18.鬼同期と料理
長谷川の家に着いて、まずは手洗いうがい。うちでやらなかったのは、調理器具も調味料もなんにもないからだ。
台所に行ったらエプロンを貸してくれた。
「着けるとやる気が出るだろ」
「形から入るやつだ」
「そう。でもなかなか馬鹿にできねえよ」
そうかも。エプロンの紐を背中でキュッと結ぶと、洗剤と柔軟剤が混ざったような匂いがふわっとして、なんだかやる気が出てきた。
「とりあえず時間がかかるやつからな。米研ぐから見てて」
「はい!」
長谷川が米を研ぐのを見せてもらって、私も真似しながら続きを研ぐ。白く濁っていた水が少しずつ透明になってきたら炊飯器に入れる。蓋を閉めてスイッチを押し、次の作業へ移った。
「小松菜を五センチ弱くらいに切って……待て、左手は猫の手って家庭科で習っただろうが」
「猫の手? 猿の手的な?」
「全然違う、なんで料理中に呪術の話が出てくるんだよ。左手をぐうにして、ちょ、背筋伸ばせ……っ、右手は脇締めて、親指は添えて……」
うるさいなーって思うけど、たぶん長谷川の言ってることは全部小学校家庭科レベルの話だから、黙って従う。
今日は教わる立場だし。
何とか小松菜を切って洗い、ガラスのボウルに入れる。ラップしてレンチンすると、青菜の匂いが湯気と一緒にふわっと香って、しんなりホカホカになった。
「ここに醤油と買ってきた出汁をかけたらお浸しになる」
「わ、本当だ。もう一品できた!」
「かつお節をかけると、さらにちゃんとした感じになる」
「天才じゃん」
「天才のハードルが低い。じゃあこれは冷蔵庫で寝かせておいて、次行くぞ」
「はい、ママ」
「誰がママだ。魚を焼く」
魚! できる気がしない。なんかこう、急に料理上級者向けの工程に入ったのでは……?
「なんつー顔してんだよ。ほらこれ」
長谷川が差し出したのは「フライパン用」と書かれたアルミホイルだった。パッケージには魚やホイル焼きが載っている。
「魚焼きグリル使わないの?」
「立花、洗えるのか、あれ」
「洗えません!」
「だろ? じゃあこれをフライパンより大きめに出して、敷いてくれ」
「はい!」
ほんと、いたれりつくせりだ。
言われたとおりにフライパンへアルミホイルを敷き、コンロの火をつけた。
フライパンが温まったら買ってきた鮭を乗せて、調理酒を少しかけ、蓋を閉める。
鮭を焼いている間にお湯を沸かして、お椀にレトルト味噌汁を入れておく。
長谷川は鮭の焼き加減を確認しながら、包丁とまな板、それからさっき買った私の箸まで洗っていた。
「鮭はそろそろいいかな。皿は、これにするか」
「すごい、お皿いっぱいある」
「一人暮らしにしては多いかもな。言ったっけ? 俺の実家、料亭でさ。親父が板前で、お袋が女将だから、食器にはうるさいんだよ」
「実家が料亭っていうのは聞いてた。でも、そういうことか」
お父さんが板前さんなのは聞いてたけど、家族みんなそういう世界の人なんだね。
「へえ。でも長谷川は普通に会社員なんだね」
「継がないのかって? 兄が継ぐことになってるから。兄と兄嫁さんで親父とお袋について修行中」
「なるほど。お姉さんもいるって言ってなかった?」
「いる。姉は親父の弟子と結婚して、弟子が旅館の料理人になったから、その旅館で働いてる」
長谷川はそういう家で育ったんだな。
ちゃらんぽらんなサラリーマン一家の我が家とは大違いだ。
なにしろ、一人暮らしの娘への差し入れがワインと焼酎とチータラな親だし。その結果が私なので推して知るべしというか、なんというか。
「いろいろ納得した」
「そうか?」
「うん。長谷川がしっかりしてるのも、行儀がいいのも、料理ができるのも、親御さんがしっかりしてらっしゃるんだね」
「どうかな」
長谷川は少し照れくさそうに笑って、白い四角い皿を出し、冷蔵庫から小松菜を取り出した。
「これ、半分ずつ盛って」
「わかった」
「手前に鮭を乗せるからそのつもりで」
「了解」
鮭を盛り終えたところで炊飯器が鳴った。
長谷川はしゃもじでさくっとごはんを混ぜて、また蓋をした。湯気と一緒に炊きたての匂いが広がって、すぐ食べたいけど五分ほど蒸らすらしい。
その間に鮭の皿を運んで、お椀にお湯を注ぎ、味噌を溶いておく。
蒸らし終えたごはんをお茶碗によそってテーブルへ運べば完成!
