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お華の髪飾りⅡ  作者: 本隠坊
15/65

⑮お華VS金庫破りの大盗賊(前編)

(1)


 ここは市ヶ谷御門の脇。

 外堀沿いに一軒、小さな屋台が出ていた。

 おでんと燗酒を呑ませる屋台である。

 現代で言えば、JR市ヶ谷の堀を渡った脇付近といった所。

 当時は、堀の他、正面に市ヶ谷田町の町屋が並んでいるだけの場所である。

 この様な場所だから、深夜ともなるさすがに静かで、言い方を変えれば気味が悪い場所とも言える。

 それより何より水辺だから、夏は虫も集まりやすい。

 だからここでは、店の両脇に、蚊遣り火を焚き、それで僅かながら、そんな連中を防いでいたりする。

 面白いもので、そうしたところで酒を呑むのも意外と風情があり、一人、静かに飲みたい客には、嬉しい店となっている。

 だが、そんな調子だから、とても繁盛しているとは言えない店ではある。


 時は、安政二年一月末の事。

 もう子の刻(夜22時頃)になろうとした時分。その店に一人の客がやって来た。

「いらっしゃい」

 と亭主の男は、今晩初めての客に大きな声で笑顔で挨拶した。

 その男は、一瞬驚いたが、フフっと息を一つ吐き、

「おう、ご免よ。酒一本と煮物二三、見つくろってくれい!」

 少し笑いながら頼む。

 それは町人風情の男だった。

「へい。只今」

 亭主の男は、早速あれこれと準備する。

 それからというもの、その男は一人だったからか、長っ尻で、亭主と世間話をあれこれしている。

 しかし、半時ぐらい経った時、客の男が亭主にいきなり、

「なあ、ご主人。あんた、もしかしたら元二本使いかい?」

 と、上目使いで聞いてきた。

 しかし、亭主は目を丸くして、

「あたしゃご覧の通り、しがない屋台の亭主。そんなこたぁございませんよ」

 と笑うのだが、客の男は、笑って身体を反り、

「へん! 惚けちゃいけませんぜ。あんたにゃ、侍の匂いがプンプンするぜ?」

「侍の匂い?」

「そうさ、言葉使いだよ。誤魔化しているがバレバレだよ」

 と客の男は大笑いする。

 すると、その亭主も負けずに、

「フフ、そう言う兄さんも、同じだろ? 言葉の端々に、恐れ入るって態度が出てるぜ」

 と、こちらも笑って言った。

 その男は頭に手を当て、

「あちゃ~やり替えされちまったぜ」

 と、思わぬ反撃に驚いたが、そうなると二人に何やら安心感が漂う。

 そして、その男が、

「で、どちらのお侍で?」

 と聞くと、亭主も苦笑して、自分に酒を注ぎ、飲み出した。

「俺は、元、田安家さ」

 それには、男が驚いた。

「え? 御三卿の? すげえじゃねえか。なんでそんなとこのお侍が、飲み屋の屋台なんか……」

 亭主は笑いながら、

「まあ、そこだけ聞けばな。だが俺は、しがない()(びと)の十五俵一人扶持だったんだが、近頃の不景気でよ、追い出されちまったんだ。だから仕方無く、この商売さ」

 客の男も大きく頷いて、

「なるほどな~。俺は天守番の近藤ってとこの中間やってたんだけどよ。これが……」

 と、いきなり片腕の袖をまくり上げた。

 微かな光の中、二の腕に酷い火傷らしき跡がはっきり見えた。

 亭主は少し首を振り、

「あんた。それはまさか……」

 腕をしまった男は大笑いしながら、

「やっぱりわかるか。ご推察の通り、入れ墨を消したのよ。それを隠して中間になって勤めたんだけどよ。或る日、この腕がバレちまってよ。その様な男を家に置いておく訳にはいかん。とか言いやがったんだ。また悪い事に、その近藤ってのは、お城の金庫番だから、ビビっちまったのかも知れねえけどよ」

 それには、亭主も大笑いだ。

「そりゃ、そうだ。言っちゃ悪いが、身内に墨者置いといたら、言い訳出来ねえからな」

「ちげえねえ」

 二人は大笑いだ。

 客の男は、

「あんた。もう侍には戻らねえのか?」

 亭主は、自分でも冷や酒を汲み。そして、それをクッと酒を流し込む。

「もう、そんな気はねえな。こうやって一人、何とか食っていければ充分さ。大体これ迄もそうだったし。今更……」

 と言って、男の空いた猪口に酒を注いでやる。

 するとその男も「ありがとよ」と言いながら、猪口を傾け、溜め息を吐き、

「一度で良いから、金に苦労することなく生きてみてえよ」

 亭主は苦笑して、

「ふっ。今の俺じゃ、捕まるのを覚悟で大勝負しねえと、そんな夢の様な思いは、一生無えな」

「大勝負か~」

 と言った後、男は思いついた様に、

「おい、あんた。俺と一緒に、その大勝負してみねえか?」

 などと言い出すものだから、亭主は驚いて、

「お、おい大勝負って何だよ」

 すると、その男は片頬を上げて、

「あれだよ」

 と、堀向こうを指差す。

 亭主は、大きく驚いた。

「おい! まさか、あそこのご金蔵を?」

 男は大きく頷くが、亭主は、左右を見渡しながら小声で、

「おいおい! そんな恐ろしい事。もしバレたら自分だけじゃねえ。一族皆、磔だぞ!」

 男は笑って、

「だから、大勝負じゃねえか。あんたも俺も、上手い事にあそこを良く知ってる。むしろ一番やり易いんじゃねえか? そして大金を手に出来るかもしれねえ」

 確かに、その男の言う通りだった。

 亭主は腕を組み、無言で考える。

 

