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お華の髪飾りⅡ  作者: 本隠坊
23/65

㉓祝砲二十一発

 あけましておめでとうございます。

 コロナの嵐の中、また年が明けましたね。

 しかし、いつまで続くのでしょうか……。

 江戸時代でも、各種流行病が蔓延する時期がありましたが、現代も三年目ですから、長さはほぼ同等。

 まあ死者が少ないのは、医療発展のお陰ではありますが、それにしてもね~。


 さて、そんな中ですが、『お華の髪飾りⅡ』は今年も続きます。

 新年と言うことで(?)21発の祝砲と共に。

 いつまでのお話になるかは、今の時点では不明ですが、思いつき次第(笑)続けていこうと思っております。

 皆様に置かれましても、もしよろしければお付き合い頂ければありがたいです。 

 では、よろしくお願い申し上げます (._.)



(1)


 安政五年四月二十三日、彦根藩主、井伊掃部頭直弼は、とうとう大老に就任した。

 大老となった彼は、遠慮無く、老中御用部屋の最上座に座した。

 彼は、その昔の水野の様に「やっと上り詰めた!」といった思いだったかも知れない。

 しかも大老は、幕府最上級の役職。

 老中首座も高い地位ではあるが、最後には上様の意思でどうでもなってしまう。

 その辺が、寛政・天保の両改革が、途中で頓挫した大きな原因だったと言える。

 しかし、大老が動くとなると、これこそ正に将軍代理の立場。

 将軍の意思だけでは、左右出来ない。

 この時代、簡単には潰す事の出来ない立場なのだ。

 例えば廊下では、老中は大老の後方を歩き、老中の呼び方も、例えば、堀田備中ならば、

官名の呼び捨て「備中!」と呼ぶのが慣わしである。

 そぢて大老の身分は、鎌倉時代で言う「執権」同様の職であるから、事実上、専制君主ともなり得る。

 むろんこれまで、幕府内でも、それは危険だと考えていた。

 それこそ、現代話題の北条義時の徳宗政治の様になる事だけは避けたかった。

 実際。

 四代将軍・家綱危篤の際には、その当時の大老、酒井雅楽頭忠清は跡目を協議する際、京都から宮将軍を迎えるべく陰謀を謀ったが、これは当時の水戸光圀などの御三家。そして老中堀田正俊などから、「鎌倉幕府にするつもりか!」との猛反対もあり、大老と言えども御三家以下の総反対には案を引っ込めるしかなく、ようやく家綱弟、家綱に落ち着いたという事実もある。

 もっとも、それが結果的に良かったのかどうかは別として、この混乱に懲りた幕府は、大老においては暗黙の決まりで、老中連中話し合いの結果を承認してもらうだけの役職。事実上身分のみの役目と、これまでしてきた。

 しかし、彼は特別だったと言える。何より、跡継ぎ問題だけではなく、諸外国、そしてそれによる朝廷との交渉事など、前代未聞の難問を抱えている。

 しかしこれは逆に、彼にとってはある種、ありがたい情勢だったかも知れない。


 さて、この井伊直弼。

 井伊家十四男で、生を受けた事は既に述べた。

 井伊家は、徳川四天王の御家であり、溜詰を伺候席とする旗本である。

 この家は、将軍家の跡取りが元服の際には、烏帽子親になる事が決まっている。

 ちなみに、月代を剃るのは、会津松平家(保科家)である。

 その様な家格であるから、その庶子であっても養子の話は多い。

 またそれも無ければ、どこか大きな寺で僧侶になる。と言うのは、この時代の定番である。

 しかしながら、いくら井伊とは言っても十四男ともなると、さすがに養子の話も坊主の道も限られてしまう。

 結局彼は、井伊家の厄介者になってしまった。

 彼は、父が亡くなると城外の屋敷に移されてしまう。

 現代では、観光コースの一つにもなっているらしいが、有名な「(うもれ)()(のや)」と自ら呼んだ屋敷に、17歳から32歳までの15年間、300俵の部屋住みとして過ごした。

