第四話 直腸ドラゴン
この高校の屋上は不思議な構造をしている。
まず目につくのは、水槽の如く屋上を囲う透明な壁である。
外の景色は問題なく見ることができるが、薄っすら滲み出る閉塞感は拭いきれない。
地面の素材には弾力があって、飛ぶとちょっとだけぽよぽよ跳ねるから、龍の巨体が移動する際の衝撃を少しでも吸収しようという意図があるのかも知れない。
加えて、物々しい角張った機械たちが、あちこちに仏頂面で居座っていて、駆動音が耳に障った。
赤褐色の巨龍が喚く中、俺はカッターの刃を出して、段ボール箱を開封していく。
両腕に余る大きさの箱たっぷりに敷き詰められていたのは、「スースーミントケア」。
口に含んで噛むと、口臭を消してくれる商品である。
「肉月さん、これどうすればいいんだ?」
「箱ごとこっちまで持ってきてもらえる?」
俺は箱を肉月さんの側、チョクチョーくんの目の前まで運ぶ。
すると、彼女はスースーミントケアを三つ手に取り、チョクチョーくんに向けて、下から持ち上げるように投げた。
チョクチョーくんは開封していないそれを、大口でひと飲みにしてしまう。
「龍も口臭ケアすんのか。執行部ってこういうこともやってくれてんだな」
「チョクチョーくんの口臭は災害級だから。しっかりケアしないといけない」
「そう、オレかっけーの」
「災害級って言葉をカッコいいと思ってんのか」
「ディザスターだぞ! 英語で!」
確かに、英語にすると良い語感になるなと、俺は妙に腑に落ちた。
「よく知ってんな、そんな言葉」
「バカにすんな! ジジイ! うんこ爆撃するぞ!」
「褒めただけだろうが。俺はジジイじゃなくて、晴野明斗だ。あと何だよ、そのうんこ爆撃って」
「オレできるからね。やるよ? やるよ?」
チョクチョーくんは、ふふんと鼻を高くした。
よく見える鼻穴からは細長いヒゲの一本も生えておらず、これが威厳を不足させているのだと思う。
「そんなこと、絶対にやらないでよ?」
「おまえらの態度しだいだ!」
彼はハスキーボイスでそう言ってのけると、身体をS字にして、俺たちを見下ろす格好を取った。
ふん、と彼が鼻を鳴らすと、呼気が屋上に蔓延し、鼻腔を蝕む。
「臭ぁぁぁいぃぃ……どんな腸内環境してやがんだよ、ストレス溜まってんのか?」
「ばーか、ざまあ」
スカしっ屁のような静かで、ささやかな一屁だったが、臭いは喧しいほどにキツイ。
鼻を摘んで悶絶する俺の横で、肉月さんは目と口を閉じて鼻を塞ぎ、チョクチョーくんの口にスースーミントケアを投げ込んでいた。
不意打ちっ屁に対応しつつ、ノールックで精密に投げ込むコントロールは、執行部員としての歴と格の違いを感じさせる。
段々と、次第にミントの良い香りが混じって、スースーする悪臭に変わってきた。
根強い激臭だ。
「いちいち投げ込まねぇでも、段ボールごとあげればよくねぇか?」
「おお……! 良い発想だね。さすがは私の友達だよ」
彼女の真っ直ぐな称賛に、俺はすっかり煽てられて「へへへ」と照れ笑いで返す。
「笑い方きもー」
「うるせぇな。ほら、これまとめて食っちまえよ。大きい口があるんだからよ」
チョクチョーくんが開けた大口は、わざと息を吐かずとも中々に屁臭い。
ただでさえ乳臭いというのにだ。
ただ、ところどころ抜け落ちて、生えかかっている永久歯(龍に永久歯も乳歯もあるのか知らないが)が顔を覗かせていて、少し愛らしさも感じる。
しかし、スースーミントケアを口からポロポロこぼしてしまう様は、彼相応の食べ方で不愉快であった。
肉食獣のような鋭い臼歯では、人間の臼のような臼歯に比べると、食べづらいのかも知れないが。
「美味いか?」
「うん。甘い」
「……こんなに食って、人工甘味料とか摂りすぎてねぇか?」
「そこは問題ないと、市は判断しているよ。チョクチョーくんは食事の必要も食欲も無いくらい、人間と身体構造が違うから。その代わりに定期的に放屁したりして、ガス抜きはしなくちゃいけないけどね」
「そうか、ドラゴンだしなぁ」
彼の呼気が俺の全身を包み込むが、今度は清涼感を増していて、全身が本当にひんやりとする。
ただ、生暖かさを認識した後に来るので、皮膚感覚が混乱して気持ち悪い。
「ゲップでそう」
「ちゃんと上を向いてからにしてね」
「こいつにとって、ゲップとオナラの境界線はどこに敷かれてんだ?」
チョクチョーくんが首を空へ垂直に伸ばす。
透明な壁に四方を囲まれている屋上だが、唯一の例外として天井は円形にくり抜かれている。
そこからワニのような鼻口部を外に出した。
波打つ、と形容するほど大げさではないが、円柱形の太い腹の蠢きが徐々に喉へと上っていく。
そして、ぐるぅと空気が唸ってから、肌に強烈な熱波を感じた。
瞳が潤いを失いそうなほどの猛々しいオレンジが、口から柱となって吹いた。
