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お華の髪飾りⅡ  作者: 本隠坊
14/65

⑭遠山桜は、おてんと様へ

(1)


 晴天のその日、

 お華は、おみよの三味線で、おゆきの踊りの指導をしていた。

「いいよ、いいよ。そこ! 指先気を付けて! そうそう」

 既に芸者デビューを済ませているおゆきだが、三味線だけでなく、やはり踊りも芸者には必要。

 お華は、眉を顰め、おゆきの踊り指導に熱が入っていた。

 しかし、そんな時だった。

 庭を背にしているお華の後ろから、

「頼もう! た・の・も・う!」

 と、やたら大音声の声が響いた。

 お華は、背後の気配にはとっくに気づいていたものの、殺気がある訳でも無かったので、優斎かノブと思っていたので、大きな目を開けて、さすがに驚いた。

 踊りも三味も、勿論、途中で止まる。

 お華は苦笑しながら、クルッと、庭に顔を向けると、そこに居たのは、妙に愛想の良い、丸顔の見知らぬ若侍だった。

「あの~お武家様? 私の後ろで、そんな大声出さなくても分かりますよ」

 眉を寄せたまま厳しい顔で、文句を一言。

おみよとおゆきも、不思議そうな顔をして、その男を見ている。

 しかし、相手は見た目、やはり侍。

 お華は咳払いを一つして、

「え~お武家様? 恐れ入りますがどちら様で?」

 その男は、大笑いして、

「すまんすまん。驚かせてしもうたかのう。申し遅れた。あのな、わしゃぁ千葉道場門下、塾頭を勤めている、坂本というもんじゃ」

 お華は、更に呆れた顔で、

「え~坂本様? ここはご覧の通り芸者の稽古場。剣術の稽古場ではございません。何かお間違えでは?」

 と、一応言うのだが、その男は笑顔で、

「うんにゃ、あんたはお華さんじゃろ? お前さんに用があって来たんじゃ」

「え? 私?」

 お華は、さすがに驚き、

「左様にございますか、それでは庭先では失礼。どうぞ、こちらにお上がり下さいませ」

 と、掌で案内する。同時におゆきに、

「おゆきちゃん。稽古は中止。悪いけどお茶、お願い出来る?」

 おゆきは笑顔で「はい」と立ち上がり、台所に走る。

 おみよも三味線を横に置き、頭を下げながら、お華の隣に寄って座った。

 お華は、坂本に、

「坂本様は、千葉様の門弟と仰いましたが、千葉様と言うと……」

 お華は指を、大門の向こう側を指差し、

「すぐそこのお玉ヶ池の千葉様の?」

 と聞くと、竜馬は首を振り、

「うんにゃ、わしゃぁ桶町の千葉じゃ」


 幕末江戸には、神道無念流の練兵館・鏡新明智流の士学館。そして北辰一刀流の玄武館の三つが、三大道場と言われ、世間で人気であった。

 事実、そこからは、後に幕末の志士となる桂小五郎など、多くの若者が通っていた。

 そして彼の言う、桶町千葉と言う道場は、その玄武館当主、千葉周作の弟である

千葉定吉が開いた道場である。

 お玉ヶ池の千葉は一般的に「大千葉」といわれ、定吉の道場は「小千葉」といわれていた。

 ただし、当主の実力、そして各剣士の力量は、大より小の方が抜きん出ていると言われる程、強い道場と世間で噂されていた。

 お華はお手先をやっている関係で、名前だけは聞いている。


「ああ、桶町ですか。で、その千葉様門下のお武家様が、この様な所に何の御用で?」

 すると、坂本はニコッと笑い、

「見たぞ! 見たぞ!」

 などと指差して言うものだから、お華は困った様に手を胸に当て、

「嫌ですよ、おばけみたいに」

 隣のおみよは、あまりの事に顔を下げ、口に手を当て忍び笑っている。

 そこにおゆきがやって来て、それぞれにお茶を配り、お盆を持ちながら、お華の反対側に座る。

 それを横目にお華は、

「一体、何を見たと仰るのです?」

 するとその男は、

「横浜じゃ、横浜」

 さすがに、それを言われ、お華は、いやおみよでさえ、気が付いた。

 お華は、眉を寄せて、

「まさか、あの時の騒動見てたんですか?」

「そうじゃ、そうじゃ。あれには、まっこと驚いたぜよ!」

 と大笑いである。

 お華は頭に手をやり、苦笑いしながら、

「それじゃ、あなた様も黒船を?」

「そうじゃ。いや、あれにも驚いたが、あんたの強さも驚いたぜよ」

 お華は、少し笑って、

「坂本様? 坂本様は、もしかしたら土佐のご出身では?」

 それには、坂本は驚いて、

「よう、わかったの~。こりゃ油断出来ん女じゃぁ」

 などと言っているが、お華は笑いながら、

「それだけ、お国の言葉使ってらっしゃったら、すぐわかりますよ芸者ですから。で、確かにあの時はお恥ずかしいところお見せしましたが、それで何かございましたんでしょうか?」

 竜馬はうんうんと頷き、

「実はな、我が桶町千葉には、師匠の定吉先生の他、ご長男で跡取りの重太郎さん。そして定吉先生の娘御、さな子様という方がおられるのだが、そのさな子様がな、横浜の一件をお話ししたところ、是非、その女子の手練れと立ち合いたいとおっしゃっての~」

 お華とおみよ、そしておゆきまで、

「え~?」

 と、声を上げて驚く。

 しかし、お華は大笑いして、

「立ち会い……。あの坂本様? いくら道場の方でも、芸者屋に立ち会いの申し込みなんて、聞いた事ございませんよ~」

 女二人は、我慢出来ず、大笑いしてる。

 そしてお華は、少し真面目な顔で、

「まあ、横浜の一件をごらんになったのなら、お分かりでしょう。坂本様もかなりの武芸達者とお見受け致します。お嬢様と私との立ち会いなど相性も悪いし、勝ち負けは別に、お怪我でもさせてしまったら申し訳ありません。お分かりでございましょう」

 竜馬も笑って頷き、

「わしもな、実はそうゆうたんぜよ。試合をするという相手じゃないとな。しかしな~お嬢さん、そこのところがわからんお人で、わしに申し込みにいってこいと仰られてな」

 お華としては、手裏剣と立ち会いなど、相手がおさよだから出来る事で、聞いただけのさな子では、無理だろうと思っている。

「では、そのお嬢様も、剣術は相当?」

 と聞くと、坂本は、

「そうなんじゃ、わしも三本に一本は取られるぐらい達者じゃ。普段は、侍や町人の子供達相手の指導をしているのだが、女が、アメリカ人の前で技を披露したっていうのが、何だか気に食わんらしくてな」