 ところで、この店の亭主の名は、藤岡藤十郎(37)。

 本人も言っていた通り、つい先日まで田安家の小人で仕えていた男だ。

 そして、客の方の名は、富蔵(33)。

 こちらは、元、江戸城御天守番、近藤義八郎の中間をしていた。

 二人の経歴を考えれば、富蔵の考えがそこに行くのも分からなくはない。

 しかし藤十郎の言う通り、相手は幕府である。

 失敗すれば容赦ない罰が待っている。

 そうそう、安易に賛成出来る事ではない。

 しかし、藤十郎本人にしても、自分の人生と社会に不満は持っている。

 そして、それを解消出来るのは、金しかない事も分かっていた。

 とは言え、その様な事、これまで一切考えた事はなかったが、一度、このような事を考えてし始めると、まるで蜘蛛の巣にでも嵌まった様に、妄想から抜けだし、まともな方向に再び方向転換するのは至難の業だった。 

 とは言え、彼には迂闊に無謀な事はしない、と言った程度の認識は持ち合わせていた。

「おい、富蔵さん。いくらあそこを知ってるとは言っても、あそこにいる連中は伊賀も、お庭番もいるし、馬鹿ばかりではない。いい加減にやると、堀の藻屑になるぜ」

 それには富蔵も頷いた。

 そして藤十郎は、

「もし、本気でやるのならば、全て俺の指図に従ってほしい。それでもいいか?」

 これは当然で、複数でやる場合、お互い勝手な事をやれば直ぐ捕まってしまう。 それは富蔵も分かっていた様で、

「おう。いいぜ」

 と、素直に頷いた。

 すると、富蔵は、

「こんな事言うのも何だけどよ。あそこを破ったら、いくら獲れると思うね」

 藤十郎は、少し考え、

「二人だからな。無難に四千両ってとこじゃねえか?」

 それには富蔵も、大きく目を開け、

「よ、四千両……。本当かい? すると一人二千両……」

 藤十郎は頷き、

「ああ。だが、あくまで無難にでだ。そこで欲を張ると失敗する。だから、どうだ? それでも俺の言う通り、動いてくれるかい?」

 富蔵は、大きく頷く。

 彼も、これが一番重要な事だと分かっているようだ。

 もっとも富蔵は、もう四千両を予約した様に思っているのかも知れない。

「わかった。心配するな約束する」

 と、まるで希望に溢れたかの様に笑顔で頷く。

 藤十郎は、あまりに嬉しげだからむしろ不安になったが、しかしこれは生死が関わる事。さすがにそれぐらいは分かるだろうと思い。

「それなら、しばらくの間打ち合わせをして、必要なものを事前に手に入れ、準備が必要だ。そして本番に向かう。分かったかい?」

「おう。わかった。分かった」

  

 たまたま会った二人だったが、なんと初回から金庫破りの合意までしてしまった。 これも、時代のなせる技なのか……。

 

(2)

 