 しかし、そんな気の毒な彼に、突如幸運が舞い込んだ。

 弘化三年(1846)、当時の藩主、直亮の養嫡子(十一男)が死去したのだ。

 後がないため急遽、直弼を養子として、後継者の道が開かれたのだ。


 ただ、これで安楽な道。とは行かなかった。

 その養父。つまりは兄なのだが、この男は少々いかれた男だった様で、直弼に対し、様々な、今で言う様々な「パワハラ」を行った。

 どうもこの養父、決められたとは言え、どうも直弼が気にいらなかった。

 いや、蛇蝎のように嫌っていた様だ。

 例えば江戸に呼ばれても、嫡子の為の手当金は一切支払わなかった。

 つまり、小遣いは一切渡さなかった。

 小遣いと言っても、旗本筆頭の井伊家である。

 それでは、普段の付き合いにも支障が出る。

 そして、さらには、新しい着物を作ることさえ許されなかった。

 この事により、井伊家の跡取りとして登城の集まりなどにも参加することが敵わず、仮病と称して、欠席する事が多かった様になる。

 しかし、そんな病的な直亮も、やはり病気(?)により、早世してしまった。

 とうとう直弼が、十四男の厄介者から、一躍、彦根藩三十五万石の当主となったのである。

 そして、時勢のイタズラか運命か、四月二十三日。大老の座に辿り着いたのだ。


 さて、彼自身には将軍家跡目については、既に方針が決まっていた。

 後見役として役目についた以上、一橋家を押す訳が無い。

 これは水戸家との関係というよりも、自分の上に大きい石を置くのはどうしても嫌だったのだろう。

 とにかく自分を束縛する者は、将軍以外、徹底的に排除したかった。

 これには、これまでの彼の人生。その影響が大きく働いたのかも知れない。

 直弼は、宮将軍を願った訳ではないが、紀伊家の若殿ならば、職務に影響は無い上、自分で自由に幕政を左右出来る。

 何よりそれを願ったのだろう。



(2)


 朝食も済ませ、特に用事も無かったお華は、お茶を飲みながら、ひとり庭を眺めていた。

 すると、大門の方から人がやって来る気配を感じたが、邪気も無い様だった。 そして、そちらに目をやると、それは浩太郎と信吉だった。

「これはこれは、兄上。おはようございます」

 と、作り笑顔で言うのだが、(こんな早く、何しに来やがった!)といった少々、警戒気味の目である。

 もっとも、浩太郎でもそんな反応は、端から承知しているので、

「おはよう。今いいか?」

 と、些かの笑みで、居間の廊下に腰を下ろす。

 信吉は立ったままだ。

「で、なんでございましょう。こんな朝早くから」

 とお華は、早速真意を探る。

 それと同時に、浩太郎が簡易な旅姿なのに驚いてもいる。

 浩太郎は、信吉に、

「お前も腰を下ろせ」

 と軽く言うと、お華に、

「済まんがな、暫く町の見廻り、信吉と一緒にお前に頼みたい」

 お華は、やはりと言う表情だが、それも共が信吉と言うものだから、

「え~信ちゃんと? なんでそんな事に?」

 と言う。

 が、しかし何かが閃いた。

「まさか……」

 しかし浩太郎は、

「う~ん。俺の身分じゃ今のところ何とも言えねえな。実は俺。横浜方面の特別警護ちゅうのを頼まれたんだ。だから平次と一緒に行く」

「横浜? それに兄上が? でもさ、あの辺は新たに奉行所も立ち上がったんでしょ? なんで兄上が?」

 それには浩太郎も笑って、

「それは俺にもわからんよ。ただ俺の予想だがどうもあそこに、開港を予定しているのかも知れん」

 さすがにそれには、お華も目が険しくなる。

「とうとう……」

 と言葉も詰まってしまう。

 そして少し置いて、

「そうか。混乱しない為の手伝いか……」

 と真面目な顔で言ったが、そこで浩太郎は笑い、

「大体な、それもお前のせいだぞ」

 などと言うものだから、お華は眉を寄せ、

「なんでよ!」とまるで条件反射のように文句を言う。

 すると浩太郎は、信吉の頭を撫でながら、

「お前、あそこで簪打ちまくったろ。だから、そういった胡乱の者が襲撃して来るかも知れんと、佐久間様のお話では幕閣の小栗様や川路様のお指図で、我々が行くことになったのじゃ。本来ならお前が行くのが筋なのだが、佐久間様は笑って、お華が行くと戦になっちまうだってよ」

