第六話 無期限接触禁止
もはや懐かしくもない天井が見えて、俺はさっさとベッドから起き上がった。
おなじみの病院である。
窓からの景色も変わらないから、先日と全く同じ病室なのではあるまいか、とさえ思った。
しかし、先の入院と異なる点は二つある。
一つは倦怠感がほとんどないことだ。
前回は三日間寝たきりだったから、身体が固まってしまっていたのだろう。
今回は長い入眠ではないと、経験と身体がそう告げている。
そしてもう一つは、既に肉月さんと、我が妹の朱音がお見舞いに来てくれているということだ。
朱音は俺の太ももに突っ伏す形で、寝息を立てていた。
腕をだらんと垂らして上半身を俺の太ももに埋めているから、生きてるか不安になる。
肉月さんも、椅子に座りながらゆっくりと船を漕いでいた。
黒髪のヴェールで寝顔が見えないが、だらしない表情を晒さないための長髪なのだとしたら、流石だ。
それに、授業中も寝放題にできるとは、頭が良い。
実際、授業中にチラと見たらこうなっていることがあるので、ちゃっかり寝てるに違いない。
「心配かけちまったか……?」
起こして己の元気を報告すべきか、眠らせたままにしておくべきか迷ったが、一応小声でつぶやいてみる。
すると、朱音の耳が大きく跳ねて、後を追うように全身が勢いをつけて持ち上がった。
「起きたの……! 兄貴……!」
「おう……ってどうした鼻の下!? カッピカピじゃねぇか」
「だっで、あのあとぶっ倒れちゃうから、じんばいでぇ……」
「鼻水だばだばじゃねぇか! ティッシュティッシュ!」
辺りを見回すが箱ティッシュは無く、制服のズボンを漁ってみるが、ポケットティッシュやハンカチを入れておくほど、俺は気が利く男ではなかったようだ。
仕方ないので、制服の白シャツで鼻水を拭ってやる。
「ハンカチあるから、これで拭いて」
「ありがどございまずぅ、にぐづぎざん」
いつの間にか目覚めていた肉月さんは、スマートにハンカチを差し出してくれた。
朱音は遠慮もなく、それで鼻をかみ、再三感謝を述べる。
肉月さんは苦い笑顔で、「そのハンカチ、あげるよ」とだけ言った。
「おはよう、肉月さん。妹のこの大泣きっぷりを見るに、一ヶ月くらい経ってるか?」
「いいえ。三時間ぶりのおはようだね」
「短っ。昼寝レベルじゃねぇか。泣きすぎだって、朱音。三日間寝たきりのときはこんなに泣いてくんなかったろ」
俺は前日を思い出す。
退院の知らせを聞いて、校門で待っていた朱音と一緒に帰ったのだが、すんっとしていて、あんまり悲しんでなさそうな態度を、ちょびっと寂しく思っていた。
「ずびっ……、あの時はお母さんから電話貰ってたし。あと、もう涙枯れてた」
「良い妹さんだね」
「全く同意だ」
朱音の良さを共有し合っていると、当人がベッドの上で頬杖を突いて、物珍しそうな視線を飛ばしていた。
もう泣きじゃくっていた跡は、赤く腫れた目元以外に見つけられないほどに、いつもの朱音に戻っている。
「にしても、二人仲良しだよねー。初友が誕生したってお母さんから聞いてたけど、まさか、肉月さんだとはね。仲良くなるハードルが一番高そうだと思ってたけど」
「そういや朱音は、俺より肉月さんとの交流長かったな」
「お近づきになろーと頑張ってみたんだけど、ずっと晴野さん呼びでさ。今日会ったら、急に朱音さんって呼んでもらえて、ビビったわ」
「晴野くんと晴野さん呼びだと、紛らわしいから」
「え、じゃあ、俺も明斗って呼んでくれよー」
「そうだそうだ! 不公平だ!」
俺が不満を表明し、朱音の助太刀も入って、肉月さんに圧をかける。
肉月さんは楽しそうに頬を緩めた。
しかし、同時に物憂げな双眸でもあった。
「呼んであげたいんだけど、ね。下の名前まで呼び始めてしまうと、恨む人間が出てくるかも知れないから。下種の勘繰りは笑えないよね」
「あー、なるほどな」
やんわりと困り顔で断られて、俺は語勢を弱めなければいけなかった。
会話に空隙が挟まり、少々ぎこちない沈黙が蔓延する。
それだけでなく、朱音の表情には影が差し、俺の胸元を揺れる瞳で窺い見ていた。
俺が刺された一件を想像させたのだろう。
肉月さんと会っただけでああなったのだ、下の名前で呼び合えば、邪推の果てに似たような凶行に走ってもおかしくない。
それほどに肉月さんの校内人気は、狂気を帯びている。
「あ、友達が切った梨、食べる? 冷えてるよ」
「……お、おう! 食べてぇな。梨好き」
肉月さんは病室の棚下の冷蔵庫から、カット済みの梨を大量に出してくれた。
もっさりとした食感で、所謂ボケた和梨だ。
シャキシャキした和梨でなければ気に入らない、と文句を垂れるほど肥えた舌ではないはずだが、昨日ほど美味しくない。
「心臓くんは燃費が悪い子だったから、たくさん食べないと駄目だよ」
「あぁ、道理で腹が減りやすいと思っ……た」
心臓くん、と言われて寝ぼけていたらしい俺は、ようやく置いてきてしまった幼い龍のことを思い出した。
「俺が倒れた後、チョクチョーくんはどうなったんだ?」
朱音の雰囲気が刺々しさを増したのを、肌で感じる。
肉月さんは機械的な微笑に戻ってしまって、感情の起伏は窺えない。
「チョクチョーくんは無期限の接触禁止になったよ。屋上も無期限閉鎖。関係者以外立ち入り禁止。言うまでもなく、その関係者の枠に執行部員は居ない」
