青いぶとうのワイン
昼時、ウルタール近くの広場には多くの屋台が顔を揃える。
休日のこの界隈には貴族だけでなく多くの平民も集まり、ウルタールで贅沢な食事を楽しんだり、屋台で好みの品を買い求めたりと、思い思いの時間を過ごしていた。
それぞれの屋台が鮮やかな旗を掲げ、広場は実にカラフルな色彩に彩られている。
ヨーロッパ風の料理を出す猫耳の獣人、オリエンタルな香辛料を操るウデウデ人、香ばしく焼かれた魚介類をじっと見つめる猫たち。中には、黒髪の青年が東洋の料理を振る舞う風変わりな屋台まであった。
他国からの観光客も混じっているのだろう、広場には見慣れない種族や様々な装束の人々がひしめき合っている。
「少し、間食していかないか。今度は俺が奢るよ」
「いや、私が払おう」
「このあたりの屋台なら手頃な価格だし、平気だよ。ちょっと買ってくるから、そこで待っていてくれ」
アランが広場に向かっている途中、ヒッポリュテはベンチに座りる。
その時カバンから出てきたホテプがヒッポリュテの膝の上に乗ってきた。
「可愛いな君は」
ヒッポリュテがホテプを優しく撫でると、ホテプからもゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえる。
アランはアランチーニ――中にはミートソースやチーズ、グリーンピースなどが詰まったライスコロッケと、デザート用のピザを買い求めた。
そのまま飲み物の屋台へ向かおうとした時、危うく通行人と衝突しそうになる。
相手は仕立ての良い上着を纏った紳士で、一見して貴族か豪商人のように見えた。咄嗟に足を止めたおかげで、双方の衣服も料理も無事だった。
「おっと、失礼しました」
「こっちこそ、いや……待て、お前、まさか……」
「えっ」
その紳士は、無遠慮にアランの顔を覗き込んできた。
自分より背の高い男に間近で顔を検分されるのは、あまり気分の良いものではない。
「おい、何をやってんだよ」
「……すまない」
誰かが間に割って入ってくれたおかげで、紳士は渋々といった様子で離れていった。
助けてくれた男もまた、上質な服を着こなした、貴族らしい整った顔立ちの青年だった。
「お前、あいつに取り入ろうとしているのか? だったら無駄だ、やめておけ」
「いえ、違いますよ。それよりも、助けていただきありがとうございました」
「別に、助けたというほどのことではないさ。俺はガロッソ・ルイーニー。子爵の息子だが、堅苦しい敬語は抜きでいい」
ガロッソは、背が高く、強面気味のイケメンといった感じだが、平民であるアランに対しても、いきなり敬語はなしでいいというほどのさわやかな印象をする好青年だった。
「……俺はアラン・パラケルルス。錬金術師なんだよろしくガロッソさん」
「パラケルルス……。ということは、あの『精霊男爵』の関係者か?」
「精霊男爵は、俺の師匠なんだ」
「なるほどな。俺はルイーニ商会の副代表を務めている。うちが扱うのは高級品ばかりだが、もし何か売り込みたい物があれば訪ねてくるといい。精霊男爵の後継者がどんなものを作るのか、この目で見せてもらいたいからな」
ヒッポリュテの元へ戻ると、彼女はホテプと一緒に上機嫌で待っていた。
ベンチに腰掛け、膝の上の猫を優しく撫でる彼女の穏やかな表情は、通りかかる人々が思わず足を止めて視線を奪われるほどに絵になっていた。
「ごめん、待たせたな」
「いや、構わない。……これを買ってきてくれたのか、ありがとう」
二人はベンチに並んで座り、買ってきた料理を口にしながら談笑を始めた。話題は軍の近況から、互いの仕事環境、そして学生時代の思い出話へと移っていく。
「そうか。君が段ボールやスライムキャップを考案した錬金術師だったのか。しかも、それを学生時代に……」
「作ったと言っても、俺一人の力じゃないさ。師匠や幼馴染に協力してもらった結果だよ」
「どうして段ボールを作ろうと思ったんだ? 差し支えなければ聞かせてほしい」
「当時は木箱に瓶詰めするのが当たり前の運送事情だったけれど、それだと到着した時に瓶が割れていることも多くてね。だったら、軽くて丈夫な構造と、衝撃を吸収する緩衝材を組み合わせればいいんじゃないかと思ったんだ」
さすがに「前世の知識を流用した」とは言えず、それらしい理由を並べて誤魔化した。
「実用性に裏打ちされた発想なのだな。素晴らしいことだ」