 と、ひとりで大笑いだ。

 お華は眉を顰めて、

「何言ってんだか……。まったく小栗様も川路様にも黙ってて下さいって言っといたのに!」

 と機嫌が悪い。

 浩太郎は、

「そうなると、結局、兄である俺が行かなきゃいけなくなるって事だよ」

 と、まだ笑っている。

 しかしお華は、

「でもさ、あたしと信ちゃんじゃ、お上の見廻りっていうよりも、両国見物の姉弟になっちゃうよ」

 それには浩太郎、頬を上げて、

「親子だろ!」

 と笑い、

「まあ、それで良いよ。お前がいりゃ、信吉には問題ないだろうし、平吉にも頼んであるから、大抵の事は何とかなるだろ」

 そんな時平次が、浩太郎を迎えに、走って大門を潜って来た。

「旦那様!」

 の大声に浩太郎は立ち上がり「じゃ頼むぞ」 とさっさと言ってしまった。


「まあ、しばらくは予定がないから良いんだけどね……」

 と独り言を言っていると、信吉が、

「どうもすみません。お華様」

 などと頭下げて謝るから、お華は微笑み、

「あなたは悪くないのよ。心配いらない。まあ、兄上は横浜で何か有ったら、信吉まで守れるか自信が無かっただけだと思うよ。まあ、理屈はわかんだけどね~」

 と、首を捻りながら苦笑する。

 暫くして、二人はまるで親子の様に、両国の方に向かう事になる。

 お華にとっても、信吉を連れて行くだけならそれ程の事は無いのだが、見廻りになるのかなぁ? と些か自嘲気味だ。


 ところが見廻りを始めると、信吉はドンドン先に行って、見廻りの先の番屋などを間違えずに、お華を連れていく。

 これには、お華も驚いた。

「信ちゃん、あんた良く道順憶えているわね~」

 と笑って言うと、信吉はチョコッと頭を下げて、

「旦那様に、ひとつひとつ、曲がる目印とか、歩き方を教えて頂きまして……」

 その言葉には、お華もまるで母親のように、

「あんた。よく勉強してるねぇ。兄上がいなくても、あんただけで充分だよ」

 嬉しげに声を上げる。

 まさに親の如く、子供の成長は嬉しいらしい。

(兄上も、子供に対しては親切、丁寧だ事)