 お華は、大笑いして、

「気に食わんって、ほっときゃ外人さん斬られちゃいますからね。そうですか子供相手の先生を……」

 竜馬は、頭を下げ気味に、

「いかんかの~」

「でも、坂本様。ご当主の千葉様もお許しなのですか? 確かあそこは他流禁止ではなかったのでは?」

 すると竜馬は苦笑して、

「ところが定吉先生は、ちょっと話は聞きたいなぁとか仰ってな。まあ、試合というより、稽古という事でお願いできんかの?」

 お華は大きく頷いて、

「そういう事ならいいでしょう。ただし、私の方からも一人連れていきます。まず、その者と戦って頂いてからと言う事でよろしいでしょうか? よろしければ、明日にでも参りましょう」

 その言葉で、竜馬の顔に喜色が浮かんだ。

「それはありがたい! 明日じゃの? それではよろしく!」

 と出されたお茶を一気に飲み干し、脱兎の如く、その場を去っていった。

 見送るお華は、大笑いしている。

 するとおみよが、お華に、

「もう一人って、誰です?」

 と聞くと、お華は、

「そりゃ、当然、姉上よ」

 

 と言う事で、お華は早速八丁堀へ。

「え? 立ち会い?」

 おさよは小春を抱きながら驚いた。

「一体、どういう事よ」

 と聞いてくるので、お華は坂本の話を聞かせた。

 おさよは大笑いして、

「横浜の話は聞いたわよ。優斎先生に、お華は事件を呼ぶ。とか言われたんでしょ?」

 お華は、恥ずかしげに頷く。そして、

「ねえ姉上。最近は身体動かしてるの?」

 と聞くと、後ろで新之助を抱いて座っているおきみが、

「奥様は、いつも朝早くからお庭で、立木相手にお稽古してますよ」

 微笑みながら言うので、おさよは、

「これ。おきみ」

 と言いながら、本人も笑っている。

 それを聞いたお華は、

「なんだ。準備万端じゃない。それなら試合ぐらい出来るね」

 おさよは、少し頷く。

「いや、先生やノブさんも考えたんだけどさ、お嬢様じゃ、自信、無くなっちゃうでしょ。まあ、姉上なら同じ女だし、しかも相手が小太刀だから、むしろ良い方に行くんじゃないかと思ってね」

 さらにお華は、

「それでね。そのお嬢様。侍や町人の子供達の剣術指導をしているそうなのよ。だから、今すぐじゃないけど、新之助もその内さ、まず基本を教えて貰った方がいいかな? って思ってね。もしそうなら、色々話を聞くより、姉上自ら、その先生の技量を測っておけば、安心出来るってもんでしょ?」

 それにはおさよも頷いて、

「そうねえ。私も、その辺どうしようかと旦那様と相談していたのよ。旦那様は、お父上の様に神社でやるか。って言ってたんだけど、そうすると小春は? ってなるでしょ? すると旦那様は、家にお華は二人いらないとか言い出してね。でも、そんな事言ったら小春が可哀想だし……」

 それにはお華は、少々不機嫌そうに、

「全く、兄上は!」

 と怒りながらも、微笑み、

「まあ、いいわ。ちょうど良いじゃない。私もあの子には、まず剣術の基本をしっかり学んで、色々な子供と付き合うのも、後々良いと思うしね。それとは別に、姉上だって、もうそろそろ、真面目に手合わせしたいでしょ?」

 おさよは大笑いして、

「実は、そっちの方が重要なのよ」

 と言うので、お華とおきみも大笑いしている。


(2)


 翌日、お華、そしておさよと、おきみが子供達を抱いて、今で言う東京駅の直ぐ側、八重洲側鍛冶橋通りにある、桶町千葉の道場にやって来た。

 お華が、玄関先から、

「ご免下さい!」

 と、言ったのだが、横のおさよに、

「こういう場合、やっぱり、頼もう! とか言った方が良いのかしら?」

 と言うのだが、おさよは笑って、

「道場破りに来たんじゃないんだから、それで良いんじゃない?」

 などと言ってると、その玄関先に道着を来た若者がやって来て、框のところに正座した。

 その男は真面目な顔で、

「わが千葉道場に、何か御用ですか?」

 と言ったのだが、その男も、客が女三人に幼児二人である事を見ると、些か緊張感が無くなった様だ。

 こういう道場には、時折、それこそ道場破り目的でやって来る者がいる。

 大抵は、他流はお断りと言って、追い返すのだが、この奇妙な訪問者には、そんな気は遣う必要は無いと判断し、緊張感が溶けてしまった様だ。

 幾分、笑顔になっていた。

 だが、彼は知らなかった。

 この女二人こそ、本物の道場破りである事を。

 とはいえ、お華も笑って、

「あの~、こちらの坂本様から、お誘いを受けまして参った者にございます。どうか、お取り次ぎ、お願い出来ませんでしょうか?」

 と言われ、その若い男は、

(もう、竜馬さんは!)

 などと、顔が強ばる。

 彼には、飲み屋の集金か借金の取り立てだとでも思ったのだろう。

「あ、そういうことですか。只今、坂本様にお伝えして参ります」

 と彼は立ち去ったのだが、お華は、すぐそれを察し、少々笑いながら、

「姉上、あの人。私たちの事、付け馬か何かと勘違いしてるよ~」

 おさよも、

「そりゃ、そうかもね~」

 と大笑いだ。


 暫くすると、その若者も事情が分かったのだろう。顔が変わっていた。

「これは、当道場のお嬢様のご招待とは、誠に失礼致しました。どうぞ皆様、こちらへ、道場にて、当主、千葉定吉とお嬢様が、道場の方へお招きをと申しておりますので、さ、どうぞ、お上がり下さい」

 お華とおさよは、微笑み頷いて、道場に足を入れた。

 道場には、上座中央に定吉。左右に、嫡子重太郎、そしてさな子が座っており、一段下がったその隣に竜馬が座っている。

 お辞儀をしながら入って行くと、下座正面には、既に人数分、座布団が引かれていた。

 おきみは子供たちと少し下がって座った。

 もう、普通に座る事が出来る様になっていた子供達は、自分たちの屋敷とは違う、板場の部屋に少々驚いたのか、端に並んで座っている弟子達などを、不思議そうにキョロキョロ見回している。


