第15話 日本ダービー(東京優駿) ①
五月の下旬にもなると、最高気温が30度を上回る日も出てくる。
当然、調教が行われる早朝の気温も上がっている。ただ、今は湿度が低い分過ごしやすいが、体を動かすとかなり汗ばむ季節になった事は間違いなかった。
日本ダービーに向けて調教を重ねるフブキの体も引き締まり、成長分と合わせてサラブレッドとしての完成形を思わせる馬体になっていた。特にトモの筋肉の張り具合は顕著で、突いたら破裂するんじゃないかと思うほど盛りあがっていた。
追切の日、朝日に照らされたフブキの馬体は、銀色に輝いて見える程、美しかった。フブキとすれ違う人たちは一瞬立ち止まり、誰もがその馬体に見惚れている。
周囲の注目を一身に浴びて、フブキが馬場入りする。
「フブキ、まずは軽くキャンターで。すでに体は仕上がっているから、最後だけ『ビシッ』と走るだけでいいから」
「んっ、我はいきなりトップスピードでも構わんがな!!」
「ダービーは皐月賞よりも400m距離が延びる。皐月賞のようなハイペースの逃げでは苦しくなる。イメージとして、最初はリラックスして走り、力を蓄える。そして、最後の直線で蓄えていた力を一気に解き放って勝つ!!」
「ふふふっ、我が勝つというのは決まっているが、勝ち方も大事であるな。東京競馬場の直線は一度走った。あの長い直線で我が他馬をぶっこ抜く、そんな派手なレースにしようではないか!!なあ、真白。お前もそう思うであろう?」
「俺は勝てればいいよ。初めてのダービーだから、内容にまで気を使う余裕なんてない。いいか、フブキ。ダービーというのは競馬の祭典なんだよ。みんなこのレースを目標にして、日々努力を重ねている。騎手も調教師も厩務員も、その他の競馬に関わる人、全員の目標なんだ。ダービーとは、そんな人間たちの思いが全て詰まったレースなんだ!!」
「………人間の思いなど我には関係が無い。だが、真白!!友として、その日本ダービー。お前に勝たせると約束しよう!!」
「フブキ!!」
俺たちは人馬一体となり、坂路を駆け抜けていく。
4Fを48秒1、最後の1Fを11秒9というタイムで追切を終えたのだった。
さすがに日本ダービーともなると、日々の取材も多い。俺も慣れたもので、取材を当たり前のようにこなしていけるようになった。
俺は新聞記者に『フブキに不安無し、不安は騎手の吹雪だけ!!』と発言したが、それがそのまま新聞の見出しに使われてしまう。
俺は東京競馬場に移動する新幹線の中、苦笑いをしながら、その新聞記事を読むのであった。
レース当日、俺は先生が用意してくれた馬で青嵐賞に出走する。レース自体は勝てなかったが、日本ダービーと同じ、芝の2400mのコースを走り、馬場のコンディションを確認できた。
東京競馬場の馬場は非常に足抜けが良く整備されていた。まさに日本ダービーを開催するにふさわしい、絶好のコンディションになっていた。
前検量を終え、パドックへと向かおうとするが…
(…逃げ出したい。このまま消えてしまいたい)
胃の中の物がすべて出てきそうな、極度のプレッシャーが俺を襲ってくる。
足が震え、普段通り歩く事さえままならない。
(これが…日本ダービー。もし負けでもしたら…いや、俺にはフブキが付いている。逃げるわけにはいかない!!)
俺はプレッシャーを胸の中に抑え込み、パドックへと歩みを進める。
「真白君!!」
美雪さんの姿が見えた。
「真白!!」
白井先生もいつになく気合が入っている。
俺は無言で頭を下げて挨拶をする。
「気合が入っているわね!!」
「はい!!」
俺は気持ちを奮い立たせるかのように返事をする。
美雪さんも満足そうだった。
「真白、お前がイレ込むんじゃないぞ!!騎手は常に冷静でいないとダメだ。ハートは熱く、頭はクールにが基本だ」
「ふううう~、分かりました」
俺は一つ深呼吸をして答える。
騎乗合図がかかり、整列する。
一礼をしてフブキのもとへ向かう。
(フブキ、変わりないか?)
俺はフブキに跨り、鞍や鐙を確認しながら話しかける。
(うむっ!!それにしても華やかな雰囲気であるな。我は嫌いでは無いぞ!!)
(フブキ、お前は俺と違って華があるからな。こういう場が似合う。みんなお前に注目をしてるよ。それに、今日はダントツの一番人気、1.7倍のオッズが付いている)
(わはははっ、1.0倍でない事に不満があるが、まあ、良しとしようではないか!!)
(ダービーで1.0倍なんてオッズが付いたら、俺の胃が持たんぞ)
(我も皐月賞を経験して成長した。大船に乗った気持ちでいるがよいぞ!!)
(フブキ…お前がいてくれるから、俺は勇気をもってターフに出ていける。ありがとう)
(真白、礼はレースの後でよい。行くぞ!!)
(おうよっ!!)
俺とフブキは本馬場に向かって歩みを進める。
薄暗い地下馬道を抜けると、新緑が美しい別世界が広がる。ただし、美しいのは確かだが俺たちにとっては戦場でもある。
俺はフブキを促し、ゆったりと返し馬を行う。
刻一刻と発走時間が迫って来る。
俺は『何でこんなに時間の流れが早いんだ』とぼやくが、フブキは『早く走らせろ』と言わんばかりにハミを噛みしめている。
俺は係員に促され、ゲート前に移動をする。
(さあ、フブキ。戦場に向かおう!!)
(ふっ、戦場か…。ならばっ)
フブキは並んで歩いていた馬たちを睨みつける。
周りを歩いていた馬たちが途端に落ち着きをなくし暴れ出した。
俺は一瞬、フブキの体から発せられたと思われる、とてつもない威圧感を感じる。
(フブキ、何をした!?)
(ふふん、な・に・も、していないが?)
フブキはほくそ笑み、悠々とゲートに向かうのだった。