 などと、感心している。

 結局、信吉の誘導もあって、二人は特に問題も無く、午前中の見廻りを終えた。

 するとお華が、

「信ちゃん。お腹空いたかい?」

 と聞くと微笑んで頷くので、

「よし、平吉さんのとこ行くよ」

 と、昼を取りに、二人ですみやの暖簾を潜った。

「いら……あ、お華様」

 千代の声が明るく響いた。

 すると、小上がりに先客の優斎とおかよが居るのを見つけて、

「あら、回診だったの?」

 と笑顔で言うと、おかよも、

「お華さん、どうしたんです? あら、信吉さんまで……」

 結局、四人は一緒の席になる。

 そして優斎が、

「何です? 今日は信吉君と見廻りなんですか?」

 と聞くから、お華も渋い顔で、浩太郎がいない事を説明した。

 さすがにそれには、優斎も驚き、

「本当ですか? とうとう」

「そうらしいと兄上は言ってたわ。まあ、この子との見廻りは何て事無いんだけどさ。なんかそっちの方が気になるのよ」

 優斎も頷き、

「そうですね。お華さんが言ってた様に、朝廷も交易には許可を出しませんでしたから、でもそれなのに……」

 さすがにお華が身を乗り出すように、

「なんかさ、一番拙い事になりそうだと思わない?」

 優斎も渋い顔で、

「そうですね……」

 と腕を組んで、頭を捻る。

 さて、先の二人はもう済ませていたので、お華と信吉も急いで済ませ、お茶を飲んでいる。

 するとお華が、

「ねえ先生。この前の無冤録述だけどさ、あれも医療の仲間なのかね?」

 などと言うから、少し驚いて、

「なんです? いきなり」

「いや、さっきさ、この子がね」

 と信吉の頭をポンと叩き、

「あれは、お医者のお仕事なのですか? とか聞くからね」

 優斎は大きく頷く。

「はは。あれには私もやられましたからね~」

 それにはお華とおかよは微笑む。

 そして優斎は、目を信吉に向けて、

「あれはね。確かに医者の仕事だと思う。ただ、実際に使うのは、浩太郎さんや君の様に、そう言う場所に行く人にはどうしても必要なんだよ」

 優斎の言う通り、それは、後、明治時代には「法医学」として立派な学問の一つになる。

「例えばね、内科、外科、小児科、産科と言う様に医者にも色々な専門があるけど、その中のもう一つだと思って良いよ」

 それにはお華も笑みになって、

「んじゃ、学んでも無駄にはならないって事だね」

 優斎は大きく頷いて、

「もちろんです。いやむしろ、これからもっと重要な事になっていくでしょう。死者の声を聞くと同時に、生きている者の為に必要な学問になるかも知れません」

 お華は、信吉の肩を叩いて、

「良かったね~。これで胸張って学べるよ。しっかりやりなさい!」

 信吉も満面の笑みで「はい!」と頷く。


 そんな話をしている時だった。

 お華達がいる所から、反対の奥の席に居た男が、突然スクッと立ち上がり、一瞬回りを伺って、いきなり暖簾を弾き飛ばして掛け始めた。

 それには、当然ながら正面奥側に居た、お千代が、

「食い逃げ!」

 と大指差して、大声で叫んだ。

「何!」

 と、調理場にいた平吉が飛び出してくる。

 しかし、それよりも先に、お華が後を追う様に命じた信吉が、既に外に追いかけていた。

 お華は、呆れ気味な顔で、

「やれやれ、今日は食い逃げ捕まえるための日か……」

 とぼやくと、正面の優斎、おかよは腹を抱える。


 小さいながらも、信吉は逃げる、町人風の男を必死に追いかけている。

 既に外に出たお華は、同時に出てきた平吉に、

「私が止めるから、捕まえて。信吉に縄を掛けさせるのよ!」

 と大声で早口に言った。

 お華の意図がわかった平吉は、和やかに頷いた。

 するとお華は、簪を二本。いつもの様に円を描き、鮮やかに簪を打ち抜く。

 それは、追いかける信吉を外側から回りながら超え、男の足。なんとそれを草鞋そのもの。双方打ち抜いたのだ。

 当然、双方の足を止められた男はつっかかり、勢いよく道に倒れてしまった。 

 突然倒れた男に少々驚いた信吉だったが、勢い良く男の身体上に飛び込み、

「御用だ! 御用だ!」

 と、子供の大きい声で叫ぶ。

 平吉は、良く分かっている男だから、間髪入れず、同じく飛び込み、両手を後ろに回す。

 そして、信吉に、

「信吉っあん。お縄を!」

 信吉は「はい」と頷き、習ったばかりの補縄術でお縄を掛ける。

 平吉は、少し笑みを浮かべ、多少手伝って、

「お華様! 信吉つぁんのお手柄にございます!」

 と声を上げる。

 道行く人や、店の前で見ているお華達と優斎なども、それには手を叩いて喜んでいる。



(3)