 さて、まずお華が頭を下げ、

「この度は、そちらの坂本様より、ご招待を受けまして参りました。千葉定吉先生とお見受け致します。お初にお目にかかります。此度は快くお会いして頂きまして誠にありがとうございました。私は華と申します。そしてこちらは我が姉、さよにございます。そして、そちらの子はこの、さよの子供達にございます」

 と、皆、一斉に頭を下げる。

 お華は、こういう時もお座敷も変わらないから、流れる様な挨拶に、定吉も珍しい人々が来たと、少し上機嫌である。

 お華も、話に聞く定吉と違って、些か優しい雰囲気の爺さんだったので、少々安心した。

 隣のさな子の方は、道場の娘とは思えない、(千葉小町)などと世間で呼ばれる美しい顔。

 そんなお嬢様は、白い鉢巻きと白い道着で、キリリとした姿で座っている。

 お華には、若干、懐かしさも憶える娘で、それだけで腕の方も大方の予想がついた。

 するとお華は早速、

「いや、千葉のお師匠様。そちらの坂本様は、昨日、私の芸者屋にいらっしゃいましてね。いきなり、頼もう! 頼もう! でございますよ。そして、あろうことか立ち会いご所望と仰るのですが、さすがに私も芸者屋に立ち合いを申し込むお侍は初めてでして……」

 坂本は苦笑し頭を掻き、定吉初め、弟子達には笑い声が起こる。

「お話を伺いますと、横浜の一件をご覧になってとの事。そういう事ならと、お受けした次第にございます。しかし、千葉様では他流禁止とお伺いしてますが宜しいのでしょうか? もっとも私共は流派などございませんし、そんな者が、寄りによってお嬢様となど構いませんので?」

 すると、定吉は笑顔で頷き、

「わしもな、この龍馬に話を聞き、是非、お話をお聞きしたいと思っていたら、この不肖の娘が是非立ち会いをとか申すのでな。まあ、修業の一つとして許したのじゃ」

 それには、さな子も嫌な顔をしている。

 すると坂本が、

「今は稽古中だったのじゃ。こちらは準備が出来ておるが、そっちはどうかの?」 お華は笑顔で頷き、そして若干、笑いながら、

「はい。私共も大丈夫にございます。子供達抱きながらやって来ましたんで、いつでも準備は出来ております」

 そして、お華はさな子に向かって、

「当初は、私にというお話でしたが、私の話は既にお聞きと思いますので、それでは少々、私の不利。出来ましたらこの姉と一手お願いして、その上でと言うのは如何でしょう。まあ、この姉は、ご覧の様に子供産んだばかりでございますし、お嬢様にはとても敵うとは思えませんが、まずはそれで。そうしましたら私とも五分になりましょう。その事お願い申し上げます」

 と、お華は平伏して願った。

 さな子も、このままでは不利と言われては、千葉の娘として嫌とは言えず、大きく頷いた。

 その時、定吉は、些か笑顔で含み笑いをしている。

「ありがとうございます」

 と、お華達は立ち上がり、おきみは二人を持ち上げて道場隅に引き下がった。

 

