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26.鬼同期と夏の夜の風

「それな、作ったの俺の親父なんだ」


「……えっ?」


 目を細める長谷川を見る。空になった煮物の小鉢へ視線を落とし、もう一度長谷川の顔を見た。


「うちの親、板前って言っただろ」


「や、言ってたけどさ。本当に?」


「本当に。嘘ついてどうすんだよ」


 長谷川が笑っていると、店員さんが静かにやって来て小鉢を下げた。

 次いで天ぷらが運ばれてきた。揚げたてらしく湯気が立ちのぼり、香ばしい匂いがふわりと広がる。


「わ、美味しそう」


「夏野菜とエビのかき揚げだな。天つゆでもいいけど、塩もうまいから試してくれ」


「うん!」


「悪いな、ビールなくて」


「ちょ、忘れてたのに! 思い出したらビール飲みたくなっちゃうじゃん……!」


 暑い夏の終わりに天ぷらとビール!

 間違いない〜。


「今度作ろうか」


「お願いします!!」


「声がデケえよ。とにかく今はそれを食べてくれ」


「うん、いただきます」


 ナス、オクラ、かぼちゃ、ゴーヤ、イカにキス。

 どどれもおいしそうだけど、塩でいくか麺つゆでいくか悩むな……!


「どした?」


「イカは塩と麺つゆ、どっちがオススメ?」


「塩。ここの塩はいい品だからぜひ試してくれ。あ、でも」


 長谷川が一瞬目を逸らしてから、どこか照れたように目を細めて私を見た。


「麺つゆを試したければ、ここで作ってる麺つゆに近いのが作れるから、今度作る」


「お願いします」


「あのさ」


「ん?」


 イカに塩を振る。

 さらさら、ぱらぱら。白い塩が衣の上で小さく跳ねた。


「ここ、俺の実家でさ」


「うん」


「俺は、いつか立花を恋人として親に紹介したくて、ここに連れてきた」


 箸を止めた。

 長谷川は微笑んでいるけど、口の端はわずかに引きつっている。テーブルの上の手は強く握りしめられ、骨が白く浮いていた。

 私の前の皿には、キスの天ぷらがひとつだけ残っていた。

 指先から転げ落ちそうになった箸を持ち直し、それからゆっくり皿の脇に置いた。


 ――ふと、初めて一緒に料理をしたときのことを思い出した。


『俺は迷惑かけられてるなんて思ったことねえけど』


 あのとき、長谷川は真っ直ぐに私を見ていた。今と同じように。


 喉がからからに乾いている。唾を飲み込み、ようやく口を開いた。


「……私、ズボラじゃん」


「うん」


「即答すんなし。私の親ね、私がこれだけズボラで適当なの分かってて、差し入れにちょっといいワイン送ってくる人たちだよ」


「うん」


「だから、長谷川が会ったら、変な人たち過ぎてびっくりするかもしれない」


 握りしめられていた拳が、ゆっくり解かれた。引きつっていた口元も緩み、長谷川はふっと息を吐く。


「大丈夫。立花で慣れてる」


「キスの天ぷら、麺つゆでも食べたいから今度作って」


「いいけど立花も手伝えよ」


 ……当たり前じゃん。私だって、長谷川と料理をするのが好きだもの。

 長谷川は、さっきまでよりずっと優しい顔で私を見ていた。きっと私も同じような顔をしている。


「『お願い、美颯ちゃん』って言って」


「これからよろしく、美颯」


「こちらこそ、よろしく紫月」


 キスを食べ終えると皿が下げられ、代わりに涼しげなガラス鉢に盛られた酢の物が運ばれてきた。

 ほどよい酸味で口の中がさっぱりして、おいしい。


「長谷川も酢の物作れる?」


「呼び方が一瞬で戻った。名前で呼べ」


「しづちゃんも酢の物作れる?」


「なんだそれ。作れる。つーか酢の物簡単だから」


「課長がそう呼んでるじゃん。えっ、簡単なの?」


「自分で和えてもいいけど、スーパーに酢の物の素売ってるし」


 しづちゃん呼びで良かったんだろうか。

 でも、そっか。酢の物って素があるんだ……。家でも作れたら最高じゃない。だって酢の物はお酒に合うからね!