「……まぁ、そうなるか」
分かりきっていることだ。
今回は奇跡的に人的被害ゼロで済んだが、人間が攻撃を受けたのだ。
「でも、整腸薬とかの運搬はどうすんだよ? 誰がやるんだ?」
「生徒会長から詳しく聞いたわけじゃないから確定情報ではないけど、学外予備隊が担当するだろうね」
「学外予備隊……! まじかよ……! 執行部員ごときが、手出しできる状況じゃ無くなるじゃねぇか! くそっ……!」
「どこに行くの? 晴野くん」
「決まってるだろ。生徒会室だよ。鷹司会長と話がしてぇ」
三時間の微睡み程度で重くなるほど身体はなまっておらず、ベッドからは軽々と降りられる。
しかし、その段階になってようやく二の腕に刺さる点滴チューブに気づき、煩わしげに睨んだとき、聞き覚えのある声がした。
「ご足労いただく必要はないわぁ」
綿菓子みたいに甘く柔和で、しかし、骨を蝕むような毒々しい彩りを持つ声音だった。
「鷹司会長」
「元気そうで何より。それじゃあ、早速本題に入るわねぇ。ベッドでいいから、きっちりと座りなさぁい」
宙に浮きそうな締まりのない喋りであるというのに、有無を言わせぬ強制力がある。
俺が座り直すと同時に、普段だらしない朱音も背筋を垂直に伸ばしていた。
小森の他、侍らせた部下の一人が椅子を用意し、鷹司会長が腰を下ろす。
「晴野くんは言いたいことがありそうだけどぉ、それは私の話を聞いてからね? まずは……把握していない心臓くんの能力を無断使用した件については、もちろん不問でいいわぁ。不可抗力であることだし」
「え、あ、そっちすか」
「そっち? ん? 晴野くんは、反省してる?」
彼女は小首をかしげた。
瞬きをせずに俺を射抜いてくるから、その動作に可愛らしさなんてない。
「反省……すか」
たちまちに口の中が乾いて、掠れた声が出る。
「貴方の仮入部は、監視が第一目的と言ったわぁ。その立場で勝手に不詳の力を使ったのよぉ? してしまったこと、しっかり理解できている?」
「は、はい。すみませんでした」
「あ、違う違う。違うわぁ。謝罪は不要よぉ。私が欲しいのは、貴方自身がやったことに対する、客観的な正しい理解よぉ」
「……と、言うと……?」
鷹司会長は怒っているわけでは無さそうだった。
しかし、彼女が想定した道から俺が外れてしまえば、易易と首を刎ねられてしまいそうな緊張感が、ずっと張り巡らせられているのだ。
「能力使用の一件は結果的に人命を救ったわぁ。これは称賛されるべきこと。でもね、その手段は本来咎められるべきこと。その理解を無視して褒めてしまったら、『良くないことをやったけど、褒められた』って歪んだ成功体験を得てしまうかも知れないでしょう?」
「はい、理解しました」
「そう? 良かったわぁ……! 私、晴野くんのことを良く知らないから、心配だったのぉ。この成功体験を機に、能力を使って自儘に振る舞われては、困るもの。心置き無く、称揚できるわぁ」
鷹司会長が拍手し、背後の生徒も次々に拍手をした。
会長以外みな、真顔だから機械的で恐ろしい。
「それで、晴野くんが生徒会室に急いでまで聞きたいことって、なぁに?」
余韻を残すように拍手を止めてから、ようやく俺のターンが来た。
自然と制服の襟を正し、身構える。
「肉月さんから、チョクチョーくんとの無期限の接触禁止と屋上の閉鎖が決定されたと聞きました。さらに今後、彼の処遇はどうなるのか、聞きたいっす」
「あぁ、彼? すぐに決まったから、肉月さんに伝えられてなかったわねぇ。えっと確か……」
彼女は自分のタブレット端末を小指で操作して、通達文書を探す。
彼女の端末は、背にデカデカと小森の写真が張り付いていて、小森は凄まじい形相で目をそらしていた。
「あったあった。屋上の設備管理、健康管理、薬の運搬、これらの業務は全て学外予備隊に引き継がれたわぁ」
「それだけ、ですか?」
「いいえ。こっちは本当につい先程決まったのだけれど、チョクチョーくんの分裂協議の実施が決定されたわぁ」
「は!? もう!? まだ三時間ですよ!?」
俺は取り乱して、病院という場を顧みずに大声を出してしまった。
看護師さんの注意を受けたが、その間に俺の心は冷静になれなかった。
「分裂協議をするってことは、チョクチョーくん固有の人格は消滅するってことですよね? あまりに性急じゃねぇっすか!?」
「そんなことないわぁ。この相生市は、ゲッヘンさんたちとの共生シミュレーション都市なのだから、共生が困難だと考えれば、すぐに動けるのよぉ」
「でもっ……!」
「晴野くん。お話は後日に持ち越しましょう? お医者様もいらしたことだし」
鷹司会長が手のひらで指した先には、病室の隅っこで萬前先生がひっそりとしていた。
白衣のポケットに片手を入れながら、彼は頭をポリポリ掻いている。
それから、「め、明斗くんの様子を見に来ました……」とちっちゃく漏らして、気まずげに会釈した。
「それじゃあ、肉月さん、朱音さんは当時の状況について聴取したいから、一緒に生徒会室にきてくれるぅ? 肩肘張らないで」
未だ緊張気味の朱音に、鷹司会長が優しく声をかける。
このときの会長の表情には、一人の少女然とした柔らかさがあった。




