軍人との再会
朝起きてカーテンを開くと、そこには適度に白い雲を浮かべた青空が広がっていた。
隣では、溶けた餅のようになっていたホテプが徐々に本来の形を取り戻し、ころころと転がって移動を始めている。
ミントから製作依頼を受けていた段ボールとスライムキャップの受注分を完成させ、夜遅くに眠りについたからだろう。思っていたよりも日の位置は高く、すでに昼時だった。
キンコンと音鳴石が鳴り、まだ眠い目を擦りながら玄関へ向かうと、そこには今もっとも顔を合わせたくない人物が立っていた。
「うげ……」
「……あのアラン。あの娘とやり直してくれないか? エレナへの説得なら、僕もするから」
そこにいたのは、エレナの父親だった。
先日、副代表のエルンが言っていたことは本当だったらしい。以前会った時よりもひどくやつれており、その顔からは隠しようのない苦労が滲み出ていた。
「商業省から、俺との接触を禁止されていたんじゃなかったんですか?」
「元は家族だったじゃないか。どうしてそんな冷たいことを言うんだ」
「副代表からの強い勧めですよ。それに、俺に話したいことがあるなら商業省を通してください」
「そんな……」
「商会がそれほど苦しい時に、わざわざこんなところまで来られるなんて。随分とお暇なんですね」
アランは扉を閉める間際、光のない瞳で薄く微笑みながらそう言い捨てた。
その拒絶と最後の一言で完全に心が折れたのか、エレナの父親は力なく肩を落とし、去っていった。
互いにそう簡単に吹っ切れないようで当の婚約者が不在なところがでねちっこいしがらみがくっつく。
エレナの方も同じようなことが起きてるんじゃないのか。
「仕方ない、やることは昨日で終わったし、ホテプどこか行くか」
「いあ いあ」
アランが向かったのは、アルスマグナの中央・南区にある王都の商業施設『ウルタール』だった。
そこには前世のイギリスにあった「ハロッズ」という高級百貨店を彷彿とさせる、重厚な建物が鎮座している。
これは、ここのオーナーであるエレガーナ子爵が発案したとされる商業スタイルだ。
まだ店舗を持っていない商人にフロアを貸し、売り上げの一部とテナント料を徴収する。
前世でいうところのショッピングモールに近いが、商会だけでなく個人売りの職人なども店を構えていた。
王都の貴族街中心にあるため富裕層向けの店が多く、内装は古代エジプトを思わせる豪華絢爛な装飾で彩られていた。
最近のアランの周囲では、婚約破棄に始まり、勝手に舞い込む縁談、軍人との衝撃的な出会い、さらには復縁を迫る元義父の訪問と、平穏とは程遠い非日常的な騒動が立て続けに起きていた。
だからこそ、今日はここへやってきたのだ。
錬金術師としてハイレベルな芸術品に触れてインスピレーションを得ること。そして何より、美味しい食事と高級なワインを買い込み、自分を精一杯甘やかすために。
「♪◉◉」
単調で、どこか鼻にかかったフルートのような音が聞こえてくる。
ホテプが上機嫌なときに出す音だ。
そのまま、ホテプは勢いよく駆け出した。人混みの間を縫うようにして彼が飛びついた先には、見慣れた赤い髪の少女が立っていた。
人目を引く美しい容姿に、白いシルクのシャツと赤いロングスカート。
そんなシンプルな装いは、彼女の美貌を損なうどころか、まるで誂えたかのように嫌味なく馴染んでいる。
「君は、あの時の……それにしても、こんなところで出会うとは、アラン」
「ビックリしたな、ヒッポリュテ」
そこにいたのは、ホテプを腕に抱いた、あの日川で出会ったヒッポリュテだった。
その人目を引く金色の瞳が、嬉しそうに細められる。
「今日は一人と一匹なのか?」
「ああ。ちょっといい店で食事でも、と思っていたところなんだ」
「だったら、この前の恩返しに今日は私に奢らせてくれないか」