「紫月、帰りにスーパーに寄ろう」


「酢の物好きなんだ?」


「うん。ビールにもチューハイにも日本酒にも合うから好き」


「美颯はブレねえなあ。この酢の物はどう?」


「すっごいおいしい」


「このあと、ごはんと汁物と漬物、最後にデザートが出るけど、全部おいしいから味わってくれ」


「うん!」


 紫月の言うとおり、そのあとごはんと汁物、漬物が運ばれてきた。

 ほっとする味で、おいしいなあ。


「ところで、入口で案内してくれたの、義姉なんだけど」


「えっ」


「言っただろ? 兄が親父の跡を継ごうとしてて、兄嫁さんが女将してるって」


「言ってたね……。あの、ご挨拶する?」


「別にいきなりしなくていいよ。美颯がその気になってからでさ」


「その気?」


 紫月さんとお付き合いさせていただいておりますって、親御さんに挨拶する気があるかってこと?

 ……それって、あれだよね。結婚のご挨拶的な……あ、結婚する気になったらってことか!?


「美颯は表情がくるくる変わってかわいいな」


「は!? そ、そういうこと言うタイプだっけ……?」


「そりゃ仕事中やただの同僚には言わねえよ」


「……?」


 ただの同僚じゃなくなったから、そういうことを言うようになったってこと?

 なんかもう……会社での距離感との温度差がありすぎて、どうしていいやら分からない。

 当の紫月はさっきからずっと楽しそうに私を見つめていて、恥ずかしいけど、嫌じゃなくて、もう……。


「あの、恥ずかしいからあんま見ないで」


「見るよ、美颯はかわいいから」


「かわいくないよ、だらしないし、後輩に焼き餅焼いちゃうし」


「俺は嬉しかったよ。やっっっと、美颯が少し意識してくれたんだって」


「……かたじけない」


「どんな照れ隠しだよ」


 クスクス笑う紫月から目を逸らし、ごはんと汁物を食べ終える。しばらくして、最後にデザートのあんみつと緑茶が運ばれてきた。

 ツヤツヤの白玉にプルプルの寒天、とろりと黒蜜がかかり、みかんやモモ、ブドウにキウイまで添えられている。見た目がもうかわいい。


「ねえねえ、これも作れる?」


「作れる」


「スパダリだ」


「ハードルが低すぎるだろ」


「ところでさ」


 あんみつをひと口食べてから、顔を上げた。

 よく見ると、紫月のあんみつの方が全体的に小さいな。


「このコース、おいくらなんでしょうか」


「今日は俺が出すから気にしなくていいよ」


「えっ、いやでも」


「かっこつけさせてくれ。好きな女に告白するために、いい店選んだんだから」


「……そ、そうなの?」


「そうだよ」


 シレッと言って、紫月はあんみつのスプーンを置いた。


「あんみつ、私の方が大きかったけど」


「あ、気づいた? 好きかと思ってさ」


「……もしかして、メニューも私の好きそうなの選んだ?」


「さあな」


 紫月は目を伏せた。湯呑を手に取り、照れ隠しをするように庭園へ視線を向ける。


「言っただろう。かっこつけさせてくれって。ここでネタばらししたらかっこつかないじゃん」


 それ、もう言ったも同然ですけど。

 私もつられるように庭園へ目を向けた。

 庭の奥ではヒマワリが夕暮れの光を受けて揺れ、手前の小さな池では菖蒲が風にそよいでいた。


「……どんだけ私のこと好きなのさ」


「たくさん好きだよ」


「あの、お手柔らかにお願いします」


「悪いな、俺も慣れてないから手加減してやれねえや」


 くすくす笑う紫月は今までになく綺麗に見える。そんな顔が好きだと思ってしまって、私は本当にチョロい女だった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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