 おさよは顔が変わり、立ち上がった。

 そして隅に向かい、並んで掛けてある木刀の中から、一本を選び出した。

 お華はそれを子供達の横で眺め、片頬が上がっている。

 さな子も既に立ち上がっており、道場の中央に向かって、静かに足を運んでいる。

 それを見ながら、上座の坂本は段に刷り上がり、定吉に、

「先生。どうでしょうね、あの女。さな子さんに敵いますかね?」

 と聞くのだが、その時おさよは、並んだ木刀の中から、小太刀を選んでいる。

 それを向こう側で見ていた定吉は、龍馬に小声で、

「やはり。あれは相当やるぞ。さな子では敵うまい」

 などと言うものだから、龍馬は驚いた。

「え? 小太刀で、さな子さんに勝てると……」

「まあ、見ておれ。勝負は一瞬じゃ」

「は~」

 龍馬は、その言葉に驚きながら目を向ける。

 いや、その前に、小太刀を取り出したおさよに、さな子は怒り心頭であった。

 口には出さぬが、如何にも見下げた振る舞い。

 怒りが全身に、震えとなって満ちあふれていた。

 その様子を定吉は、困った顔で、

「あやつも、修業が足りん……」

 と呟いた。

 一方のお華は二人の子供達に、囁く様に、

「母上をちゃんと見てるのよ。怖いよ~」

 と笑って言う。


 さて、いわゆる開始線に進んだ二人は一旦正座して頭を下げ、立ち上がった。

「いざ!」

 と、さな子の声が上がったが、おさよは無言でその木刀を自分の後ろの帯にやった。

 いつものスタイルである。

妙な話ではあるが、さな子は相手が女性、ましてや子持ちの母親など物の数ではないと思っていたのだろう。

 自分も女性であるのに……。

 さな子は、突き技で相手を崩れさせ、内に入らないうちに倒してしまおうと考えていた。

 まあ、これは相手が小太刀なら、間合いに入れない様、考える基本的と言っても良い戦い方とは言える。

 しかし残念ながら、相手はおさよであった。

 お華は和やかだが、子供達は真剣に見ている。さすがに口は開かなかった。

 定吉の「初め!」の声が上がる。

 さな子は機先を制すべく、先に足が動いた。

 おさよにしても、突きに行こうとするさな子の突進。それは既に予想していた。

 さな子が足を踏み出したと同時に、おさよはふっと、さな子の前から姿が消えた。 気が付いた時には、もう右、懐近くに飛び込んでいた。

 これには、さな子も驚愕した。

 これまで、姿が消える程の早さを持つ者と立ち合った事がない。

 しかし、彼女もそれなりの者。直ぐに反応した。

 こうなってしまうと、反応が遅れたさな子は、木刀をおさよに追いかけるように木刀を横に振るのだが、もうその時には、おさよは木刀を抜き打っている。

 それは彼女の腿を斬り捨てる様に、腿を擦るように当てている。

 叩くのでは無い、正に腿を切るのである。

 さすがに慌てたさな子は、今度は左に横一閃、木刀を振るのだが、こうなるともういけない。

 それより早くそして低く、木刀を避け、同じ様に左も斬られてしまった。

 これにはさな子も、その心と体への衝撃が襲いかかり、身体のバランスを崩してしまった。 

 結局一周して、素早くさな子の正面に回ったおさよは、小太刀の先をさな子の喉元に突きつけた。

 それと同時に定吉が、

「それまで!」

 と、腕と、声を上げる。

 さな子は、その美しい目を大きく広げて、身動き出来ない。

 何とも、一瞬の早業であった。

 これには、座っている弟子達、そして竜馬も口を開けたまま、声も出ない。

 そして少し間を開けて、それは大きな拍手が沸き立った。

 さな子は持っていた木刀を落とし、ガックリと両膝を着き、如何にも悲しい顔で、

「参りました」

 と頭を下げ、肩を落とし自席に戻っていく。

 おさよも、小太刀を戻し帰っていくと、お華が、

「姉上。もう戻った様ね。相変わらずの足運びだったわ」

 と、おさよは微笑んで、ゆっくり座った。

 ところが、待ったいた子供達は、母親に飛びつくと言うよりは、少々後ずさりして、一緒にいた、おきみの着物を握り締めていた。

 あまりの事に、生まれて初めて、恐怖というものを感じたのかも知れない。

 とは言え、戻ってくれば、もういつものおさよに戻っている。

 微笑んで二人の頭を撫でると、やっと、寄っていった。


 さて、次はお華である。

 お華は大きな声で、

「お嬢様にはお分かり頂いたと存じます。でも、私共は道場破りに来たのではございません。ですから、お師匠様なんて申しません。皆様、ここのところお間違い無い様お願い致します。とは言え、折角ですので私のお相手は、この中で、私の技を一度ご覧になったと仰る、坂本竜馬様にお願いしたいと存じます」

 この驚く指名に、竜馬本人は、

「え?」

 という表情である。

「やるんかい……」

 などとブツブツ言いながら、立ち上がった。

 一方、羽織姿のお華は、立ち上がって直ぐ扇子を開き、ひらひらと回転しながら舞い踊り、中央にやって来た。

 当然だが、木刀など持たない。

 それを見ている者達は、あまりの異様さに驚いたが、定吉だけは微笑んでいる。

 板の間端にいるおさよは、その様子を静かに笑う。

 すると、隣のおきみは、

「奥様。姉さんは大丈夫なのでしょうか?」

 と、少々心配そうに聞くが、おさよは頷き、

「あの子は遊んでるだけよ」

 などと言いながら二人の子を引き寄せ、

「あなたたちも、お華おばちゃん。よく見てるのよ」

 と囁く。

 一方、上座に戻っていたさな子は、隣の父親に、

「あれは、坂本様を馬鹿にしてるんでしょうか!」

 と、少々怒って言うと、定吉は頷いて笑い、

「そりゃそうじゃ。今の竜馬じゃ勝てんよ」

「ええ? そうなんですか?」

 意外な言葉に、さな子は驚いた。

「え、そんな事。もう分かるのですか?」

「そうじゃ。お前は、相手を見くびり過ぎじゃ。やはりまだまだ修行が足りんの」

 それには、さな子はガックリしている。

 反対側に座る長男、重太郎は自分では無かった事に、この時、少々不満であった。

 しかし、その事は直ぐに安堵と変わってしまう事になる。

 

 こうなると、竜馬も気合いを入れなければならない。

「よし!」

 と声を上げ正座する。

 一方、お華はフワッと正座し、まるでお座敷のお華太夫の時と同じく、丁寧に、

「お願い申し上げます」

 と平伏する。

 そして、顔を上げた時、お華の目が変わった。

 二人は立ち上がると、お華は少々斜め向きに立っただけで構えと言うものは無い。 龍馬の方は正面で八相の構え。

 これは恐らく、お華の簪、あの時見ていた髷への一撃と、両足への攻撃を警戒したのだろう。

 二人は、暫く円を描く様に同距離で回り、お華が、上座、定吉の方に来た時だった。

 お華は、いきなり足をポンと音を立てて一歩前に進んだ。様に見せかけた。

 すると竜馬は誘われたかの様に、八相のまま、間を詰めようと一気に前へ出た。

 その時だ。お華の腕が広がり、四本の簪が両手から打ち放たれた。

 それはなんと、前に出ようとした竜馬の木刀に並んで四つ、パパンと見事に突き刺さったのだ。

 これには回りの者、そして定吉でさえ驚いた。

 そしてさな子も驚愕の顔で、「え?」っと見詰めていた。

「あれは、忍びの技じゃ……」

 隣の重太郎は驚いて、

「忍びでございますか? 父上」

 定吉は大きく頷き、

「そうじゃ、あんなもん見た事無かろう。お前で無くて良かったな」

 と笑う、が重太郎は顔から血の気が引いていく。


 しかし、一番驚いたのは当の竜馬である。

「うっ」と声を上げたが、構わず突っ込もうとした。

 しかし、一方のお華は、その動きと一緒に、ポンポンと後ろに飛んだ。

 得意の位置に間を開けたのだ。

 そしてそのまま、今度は、龍馬の足下に一本ずつ、次々に投げ打つ。

 さすがに足下ギリギリに一本ずつ次々に撃たれるものだから、今度はそれを避け、龍馬の方が一歩ずつ後ろに下がって行ってしまう。

 そして、それは下がりながら、とうとう見学の者達にもぶつかってしまい、壁にもぶち当たってしまった。

 正面で見ている、おさよは一人、笑っている。

 そして、お華はその時、いつもの様に華麗に回った。

 見ている子供達でさえ面白そうに、「グルグル!」と辿々しい声を上げる。

 最後の仕上げ、お華は回転に合わせ、左右六本を華麗に打ち放つ。

 放ったと同時に走り出す。

 その六本は、顔の左右すぐ横、両肩着物部分の上下。

 さらには、両足の股の間、これも袴の部分に寸分の狂いも無く突き刺さった。

 竜馬はまるで磔の様に、壁から動けぬ様になってしまった。

 その姿には全ての者が驚愕した。

 そして飛び込んだお華は、和やかな顔で、頭の一本を龍馬の首に突きつけた。

 結局、竜馬は木刀を振る事さえ出来なかった。

 同時に、定吉の声が飛ぶ、

「それまで。竜馬の負け」

 冷厳に言ったあと、定吉は大笑いした。

 もう、さな子は声が出ず、震えている。

 重太郎は青い顔で、心中、立ち合わずに済み。胸を撫で下ろしている。

 一方の子供達は、

「わ~おばちゃん!」

 と、初めておばちゃんの、手品のような動きを見て、二人で手を叩いて大喜びだ。

「これは、信じられん……」

 竜馬は身動き出来ず泣きそうだが、回りに座り、見上げる弟子達は、まるでおばけでも見たような顔だ。

 定吉は、何故か満足そうな顔で、

「皆の者。そなた達もわかったであろう。武芸というものは、どんなに強くなっても、上には上がいると思わなければならん。さもないと、この者たちの様に無様な負けとなってしまう。本日は良い稽古が出来た。決して無駄にしない様に!」

