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06.鬼同期とエビセン

 長谷川がお隣さんになってから二週間くらい経ったころ、仕事中にちょこちょこ声をかけられるようになった。


「立花、今いい?」


「ラジオ体操二回分待って」


「……?」


 怪訝そうに眉をひそめる長谷川の顔が面白くて、思わず吹き出した。


「だいたい六分くらいだよ。終わったら私から声かける」


「あー、じゃあメール送っとくわ」


「よろしく」


 別に、大したやり取りをするわけじゃない。

 秦野ちゃんがまとめた資料のダブルチェックとか、企画の下読みとか、頼まれるのはそんな簡単なことばかりだ。

 メールをいくつか送ってから、長谷川からのメールを開いた。


『○○さんに以下のメールを送るから、文章キツくないか確認お願いします』


 こういう依頼も、たまに飛んでくるようになった。


 前にコメダで「言い方キツイもん」って言ったのを、どうやら気にしていたらしい。

 社外向けのメールとか、お客様に出す資料とか。週に二回くらい、こうして文面チェックを頼まれるようになった。


 実際、たまに言い方がキツかったり、「それはちょっっっっと角立つな……」みたいなのもあるから、やんわり言い換えて返したりしていた。

 今回もダメってほどじゃないけど、ちょっと引っかかる表現だけ直して送り返しておく。するとすぐに、


『対応のほどありがとうございます』


 と、さらっと返事が返ってきて終わり。


 ……たまに、私は子供の作文を添削する母ちゃんか? みたいな気分になる。でも、それで仕事が円滑に回るなら別にいい。



「立花、ちょっと聞きたいことあるんだけど」


 ある日の昼前、長谷川が近寄ってきた。


「午後、この店に顔出すんだけど、お客さんの好きなお菓子とか知ってる?」


「しょっぱい系がいいよ。エビセンがおすすめ」


「……いつも助かってるんだけどさ。なんでそんな詳しいんだ?」


「営業事務内で共有してるから」


「マジで?」


「マジで。秦野ちゃんに聞いてみなよ」


 長谷川が目を丸くして秦野ちゃんの席に向かっていった。

 そしてすぐに戻ってきた。


「同じ事言ってた」


「でしょー?」


「おすすめのメーカーまで教えてくれたんだけど、店の場所わかんなくてさ。飯がてら付き合ってくれねえかな」


「秦野ちゃんに頼みなよ」


「弁当持って来てるって断られた」


「あらら。『頼れるのは君だけなんだ美颯♡』って言ってくれたら行くけど」


「自分で探すわ」


「あはは、つきあうよ、それくらい」


 長谷川が本気で嫌そうな顔をしたから、つい吹き出してしまった。

 紫くんなら笑いながらさらっと言ってくれるけど、長谷川がこのセリフを吐く姿はどうにも想像つかない。別に言わなくていいし。


 机を片付けて戸部先輩に声をかけた。


「ちょっと早いですけど、お昼行ってきます」


「はい、行ってらっしゃい。……長谷川くん、ずいぶん懐いたわねえ」


「そうでしょうか?」


「うん。立花さんに対してだけ、丸くなった感じ」


「できれば全方位に向けて丸くなってほしいんですけどね……」


「まあ、そういうのは少しずつだから」


「ですね」


 席を立って廊下に出る。

 長谷川はもう待っていて、スマホをいじっていた。


「お待たせ」


「おう。なんか食いたいもんある?」


「このあと駅のほう行くんでしょ? エビセン屋さんもそっちだし、駅前で食べようよ。長谷川、おすすめの店ある?」


「駅前ならラーメンか洋食」


「時間ある?」


「約束が十四時だから大丈夫」


「じゃあ洋食にしよう」


 並んで歩くと、当たり前だけど長谷川のほうが歩くのが速い。身長差もあるし、私はヒール高めのパンプスだし。


「ちょ、待って、もうちょいゆっくり歩いて……!」


「立花、そんな歩くの遅かったっけ?」


 長谷川は不思議そうな顔で振り向いた。

 この前コメダに行ったときのことを言ってるんだろう。

 ばーか、ばーか!

 紫くんですら、ちゃんと歩調合わせてくれるのに。


 息を切らしながら、長谷川に追いつく。


「今日はヒール高いから、そんなスタスタ歩けないよ」


「あ……、そうだな。悪い」


「いいよ」


 長谷川は何か言いかけたけど、そのまま口を閉じた。


 それからは、さっきよりゆっくり歩いてくれる。


 駅前の洋食屋さんでも、長谷川は自分の注文を決めたらさっさと店員さん呼んじゃうし、水も自分の分しか注がないし、お前は昭和の亭主関白か?って感じ。

 でも、それを一つずつ指摘すると、長谷川は決まって気まずそうな顔をする。本当に無意識なんだろう。


「……さっき、立花ってめっちゃ気が利くんだなって、思ったんだよ」


 ハンバーグを切り分けながら、長谷川が言った。


「昼決めるとき、俺の午後の予定確認してから店選んだじゃん。そこまで考えて動いてるの、すげえなって」


「ふうん。珍しいね。明日、槍でも降る?」


「真面目に言ってるんだから茶化すなっての。俺、自分は仕事ができるつもりでいたけど、全然だった」


 長谷川はため息をついてハンバーグを食べた。


 いつも自信満々で、相変わらず言い方もキツめな長谷川が、こんな殊勝なことを言うなんて……。本当に明日は槍でも降るのかもしれない。


「ていうか、なんで長谷川ってなんでもかんでも自分で抱えてたの?」


「仕事だから」


「仕事なら、なおさら分担しなよ」


「……ほんとだよな。自分でもびっくりした」


 いや、びっくりしたのはこっちなんだけど。

 長谷川は、営業成績だけ見ればめちゃくちゃ優秀なのに。

 なのに、なんで職場でのコミュニケーションだけそんな壊滅的なんだ。


「でも最近、ちゃんと私に聞いてきたりするじゃん」


「……反省した」


 蚊の鳴くような声が返ってきた。

 長谷川が反省してる! やっぱり明日は槍でも降りそうだ。


「立花に『言い方がキツイ』って言われてさ。そのあと『任せてくれていい』って言われて、ああ、そういうもんなのかって。……秦野のこともあったし」


 長谷川が、目に見えてしょげた。

 あの俺様何様モラハラ男の長谷川が、こんなにも落ち込むとは……。


「まあ、別になんでもいいんだけどさ」


 わりと本気でそこはどうでもよかったので、皿に残ったソースをパンでぬぐいながら言った。


「私はただ、気分よく働きたいだけなんだよ。長谷川がずっとカリカリしてたら後輩は萎縮するし、一人でなんでもできたらすごいのかもしれないけど、下が育たなかったら結局、自分の評価も下がるし」


「……うん」


「まあ、私は私のできることしかしないから、その範囲なら頼ってくれていい。無理ならちゃんと無理って言うから」


「うん。ありがと」


「いいよ。じゃ、エビセン買いに行こう。せっかくだし、長谷川も自分の分買いなよ。めちゃくちゃ美味しいから。私も買う」


「そうしようかな」


 長谷川は少し目を細めて、眩しそうにこっちを見た。

 とりあえず笑って返したら、長谷川は小さく息を吐いて立ち上がった。単に呆れられただけかもしれない。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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