 時は、かなり経った、安政二年三月のある晩の事である。

 食事も終わった、お華たちは、もうそろそろ寝ようかと言う時だったが、お華とおみよは、縁側でまだ、お気楽に酒を呑んで、あれこれ笑顔で喋っていた。

 無論、二人とも深酒しようという女たちではないので、もうそろそろ私たちもと思っていた、そんな時だった。

 お華の、眉がピクっと動いた。

 そして、首を捻りながら、素早く後ろ上方を見上げると、天井から首を出している女と、目が合った。

 お華が「もう!」と言いながら苦笑しているから、おみよもお華の視線を追って目をやると、驚愕の表情だ。

「ひえ~」

 と、当然、声を上げる。

 既に呆れ顔のお華は、

「こら! 早く降りてきなさい。今度来る時は、普通に来なさいって言ったでしょ?」

 と笑う。

 天井の女も、少々笑みを浮かべ、上からフワッと降りてきた。

 この女の名は、お香。

 新宿で繁盛店を幾つか持ち、その中には薬種問屋もあるので、優斎の診療所に薬を納入したりしている。

 表向きは、商家の女将なのだが、実はこの女、甲賀の忍びの頭でもある。

 幕府に仕えている甲賀の連中とは違い、別の甲賀忍び集団で、特に武家には仕えていない。

 お華とは、以前、敵討ちの件で知り合って、今でもたまに連絡を取っている。


 さて、今回は突然の来訪であった。

 ところが、彼女が降りてきた時、お華は少々驚いた。

 それは、お香の姿が、漆黒の、いわゆる忍び装束だったからだ。

「おや、甲賀の女将。どうしたの一体。その格好は」

 その時はもう、おみよも気付いた様で、

「猪口、持って来ますね」

 と、酒と猪口を取りに、立ち上がった。

 お香は、多少恥ずかしげに、

「はは、久しぶりなんで、ちょっと疲れちゃったわよ」

 お華も笑いながら、

「まったく、忍びなのか、ろくろっ首なのか、ハッキリしてよね」

 などと言いながら、おみよが持って来た猪口に酒を注いでやり、お香に渡す。

 お香は、笑顔で頭を下げ、くいっと酒を一気に呑み干した。

 お華は、それを眺めながら、

「で、今日は何なの? ここに忍び込む為の格好じゃないんでしょう?」

 と聞く。

 お香は頷いて、

「実はね……」

 その内容を聞いて、お華とおみよはひっくり返って仰天した……。


 さて、それから翌日。

 お華は、呼び出された事もあって、早速、八丁堀に駆けつけた。

 お春をからかいながら、待っていると、浩太郎が戻ってきた。

 今日は、というか今月は休み月な事もあって、早めに戻って来たのだ。

 だが、着替えもせず、お華の前に座り、おさよが抱いている新之助の頭を撫でながら、

「すまんな。お華」

「これは、兄上。お呼び出しとの事。まあ、その前に一つ。ご報告があるので、よろしいでしょうか?」

 お華は、遠山が亡くなっても奉行所のお手先でもあるので、何はともあれ、異変は報告しなければならない。

 小春を横に座らせ、

 昨夜起こった、お香の話を始めた。

「兄上もご存じでしょ、新宿、甲賀の頭、っていうか女将さん」

 それには、浩太郎も、

「ああ、護持院が原の時の」

「そうそう、あのろくろっ首」

 などと言うお華に、つい笑ってしまう浩太郎だが、

「で、それがどうしたと言うのだ」

 お華は昨夜に起こった、お香の話を始めた。

それには、さすがの浩太郎も驚愕した。

「な、何だと! 黒船に忍び込んだだと?」

 当人も、一度、黒船は目の前にしていたので、驚くのは当然である。

「それで!」

 浩太郎も話が話なので、少々慌てている。

 しかしお華は、

「全く、本当の忍びってのには驚くわよ。私だってあの黒船見てるからね。姉上にも今話していたところなんだけどさ」

 おさよも、微笑んで頷く。

「何でもね、北の、いやいや伊達様より、もっと北のお大名らしいんだけど、女将さんが以前、何かで世話になった殿様らしいんだけど、その殿様がね、黒船から、何とか向こうの思惑などが書かれた秘密書類か何か、持ってこれないかって頼まれたらしいのよ」

 しかし、浩太郎は眉を寄せ、

「おいおい、そんなことして、もし見つかったら大変な事になるぞ。当人は勿論、即座に、江戸に大砲撃ちまくるかも知れん」

 それには、お華も大きく頷いて、

「それはその通り。だから私も、女将を叱りつけたのよ。戦国じゃあるまいし、大火になって、路頭に迷う人々が増えるだけじゃない! ってさ」

 今度は、浩太郎も、

「そうだ。あれは実際まだ、どうなるかわからんが、今は落ち着いた話になってるようだからな」

 するとお華は眉を寄せ、

「いや、でも凄いよ忍びって。誰にも咎められる事無く、しっかり書類みたいな物を奪ってきちゃうんだから」

 それには浩太郎も驚いて、

「え~。な、何? 取っちまったのか? んで、一体何を」

 するとお華は大笑いした。

「なんだ、兄上。知りたいんだ」

 これには、おさよも笑ってしまい、抱かれている新之助も一緒に笑い出している。 浩太郎は、一つ咳払いして、

「やかましい。それはそれで知っておかねばならんだろう」

 お華は頷いて、

「私も驚いてさ、その書類ってのを見せて貰ったんだけど、向こうの言葉だから、何書いてあるのか、ぜんぜん分からなかったからね。先生に来て貰ったのよ」

「おう。優先生にな」

「そう、ちょうど、さぶちゃんも居たんだけどさ、話聞いて、二人とも驚いてたんだけど、書類を読んで欲しいって渡したのよ」

「うん」

 と浩太郎は頷く、

「そうしたら、先生が、これはアメリカ語ではないですね。たぶんオランダ語ですよ。とか言いながら、二人で呼んでたら、二人とも大笑い始めちゃってさ」

「え? どういうことだ?」

「先生はさ、これは別に書類でもなんでもなく、ただのイタズラ書きですよっていうのよ。訳して貰ったから見て」

 とお華は懐から、優斎が書いてくれた紙を一枚取り出し、浩太郎に渡した。

 それを、浩太郎と横からおさよも覗いている。


一つ、イギリス女はベットが上手

 一つ、フランス女は料理が上手

 一つ、オランダ女は家事が上手

 一つ、「音のしない川は水深がある」


「何じゃ? こりゃ?」

 浩太郎は呆気にとられ、おさよは、腹抱えて笑っている。

「先生が言うにはさ。長旅に飽きた船員が、暇つぶしにでも書いたもんでしょう。おかしいけど、何となく伝わりますよ。だって、それ聞いた女将はさ。それはもう情けない顔して、泣いちゃったわよ」

 浩太郎もさすがに笑い出してしまった。

「それでお華。どうしろと言うんだ」

「そんなんでも盗みは盗みなんだけど、今回は大目に見て欲しいと思ってさ……」

浩太郎は笑って、

「こんなもん。これをアメリカから女将が盗みましたって、佐久間様に、こんな物見せたら、逆にこっちが笑われちまうよ。しかしこれ、その殿様にみせるんだろうか?」

 それにはお華も笑いながら、

「女将も悩んでたわよ。どうしたら良いんだろう? どうするんだろうね……。まあ、とにかくお見逃し、ありがとうございます」

お華は、女将の代わりに、深く頭を下げた。

 

 すると浩太郎は、渡された紙をおさよに渡しながら、真面目な顔に変わる。

「まあ、こんな話なら、まだ世の中平和だけどな。しかし俺が、お前を呼び出したのも実は盗みだ。しかもこっちは、御金蔵破りだ!」

 それにはさすがにお華も、目を丸くする。

「御金蔵? 一体どこの」

 浩太郎は、更に険しい顔で、

「お城の御金蔵だ。取られた金は、六千両」

「ろ、六千……」

 と、お華、おさよは絶句し、二人とも驚愕の顔だ。

 浩太郎は続けて、

「今回は、千代田の城だ。おさよとお華は一度、大奥に上がった事があるだろう。だから、二人に知っている事聞きたいと思ってな」

 お華は頷いたが、

「なるほどね。でも兄上、今月非番でしょ。それなのになんで?」

 それには、浩太郎も少し情けない顔で、

「まあ、そうなんだけどな。ただ、今回は前代未聞のお城の金蔵破りだ。非番も返上で早期解決を、と言うことで、ご老中あたりから命が下ったって訳だ」

 お華とおさよも事態の大きさに、さもありなんという顔で頷きはする。

 しかし、お華は、

「そりゃ、私と姉上は一度、姉様の警備で行った事あるけどさ。その金蔵破り。少しは詳しい事、分かっているの?」

 それには浩太郎も、少し首を捻り、

「問題はそこなんだよ。分かっているのは、六千両と御金蔵が破られたって事だけなんだ。お前に言われる迄も亡く、これだけじゃ日本橋の商家だって分からねえよ。しかも、お城には登れねえしよ。困ってるんだ。そうしたら、佐久間様がな、お華達はお城に登った事があるし、今でも行けるだろ。だから聞いてみろって言われてな」

