16.鬼同期と私用の連絡先
「ていうか、だ」
食後、長谷川の部屋に移動して、淹れてもらったコーヒーを一緒に飲んでいた。
『一人暮らしの男の家に、彼女でもない女を連れ込むのはいかがなもんかとは思ったんだが、立花の部屋、ものがなさすぎて雑談すらできない』
と言われて、反論の余地がなかったからだ。
すみませんね、うちには二人でコーヒー飲むためのマグカップすらないんですよ。
長谷川の部屋には、ちゃんとマグカップが二つ以上あった。
コップもフライパンも、ちゃんと複数あった。
褒めたら、
「レベルが低すぎて褒められたことに愕然とする」
と失礼なことを言われたけど、よく考えたら失礼なのは私かもしれない。
そんなわけで、私は長谷川の部屋でコーヒーをごちそうになっていた。
「自炊、まったくしねえの?」
「できないよ」
「……義務教育の家庭科で何してたんだよ」
「味見してた」
長谷川が頭を抱えてしまった。
適材適所なんだよ、と口にしたら怒られそうだ。
「あのさ、俺らもう三十なわけじゃん。コンビニ飯ばっかって普通に身体に悪いだろ」
「……うん」
「俺の飯、うまいうまいって言ってたけど、それ、普段から栄養足りてねえからなんじゃねえの」
「そうなんだけどさ。でも、じゃあ何ができるって言われても、何もできないよ、私は」
「開き直るな馬鹿。仕事でもコミュニケーションでも助けられたし、お前が餓死すると困るわけよ」
餓死!?
令和のこの時代に、三十手前で餓死を心配されるとは思わなかった。
せめて栄養失調と言え。……変わんないか。
しょうがない。そろそろ私も、やらねばならんのか……料理を。
「あの、でもほんと難しいことはできませんので、簡単なものを教えていただきたく……!」
やむを得ず頭を下げたのに、長谷川の顔はまだ渋い。
「えっと……米は研げる?」
「たぶん!」
「……次の休み、米と食材買いに行こう」
「おねがいします……」
「そもそも炊飯器ないんだっけ」
「ないよ。まあでも買うよ」
それくらいはあってもいい。スマホで調べたら、安いやつなら五千円もしないんだな。
結局長谷川と相談の上、一万円くらいのを買った。
安すぎるやつは、それはそれであまり美味しく炊けないらしい。
「立花は食いしん坊だから、不味いとやる気なくすだろ」
「そうなんだけどさ」
ただの同期に家電の相談してるの、なんだかな。お前は私の彼氏か母ちゃんかっていう。……まあ、オカンだからいいか。
ていうか、なんで食いしん坊なのバレてるんだ。やっぱりオカンだからか。
「あ、連絡先教えてくれ」
「はいはい」
うちの会社は社用スマホが支給されるから、仕事中はそれでやり取りしていたし、私生活で連絡する用事もなかった。だから長谷川が隣に引っ越してきてからは、必要なら呼び鈴を押しに行くという、磯野と中島みたいなやり取りで済んでいたのだ。
そこに、ついにスマホという文明の利器が導入されてしまった。
連絡先を交換して、トークルームに適当なスタンプを送っておく。
長谷川のアイコンはフライパンだ。ちなみに私は、お気に入りのクラフトビールのラベル。最近のラベルって、どれもこれもかわいい。
「ちなみに、何教えてくれるの?」
「今頑張って考えてるよ。何ならできるんだ?」
「……炊飯器のスイッチ入れる、とか」
「子供のお使い以下じゃねえか。仕事はあんなにできるのに!」
「褒められた?」
「貶したんだよ馬鹿!」
長谷川は立ち上がると、「こっち」と私を隣の部屋へ連れて行った。
ベッドとローテーブル、座布団、それから壁際には大きいテレビが置かれていた。
男性の一人暮らしの部屋ってだけで、なんとなくソワソワしていたら、テレビがついた。
「……『きょうの料理』だ」
