第8話 尻派と胸派
心配していた輸送も無事にクリアをし、レース当日となった。
前走とはうって変わって青天。どこまでも透き通った秋の青空が広がっていた。
レースの時間が近づいてきてパドックへと向かう。
緊張した面持ちの美雪さんが、心配そうにフブキを見つめている。先生もその場にいるのだが、美雪さんの取り巻きの美人秘書軍団に囲まれ、少し居心地の悪そうな顔をしていた。
「先生、フブキの様子はどうですか?」
「真白か。初めての東京競馬場なんで、少し落ち着きがない。レースまでに落ち着けばいいんだがな…」
先生はフブキの馬体を確認しながら言う。
「真白君、私、初めての重賞レースなの。もう胸が『ドキドキ』して、張り裂けそうなのよ!!フブキちゃんの競走成績は問わないと言ったけど、やっぱり勝ちたいわ!!」
美雪さんは自分のご立派な胸に手を当て言う。今日の美雪さんはかなりタイトなニットセーターを着ていて、胸の大きさがひときわ強調されていた。
(美雪さん、なかなかの物をお持ちで!!本当に40代後半!?)
俺は美雪さんの胸に釘付けになる…が、取り巻きの美人秘書軍団の厳しい視線を感じる。殺意のこもった視線が俺に突き刺さり、俺は途端に落ち着きを無くす。
騎乗合図がかかりフブキの元へ向かうと、フブキも落ち着かない様子で周りを見渡していた。
『初めての東京競馬場で落ち着かないのかな?』と思い、リラックスさせるために首筋を撫でながら話しかける。
(フブキ、初めての長距離輸送はどうだった?問題はなかった?)
(んっ!? 何だ…真白か)
(何だ真白かって…。お前が落ち着かない様子だから心配しているんじゃないか!!)
(ふんっ!? 狭くて少しイラッとしたが問題などない。そんな事よりセクシーボイスちゃんがいないではないか!!セクシーボイスちゃんだけではなく、牝馬が一頭もいないぞ!!むさくるしいヤローしかいない。これはどういう事だ!!)
俺はフブキが落ち着かない理由が分かりコケる。
(セクシーボイスはこのレースに出走しない。あの馬は未勝利戦も勝ち上がっていないんだぞ。いるわけがねえよ!!それにこのレース、元から牝馬は出走の予定はない)
俺は牝馬を探すフブキを見てあきれ果てる。
(チッ、つまらん!!我の『アレ』も縮みあがるわ!!)
そんな暴言を吐き捨てるフブキ。
(はいはい。そんな事より、このレースは種牡馬になるための大事なレース。このレースに負けるようだったら、種牡馬への道が遠のくぞ!!)
(そんな事とはなんだ!!お前だって馬主の胸に釘付けだったであろう!!)
(なっ!?そ、そんな事は…)
(無いとは言わせんぞ!!)
(…ある)
(わはははっ、素直で良いぞ!!お前の気持ちはよく分かる。我は尻派だけどな!!)
フブキはご機嫌になり『尻っぱね』を繰り返す。
俺はフブキをなだめながら、厩務員さんに足を支えてもらい騎乗する。
(胸派か尻派かは置いといて、レースの話をしよう。東京競馬場は阪神競馬場とは違い左回りだ。フブキは問題無く手前を変えられるから大丈夫だとは思うが、コーナリングの感覚が違うから気を付けてな。)
(問題ない。むさくるしいヤロー共を蹴散らしてやるわ!!)
(まあまあ、折り合いが大切だよ。折り合いな)
(真白、お前はただの重しなのだ。黙って手綱を握っていれば良い)
(………そんな事言うなよ)
俺とフブキはパドックから本馬場へと移動し、返し馬に入った。
東京競馬場の馬場は二連続開催の終盤という事で、内のほうは少しボコボコとしていた。
俺たちは5枠9番だったので『少し外目を通ろうかな。いや、距離ロスを最小限にするために内ラチピッタリにしようか』と、輪乗りの最中に考える。
ゲートに収まる。
(今回は出遅れないようにしないと…)
俺の思いとは裏腹に、フブキは絶好のスタートを決める。
(う、うわぁぁぁ~!?、逃げるな、逃げるな!!)
俺は手綱を引き下げようとする。
フブキが首を高く上げ激しく振る。
(なぜ素直に行かせん!!)
(逃げるんじゃなくて、馬群の中に入って『ジッ』と耐えるレースをしたいんだ。だから少し下がろう)
(馬鹿かっ!!抜群のスタートを切ったのに自分からわざわざ下がるというのか!!)
(でも…先々を見据えるのなら…)
(先々を見据える?偉そうに!!お前は我を気持ち良く走らせる事だけを考えればよいわ!!)
(騎手の役目としてレースを教えないと…)
(レースを教えるだぁ~。真白、お前が我にレースを教えるのではない!!我がお前にレースを教えるのだ!!二流騎手が!!)
(…すまん)
俺は言い返せなくなり謝る。
レースは内から押して押して先頭に立つ馬がいたので、俺とフブキは二番手でレースを進める事になった。
俺とフブキは折り合いを取り戻し、2番手で追走する。
気分良さそうに走るフブキ。鼻歌が聞こえてきそうであった。
大榎が近づいてきた。
(なかなかの大木であるな!!我のような圧倒的な存在感である!!)
3コーナー手前でフブキが言う。
(昔はあの大榎と大欅が並んで立っていたんだ。ただ、大欅のほうは台風で倒れてしまったという話だよ)
(そうなのか、それは残念なのである)
フブキは持ったままで4コーナーを回り、直線に差し掛かるところで先頭に並ぶ間も無く交わしていく。
だが俺は『後ろから迫って来るぞ!!』と焦る。
俺の叫びにもフブキは動じる事はなく、鼻歌交じりに直線を駆け抜けていくのであった。