 それには、お華とおさよは笑って、おさよは、

「あらあら、今度は私たちに、盗賊を探せと」

 と笑い、お華は、

「まあ、遠山様もお亡くなりになったばかりだから、御役には立ちたいんだけどね~。で、兄上。御金蔵はどちらの御金蔵がやられたの?」

 それには浩太郎が、

「おう。それはな、奥御金蔵と言うそうなんだが、それ自体どこにあるのかさえ、分からん」

 すると、お華は微笑み、

「ああ奥御金蔵だったら、知ってるわよ。兄上、お城の天守台分かる?」

 しかし浩太郎は、渋い顔で、

「話は聞いた事はあるけど、行った事ないんだからな、何とも言えんよ」

 と、怖い顔で答える。

 しかし、お華はそんな浩太郎の心の内など気にもしないで、

「あのね。表、中奥、大奥と並んでいるご本丸の大奥の後ろに天守台はあるのよ。奥金蔵は、だいたいその横の辺りよ」

「ほう!」

 と浩太郎は目を広げる。お華は続けて、

「お城には、御金蔵は二つあって、その奥の御金蔵と、表玄関先にある、蓮池のお金蔵の二つがあるのよ。ただ、ここは表だから私も姉上も見た事無いけどね」

 浩太郎は大きく頷き、

「なるほど、そうなのか。じゃ、奥御金蔵って言うのは、北詰橋辺りってことかい?」

「そう。あそこはお城が火事の時、姉上も私も一度見てるわよ。ねえ、姉上」

 おさよも頷き、

「そうそう。あの時ね。あの時は大勢、同心の方がいらっしゃって、必死に火事が移らない様、働いていらっしゃったわ」

「そうそう、大きなホウキとか、水くんで被せたり、焼けたら、お金が溶けちゃうからね。あの時は大変だったみたいよ」

 すると、浩太郎は少し安心した様で、

「やっと、お城の絵図だけは頭に浮かんだよ。二人ともすまんな」

 女二人は、和やかにお茶を飲む。

 浩太郎は重ねて聞く。

「お華。それから、手順なんだがな。想像出来るか?」

 お華は、呆れた様な顔で、

「ねえ兄上、私に盗賊になって考えろって言うの?」

 と聞くのだが、何故かお華は笑い出し、

「懐かしいわね。昔。そう、この小春ぐらいの時……」

 と、お華は小春の頭を撫でながら、

「無くなった父上と、鼠小僧のやり口なんか、鼠ごっごとか言って、お話してたことがあったわね~」

 などと言うから、今度は浩太郎が呆れ、

「え? お前。そんなこと父上と話していたのか、娘に父上は何考えてたんだ~?」

 と言いながら、浩太郎とおさよは大笑いする。お華も笑って、

「まあ、どうやって壁を上がるとか、門を破るとかね。一歩間違ったら今頃、盗賊のお頭だったかもね」

「ちがいねえ」

 三人は大笑いだ。

 そして、お華は、

「あのね。思い出したわ。姉様からお聞きした事があるんだけど、これまで江戸城には今回とは別に、三回、入られた事があるらしいわよ」

 それには、浩太郎も驚き、

「三回? 誠かその話」

「だって、姉小路様が仰るんだもん。間違いないわよ」


 最初は、五代将軍綱吉の時代。貞享四年(1687)十二月である。

 次は、寛政六年(1794)に蓮池御金蔵で未遂。

 最後は、天保六年(1835)、これも蓮池御金蔵の事件だったが、こちらは金庫破り自体は成功したものの、逃走に失敗したのか、途中堀で死んでしまっていた。

 以上、判決ではいずれも死罪。

 加えて、連座により、家族そして子供まで処刑されている。

 失敗して捕まった場合は、さすがに江戸城将軍様のお膝元だから、刑罰も過酷になってしまう。


 するとお華は、

「でも、今回は成功しちゃったんでしょ。これは相当考えられた仕業だね」

「そうなんだ。南は、お奉行がやる気出して探索しているようだが、でも、言った通り、北は月番じゃねえから、派手な事は出来ない」

 それには、おさよが笑って、

「ああ、だからお華ちゃんって事?」

 浩太郎も苦笑して、

「その通りだ。吟味奉行の佐久間様も笑って、こういう時はお華の出番だ! とか仰るしさ。俺は不安だが、そう言われると仕方が無い」

 するとお華は少々不機嫌ながら、

「佐久間様に頼まれちゃ、嫌とは言えませんよ。良いでしょ。私、これから大奥に行って、話を聞いて来ますよ」

 浩太郎は、この時ばかりは情けない顔で、

「頼む。ただ、内密でないと困る。月番じゃねえからな」

 お華は、ポンと胸を叩いて、

「大丈夫よ~。さすがに南も、大奥までは手を出せないでしょ。これから行って来ますよ。そしてその後、奉行所に行くわ」

 彼女は、ニコニコし出し、すぐ立ち上がり玄関に向かった。

 見送った浩太郎は、

「大丈夫だよな、おさよ」

 と、心配そうに聞くと、おさよは笑って、

「何を言っているのです。お華は姉小路様の手下でもあるのです。ご迷惑は掛けませんよ」

 いいながら、おさよに抱かれている新之助に、浩太郎は笑顔を向ける。

「まあな……。俺もそう思うんだけど……」



(2)


