15.鬼同期と冷蔵庫
長谷川にお弁当を作ってもらった後の週末。
夕方、晩ごはんを買いに行こうか、面倒だからビールを飲んで寝てしまおうか悩んでいたら、呼び鈴が鳴った。
「はいはーい」
「よお」
ドアを開けたら長谷川がいた。
変な英語がプリントされたシャツに薄手のスウェットパンツ姿で、違和感がすごかった。
「何、その顔」
「や、長谷川っていつもちゃんとした格好だから、そういう部屋着に違和感があって」
「会社でしか会わねえんだから当たり前だろ。そっちも似たようなものだろ」
それはそう。
こっちだって、親が送ってきたリカバリーウェアの上下だし、人のことをなんにも言えない。
しかもそのまま買い物に行こうとしてたし。
「今いい?」
「いいよ、何?」
長谷川が「これ」と差し出したのは、お弁当箱にしていた容器だった。
「立花が買ったやつなのに、俺が持って帰っちゃったから返しに来た」
「そうだったわ。わざわざ休みの日にありがと。……っていうか、これ温かい?」
「うん。弁当作ったとき、すげえ喜んでくれてたから、作り置き詰めといた」
「神か……? 中、見ていい?」
開けたら、照りのついた里芋の煮っ転がしに、湯気の立つホイコーローがぎっしり入っていた。すごい。
「あの、おいくらでしょうか」
「いいって、作り置きのついでだし。食ったら感想聞かせてくれ」
「なんか申し訳ないなあ。ありがとう。大事に食べる。……いや、でもこれ絶対美味しいし、夜ごはんでなくなっちゃいそう。ごはん買ってこなきゃ」
蓋を閉め直して冷蔵庫に入れようとしたら、長谷川が首をかしげた。
「ごはんを買う?」
「うん。パウチのごはんを買ってくる。一個じゃ足りないなあ」
「待て、ごはんは炊くものだろ……?」
「うち、炊飯器ないもの」
長谷川が、心底信じられないものを見る顔になった。
そりゃ、普通はあるかもしれないけどさ。
一人暮らしなら、持ってない人だってそこそこいるでしょ。
「冷蔵庫、見ていい?」
「いいけど、見るほどのものは入ってないよ」
「お邪魔します」
長谷川は眉間にシワを寄せたまま、靴を揃えて玄関から上がった。
廊下に置いた小さい冷蔵庫を開けた瞬間、長谷川が絶句した。
「立花、何食って生きてんの」
「コンビニで買ったもの」
「だらしねえ……」
「ぐうの音も出ない」
私も長谷川の後ろから、ひょいと冷蔵庫を覗き込む。
入っていたのは、ビールとチューハイ、それから親が送ってきたワイン。昨日の夜に見たまんまだ。
調味料も固形物もなんにも入っていない。入っていることもほとんどない。
必要になったら、コンビニかスーパーに買いに行けば済む話だし。
「えっと、立花、腹、減ってる?」
「うん」
「それ持って、うち来るか……いや、俺がごはん持ってくるから、ちょっと待ってろ」
「えっ、さすがに悪いよ」
思わず首を横に振ったら、長谷川は聞いたことがないくらい深いため息をついた。
「俺は今、お前のことを宇宙人か何かじゃないかと思ってる」
「酷いな」
「酷いのはお前の食生活だ! とにかくおとなしく待ってろ!」
「……はい」
あまりの剣幕に頷くしかできなかった。
温かい容器を抱えたままぽかんとしている間に、長谷川はさっさと部屋を出て行ってしまった。
えっと、長谷川がごはんを持ってきてくれるってこと?
困った。他人様に出せる皿も、お茶もない。
……長谷川もそんな親切なものが私から出るとは思ってないか。
期待値の低さにびっくりしたけど、まあ仕方ない。
五分ほどして、長谷川が戻ってきた。……やたら大きいカバンを抱えて。
「大荷物だ」
「なんにもねえからな」
「申し訳ない」
「いや、いい。俺が勝手に世話焼いてるだけだし」
長谷川はテーブルに茶碗とお椀、皿を並べていく。
男性の一人暮らしで、食器を一セット以上持ってるのがまずすごい。
……もしかして元カノと揃えたとか? いや、前は実家だって言ってたっけ。
「なんでこんなにお皿持ってるの?」
「実家出るときに、姉がパン祭りでもらった皿を勝手に送りつけてきたから」
「ウケる」
「まさかマジで使うハメになるとは思ってなかったけど」
「申し訳ない」
ごはんと、大きい水筒に入れて持ってきた味噌汁、それから青菜のお浸し。さらに、さっきもらったのと同じ里芋の煮っ転がしとホイコーローまで並べられて、狭いテーブルが一気に埋まった。
「あの、これは?」
抱えたままだった容器を指すと、
「それは冷蔵庫にしまって、夜でも明日でも食べろ」
そう言われて、おとなしく冷蔵庫にしまった。
「そこに座れ」
「……はい」
ここ、私の部屋だけど、とは言わずに黙って座った。
「え、えっと、いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
長谷川に割り箸を差し出され、そのまま受け取った。
お味噌汁には油揚げとワカメと大根が入っていた。出汁がじんわり染みて、おいしい!
「お、おいしい……!」
「だろー? たんと食え」
「ふふ、お母さんみたい」
「嬉しそうにすんな馬鹿」
「里芋もおいしいねえ、甘辛くて、ほくほくで。ごはんもいい匂いがする。やっぱり炊飯器で炊くと違うよねえ」
「突っ込まねえぞもう……」
長谷川は呆れた顔で箸を進めた。
ホイコーローも、ピリ辛なのにお味噌がほんのり甘くておいしい。野菜はしんなりしすぎず、ちゃんとシャキシャキ感も残っているし、お肉を噛むたびに油がじゅわっと広がって、箸が止まらない。
「長谷川が作ってくれるもの、なんでもおいしい。やっぱり月七万出すから、三食作ってほしい。足りなければ言い値で払うよ」
「俺は主婦かよ。俺の方が稼いでるっつうの」
「それはそう」
営業と営業事務は給与体系がちょっと違うから、同期でも長谷川の方が基本給が高いはずだ。そうじゃなくても長谷川は営業成績がいいから、業績報酬もかなり入ってると思われる。
「今日はデザートないの? プリンとか」
「ときどき馬鹿みたいに図々しくなるの何なんだよ」
「おいしかったからもっと食べたい」
「そりゃどうも。でもデザートはない。そもそも、弁当箱返しに来ただけだったんだけどな」
「かたじけない。でもおいしかった。ごちそうさまでした」
「そらよかった。お粗末様でした」
長谷川はちょっと笑って箸を置いた。
夫の人が一人暮らししていたとき、炊飯器、包丁、まな板を持っていなかったので、たぶんそういう人はいる。
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