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侯爵と二人の母

 一級品の家具で整えられた、豪華な応接室。

 そこで、アランの作り上げた銀の錬成シートを凝視しているのは、最大手錬金術師ギルド『ラムセス』の長、ディアス・ラムセス侯爵その人であった。

 かつてエレナが「ラムセスに所属したいから」という理由で、アランに婚約破棄を突きつけた際の名前だ。

 事の起こりは、アランが商業省を訪れたことだった。五十ヶ諸島の紙とオリオンの鱗粉を錬成した、この『銀の錬成シート』の活用法について相談しに来たのである。


「……あなた、本当にすごいものを作ってくれたわね」


 開口一番、エルンが発した言葉に称賛の色はなかった。

 むしろ「よくもこれほど面倒なものを持ち込んでくれたわね」という、隠しきれないとげが含まれている。

 アランも流石に、その言葉の裏にある彼女の苛立ちに気づいていた。


「ほとんど……マグレですよ。これ一つ作るだけで、魔力を使い果たしたんです」


「そうね。私は錬金術に関しては門外漢だから、少し詳しい人を呼んでくるわ」


 そう言って一旦部屋を退出したエルンが連れてきたのが、まさかのディアス・ラムセス侯爵だったのだ。

 この国の西側、広大な砂漠の領地を統べる大貴族。

 伝統的な術師たちを束ねるギルド長でもある彼は、見上げるほどの長身に、西側出身者特有の褐色肌と鋭い黄金の瞳を備えていた。

 その威風堂々たる佇まいは、まるで王に謁見しているかのような緊張感を室内に生み出す。


「ここに用があったゆえ顔を出してみれば……なるほど。これが貴様の作ったものか」


「……はい」


 すべてを見透かされるようなラムセス侯爵の眼光に射抜かれ、アランはただ、身体を硬くするしかなかった。


「これは、それほど凄いものなのですか?」


 エルンの問いに、ラムセス侯爵はシートを光に透かしながら答えた。


「商売人からすれば、ただの便利な道具に過ぎんだろう。だが、錬金術師としては、この一点のムラもない出来栄えを高く評価せざるを得ん……流石は、バラケルルスの弟子だな」


「え? 師匠のことを、ご存じなのですか?」


 ラムセス侯爵に腕を認められたこと以上に、アランは驚愕した。

 名誉男爵に過ぎなかった亡き師匠、エミリア・バラケルルスと、国を代表する大貴族であるラムセス侯爵。その二人の接点が、アランにはどうしても結びつかなかった。


「あ奴は、余が直々にポストを用意して勧誘したにもかかわらず、それに応じなかった唯一の錬金術師だ」


「……いかにもエミリアらしいわね」


 侯爵の言葉に、エルンとアランは思わず納得してしまった。

 いかなる権威にも縛られず、己の道を行くのが彼女という人間だった。


「錬金術の腕を磨くと言って世界中を放浪していたあ奴が、この国で弟子を育てていたとは……。再会した当時は心底驚かされたものだ」


 ラムセス侯爵は昔を懐かしむように、アランにどこか親近感を抱かせる柔和な表情を見せた。

 だが、その視線が手元の銀色に落ちると、再び鋭いものへと戻る。


「それより、これに使った素材は『月光蝶(ルナバタフライ)』だな」


「はい」


「……当面、月光蝶は使わない方がいい。これには極度の魔力消費だけでなく、強力な幻覚作用による悪夢の後遺症がある」


 侯爵の指摘に、アランは昨夜の記憶を呼び起こした。

 はっきりとした夢の内容は思い出せないが、目覚めた時のあのただ事ではない疲労感と、脳裏にこびり付いた暗黒のイメージ。あれこそが後遺症だったのだ。


月光蝶(ルナバタフライ)の鱗粉は、この国では貴族向けの高級な鏡に使われる。姿見を一枚作るのに、大さじ半分もあれば十分なほど強力な素材だ」


「アラン、あなたはどれくらい使ったの?」


「……広口の器に、一杯分ほどを」


 アランの答えに、その場の空気が凍りついた。


「優れた魔力特性を持つ素材による事故は、後を絶たん。そのような危険物を扱う際は、決して一人で行ってはならない……エミリアからは教わっていなかったのか」


「はい……それを教わる前に、彼女は天へと旅立ってしまいましたから」


 危険な錬成をエミリアはアランやエレナを一度も見せなかった。

 既に涼しげな態度で失敗が存在しないように振る舞った。

 エミリアが隠れて行っていた領域を弟子に一度も見せることなく天に旅立った

 アランの寂しげな答えに、侯爵は小さく溜息をついた。


「安全を期すならば、しかるべき錬金術師ギルドに所属させるべきだろうな」


「侯爵、どこか推薦していただける場所はありませんか?」


 エルンの問いに、侯爵は苦い顔で首を振った。


「難しいな。余の推薦など、通達というよりは半ば命令になってしまう……それでは、あ奴の弟子を縛ることになりかねん」


「ラムセス侯爵。そろそろ時間です」


「そうか……とりあえずこの件についてはオイコット子爵にて箝口令を敷いておけ。生産が目途が立たないものを目立たせるわけにはいかん」


 嵐のような圧を放っていたラムセス侯爵が去り、応接室に静寂が戻った。

 高貴な者との対峙は、アランが思っていた以上にその神経を削っていたらしい。

 緊張の糸が切れた瞬間、どっと重い疲労が押し寄せてきた。

 アランは行儀悪くソファーに深く身体を沈め、天を仰いだ。


「……で、なんであんなに呆気なく侯爵様なんて連れてくるんですか」


 絞り出すようなアランの問いに、エルンは対面の椅子に腰掛け、優雅に茶を啜った。


「あら、言わなかったかしら。私も西側の貴族なのよ。あちら側の人間は、血縁や地縁の『繋がり』を何より大事にするわ……ちょうど彼が王都に来ていたっていう幸運もあったけれど」


「……なんですかそれ、理由になってませんよ……」


「……それよりも、まだお母様とは連絡が取れるのかしら?」


 エルンがアランに問いかけたのは、彼の血の繋がった実母のことだった。


「ええ。五十ヶ諸島の最果てにいらっしゃいますからね。たまに手紙を出す程度ではありますが、交流は続いていますよ」


 アランを産んだことで娼館にいられなくなった母を、ある豪商の好々爺が身請けしてくれたのだ。彼女は現在、その家で孫の乳母として雇われ、穏やかに暮らしている。

 アラン自身、形の上ではエミリアの養子に出された身だが、その実態は「内弟子」として拾われたに等しい。物理的な距離ゆえに頻繁に会うことは叶わないが、母子の絆は今も切れていなかった。


「乳母としての役目がある方ですからね。こちらの下町に呼ぶわけにはいきませんよ」


「そう。だったら、あなたもエミリアのように弟子を取るか……いっそのこと、妻を娶るという方法もあるわよ」


「……自分が錬金術に没頭したいからなんて、そんな勝手な理由で誰かの人生を縛るような真似、失礼すぎて出来ませんよ」


 アランが即座に否定すると、エルンは「そうね」と小さく微笑んだ。


「でも、いつか真剣に考えておいた方がいいわよ」


 アランを見つめる彼女の瞳は、どこか不思議な光を宿していた。

 かつて自分を導いてくれた師エミリアと、遠くで自分を案じ続ける実の母。

 その二人の面影が重なるような、温かくも切ない表情だった。

 

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