「実はミントという魔導師がいてね。彼女は段ボールを使って、安価で持ち運びやすい椅子や机を作ろうと提案したんだ」
「それは凄いな。もし実現すれば、遠征時の生活環境が劇的に改善される」
「実はもう試作品は完成していてね。今は折り目をつけて、使う時に自分で組み立てる『作成キット』として売り出しているんだ」
前世にも段ボール家具は存在したため、アランも助言して形にしたのだが、その後の「組み立てキット」としての販売形態はミト自らの発案だった。
この世界では完成品をそのまま売るのが常識であり、組み立て前の状態で売るという概念は皆無に等しい。
こうした革新的なアイディアも、いつかは誰かが辿り着く答えなのだろうか。アランはそんなことを考えた。
「そんなものが実在するのか。どこで売っている? ぜひ教えてほしい」
「下町にある『緑の館』という店だよ。少し辺辺鄙な場所にあるけれど、建物全体がツタに覆われているからすぐにわかるはずだ」
「そうか。今度、直に確かめてみることにしよう」
「遠征では、そんなに役立ちそうか?」
「実際に使ってみないことには断言できないが……基本、行軍に椅子などは持っていけないからな。折り畳んだ段ボール程度の嵩で済むのなら、かなりの数を持ち運べる。兵の疲労蓄積も変わってくるはずだ」
「他には、どんなものが必要だ? 遠慮せずに言ってくれ」
「そうだな……やはり遠征で一番の鬼門となるのは、どれだけ深く身体を休められるかだ」
「休めるか、か?」
「ああ。夜の休息といっても、実態は簡易的なテントと寝袋のみ。下に敷物をしたところで、冬になれば地面から容赦なく体温が奪われるし、雨が続けば湿気でまともに眠れもしない。何より、いつ魔物が襲ってくるかわからない緊張感がある。そんな極限状態でも、少しでも身体を休めることができれば……。それだけで、生き残る確率は劇的に変わるはずだ」
その淡々とした言葉に、アランは改めて思い知らされる。
ヒッポリュテは、いつ命を落としてもおかしくない、文字通りの戦場に立ち続けているのだと。
彼女のまっすぐな金色の瞳は、冷たくも静かに、過酷な真実を告げていた。
「すまない、せっかくの食事中にこんな暗い話をしてしまった」
「いや、謝らないでくれ。……考えてみるよ。君たちがどんな場所でも、泥のようにぐっすり休めるような道具をね」
ウルタール巡りの最後を飾ったのは、アランの本来の目的である、良質なワインを求めての酒屋訪問だった。
ヒッポリュテが贔屓にしている貴族から紹介されたというその店は、クラシック音楽が似合いそうな気品ある内装に包まれていた。室内は、常にワインにとって最適な温度を保つための魔導具が稼働しており、静謐でひんやりとした空気が漂っている。
「ここの店主は、錬金術師でもあるらしいな」
「もともと、蒸留酒の一部は、錬金術師が永遠の命を得るための秘薬『エリクサー』を精製する過程で生まれたと言われて、研究の副産物という説が有力だが、実際には、昼に話した通り酒好きの錬金術師が楽しみを求めて作り上げたものだと俺は思っているよ」
この国――いや、おそらくこの世界においても、エリクサーそのものは未だ完成に至っていない。しかし、服用すれば傷を癒やす『ポーション』は実在している。
ただし、医薬品の類を調合する錬金術師には国が定める資格が必要だった。アランも市販品レベルの薬なら生成できるが、より専門的で高度な薬効を持つ医薬品を手掛ける資格までは持っていなかった。
「ようこそおいでくださいました、ヒッポリュテ様」
迎えてくれたのは、黒の礼装に白い手袋を嵌めた、モノトーンの装いが似合う壮年の男性だった。
狼を思わせる獣人の彼は、知性と野性味を併せ持った不思議な気品を漂わせている。
その傍らに立つ、気品あるドレスを纏ったミミミミ人の女性を見て、アランは「師匠が生きていればこのくらいの年齢だったろうか」と、ふとそんなことを考えた。
「おや……? もしや貴方は、エミリア・パラケルルス様のご子息ですか?」
「えっ? あ、はい。養母なのですが……母をご存知なのですか?」
「ええ、仕事を通じて長い付き合いがありました。エミリア様は、うちの大切な常連様でしたから……失礼、申し遅れました。私はベルトフォルト・ラデン。こちらは私の右腕であり、妻のユミンです」
「どうぞよろしくお願いいたします、アラン様」
貴族のような立ち振る舞いを見せる二人が、まさか師匠の旧知の仲だったとは。
アランは驚きを隠せなかった。