 これには、さな子と龍馬はガックリとしているが、お華には、何か無くなった父親の言葉を聞いた思いがして、嬉しかった。



(3)

 

 さて、立ち会いが終わった後、お華達は、定吉の誘いで、道場横の小部屋に招かれた。

 正面に座る、定吉とさな子、竜馬。

 二人は悪夢でも見てしまった様な顔だ。

 お華達が、笑顔で反対側に並んで座るとさな子は、いきなり頭を下げ、

「お華さま、おさよさま。未熟な私が、立ち会いなどご無礼な事をお願いし、誠に申し訳ありませんでした」

 定吉は戦っていないが、娘のさな子や、師範代ともいえる竜馬を倒したのだから、お華が「看板を寄越せ」と言ってもおかしくない。

 であるから、その掟を知るさな子は、誤るしか無い。

 もっとも、お華とおさよは、そんな気はないから、

「いいんですよ、気になさらないで下さい」

 と、おさよは笑顔で語りかける。

 定吉は笑顔で、

「いや。初めはわしもなんでこんな事をと、思っていたが、弟子達には又とない修業になったと思っておる。誠に済まない」

 その言葉には、二人とも平伏し、おさよが、

「こちらこそ、こんな子供連れで押しかけまして、誠に失礼致しました」

 と、心からのお詫びであった。

 後ろでは、子供達が、おきみ相手に遊んでいる。

 それを定吉は、優しい笑顔で、奥に向かって、

「誰か? 子供達に菓子を」

 と命じ、運ばれた落雁に二人とも喜んでむしゃぶりついている。


 定吉は、それを微笑ましく眺めながら、おさよに向かって、

「おさよ殿。そなた、さな子の剣をどう見られた?」

 と聞く。

 おさよは、笑顔ではい。と答え、

「お嬢様は、千葉様の娘御ともあって、誠に素直な剣と思いました」

 定吉は苦笑して、

「素直な剣か。そうかも知れんな」

 素直な剣。

 褒めている様だが、一方で、何の工夫のない剣とも聞こえる。

 おさよは、

「ただ。まだまだ、さな子様は剣と小太刀の本当の違いをお分かりでは無い様にお見受け致します」

 それには、さな子は頭をガックリと下げる。

 定吉は頷きながら、

「その通りじゃ。相手が小太刀だから、自分に有利だろうなどと考えているから、思わぬ負けを喰らうのじゃ。さな子。お前、本当の小太刀の名手には、生半可な剣の上手など通用しない事を分かっておらんかったじゃろう」

 さな子は、悲しい顔で、

「そ、そうなんですか?」

「そうじゃ。剣がどれだけ強かろうと、小太刀に懐に入られたら、その時点で負けなのじゃ」

 と言った後、おさよに、

「しかし、そなたもよくあそこまで修業なさったの。あの踏み込みなど、この道場では勝てる者がおらんぞ」

 すると、お華が和やかに、

「この姉上は、幼い頃から奉行所の剣術道場でも一番でしたから。ただ、ご覧のように子供を産んだばかりで、坂本様からお話を頂きまして、これは良いと姉に話したのですよ。恐らくこの人の旦那。つまりは私の兄に余計な事をと、怒られると思いますけど」

 それには、おさよと一緒に大笑いした。

 すると定吉は、

「それと、お華殿。竜馬から話は聞いていたが、いや、さすがに驚いた。今時、手裏剣の名手など、それも女の名手など聞いた事が無かったからの。そなたも幼い時から?」

お華は、少し照れながら、

「はい。姉と一緒に」

「あれじゃ、竜馬は勿論、わしでも簡単には勝てん。さな子など、到底無理じゃ。ただな、あの手裏剣は昔、見た覚えがあるのじゃ」

 その言葉には、二人とも驚き、お華が、

「昔? でございますか?」

 定吉は腕を組みながら頷いて、

「そう、あれはわしが、まだ道場を開く前じゃ。或る日、江戸の町中で歩いていると、大規模な召し捕り騒ぎがあっての。わしもその頃は龍馬と同じ様にまだ若く、剣術に嵌まり始めた頃で、見物がてら見に行ったのじゃ。すると、二人の同心が進み出て、刀持って暴れていた浪人らしき者達を抑えにいったのだが、一人は我先にと突っ込んだものの、まだ未熟で片腕斬られてしもうた。するともう一人は、まだそなたと同じ様にはすに構え、次々、何かを打ち込んでいての。その時わしは初めて見たのじゃ。手裏剣を。その男は、誠に正確な手裏剣で、その男の髷を吹き飛ばし、両腕、両膝と打ち込み、あっという間に倒してしまった。あれを見て、わしも相当驚いたもんじゃった」

 その定吉の話には、さな子と竜馬も驚いたが、

お華もおさよも、誰の事かすぐ分かったから、二人とも自然に涙を浮かべる。

 涙ながらに、お華が、

「千葉様。その同心は、恐らく私の父。この姉の義父にございます。私共はその父に教えを受けたのです」

 これには定吉、そしてさな子、龍馬も驚いた。

 定吉は驚愕の顔で、

「これは、これは。あの方の娘御か? これはなんと縁のある事」

「誠にありがとうございます。お師匠が先程道場で仰っていた、上には上がいる。と言う、あのお言葉。あれはよく父が私共に申しておりました。おそらくこれは、亡き我が父の引き合わせかも知れません」

 定吉は眉を寄せ、

「そうか、もうお亡くなりになっていたか……」

 すると、お華はおさよに、

「お願いしても良いかしら?」

 と聞くと、おさよは笑顔で頷く。

 お華は、定吉とさな子に目を向けて、

「思わぬご縁に驚いております。実は、今回このお話を承知致しましたのは、私たちの為では無いのです。お嬢様は、近所の町人の子供や侍の子供達のご指導をなさっておられるとか」