 まあ、お華にとっては、正直どうでも良い部類の事件なのだが、さすがに信吉の手柄ともなれば、一緒に奉行所に行かなければならない。

 信吉は縄の端を持って、下手人を歩かせている。

 お華はお千代に、

「お父さん、ちょっと借りるよ」

 笑って頷くお千代に頷いて、奉行所に向かった。

 お華は、平吉に、

「悪いね~。店も忙しいのに」

 平吉は笑いながら、

「何を仰います。やられたのはうちの店でございます。わざわざ、お華様の手を煩わして、本当にありがとうございます」

 と真面目な顔で頭を下げながら歩くが、お華は手を振って、

「それよりさ、こうした時、奉行所でどうするのか教えてやってくれる? ついでにさ」

 などとケラケラ笑っている。

 平吉も、同じく、

「承知致しました」

 と更に笑っている。


 さて奉行所に着く直前、入れ替わるように同心が結構な数が、走って出て行くのを見送った。

 その中には、とくぼんもいたが、彼はお華に気づかなかった様で、皆と一緒に門外に掛けて行った。

 お華は少し首を傾げながらも、後の事は平吉に任せ、お華は報告で、吟味与力・佐久間の部屋に行った。

 そもそもの跡継ぎは、所用で席を外していたが、引退が突然延期になった父親、同じく佐久間は居た。

「失礼致します」

 と障子外からの声を聞いた彼はは驚いた。

 もちろん女の声だからだが、すぐ察し、

「お、お華か?」

 障子を開け、お華は平伏し、

「ええ。ちょっと事件がありまして、そのご報告に……」

 それには佐久間が大笑いし、

「おいおい、食い捕まえたってのは、お華か?」

 しかしお華も少し笑い、

「いえいえ、捕まえたのは、私共の新しい従者、信吉にございます。ただこの者まだ若く、いえ、まだ子供ですので付き添いで私が……と言う訳にございます」

 佐久間は再び笑い、

「そうか。さすがは兄妹じゃ。やることは一緒じゃのう。浩太郎は横浜だから、誰かと思えば、まさかお華とはな。お前さんもあれこれ大変じゃの」

 それにはお華も苦笑いで、

「まあ、町中はこの程度にございます。至って平穏にございました」

 と、頭を下げる。

 すると佐久間が、

「おう、そう言えば浩太郎から話は聞いたぞ」

 と言うとお華は笑って、

「私も聞きましたよ。おじさまはご隠居が延期になったとか……」

 それには、佐久間も如何にもガッカリとした顔で、

「そうなんじゃ。せっかくゆっくりと詩でも吟じながら、余生過ごそうと思っていたのじゃがな」

 と、こちらも苦笑いだ。

 しかしお華は、

「いやいやおじさま。残念ながら、その時は当分、訪れない様に思いますよ」

 と、ゆっくり首を振り微笑む。

「げ!」と珍しく、声を上げてガッカリする佐久間に、お華は、

「とてもじゃありませんが、あの跡継ぎ様では、この難局。お一人では無理にございます」

「やはりそうか。で、今はどんな様子じゃ」

 と佐久間は聞いたが、お華は天井に顔を向けながら、佐久間に向かって、口に指を当て、素早く立ち上がり、閉まっている襖に寄ってがらっと開け、それはそのままに、次にお華は頭の簪を抜いて、天井に上下反対に打ち上げた。

 それはビシっと音を立てたが、刺さっていないので、そのまま落ちてきた。

「ふ~」

 と、お華はその簪を拾い、また髪に差し戻し、再び座った。

 佐久間は少々驚いたが、

「そ、そんなに大事な話か?」

 と、小さい声を上げる。

 もうお華は笑って、

「私の知ってる甲賀の姉さんは、私の屋敷に来ると、かならず天井から顔を出すのですよ~だから、念の為です」

 と笑いながら言って、

「それより佐久間様。先程、同心連中が固まって出て行きましたが、あれは?」

 言って、佐久間の目を見る。

「ああ、突然、上からお指図でな。江戸の町に騒ぎが起きぬ様、出役せよとの急なお達しでな」

 それにはさすがにお華は驚き、

「え? なんですそれ?」

 佐久間も笑って首を捻り、

「儂も全く分からん。何がどうして騒ぎになるかを言わぬからな」

 お華は腕を組み、そして、

「そうでございましたか。まあ、いずれ分かるでしょう」

 すると、

「ところでさっきのはなんじゃ。えらい警戒じゃな」

 お華は微笑み、

「そりゃそうでございます。今は迂闊な事は言えませんから……」

 佐久間はさすがに驚いて、

「じゃぁ何か? 忍びでも使っての情報を集めを警戒したのか?」

 しかしお華は、それには首を振り、

「はは、念の為です。確認致しましたが、どうも大奥の話では、大老様は、坊主どもを取り込み、日々情報集めをしているとの噂でした。とは言えそんな様子ですから、いくら奉行所と言っても油断はなりません」

