んでくれましたよ~。あのまま続いてくれればいいのですか」
そして優斎は、二人の前に座り、平伏をした。
そして、
「若様の病状ですが……」
と医師として説明を始めた。
「言ってみれば、あれはお腹を壊したというものと同じでございます。これはお二方とも多少覚えがあるのではないでしょうか」
けいは、軽く頷き、
「では、大した事はないと」
しかし、それには優斎は大きく首を振り、
「いえ。コロリは、その最も重い物とお考え下さい。これは病気の元というのが、一緒に身体に入ってしまっているので、それが排出されない限り、死ぬまで続きます。通常は、皆様も暫く下痢などをすると、病気の元も一緒に身体から出てしまいます。ですから、意外にあっさり直ってしまうのですが、このコロリの恐いところは、中々出てくれません。ですからこれにかかると、三日の内に身体の水分を全て出してしまい。生命の危険に陥るのです」
二人は真剣に聞いている。お華もおさよも同じく話を聞いている。
「病人も、頭では無く、身体が自然に異常を感じ、下痢や吐き気などで一生懸命毒を出そうとしますが、身体の大事な水分までドンドン出してしまうので、負けてしまうのです。ですから、私共は出された水分を補おうと治療しています。外国の医者などはアヘンやキニーネを使って温浴で直ると申しておりますが、身体の弱っている患者にそんな物を与えてしまっては、一時的には良くなっても、下手すると廃人同様になってしまいます。しかも、ここは子供の医療所ですし、未来まで奪ってしまう訳にはいきません。ここにいらっしゃった以上、失礼とは思いますが、若君も同じ様に治療させて戴きます」
現代と同じ様に、病気の内容と、治療方針の説明をおこなった。
けい達は、大きく息を吐いた。
そして、美衣が、
「そこまで気を遣って戴いて、嬉しゅう存じます」
と深く優斎に頭を下げる。
すると、優斎は重ねてお願いする。
「お華さんから、お知らせしてると思いますが、どうかお屋敷でもご注意下さい。特にお二人は充分に」
するとお華が、
「まあ、若は酒を暫く控えるんですね。酒飲むと、どうせ水が飲みたくなりますから」
それには、けいも、
「そうね~」
と深く頷く。
すると美衣が、
「それでは私、殿の御側に」
と立ち上がった。
「何かあったらすぐ、回りの看護の女に言って下さいね」
とお華とおさよは頭を下げる。
それを見送った。
すると、けいは話を変え、
「ところで、どうなのじゃ、今のお城は……」
この質問にはお華も苦笑いだ。
「大奥様。こんな事言うのは何ですが、今の千代田は、役人が半分は減っております」
「な、なんと半分?」
それにはおさよが半分笑いながら、
「半分は大袈裟よお華ちゃん。でも、御三家の水戸様始め、相当の人数が処分になってます」
「ほう~。あれか、一橋様の件でか?」
お華が頷き、
「兄達は、あっちで閉門、こっちで蟄居。京から打ち首と慌てふためいて仕事してます。ねえ、兄上」
浩太郎もそれには厳しい顔で頷く。
「そんなに……」
けいも厳しい顔だ。
「ええ。若様は完全に身体が治ってから、お役目を務められた方がいいかと存じます。恐らく、お爺さまもそう願って折られるでしょう。あの方なら、お城でもひらりひらり、振る舞えるでしょうが、若様が同じ芸当を出来るかどうか……」
「なるほど」
と、けいも難しい顔で頷き、そして、
「どうすれば良いと思う?」
それにはお華も一度平伏し、
「次期将軍様が、西の丸にお入りになられました。今はひたすらそちらを向いてお勤めなさった方が良いと思われます」
「それは、あれか? 大奥の意向もあるのか?」
「はい。今は決して余計な事をしてはなりません。下手な事すると、簡単に蟄居閉門になります」
けいは大きく頷き、
「そうか、そう伝えよう。しかし、お前さんも相変わらず早耳だの?」
と笑うと、皆も笑ってしまい。
隣の優斎は、
「全く医者並みの診断をしますからね」
おさよも、
「先々代様に鍛えられていますからね。その辺は相変わらずでございます」
お華は、口を尖らせて、
「あの金さん爺さんは、お奉行や大目付の時も、いっつも一人で飲みに行って、その都度、私が用心棒代わりとか言って呼び出され、もうコンコンと説教が始まりますから。奥様には申し訳無いですが、あたしゃ芸者なのにそういった色気は一切無し、ひたすらお城はああだこうだと話しまくるものでして」
それには、けいも大笑いして、
「そうそう、たまに連れてこられて、一体誰と話してるんだって事しか話してなかったからねぇ」
「そうですよ。肝心の景纂様(嫡男)は、いつの間にか居なくなるし、大変でしたよ」
おさよは、笑顔で、
「丁度良いじゃない。若様に遠山様に成り代わって、城のご注意を申し上げたら?」
と言うと優斎は、
「それが嫌ですぐに治ってしまうかもね。もしかしたら一番の薬はお華さんかも」
さすがにそれには、お華も渋い顔で、
「え~私が?」
すると、けいが、
「おお、それは遠山家にとってありがたい事じゃ。お爺さまの言葉を生に伝えられる」
と言う者だから、皆、笑うが、お華は、
「余計、お腹壊すんじゃないですか?」
と、しかし少し笑って答えた。
~つづく~
今回もお読み戴きありがとうございます。
何だか、名簿録のような小説になってしまいました(笑)
ただ、当時の大獄状況が意外と分かり易いのではと思っています。
しかし、大獄は人がやるもの。
しかしコレラは、当時、人の力では及びませんでした。
もっとも、今も世界は混乱状態。
パンデミックは恐い物とは、以前から知ってはいたものの、実際、コロナ稿に陥るとどうしようもないもんですね。
今の科学が進んだ世の中になっても、コロナを克服出来ない状態ですが、コロリはさらにどうしようも無い状態です。
特にこの当時は、点滴も無ければ、注射も無い世の事。
小塚原の棺桶山積みの状況も、良く分かります。
だって、棺桶やがもう材料が無くて困っている程ですから、それだけで充分想像出来ます。
ただ、それでも生き残った人が居るのです。
コロナでもその内何とかなるような気がします。
さて、安政の大獄は、幕末最初のトリガーを引いてしまった事件でした。
強権政治は、反発も強い。
近々、それもご紹介する事と思います。
この頃、西郷隆盛は月照と自殺未遂をし、高知でも「土佐勤王党」が、安政の大獄によって失脚した山内容堂の意思を注ぐべく、活動を開始し始めました。
そして、水戸です。
いよいよ幕末劇の始まりでしょう。
それでは、また次回も、お読み戴ければありがたいです。
よろしく、お願い申し上げます。