 さな子は頷いて、

「はい。もちろん皆幼いので、基本のみで、身体を丈夫にするというのを第一に考えております」

 と微笑んで答える。

 お華は頭を下げ、後ろで落雁を口一杯に付けまくっている、新之助を引き寄せ、横に座らせる。

「どうかお嬢様。この子がもう少し大きくなり、歩ける様になりましたら、ご指導お願い出来ませんでしょうか?」

 これには、さな子が驚き首を振る。

「いやいや。私はまだまだ未熟と、たった今、父上から叱られております。ましてや、おさよ様がお母上でいらっしゃるのなら、私など出る幕は……」

 と、申し訳無さそうに言うのだが、お華は、

「はい。ただ小太刀を教えるのならば、仰る通りなのですが、私は親不孝者で、あちこち、横浜でさえ手裏剣撃っておりますが……」

それには龍馬が笑ってしまうが、それをお華はキッと睨みつつ、

「父は、なるべく自分の武芸を表に出さぬようしていた人にございます。お分かりのように父も北町の同心で、兄も同じく同心にございます。出来れば、この子には……」

 と、新之助の頭を撫でながら、

「いろいろな子供達に混ざって、町同心に重要な心を育てたいと思っているのでございます。まあ、基礎をこちらで教えて頂ければ、小太刀は後でこの姉がいくらでも教える事が出来ます。でもまず。心が一番。町同心は、侍から、町人の夫婦喧嘩まで取り扱います。お嬢様の素直な剣をまず叩き込んで頂きたいのです」

 その言葉には、定吉も大いに頷いた。

 しかしさな子は、まだ不安そうで、

「心など、私に出来ますでしょうか?」

 それには、定吉は笑い、

「だから、本日立ち合ったのではないか。大丈夫とお思いになってのお申し出じゃ、ありがたく引き受けなさい。そなたは負けたのだから」

 と大笑いだ。

 今度はおさよが新之助に、

「あのお姉さんがあなたのお師匠様になって下さると仰ってます。そなたからもお礼を申し上げなさい」 

 すると新之助は、

「おばちゃんじゃないの?」

 お華は、少し怖い顔で、

「おばちゃんじゃありません。あちらのお嬢様じゃ! あんたももうそろそろ、おばちゃんじゃなくて、あたしにもお姉さんぐらい言いなさい!」

 と、言うのだが、

「だって、おばあちゃんだもん」

「もっと違う、おばちゃんでしょ」

「え~どっちなの?」

 これには、皆が大笑いした。


(4)

 

 その日は、そのまま五人で八丁堀まで、帰って行った。

 到着するとお華は、

「姉上。これで少し安心した?」

 と、居間に座りながら、声を掛ける。

 おさよも、微笑んで頷き、子供達から手を離し、

「私も、久々に身体動かしたし、新之助の将来も思う様になってくれればありがたいわよ」

 その言い方には、お華も大笑いして、

「結局、身体動かしたのが一番って訳ね」

 と言って、

「どうせ、兄上にもこの事報告してるんでしょ。後で私にゴチャゴチャ言うから、あたしはサッサと退散するわよ」

 などと、苦笑いで言ったのだが、同時に庭から浩太郎が現れてしまった。

 お華は顔を伏せ、

「あちゃ~遅かったか……」

 浩太郎は、厳しい顔で、

「何言ってやがる。ちゃんと報告しろ!」

 と若干笑いながら、着替えもせず上座に座る。

 佐助が、含み笑いで、後に続き次の間に座る。

「どうだったんだおさよ」

 まず、最初に聞くと、

 おさよは軽く頭を下げ、

「ええ。お話しした通りになりました」

 すると浩太郎は、

「おりゃ、心配で戻ってきたんだ。何しろ二人が乗り込むから、千葉様も大騒ぎになったんじゃないかとな」

 それには、佐助と並んだおきみが笑っている。

 するとお華が、

「別に騒ぎなんか起こりませんよ。礼儀正しく、若干の手合わせの後、道場主千葉様とお話しして、新之助の事。お願いしてきましたよ」

 浩太郎は頭を抱え、

「え、若干の手合わせって……まさか」

 それにはおさよが、

「ええ。私は、お嬢様と小太刀、お華ちゃんは塾頭の坂本様とね。まあ、いつもの通りですよ」

「いつもの通りって……」

 浩太郎は更に頭を抱える。

 佐助とおきみは、腹を抱えている。

 浩太郎は顔を前に出し、

「それで、新之助の指導を引き受けてくれたのか?」

 それにはお華が、

「まあ、姉上があんまり強いんで、最初は私より姉上の方がって仰ってたけど、兄上の息子と言う事で、同心としての心得っていうのを分かって頂いたからね」

「そりゃ、俺も願っていたけど、それでお前まで立ち合うってのは……」

「仕方ありませんよ。そもそも私に立ち会いを申し込んできたんだから」

 お華はニコニコと答える。

 浩太郎はおさよに顔を向け、

「どうだったんだ?」

 と聞くと、おさよは、

「だから、そりゃ……あっという間に磔よ」

 浩太郎は青い顔で、

「は、磔? そこまでやっちまったのか……」

 後ろのおきみは頷き、佐助は天井を向き、磔されている侍の悲惨な姿を想像している。

 するとお華は、

「大丈夫よ。道場破りに行ったわけじゃないし」

 と笑って言ったが、浩太郎は怖い顔で、

「そこまでやったら、道場破りより、道場潰しじゃ。全くお前は……」

しかし、お華は、

「でも千葉先生は、良い人だったわよ。草の者の流れだと言ったら、えらく感心されてね。実はね兄上。千葉様は、昔、父上がまだ生きてらっしゃった頃、珍しく御用で捕まえに出た折、偶然、父上の手裏剣の技をご覧になった事があるんですって」