 お華は足取りも軽く、平川門へ急ぐ。

 門番には、お華と聞き、

「姉小路様の御用で滝山様宛てに参りました」

 と言い。

 この名を聞けば、さすがに駄目とは言えない、いわゆる顔パスで通れる。

 勿論、通常は当然、通行には門鑑や切手が必要なのだが、しかし、その辺がお華のこれまでの成果とも言えるのかも知れない。

 と言うわけで、梅林門も難なく通過し、七つ口まで辿り着く。

 しかし、お華は入ると大奥玄関には行かず、七つ口に並ぶ、伊賀の控えに向かった。そしてそこで、

「三蔵さん。いらっしゃる?」

 と、声を掛ける。

 三蔵は、以前、姉小路警護の時に知り合った、伊賀の総帥、当代服部半蔵の二番手で、江戸城に仕えている男だ。

 前で番をして立っていた若者は、大奥でなく、こちらに女が訪ねてくるなど、初めてだったから、若干慌てた様だ。

「少々、お待ちを!」

 と言って、慌てて奥に下がっていった。

「お華?」

 休憩でもしていたのだろう、三蔵が出てきてお華の笑顔を見た途端、目が覚めた。

「こ、これはお華さん。お久しぶりにございます」

 お華は、頭を下げて、

「今、ちょっと良いかしら?」

 三蔵は慌てて、先程の青年に急いで座布団を持って来るよう命じる。

 框にそれを敷かせると、三蔵は、

「ど、どうぞこちらへ」

 と、言って、更に、

「お茶だ! お茶」

 また、言い付けられたので、青年は首を振りながら用意を始める。

 お華は少しおかしそうに、

「良いのよ、そんなに気を遣わなくて」

 と、座って二人に頭を下げた後、

「三蔵さん。遅れちゃったけど、姉小路様お城下がりの時、警備をお願いしちゃって申し訳無かったわね。ありがとうございました」

 お華は、微笑み頭を下げる。

 それには三蔵は慌てて、

「何をおっしゃいます。私共が起こした不始末。寛大なお心で不問にして下さった方にございます。あれくらいは当然の事でございます」

 と、こちらも深く頭を下げる。

 そしてお華は、少々、声を落として、

「まあ、ここだから。あまり来る訳にもいかないからさ。お礼が遅れて申し訳無い」

 すると三蔵は、慌てて首を振り、

「いえいえ。でも、本日はそれだけじゃないんでしょ?」

 やっと、三蔵は片頬を上げて、聞いて来た。

「さすが、伊賀の頭領代理。あ! そう言えば頭領はお元気?」

 それには三蔵は笑って、

「ええ。病気も無く。矍鑠としてらっしゃいます」

「そう。それは良かった」

 と微笑んで、本題に入った。

「実はさ、三蔵さん。御金蔵の話。もう知ってるわよね」

 それには三蔵が笑い、頷きながら、

「やはり、その件でしたか。もちろん存じております」

「でさ、ちょっと、三蔵さんのお知恵を拝借しようと思ってさ」

 それには三蔵も、

「お知恵なんて、そんな大層なものはありませんよ」

 と大笑いする。

「三蔵さん、あれは奥御金蔵だったんでしょ? 三蔵さんはどこ……いや、どっちから入ったと思う?」

 三蔵は、やっと茶を飲み、足を崩して、

「そりゃ、北ですよ」

 それにはお華が嬉しそうな顔をして、大きく頷き、

「私もね、そう思ったのよ。ほら、姉様狙った、あの娘達も北から入ったって言ってたからさ」

 三蔵は頷いて、

「そりゃそうです。西から入ったら、私共もおりますからね」

 と大笑いだ。

「そうそう。でもさ、それは伊賀さんだから、そう考えるけど、素人だったらどうなんだろう?」

 それには、さすがに三蔵も首を捻って、

「実は、その日私も、蓮池の方で警備をしていましてね。私にも全く気づかなかったですから、何とも言い様がありません。まあ、見た目は西の方が入りやすいんですけど、目が多い。北は構えは立派だが、普段、目は全くと言って良い程ありません。それを忍び以外の者が分かるのかどうかはちょっと疑問ですけど」