「……あの時のカレーに釣り合うかどうかは分からないけど」
「そんなに難しく考えないでくれ。損得勘定ではなく、私が君に恩返しをしたいと思ったんだ。それに、この間のようにただ君と話がしたい。……ダメか?」
「……いいよ。わかった、遠慮なく奢られることにする」
アランは一瞬躊躇したものの、彼女の純粋な厚意に対しては、同じように誠実に応えるのが正解なのだと気づき、その提案を受け入れた。
せめて店くらいは自分で選ぼうと、アランは貴族だけでなく平民でも頑張れば手が届く程度の、良心的なレストランを選んだ。
テラス席に案内され、整然とした貴族街の景色を眺めながら料理を待つ。
ちなみに、この国の飲食店にはドレスコードという文化があまり浸透していない。
理由としては、多種多様な人種への配慮があるのだという。種族によって着用できない服装や色、形状が異なり、それら全ての要素に配慮したルールを設けるのはあまりに煩雑だ。
そんなことを食事の場で考えるのは合理的ではないと判断された結果、高級店であってもドレスコードを設けない店が多くなっていた。
「もっと高い店でもよかったんだけどな」
「さすがに、猫を連れて超高級店に乗り込むほどの度胸は俺にはないよ」
この国は動物に対しても寛容で、特に猫は神聖視されているのか、建物の中を地域猫が平然と歩いていることも珍しくない。
しつけの行き届いた飼い猫であれば入店を許可する店も多かった。
ホテプの場合、普段は体を変形させてカバンの隙間に収まっていることも多いのだが。
「私は白ワインを」
「俺は、とりあえずビールで」
「……アランはビールが好きなのか?」
「根っからの庶民気質なんだよ」
運ばれてきたのは、オリーブオイルと岩塩、そしてレモンをふんだんに使った料理だった。
アルスマグナの南区ではこれらが特産品として生産されており、素材の良さを活かした味付けが主流だ。続いて、冷えたワインとビールもテーブルに並んだ。
「では、再会を祝して乾杯」
「乾杯」
グラスを軽く掲げ、互いに乾杯を交わす。
この世界にも乾杯の文化はあるようで、荒っぽい連中の集まりでは一気に飲み干すのが流儀らしい。かつて水精霊鋼でグラスを試作した際、耐久性を確かめるためにぶつかり稽古のごとく激しくグラスをぶつけ合った記憶を、アランはふと思い出した。
「酒を造ってくれた昔の錬金術師たちには感謝しかないな」
「錬金術の蒸留技術を、ひたすら酒造りに転用したという話だったな」
「そういう酔狂な先人がいるからこそ、食文化は進歩していくんだろうな」
錬金術師の食への貪欲さは、前世の日本に匹敵するかもしれない。
対毒用の魔導具を完備してまで毒のある美味な食材を食そうとするこの国の姿勢は、他国からは狂気の沙汰と見られていることだろう。
「そういえば、あの後は大丈夫だったか?」
「ああ。怪我もなかったし、無事に部隊に戻れて周囲も安心していたよ。私がいなくなった後、仲間たちがずっと探し回ってくれていたらしい」
「いい仲間に恵まれているんだな」
「ああ。ただ、みんなにとっては『アマゾネスの女王』と呼ばれる私が不覚を取ったことの方が、信じがたかったようだがな」
アランは、この世界にも「アマゾネス」という呼称が存在するのかと驚いた。
もしかすると、ヘラクレスやケンタウロスのような神話上の存在も、この世界のどこかに実在しているのかもしれない。
「そういえば、今日は買い物のついでか?」
「どちらかと言えば、君が錬金術師だと聞いてから、錬金術で造られた品々に興味が湧いてな」
「そりゃあ、一人の錬金術師としてありがたい言葉だよ」
「これから一緒に見に行ってくれないか?錬金術師のことをもっと知りたいんだ」
「ぜひ付き合わせてくれ」
ヒッポリュテとはテンポよく話せる。
テラス席から流れる涼しい風とそこで飲む酒がとても心地よかった。