 それにはさすがに、浩太郎も驚いた。おさよも頷いている。

「何、父上の? 誠か!」

 彼もいきなり父親の話を聞かされ、驚いた。

「私の簪を見て、思い出された様よ。そりゃそうよね、教えを受けてるんだから」 浩太郎は、額に手をやり、

「こりゃ、参った。まさかご存じとは……」

「そうよ。これはお父上のお導きよ。千葉様もそう仰って快く引き受けて下さったもの」

 浩太郎は、そうかそうか、と彼も嬉しそうだったが、ふと、

「ちょっと待て、お華も立ち合ったって事は、子供達も見てたって事か?」

 おさよは頷いて、

「そうですよ。新之助は、怖がっていたけど、小春はグルグルって大喜び」

「それは、マズイ。小春もそこにお願いしなきゃいけない。じゃ無いと、小春もグルグル回り出すぞ!」

 皆、大笑いだ。すると、次室の方からおきみが、

「あのお華姉さん。いっつも回ったりするけど、ああじゃないと飛ばせないんですか?」

 と聞いてきた。

 お華は苦笑いで、

「あれは、距離と力の問題よ。そして、今日みたいに、壁に打ち付けようと思った時には、回って勢いをつけるのよ」

 と答えるのだが、浩太郎はおさよに、

「早くしないと、小春にお華が移っちまう。何とかしないと」

 などと言うので、お華が口を尖らせて、

「別に移りゃしないわよ。心配しなくても、小春にゃ教えません」

 と言うと、また、おさよ達は笑ってしまう。


 さて、しばらくそんな事を話していると、玄関先に訪問者があった。

 おきみが、早速立ち上がり、応対に出た。

 暫くすると、そのものは戸の音を立てて出て行った様だが、それを頭を下げて見送ったおきみは、あわてて居間に飛び込み、浩太郎に向かって、

「旦那様。只今お知らせがあり、先の町奉行様、遠山様が後危篤との事。奥方様がお使いを寄越して下さいました」

 その言葉には、穏やかな雰囲気が一変、お華は顔が変わり、即座に浩太郎は立ち上がった。

「お華! 聞いたな」

 お華も厳しい顔で、大きく頷く。

「お前はすぐ行け! 俺も着替えてすぐ追いかける。お前は誰よりもお世話になった方だ。逸早く行かねばなるまい」

 お華は頷き、

「はい。今すぐ」

 と早速立ち上がり、素早く外に出て行った。

 浩太郎は、佐助に、

「お前は済まないが、奉行所の誰でも良い。その事をお伝えし、俺が既に向かった事、併せて伝えてくれ。その先は、向こうでお考えになるだろう。お前はそのまま戻って来て良い」

 と、おさよに手伝わせ、その場で早速着替えに入った。 



(4)


 お華は、屋敷手前で追い付いた、浩太郎と一緒に、この頃住んでいた本所菊川の、遠山左衛門尉の屋敷に着いた。

 門は顔見知りだからすぐ抜け、玄関先で声を掛ける。

 すると、これも顔見知りの女中が応対してくれた。

「奥方様からお知らせ頂いて、飛んで参りました」

 頭を下げて告げると、女中も分かっていた様で、すぐに二人を、

「こちらへ」

 と案内してくれた。

 遠山は、大広間の布団に寝かされていた。

 元気だった頃の様子は見る影も無かった。

 そしてそこには、妻のけい、を初めとして、嫡子で、お華も知っている景纂(かげ つぐ)、そして既に嫁に出ている娘達、そして孫達が駆けつけ、遠山の枕元に並んで座っていた。

 けいは、お華達をを見ると、

「二人とも、こちらへ」

 と布団脇にいた子供達をずらし、そこに座るよう命じた。

 さすがに浩太郎は、

「我らの様な者に、恐れ多い事で……」

 と遠慮したのだが、けいは、

「構いません。これは殿がお命じになった事。遠慮はいりません」

 浩太郎は仕方無くお華を前にし、枕元に座った。

お華は、余りに突然の事、そして遠山の痩せ細った顔を見て、言葉を失っていたが、お華なりに気合いを入れ、いつもの様にお華になろうと決心した。

「お奉行様? お風邪でも召しましたか?」

 と、和やかな顔を作り、声を掛ける。

 彼女に取っては、いつまでもお奉行様であった。

 お華の声に気が付いたのか、遠山金四郎も気が付いた様で、力なく笑う。

 その様子を見たお華は、昔、養父段蔵が、亡くなった時の事が頭に浮かんだ。

 その折は、ただ泣き叫び、父に縋っていたお華だったが、今のお華は、一流の芸者、そして直属のお手先としての自分を押し通す事だけを考えていた。

 金四郎は、

「お、おうお華、浩太郎よく来てくれた……」

 と、既に息も絶え絶えであったが、最後の力を振り絞り、明確な言葉での返事であった。

「おう。お華、アメリカさんはどうしたい。妙な奴が襲ったと聞いたが」

 お華は微笑み、

「御心配はいりませんよ。私が居れば、そんな奴ら、大した事ございません」

 浩太郎も、両手を下に、頭を若干下げながら、

「はい。こいつが、そいつらの髷を吹き飛ばしてしまいました。むしろ、アメリカさんの方がお華にビックリにございます」

 それには、金四郎も力なく笑いながら、

「まあ、そうだろうな」

 その話は、金四郎だけでなく、回りの者も驚いていた。

 お華は、殆ど涙声で、

「私はお奉行に、お手先を命じられた者。お奉行のお顔を潰すような事は致しませんよ」

 と言ったのだが、そこはいつもの様に、

「何言ってやがる。おめえは、座敷で俺に、手先にしろなんて言ったからだろう。まあ、もっとも、俺が奉行をやって、一番の正解だったかも知れねえがな」

 それには、お華も大きな涙を零してしまった。

 金四郎は、けいに身体を起こすように言う。

「お、お奉行!」

 と浩太郎は、無理をしないように声を掛けるが、彼は手を振る。

 仕方無く、けいも、なんとも言えぬ表情で、背中を支え半身を起こした。

 すると、金四郎は、息も荒く、

「おめえたち。これから我が国はどうなるのか、俺にも想像がつかん。しかし、おめえ達に最後の命を下す」

 それには、お華と浩太郎は、「はっ」と、深く頭を下げた。

金四郎は、もう目が生きていないようだったが、もう一度全身に力を込め、

「いいか。たとえ、お上がどうなっても、お前達だけはお江戸の人々を守れ。たとえ、アメリカさんや、他から何があっても、町民達だけは一人でも多く、何とか守ってくれ。そんな事頼めるには、お前達しかいねえ。何とか……それだけは……」