 お華も、その言葉には頷いて、

「そうなのよ。甲賀かとも思ったんだけど、ただね……」

 と、お華は例の黒船の話をしてやると、三蔵は腹を抱えて大爆笑だ。

「ほ、本当ですかい? その話。何やってんだ彼奴ら」

 お華もニコニコして、

「だからさ、あの人達はそんな事で忙しいかったから、あの連中じゃないのよね」 三蔵は頷いて、

「なるほど。黒船相手じゃ、御金蔵どころじゃありませんな」

「そうなのよ。面白いんだけど、逆に困っちゃったわよ」

 とお華も一緒に笑ってしまう。

 すると三蔵は、

「お華さん。そうなるとこれは、侍が絡んでいますね」

 それにはお華は少々驚く、

「侍?」

「ええ。それも城に常に上がれる侍、若しくは従者です。内部を疑わなきゃ、それ以外考えられません」

 それには、お華も手を打ち、

「そうか。だから、鍵も開けられるんだ。蝋型作って」

「そうです。確か、表の土門は合い鍵で、そして奥は捻じ切ってというお話でしたから、奥に、せめて天守台まで入れないと無理ですから」

 お華は、頷き、もう一つの疑問。

「そんでさ、堀はどこ抜けたと思う? 私はこれも二通りかなって思ってるんだけど」

「ああ、帯曲輪と田安門ですか?」

「そうそう。まあ、近いのは帯だと思うんだけど、ちょっとしっくりこないのよね」

 三蔵は頷いて、

「やはり、田安門でしょう。あそこは向こう側が、御用地の火除地になってますし、田安の屋敷番と辻番さえ気を気を付ければ、何の事はありませんから……」

 お華は納得して、

「なるほど! ありがとう三蔵さん」

 とお華は、笑顔で頭を下げて出て行った。

 お華は、それから一人で天守台の方に回ってみた。

 そして、御金蔵の方にちょっと目を向けると、取られた責任でも取らされているのだろうか、大勢の同心達が、表を固めていた。

 それはともかく、北詰橋の方に行って、腕を組んで見渡している。

 彼女は、火事の時一度通っているのだが、改めて落ち着いて見ると、三蔵が言っていた様に警備の甘さがお華にも分かってきた。

 高麗門や櫓門を眺め、お華はいよいよ確信に至った様である。

「じゃ」

 と声を出し、戻ろうとまた七の口周辺に来た時、ちょうど向こうから、一人の女中がやって来たのが見えた。

「るいちゃん!」

 るいは、当然驚いて、

「あれ? お華さんじゃないですか! どうしたんですか?」

「お久しぶりね。るいさん」

 とお華は笑顔で近づく。

「今、平川に行ってましてね。少々打ち合わせをしてたところなんですよ」

 こちらも、嬉しそうに近づく。

 このるいは、大奥の切手番。

 七の口の出入りを管理する役職であるが、一方で、別式女という、大奥の警備にも携わっており、おさよには敵わないものの、小太刀の名手である。

「どうしたんです? こんなところで?」

 さすが切手番だからというセリフだが、お華は大笑いして、

「嫌~ね。別に大奥に潜入しようとしてる訳じゃないから、安心して」

 と、るいの肩を軽く叩く。

 るいも笑って、手を振り、

「別にそう言う意味じゃないですよ~。だって、お華さんなら、何時でも入れるし」

 二人は、楽しそうに笑い合う。

 しかし、お華は急に真面目な顔で、

「るいちゃん。例のお金蔵の話、聞いてる?」

 それで、るいは口に手をやり、

「やっぱり、そんな事だと思いましたよ。お華さんがわざわざ出張るんだから、それ位じゃないとね」

 そしてるいは、

「はい。勿論、お聞きしてます」

 と頭を下げる。

「夜中の事らしいんだけど、るいさん。大奥回りの時、気づかなかった?」

 るいは首を振り、

「私は全く。お目付の方からも問い合わせがあったようですけど、誰も分からなかった様です」

「そうか。まあ、中から気づくっていうのは無理があるだろうしね」

 しかし、るいは、

「いえ。もし大奥の横。西詰橋門の往復で通ろうとしたら、さすがに分かりますし、他にもあの辺には、伊賀様やお庭番の方などいらっしゃいますから、あそこは通ってないと思います」

 それには、お華も大きく頷き、

「そうなのよ。私も北詰橋門からだと思っていたのよ。それでさ、あと気付いた事ない?」

 と聞くと、

「あのね、お華さん。私ね、下手人は侍、若しくは一人は侍だと思ってるんですよ」

「ほう。なんでなの?」

「お華さんも、あれ、奥御金蔵ご覧になりましたよね」

 お華はうんうんと頷く。

「二十の鍵で、守ってるんですけど、外の土扉は鍵が開けられて、土蔵そのものの扉の鍵は、ねじ切られていたそうです。問題は、外の鍵です。こちらは恐らく音を気になさったんでしょうけど、合い鍵を作る場合。これは大変です」

 それにはお華も笑顔で大きく頷いて、

「やはり、るいさんもそう思うか。実は伊賀の三蔵さんもそう言ってたのよ。さすが切手役ね。そうよそう。って事は、門鑑が必要ってことか」

 るいも笑顔で頷いて、

「そうです。そう。それとねお華さん。…………」

 と、もう一つ教えてくれた。

 さすがにその言葉にはお華も驚き、

「本当なの? それ。困ったもんねそりゃ……」

 呆れた顔になる。

 とにかく、一通り確認したお華は、るいに礼をして、帰ろうと平川に行こうとすると、

 すると、るいが、

「すみませんお華さん」

 と走って、追って来て、

「お華さん。実は私ね?」

 とお華を送りながら、話す。

「ん? どうしたの?」

 するとるいは、些か小声で、

「私、もうそろそろ、大奥出ようかと思ってるんですよ」

 突然の話にお華も少し驚いて、

「え? 辞めちゃうの?」

 るいは、小さく頷き、

「ええ。実は、姉小路様の所にお世話になろうかと、思ってまして……」

「姉様?」

「ええ。以前から、お話はあったんですけどね~」

 お華は、目を開き、

「ああ、とうとう飽きちゃったか?」

 それには、るいも笑って、

「そうとも言えますかね」

 しかし、お華は、

「ただね。姉様の所に行っても、毎度毎度、穴を掘らされるだけだと思うけどな~」

 るいは驚き、

「穴ですか? なんです? 穴って……」

 と聞くから、お華は立ち止まって、教えてやった。

 それにはさすがに二人とも、大笑いになった。

「まあ、ああいうお人だからね。ある程度は覚悟した方がいいよ」

 と言って、お華とるいは坂を上下分かれていった。



(3)

 

 さて、お華。今度は北町奉行所に向かった。

 顔見知りの門番から、

「与力の佐久間様が、いらっしゃったら通すよう、言いつかっております」

 それには、

「ありがとう」

 と笑顔で、礼を言い、大門から、正面の方向にある佐久間の部屋に向かった。

「お華、参りました」

 と、外側から声を掛けると、なんと浩太郎が襖を開けてくれた。

「あら、兄上。いらっしゃったの?」

 などと言い、そこから部屋に上がり、正面に座っている佐久間の前で、

「佐久間様。お呼びにより、参上致しました」

 深く平伏し、挨拶をする。

「良く来た、お華。ご苦労だった」

 するとお華は、辺りを見回し、

「あれ? 佐久間様、若様は?」

 と聞く。

 若様と言うのは、佐久間の嫡子。今、ちょうど見習い吟味与力をしている佐久間健二郎の事だ。

 それには佐久間も、少し笑顔で、

「ああ、あいつはな、今、わしの仕事を殆ど任せているのじゃ」

 それにはお華も驚き、

「あらま。それでは?」

 すると、佐久間は腕を組み、

「いや、先日、遠山様もお亡くなりになった事もあって、わしももうそろそろ、後に譲らねばと思い始めてな」

 と苦笑する。

 それには、お華も大きく頷いて、

「そうですね。遠山様は、跡取りの景纂様も続けて亡くされてますから。あの次第を聞けば、私でもなるほどと思います。ですが、佐久間様? それであの金庫破りの件は、佐久間様がおやりになるのですか?」