チョクチョーくんの全身が陽炎を纏って、恐ろしげに揺れている。
ぱちぱちと極小の火花が煌めいてから、火柱はようやく姿を消した。
「……火炎放射か、あれは」
「屁るファイアブレスだ! かっこいいだろ、ジジイ!」
「おう、その幼稚なネーミングさえなけりゃ、すごくカッコいい」
「何だよおまえ。ヘルは地獄って意味だからな! おまえを地獄のほのうで焼いてやるぜ!」
「ほのうって一言が、どう頑張っても平仮名でしか表記できなさそうに聞こえるのは、才能だな」
「ひらがなじゃねーし」
チョクチョーくんとしょうもない言い争いをしていると、チャイムが屋上に鳴り響いた。
六時限目の終了を告げている。
少しすると、下校を競うかのように生徒が駆けて校門を抜けていく足音がする。
「この仕事って、スースーミントケアを運ぶだけで終わり? もう戻って良いのか?」
「うん、そうだね。彼の火炎放射を見届けるのも職務に含んでいるけど、それも済んだから、部室に戻ろうか」
「おう、帰るからな。またな、チョクチョーくん」
肉月さんが残った段ボール箱を一つ畳み、彼女が鍵を出そうとポケットを探っている。
俺は扉に向かっていたのだが、その時、ふと違和感を感じて振り返った。
チャイムが鳴って以来、チョクチョーくんがやけに静かだったからだ。
俺の言葉に、憎まれ口の一つでも叩いてくると思っていたのだが。
彼を見やれば、壁に左目をべったりと押し付けていた。
黒目がしきりに動き回っていて、何かを探している様子に見える。
「どうしたんだ? 気になるもんでもあんのか?」
「んー」
生返事が戻ってくるだけなので、俺も外の景色を覗いてみる。
校舎出口から校門までの赤レンガで舗装された一本道を、ジワジワ滲み広がるように生徒たちが歩いていた。
特別、目を引くようなものはないが。
「何見てんのか、俺にも教えてくれよ」
「……うるさいなぁ……」
「私も気になるな。もし何か不満があるのなら、執行部に進言できるよ」
「ぅん……いや……そういうのじゃなくて……」
歯切れの悪い様子を見せた彼だったが、しばらくすると瞳孔が開き、表情が華やぐ。
口をピッチリ閉じ、鼻息も静め、腹這いになって、まるで身を潜めるような振る舞いだ。
よく見れば、彼の頬が赤らんでいる気がする。
「あ、もしかして好きな奴いんのか、この中に」
「むぶぉぅ!!?? なわけないだろ、あかねとか好きじゃねぇ!」
「んはは……おう、わかり易すぎて助かるな」
わかりやすいのは声音だけでなく、態度にも現れた。
空間の隅っこに逃げ、とぐろを巻いて首を持ち上げ、警戒の姿勢を取る。
赤褐色という茶系のカラーリングで、とぐろを巻かれると既視感があって面白い。
チョクチョーくんは上位存在の大腸(正確には直腸)だから、それも相まって巻いたうんこにしか見えなくて、爆笑を抑えるのに苦労した。
「誰だよ?」
「おまえに教えるかよ!」
「チョクチョーくん、教えてくれる? 恋愛は自由だけど、それを動機に勝手なことをされると困るから」
そう告げる肉月さんの表情は非常ににこやかで、しかし、包み込むような優しさは無く、不快なものを弾こうとするような鉄仮面だ。
髪の毛を逆立てるような負の感情を彼女から感じる。
その気配を鋭く感じ取れたのか、チョクチョーくんは口元を歪ませながら、渋々と動いた。
「えっと……あ、まだいた……! あの校門の左で立ってる子。樹の下の子」
木陰で涼みながら、校門の壁に背を預けてスマホを弄っている。
ギャルといった風体でもないが、シャツの袖を捲って襟を緩め、スカートの上からカーディガンを腰巻きにするようなラフさの目立つ格好をしていた。
しかし、校則に反する奇抜な髪染めやネイルを楽しむほど、度は越していない。
「あぁ、朱音さんか」
「肉月さん、知ってんのか?」
「うん。彼女は保健委員だから、たまにここに来るんだよ。チョクチョーくんとはその縁。私は彼女の付き添いの関係」
「なるほど」
屋上に一人で来れるのは執行部員か、然るべき肩書の人間だけだ。
それ以外の生徒や一般人は、立ち入りに際して付き添いがいる。
その時に惚れてしまったわけだ。
「……あいつがねぇ。ポテチを箸で食ってそうなツラだな」
「なんだと! あの子をバカにすんな!」
「してねぇよ。まぁ、ポテチは手で食ってなんぼだと思うけどな。わざわざ上品ぶっちゃってよ」
「してるじゃん!」
「カーディガンを腰巻きにしちゃってさぁ。暑いなら巻かなくていいだろ。カーディガンが本懐遂げることできねぇで、可哀想な事する奴だ」
「おしゃれだろ! クソが! もう……! うんこ爆撃するぞ!」
スーパーで買い物中に駄々をこねる子どものように、地面に身を擦り付けて暴れる彼を見て、性格相応だなぁと俺は笑った。