「なんと!」

 佐久間は驚愕した。

 するとお華は、

「兄から、お世継ぎの話はお聞きだと思います。それに、外国の話。それより何より、水戸公への対抗心。これが問題です」

「た、対抗心じゃと! 何故そんなことが分かるのじゃ」

「はい」

 と頭を下げ、

「もし、一橋様が将軍になられたら、もれなく水戸様がついて来ます」

「おお、それはそうじゃろうなぁ~」

 お華は若干笑顔で、

「そうなりますと、上様ご後見として、例え大老であろうと、頭越しにあれやこれや始めてしまうどころか、時期を見て確実に大老は御役御免になりましょう」

 佐久間は、腕を組み、

「ふ~む。いかさまそうであろう。なるほどな……」

 こちらも首を傾げてしまう。そして、

「おいお華。大奥は、というか、お前はどうなると思っておるのじゃ」

 それにはお華も微笑み、

「それは、紀伊様にございます。これは、お上。そして大奥の総意でございますから、ほぼ間違いございませんでしょう」

 これには佐久間も驚いて、

「ほう~。上様もか……」

 お華は片頬を上げて、

「はい。一橋様は頭脳明晰と評判のお方、ですから余計嫌なのでしょう」

 と、皮肉っぽく笑ってしまう。

 佐久間は、こんな事、簡単に答えてしまうお華に驚愕してしまった。

 しかしお華は少々厳しい顔で、

「それより佐久間様。今のお奉行様はまさかとは思いますけど、一橋様をご贔屓で、しかも回りに色々と喋っておられませんでしょうね~」

 それには、佐久間は虚を突かれ、顎に手をやり考えている。

 そして、

「そうじゃな~。あ! 確か先日、その様な事おっしゃってたわ」

 この当時の北町奉行は石谷因幡守という。

「まずいな、おじさま。この事思うのはともかく、口に出すのは……。この粛正は恐らく、五手掛まで伸びてくるかも知れません」

 五手掛と言うのは、評定所一座の事。

 つまり老中以下、奉行衆まで巻き込んでしまうという事である。

「ご、五手掛? それも粛正じゃと~。誰がその様な事を言うたのじゃ」

 お華は頷いて、

「はい。滝山様と姉小路様ですよ。理由は簡単。上様のご不興を買い、と言う事で老中様でさえ油断出来ません」

「ひえ~」

 佐久間は正座から後ろに仰け反った。

 お華は微笑んで、

「ま、とにかく佐久間のおじさまは、当分ご隠居は無理ですよ。こんなことになったら、あの子じゃどうにもなりゃしませんから」

 そこまで言われると、佐久間も笑ってしまう。

「誠じゃ。おいお華、我々は大丈夫かの?」

 それにはお華も手を振って、

「それは大丈夫でございますよ。でも、今日の兄の様にあちこち動かされるかも知れませんけどね」

「そうじゃな~。難しい世の中になったもんじゃ」

「本当に……」

 とお華が言ったその時であった。


「ど~ん!」「ど~ん!」

 開け放たれた外の方から、何やら日頃あまり聞いた事の無い様な音がした。

 身体を揺るがすと言うほどの音では無いが、二人とも驚き、天井を見上げる。

「な、なんじゃこの音は!」

 次々続くその音に、佐久間もさすがに動揺して、声を上げる。

 しかし、お華は「は~ん」と言う顔で、

「大丈夫にございますよ、おじさま。あれはきっと大砲の音」

「た、大砲じゃと? 攻め込んできたのか?」

 お華は大きく笑う。

「おじさま、憶えてらっしゃいませんか? 我が国とアメリカが友好条約を結んだ時にもあった事です」

 それには、さすがに佐久間も、

「ああ、あれか……」

 と唸る。

 そして場所は大きく変わるが、同じ時。

 平次と一緒に江戸に帰ろうとしていた浩太郎の足を止めさせた。

 そして再び、耳に爆発音が聞こえた。

 さすがに近いから平次は仰天したが、浩太郎にはお華と同じく、すぐ理解出来た。

「とうとう……」と瞑目する。


 そして奉行所では、佐久間が、

「おい、お華。しかしこれはどういう事だ」

 と聞くと、お華は、

「ええ」と頷き、「恐らくこれは、アメリカとの通商条約がきまったのでしょう。その為の祝砲だと思われます」

「なんと……」

 そしてお華は、

「これから大変になりますよ~どんどん向こうの物や、人でさえ入ってくるでしょう。おじさまはますます動けなくなります」

 と優しく笑ってしまう。佐久間も、

「なるほど、こりゃ、進むも退くもって事か……はは」

 佐久間は苦笑してしまう。

 

 そう、安政五年六月十九日。幕府、アメリカ国と正式に「日米修好通商条約」が締結された。

 神奈川沖に停泊する米艦「ポーハッタン」号上にて正式調印された。

 そして艦上に、日の丸そして星条旗を掲揚し、高らか二十一発の礼砲の轟音が、江戸の陸や海にも、そしてその歴史にも響き渡った。

 



~つづく~



 今回もお読み頂き、誠にありがとうございます。

 さて、ご覧のように、とうとう鬼がやってまいりました。

 恐ろしいですね~。

 ただ、ご存じの方も多いでしょうが、この地獄は、殆ど侍連中に向けた物。

 一般庶民には、全く関係の無い物でした。

 だから、長屋の人々などは、何がどうなっているのか殆どわからない状況で、瓦版や、本由(藤岡屋)の話でも聞かなければ、全く分からなかったでしょう。

 しかし、まだ序章。

 これから、各種崩壊が始まります。

 次回も是非、よろしくお願い申し上げます。

 ありがとうございました。

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