「そうなんじゃ。他の仕事を彼奴に任せたところ、お奉行が、それではこの件は、専任で任せたいと仰ってな。わしがやることになったのじゃ」

 それには、お華は苦笑して、

「しかし佐久間様。むしろ、こちらの方が大変ですよ。普段のお仕事などとは比べもののになりませんよ~」

 さすがに佐久間は、

「はは。まあそうなんだがな。でも、お華も浩太郎も付けてくれるというから、お引き受けしたのじゃ」

 すると、お華は、

「まあ、私は子供の頃から、父上と(鼠ごっこ)で遊んでましたから、あの程度の金庫破り、敵ではありませんけどね」

 などと言うから、佐久間は目をパチパチして驚いているが、後ろに座っていた浩太郎が、慌ててお華の横に来て、お華の腿をパシンと引っ叩き、

「これ、何と言う事いうのじゃ。佐久間様に失礼な」

 と怒るのだが、佐久間は呆れた顔で、

「お華。亡き段蔵と、鼠ごっこってどういう事じゃ?」

 聞いてくるから、お華は、浩太郎を振り切って、

「子供の頃に、父上と鼠はどうやって、お屋敷に忍び込んだのかという当てっこしてたんです」

 それには浩太郎は額に手を当て、ガックリとしているが、佐久間は、大笑いして、「段蔵は、我が娘と、そんな事しておったのか。さすが、今のお華を物語っておるわ。わしもそうやってたら、少しは我が息子も、もう少し鋭くなってたかもしれんな」

 と、まだ大笑いしている。


 鼠というのは、ご存じ「鼠小僧次郎吉」である。

 武家屋敷、述べ百軒、盗んだ金は三千両という、大盗賊だが、亡き段蔵は、生前、奴をお縄にしようと、知力を尽くして戦ったが負けてしまったのだ。

 その辺、佐久間も知っていたから、ついつい可笑しくなってしまった。


「さて、お華。そこまで言うのなら、何か掴んで来たんだろうな」

 佐久間の言葉に、お華も頷き、

「はい。お城警備の伊賀の方と、大奥の別式女にお合いしましてね。話を聞いて来ました」

「ほう。またお華は、聞いてくる人間が違うな。吟味与力のわしも初めて聞いたぞ、伊賀とか別式女など、なあ浩太郎」

 浩太郎も、「やはりやったか」という表情で、申し訳無さそうに頭を下げる。

「佐久間様。やはり侵入は、北詰橋門からだと思われます。これは、他の者も同じ意見でございます」

「ほう。何故だ」

 お華は、頭を軽く下げ、

「はい。実は外から見れば、もしくは素人ならば、西詰橋門を乗り越える方が安易と考え易いのですが、これまで、この方法で成功した者はおりません」

 その言葉には、佐久間は驚いた。

 さすがに、江戸城の犯罪記録までお華が知っていると思わなかったからだ。

「そなた。なぜ、その事知っておるのだ」

 それには、お華は、少しニヤニヤして、

「姉小路様にございますよ。今は勝光院様でございますが、この様な話は以前、お聞きしたことがあったのです。ですから、元禄の時代あたりから、西詰辺りの警備が強化されたそうです。さすがに西詰は、お上も普段吹上に行く際、割とお通りになるところに加え、大奥のお鈴廊下にも近い所。目が多いのです」

 これには、佐久間も驚愕した。

 お華は、将軍様の行動まで把握しているのだ。

 そんな女は、関係者以外いないし、姉小路まで出されたら、何も言えぬ。

「実はですね。以前、大奥で姉小路様を襲った忍びを捕まえた所、その者達も北と言ってまして、玄人が選ぶなら、若しくは少し頭の切れる奴なら北を選ぶと思います。まあ鍵縄一本あれば、やれないことは無いですから」

 佐久間は、腕を組ながら、一々頷き、

「なるほどな。西じゃったら、金蔵開ける前に捕まっているって事か」

「それに今回の盗賊は、門鑑や合い鍵まで用意していたようです。逆にそれは探索の足がかりになるのでは? と思います」

 佐久間は嬉しそうに、

「おお、なるほど、まずは鍛冶屋を洗えと言うわけだな。門鑑は侍、若しくは御用達しか貸与されないから、下手人には、関係のある侍も一枚噛んでいるという事か。して、お華は何人ぐらいの盗賊だと考えておるのか?」

 お華は頷いて、

「はい。恐らく二人。多くて三人かと」

 それには浩太郎が眉を寄せ、

「馬鹿言え、六千両だぞ。多くて六人は必要だろ」

 と反論するのだが、お華は、兄だからか鼻で笑い。

「兄上。城の御金蔵は、千両箱では無くて、二千両箱を使ってるんですよ」

 その言葉に、

「何? 二千両箱? 誠か?」

 と、驚く。しかしそれには、佐久間が、

「ああ、それはわしも聞いた事がある。確か、蓮池でもそうだよな」

「はい。そうでございます。ですから、恐らく背負子などで、背負って逃げたのでは無いかと思います」

 するとお華はもう一つ。

「実は、奥御金蔵に納められてる小判は、実は特殊なのです」

「特殊? 何が特殊なんだお華」

 と浩太郎が聞く。するとお華は浩太郎の方を向いて、

「兄上。以前、茅場町の金座に、お調べ行った事憶えてる?」

 それには、さすがに浩太郎も視線を上に上げ、やがて、

「おう。憶えてる。あれは姉小路様のご指示で宝探しした奴な」

「そうそう、あの時見つけた小判は、どうだったか憶えてる?」

 今度は、頭を捻る浩太郎だったが、

「あれは確か、まっさらの、光も放っていた小判だったな」

 お華は大きく笑顔で頷いて、

「そうなのよ。それはまるごと御金蔵に入れていたんだって。で、その下手人は、どうやらそれを盗んだらしいのよ」

 佐久間は破顔して、

「なるほど! さすが、段蔵と鼠ごっこをやっていたお華にゃ、浩太郎も敵わないな。そんな金使ったら、すぐ分かっちまう」

 大笑いだ。浩太郎は盆の窪に手を当て、俯いてしまっている。

 すると、佐久間はお華に、

「して、どうやって城から逃げたと思うのじゃ?」

 お華は、再び頭を下げながら、

「はい。逃げるとすれば、一橋様、田安様の方からだと思います」

 すると佐久間は、

「あちらでは、堀が遠くないか?」

「ええ。普通に考えれば、平川の帯曲輪から堀を渡るのが、近いのですけどね。でも佐久間様。あそこは人目が油断出来ません。そこを行くとあちらの方が、堀の先が火除地。遠くはなりますが、圧倒的に安全です」