 彼は、ここで全ての力を使い果たした様だ。

 支えるけいも涙で聞いている。

 お華と浩太郎は頭を上げ、

「お任せ下さいお奉行」

 と言うと、お華は、涙を手で払いのけ、

「お奉行の遠山桜、私が受け継いでいきますよ。この桜田のお華がね」

 と言い放つと、金四郎は僅かに片頬を上げ、

「おお……粋だね……」

 最後の言葉を囁いて、けいの胸に頭を預け、息を引き取った。

 それが分かったお華と浩太郎は、瞬間的に座を後ろに跳び下がり、深く深く頭を下げた。

 子供達と、けいは、布団に頭を下げ、「あなた、父上、おじいちゃん」と悲しみが湧き上がった。

 お華も、居間の端で頭を下げながら、こちらも大泣きに泣いている。


 泣いていたけいは、お華達に、

「ありがとうね。最後の遺言が出来て、殿様もさぞご満足でしょう」

 と、言ってくれたが、お華は返事も出来ず泣いている。


 二人は、殆ど無言で、遠山屋敷から戻って来た。

 後日、正式に遠山金四郎の葬儀が執り行われたのだが、

 しかし、この話はここで終わらなかった。


 安政二年二月二十九日に、遠山左衛門尉は亡くなった。

 嫡男で目付だった景纂は、正式に遠山の後を継ぎ、葬儀の後、喪が明けると城に復帰した。

 それは、同年八月二十七日の事であった。

 お華は、その動向は事前に聞いていたので、何とか、遠山家も差し障りなく後が続いたと喜んでいた。

 その日、城では十三代将軍・家定の馬揃えの日であった。

 景纂も参加し、将軍に晴れの姿をお目に掛けると意気込んでいたのだが、

 なんと、その馬揃えで落馬してしまった様で、慌てて屋敷に担ぎ込まれたのだ。

 残念ながら、打ち所が悪かったのか、元々病気だったのか不明だが、その日のうち亡くなってしまったのだ。

 その知らせは、八丁堀にも知らせが届けられた。

 けいの配慮であろう。それを伝えるべく、おきみが、お華の屋敷に飛び込んできた。

 お華は、その慌てた様子に驚き、

「どうしたの? おきみちゃん」

 と声を掛けると、おきみは、

「姉さん! 奥様からのお使いにございます」

「姉上から?」

「はい。本日、遠山様の当主、景纂様が、お亡くなりになったと、遠山の大奥様よりお知らせがあり、お伝えに参ったのです」

「ええ?」

 さすがのお華も、それには驚きを通り越した顔をしている。

「ちょっと待って、だって今年、お奉行様がお亡くなりになったばかりなのよ。若がお亡くなりって、一体なんで……」

 おきみは、知ってる限りの情報を話し、そして遠山の大奥様からのお知らせと伝えた。

 お華は立ち上がり、

「すぐ、行かなくては。兄上にはこの事?」

 しかし、おきみは首を振り、

「まだご存じありません。ただ、旦那様がお目付のお屋敷に行くというのも、筋違いと奥様が仰って、お華だけでも言って欲しいとの事にございます」

 お華は頷いて、

「なるほどね。兄上は行き辛いか。分かったは、着替えてすぐ行く。姉上にそう伝えて」

 おきみは頷き、また八丁堀に帰って行った。

 お華は、素早く喪服に着替え、再びの新橋に向かった。


 お華が、けいに合うと、けいもさすがにこれには涙一杯であった。

 顔に白い布を着け、守り刀を上に置いて布団にいる景纂を見ると、とても信じられない気持ちが一杯で、

「奥方様……」

 と、お華も余計な言葉を言えなかった。

 さすがに、夫と息子を立て続けに亡くしてしまうのは、辛かったであろう。

「お華、ありがとうね……」

 彼女も、言葉を失っていた。

 お華は、やっと話し出し。

「お奉行様は勿論でしたが、景纂様にも私は大変お世話になりました。大奥でも、色々と……残念でなりません」

 けいは、うんうんと、頷きながら涙が止まらない。

 

 幕府には、九月十日に死去と届けられ、十二月三日に、子の景彰が後を継ぐ事になった。

 けいはお華に、

「これも定めなのかも知れません。まあ、後が続いてくれてありがたいのだけども、何だか力が抜けたというかね」

 お華もその言葉には、大きく頷いた。

 お華にしても、これまでの事が、何だかもの凄く昔の様に感じてしまう。

 しかし、けいは、

「でもね。お華。旦那様の最後の言葉だけは、忘れないでおくれ」

 と、涙ながらに語りかける。

 お華は、平伏し、

「はい。承知致しました。命ある限り、守り続けようと思っております。どうかご安心下さい」

 と、こちらも涙声で誓った。

 けいは、やっと微笑んだ。


~つづく~



 今回もお読み頂き、ありがとうございます。


 さて、今回、坂本龍馬?竜馬が、前回に引き続き登場しました。

 まあ、どちらかというと、コメディ担当でしたが、この時期は仕方ありません。

 ご贔屓の方々、どうかお許し下さい。

 これはお華の話なのでどうしてもね。

 まあ、実際、この頃の竜馬は磔(笑)にはなっていますが、彼の本番はこれから。

 残念ながら、これから江戸から離れてしまうので、当分出てくることはないでしょう。

 まあ、本格的にご興味のある方は、司馬先生の「竜馬が行く」をお読みくださいませ。

 

 さて、今回は遠山左衛門尉の最後について、書かせて頂きました。

「お天道様が見逃しても、この遠山桜は全てお見通しだ!」

 お分かりだと思いますが、これが今回の題名です。


 江戸時代というと、今の人達には、

「大岡越前」「長谷川平蔵」そして「遠山金四郎」が、有名です。

 芝居、映画にも、現代まで取り上げていますし、勧善懲悪でわかりやすいですからね。

「武士は後世に名を残す」

 江戸時代の平和の時代に、名前を残すなど、とても難しいことですが、彼らは良い方に見事、やってのけたと言って良いでしょう。

 私としても、金四郎は、書いていて、とても魅力的な人でした。

 彼は、豊島区の本妙寺に眠っています。

 同墓地には、千葉周作や、囲碁の本因坊家、墓もありますので、こちらも妙な縁を感じます。

 機会があれば、訪れてみたらいかがでしょうか。 


 さて、次は江戸時代最大の盗賊事件が発生します。

 そういうの、お好きな方はお楽しみに。


 今回もお読み頂きありがとうございました。

 次回もよろしくお願い致します。


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