「すごい。一時間でちゃんとしたごはんができた」
「だろ? 要は慣れだし、立花は手際が悪いわけでも不器用なわけでもねえから、続けてればもっとちゃんとできるようになる」
「なるかな」
「なるに決まってんだろ。俺が教えてるんだぞ」
「ふふ、そうだね」
自信満々な言い方がおかしかった。でも、それだけちゃんと実家で教わって育ってきたんだろう。
なんか、いいな。そういう家庭。
ついニヤけちゃって、長谷川に不思議そうな顔をされた。
ともかく、ごはんの支度が整ったので、手を合わせていただくことにする。
「いただきます」
箸を取って、まずはお味噌汁。湯気と一緒に味噌の香りがふわっと広がって、おいしい。今どきのレトルト味噌汁っておいしいんだなあ。簡単だし、これくらいなら家に置いておいてもいいのかも。ケトルも買わなきゃだけど、それくらい買えって話だし。
次に小松菜のお浸し。レンチンして出汁と醤油をかけただけだけど、ちゃんとお浸しになってるんだろうか。
「わ、おいしいねえ」
「な。簡単なのにちゃんと美味いの助かるよな。あ、鰹節出すの忘れてた」
長谷川が小分けの鰹節パックを出してきた。半分こしてぱらぱらとかけて食べたら、すごい、さっきよりもっとおいしい。
鮭もほぐして食べる。
「日本酒ほしい……!」
「この飲兵衛が。白飯を食え」
「そうだけどさあ。ごはんも進むねえ、おいしいねえ」
「残ったら茶漬けにしてもうまい」
「間違いないやつじゃん。ごはんも炊きたてほかほかでおいしい。長谷川、教えるの上手だね」
「今回のメニューは昔、親父に教わったんだ。……俺が小学校上がったばっかのころだけどな」
長谷川は目を細めて、自分で焼いた鮭の皿を見ていた。
……なんか、かわいいな。あのモラハラ俺様同期をかわいいと感じる日が来るなんて予想外だけど、別に悪くはない。
「二十年経っても覚えてるくらい、大事な思い出なんだねえ」
「嫌みだっての。調子狂うな……」
「そう? 美味しかったし、また一緒に作ろうねえ」
「……気が向いたらな」
「楽しみにしてる」
その後は職場の雑談をしながら箸を進めた。
「紫くんに結婚願望あるか聞かれてさあ」
「あんの?」
「ないよ。私がだらしないの知ってるでしょ。隣の部屋ってだけで長谷川にこれだけ世話かけてるんだよ。同じ部屋に住んだら、一時間で愛想尽かされる自信あるね」
「俺は迷惑かけられてるなんて思ったことねえけど」
長谷川が真顔で私の顔を見た。
「そうなの? 長谷川、見かけよりも心が広いんだね」
「……立花、そういうところあるよな」
「なに?」
「何でもねえよ」
首をかしげたけど、長谷川は苦笑するだけで、結局何のことかは教えてくれなかった。
食べ終えたら片付けは一緒にやった。
私だって、皿くらい洗える。
「今日はごちそうさまでした。ありがとう、楽しかった」
「それは何よりだ。また月曜日に」
「うん、またねー」
お腹いっぱいで、気分良く自分の部屋に戻った。
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