「おお、なるほどな。そう言えばあそこは何も無かったな。言われてみればその通りじゃ。よし、これで、下手人を追い詰める手筈が出来たな」

 そしてお華は、

「今回の盗賊は、かなりの者と推察致します。ですが、それでも足がかりは多少なりとも残しております。これを手繰って行けば、お縄にも出来るのではと思います」

 佐久間は、嬉しそうに、

「おお。そうか、」

 しかし、お華は、ここで一転して悲しそうな顔に変わっていた。

 佐久間はその表情の変化に気づいた様だ。

「何じゃ、お華、他にも何かあるのか?」

 お華は、少し頷いて、

「これで万全と、申し上げたいところなんですけど。佐久間様には、誠に残念なお知らせがございます」

 調子良く次々に、下手人の手口を次々話していたお華が、妙な事を言い出したので、佐久間と浩太郎は、驚いた。

 浩太郎の目が険しくなり、

「なんじゃ。お華」

 と、正座しながら一歩進む。

 お華は首を傾げ、

「実は……。この盗みが行われたのが、何時の事だか分からないのです」

「なに? どういう事じゃ?」

 佐久間は、さすがに昔から知っている娘だから、厳しくは問い詰めはしない。

 お華は、頭を一つ下げ、

「これは伊賀、大奥両方の者から聞いた話ですが、どうも、実際に盗まれたのは昨日今日では無いようなんです。あのお金蔵を実際に開けたのが、ほぼ一月前の事。つまりは今回知らせがあるまで、鍵を開けて入った事が無い様なんです」

 その言葉を聞いて、二人とも、目を丸くして仰天した。

 すかさず浩太郎が、

「待て待て、そりゃどういう事だ。あそこはお金奉行の同心が、毎度毎度確認していたのでは無かったのか?」

 その言葉で、佐久間は「あっ!」っと声を上げた。そして、

「お華。まさか上辺だけの警備って事か?」

 それにはお華も頷き、

「はい。そうなんです。あそこのお金蔵は、毎日の様に出し入れする蓮池のお金蔵とは違い、用件が無い限り扉を開ける事が無いのです」

 浩太郎も目を険しくして、

「なるほど、それがちょうど、一月前って事か」

「そうよ。まあ、実態が分からないから、それより早いかも知れないけど、最悪、それぐらい。私だったらサッサと上方でも行って、金を交換して、下手すると今頃江戸に帰って来ているだろうし、鍛冶屋もとっくにどこか行ってるわよ」

 もう、佐久間は頭を抱え、ガックリしている。

 浩太郎は、少々怒り気味で、

「あそこの同心どもは、土戸の鍵だけで安心してたのか……。全く情けない!」

 と声を上げる。

 お華は、寂しく笑いながら、

「佐久間様。これは、解決するのに相当の時が必要でございます」

 すると、佐久間は苦笑しながら、

「これで、わしの隠居が遠くなったって事じゃ」

 それには、お華が、

「何を仰ってるのです、おじさま。まだまだ早いですよ!」

 まるで娘の様に微笑む。そして、

「とりあえず、時はかかりますけど、京大坂や大きなお大名などに、妙に新しい小判使う者がいたら捕まえて頂く様お願いするしかありません。頭目の様な奴は油断していないでしょうが、共犯と思われる者は、意外と早く尻尾を出すかも知れません」 

 それには、浩太郎も、

「おお、それはそうじゃ。佐久間様、この事はお願い出来ないでしょうか。遅いかも知れませんが、鍛冶屋の方は、私が江戸中当たりたいと存じます」

 と言い切って、佐久間に平伏した。

 佐久間は軽く笑いながら、

「そうじゃな。それしかないようじゃの。ったく、やっと隠居出来ると思ったのに」

 などとまだ言っているので、お華が和やかに、

「そうは行きませんよ。私が居る限り」

 それには、三人が大笑いした。



~つづく~(後編へ)



今回もお読み頂きありがとうございます。


 さて、四千両というと、今の概算で、多く見積もって四億円!

 まあ、多く見積もってですけれどね。

 そしてこの事件は、江戸時代、最大、そして最後の大事件でした。

 鼠もその方面では超有名ですが、被害金額は遙かに超えており、何より相手が江戸城ですから、規模も最大と言って良いでしょう。

 

 ただ、その割には余り有名ではありません。

 まあ、崩壊直前の幕府でもあったし、お華も言う通り、最後があまり絵になりませんから、仕方無いのかも知れません。

 鼠が人気なのは、どこまでも単独犯行であること。

 不殺で、往生際が良かった事。後は、小僧と言われるべく、小さかった事かな(笑)

 そして、侵入方法も雨樋を伝ったり、堂々と正面から商人の振りしての居座り強盗。そして、金もそれ程の大金を狙わないので、ただでさえ届け出がしにくい武家が、一斉に口を閉じてしまったというのが、三千両にもなった要因なのでしょう。

 彼が活動中だった頃、まだ部屋住みだった水戸の徳川斉昭が、鼠を捕らえようと、寝ずに屋敷の警備をしていたという話が残っています。

 まあ、斉昭では無理かも知れません。


 さて、今回は前編として公開しました。

 では、次は解決編か? とお思いかも知れませんが、実はこの事件、解決にはまだ二年程度掛かります。

 さすが、幕末の江戸。

 この件だけに関わっていられません。

 その間、江戸では大変な事態が起こります。

 恐らく、これも前後編となる予定ですので、解決はその後と言う事になります。

 端折る事も出来るでしょうが、なるべく時間の流れはそのままにしたいと思っておりますので、どうかご了承下さいませ。

 

 それでは、今回もありがとうございました。

 よろしければ、次回もお読み下さればありがたいです。

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