「基礎の基礎の基礎レベルなわけだけど」
「こんなに手際よく料理してるのに、基礎なの?」
「……初心者向けはこっちだな」
ビギナーズとついた料理番組が始まった。アニメのおばあちゃんが解説しながら料理を作っている。
「一カップってどれくらいかわかる?」
「二百ミリリットルでしょ?」
「それは分かるのか……大さじは?」
「十五ミリリットル、小さじは五ミリリットル。あのね、実践はできないけど、テストはできた」
「なるほど……? まあ、知識あるなら、あとは手の動かし方だけだし、どうとでもなるか」
「すみませんねえ」
「本当だよ」
長谷川はテレビを消してリビングに戻った。
「とにかく、次の休みまでに立花でもできそうなやつ考えとくから。そっちは炊飯器受け取って、使えるようにしとけよ」
「わかった。じゃあ帰るね。おつかれさまでしたー」
「おう、おつかれ」
なんて返せばいいのか分からなくて、仕事のときみたいに手を振って長谷川の部屋を出た。
少し迷ったあと、部屋着から着替えてごはんを買いに行った。
……明日、パックごはんと長谷川にもらった容器を持っていけば、雑だけどお弁当になるのでは?
ちょっといいことを思いついた気がしたけど、明日は丹沢先輩と外出の予定だ。
残念。おかずは今日と明日の夜で半分ずつ食べることにしよう。
翌日、丹沢先輩と昼ごはんのラーメンを食べながら喋っていた。
「先輩、自炊します?」
「しない。休みの日にラーメン茹でるとか、刺身買ってきて、ごはん炊いて一緒に食べるくらい」
「私より自炊レベル高いです」
「俺、自分の自炊レベル三くらいだと思ってたんだけどな。最大値百で」
「私は昨日やっと炊飯器を買いました」
先輩の目が、呆れたようにきゅっと細くなった。
ラーメンはもうほとんど残っていない。レンゲでスープをすくいながら、全部飲むかどうか迷う。
昨日、長谷川に「俺らもう三十なわけじゃん」って言われたし、ここは自重しておくか。
「立花、入社して割とすぐから一人暮らししてたよな」
「はい。入社して最初の夏休みに引っ越したので。先輩、手伝ってくれましたもんね」
「うん。百パーセント下心で手伝ったけど、マジで何もなかったな」
「下心あったんですか? 全然気づかなかったです。もっと早く言ってくださいよ」
「いやさ、普通気づくだろ?」
「すみません、仕事中って仕事しか見てないので、個人的な感情スイッチ切れてるっていうか」
だから、モラハラで他人の感情を引っ張り出してくる長谷川が苦手だった。でも最近は、そこまでしんどくなくなってきて本当に助かる。
丹沢先輩はちょっと変だけど穏やかで親切だから、心置きなく感情スイッチをオフにして仕事モードで接していた。……そのせいで先輩の好意にも気づけず、ちょっと悪いことをしてしまった。
「俺、立花のそういうところ嫌いじゃないけどね」
「私も先輩のこと嫌いじゃないです。葉山さん、うまくデートに誘えました?」
「なんで知ってんだよ。先週、一緒に飯食ってきたよ」
今さら先輩と湿っぽい話をしたくないから、適当に話を逸らした。
丹沢先輩が経理部の葉山さんをデートに誘おうと頑張っている話は、経理部の同期から聞いていた。
「まあ、立花が自炊してるかどうかは別にいいんだけど」
「はい」
「できて損はないぞ。こういう業界にいるわけだし」
「……そうですね」
「米、洗剤で洗うなよ」
「そ、そんな昭和のコントみたいなことしませんよ!」
「どうだかなあ」
あはあはと笑って、先輩は立ち上がった。私も箸を置き、コップの水を飲み干す。
午後も忙しいから、頑張って先輩についていこう。
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