彼女がこれほど格調高い店で酒を買っていたことも、そして自分に隠していた「エミリア」の顔がまだ多くあることも、今日初めて知ったのだ。
「どうぞ、ご試飲ください」
ベルトフォルトから差し出されたのは、深く澄んだ「青」のワインだった。
前世の記憶にもない、この世界固有の青いブドウから作られたワインは、最高級品の証だ。
「良いのですか? こんなに高価なものを……」
「ええ。これを用意し、貴方に飲んでいただくことこそが、私の望みでしたから」
ベルトフォルトは、遠い過去を慈しむような目で静かに語り始めた。
「少し、昔話をしてもよろしいでしょうか……恥ずかしながら、私は若い頃、錬金術師を辞めようと思っていたのです。結果も出ず、利益も上がらない。このまま続けて何になるのかと悩み抜いていた時、エミリア様が店にやってきて、こう仰ったのです。『お前の作った酒を持ってこい』と」
あの酒飲み、なんて無茶苦茶を……
自分が代わりに謝るべきだろうか、とアランが内心で冷や汗をかいていると、ベルトフォルトの話は核心へと進んだ。
「彼女が連れてきたその場所には、まだ幼かった貴方がいました。エミリア様は貴方を見つめ、私にこう告げたのです。『こいつには目標がない。だから、小さなことですぐ絶望する。……だから、この子が大人になった時、美味いと言わせるような酒を作ってみせろ』と。彼女は、私に新たな目標を授けてくださったのです」
それからの私は、何かが吹っ切れたように、持てる錬金術の知識のすべてを注いでこの青いワインを作り上げました。……まさか自分自身が、このワインの誕生に関わっていたとは。アランは衝撃に言葉を失った。
「それと、この器をお使いください」
「これは……水精霊鋼の原典……!」
世に出回っている水精霊鋼は、鉄などを混ぜた廉価版だ。だがここにあるのは、エミリアが遺したオリジナルレシピによる、純粋な原点そのもの。
水精霊鋼の原典は、空や海を凝縮したような蒼い輝きを放っている。注がれた青いワインと器が共鳴し、幻想的な光景を映し出した。
「どうぞ。これが、私の目標として結実した『ウンディーネの雫』です」
正直に言えば、味の細部まではわからなかった。
けれど、蒼い器とワインの冷たさは、心の奥底に封じ込めていたエミリアとの記憶を鮮やかに呼び覚ましてくれた。
「……はい。本当に、素晴らしいワインです」
外を出ると温度差が、外の暑さをより感じる。
渡されたワインのラベルにはアラン・パラケルルスの名前を書かれていた。
少し歪んでいるが、この温かさを感じるこの文字はエミリアが書いたものだ。
錬金術師として尊敬はしていたが、身内としては手のかかる人だった。
布団で寝ることなく、作業台で寝落ちしたり、酒に酔っては自分やホテプにダル絡みしたり、控えめにしておけと言っても、塩をつまんで酒を飲むという身体に悪い事をする。
なのに彼女は死んでから分かるようなことを平然と隠して天に旅立ってしまう。
なんとずるい人なんだろう。
「ニャルラト」
ホテブはアランのことを察し、足元にすり寄ってきた。
アランはそのままホテプを泣き顔を隠すように抱きしめた。
「アラン……」
ヒッポリュテは離れてはいないが、アランを見ないように背を向けてくれた。
結局、色々なことがあったウルタール巡りだったが、名残惜しさを残して外に出る頃には、太陽はとうに没し、夜空には月が昇っていた。
「普段は下町にある東洋風の館に住んでいる。何かあったら、いつでも来てくれ」
「わかった。もし何かあれば、私がすぐに駆けつけよう」
「機会があれば遊びに来てほしい」という意味で誘ったアランと、「異常事態があれば救援に向かう」という意味で請け負ったヒッポリュテ。どこまでも噛み合わない二人だったが、それがかえって彼等らしかった。
「では、また会える日を」
そう言って、ヒッポリュテはアランとは反対の、貴族街へと続く道に足を向ける。二人の住む世界の違いを、残酷に揶揄するかのように分かたれた道。
「ヒッポリュテ! ……使いやすいボトルや、遠征に便利な道具のアイディアがあるんだ。試作ができたら、見に来てくれないか」
アランが呼び止めると、彼女は意外そうに足を止め、それから、はにかむような笑顔を見せた。
「分かった。その時は、必ず君のところへ向かうよ。……楽しみにしている」
夜の帳に消えていく彼女の背中を、アランは月の光の下でいつまでも見送っていた。




