ブタネコと歩きキノコ討伐任務
アルスマグナ軍・第四師団は、元は女性の志願兵によって編成された部隊である。
戦時下において自ら武器を手に取った女性たちの歴史に端を発し、現在でも魔物の動向を観測・追跡する斥候部隊として第一線で活動を続けている。
この部隊には、男性にも引けを取らぬ活躍を見せる「最強の女性」がいる。王城に勤める隊員たちが、酒の席でこぞって口にする語り草があった。
筆頭として最強候補の名に挙がるのは、第四師団長マルセン・ヴィクトルだろう。
燃えるような赤髪をなびかせた彼女は、王族の血を引く侯爵夫人でありながら、王族へ武術を指南する大役を担っている。
華やかなキトンを鎧へと着替え、魔槍『ブリュンヒルデ』を振るって戦場を無双する姿は、王城に務める女性たちの憧れの的であった。
次に名が挙がるのは、副隊長のアナスタシア・アルビスだ。
北の国の血を引く優れた上級魔導師で、透き通るような銀髪に白い肌、そして鋭い青い瞳を持つ。
その氷魔法の腕前から『零度の女王』と称えられ、彼女が魔力を解放すれば灼熱の砂漠すら凍りつくとまで言われている。
三人目については、状況によって諸説唱えられたり頻繁に名が変わったりもするが、今、最も有力な最強候補として語られるのは少尉ヒッポリュテ・アルトスだ。
弓を取れば千歩先の獲物も逃さぬ狩人、斧を振るえば巨大な魔物すら一撃で両断する剛の者。
軽快なキトン姿に燃えるような赤髪、そして鋭い金色の瞳を輝かせるその姿は、神話に語り継がれる伝説の女性戦士団『アマゾネス』の再来であると噂されている。
アルトス家は、侯爵家であるアレス家から分家し、独立した子爵家である。
現当主であるヒッポリュテの父は、軍において凄まじい功績を上げ、一代で子爵まで成り上がった。それゆえ、歴史ある門閥貴族からは「血濡れの家」と忌避されているが、その圧倒的な武力と献身的な功績により、国民からは英雄として熱狂的な支持を得ていた。
ヒッポリュテはその父の苛烈な血を色濃く引き継いでいる。彼女もまた遠くない将来、佐官の地位を得て一軍を率い、アルトス家の名をさらに高めるだろうと噂されていた。
「いたぞ、あれが通達のあった『ブタネコ』か」
斥候の視線の先にいたのは、肥え太った豚のような身体をした猫の魔物だった。
ふてぶてしい面に、だるんだるんの脂肪に包まれたその巨体は、見るからに卑しさを表している。
ブタネコと呼ばれるその魔物は、図々しい性格で他所の動物の住処を荒らしては餌を漁る、食欲の塊だ。食べ過ぎる子供に対して「ブタネコになるよ」と戒めるのは、この国ではよくある言い草であった。
「討伐理由は、近辺の果樹園を荒らしたからだったか?」
「人間の食べ物の味を知った魔物は、生かしておけない決まりだからな」
以前、オレンジを満載した馬車が横転する事故があった。
その時、こぼれ落ちた実の味を覚えたブタネコが、今や果樹園を根こそぎ食い尽くそうと現れたのだ。
「一際肥えている個体は、街の雌猫を攫ってハーレムを作ろうとすることもあるらしい」
「……いろんな意味で女の敵ね!」
魔物討伐部隊である第三師団と合流し、いよいよブタネコの討伐にかかる。
相手は猫の魔物だけあって動きが速く、身のこなしも非常に巧みだ。
特にその体重を活かしたボディープレスは強烈で、まさに「体操選手並みの身軽さを備えた相撲取り」が降ってくるような脅威があった。
「来るぞ! ――どおっ! く、重てぇ……!」
「その腹に鉱石でも詰め込んでるのかい!」
「重い、重すぎる!」
「ハイズ・トーン(耐衝撃姿勢)!」
ボディープレスを受け止めるには、盾だけでなくクッション材を噛ませ、足を踏ん張って衝撃を地面へと逃がさなければならない。
まともに直撃を食らえば、全身の骨が砕けると言われる一撃だ。
「はぁっ!!」
第三師団の重装歩兵たちが必死にプレスを凌いでいる隙を突いて、ヒッポリュテの放った矢がブタネコの急所を正確に射抜いた。
一気に力を失った巨体は、盾持ちたちを巻き込むようにして地面へと崩れ落ちた。
「お~い、大丈夫か?」
「……あぁ、生きてる。だが、腹が柔らかくて気持ち良いのが……余計に腹立つぜ」
戦いは終わり、負傷者もなく任務を遂行できたことで、辺りには和やかな空気が流れていた。
果樹園のある村からは、感謝の印として箱いっぱいのオレンジと果実酒が贈られた。
第三師団と第四師団の面々は、焚き火を囲んでその瑞々しい果実と酒を堪能している。
「携帯食料だけでは味気ないから、こういう差し入れは本当に助かるわね」
「全くだ。……贅沢を言えば、肉でもあれば最高だったがな」
見張り役を務める、褐色肌のメタと獅子の耳尾を持つ獣人のアタランタ。
二人がオレンジを片手に周囲へ視線を走らせると、不意に茂みを揺らす不審な音が聞こえた。
即座に弓を構え、音の主を凝視した先にいたのは――キノコだった。
「『歩きキノコ』か」
その名の通り、自立歩行するキノコの魔物である。
胞子を撒き散らして同胞を増やしながら、より良い生育環境を求めて彷徨う、生態系における厄介者だ。
「……たくさん出てきたな」
歩きキノコは群れを成して行軍する。
辺り一帯を胞子まみれにする彼らは、衛生的にも非常に迷惑な存在であった。
「なんだ、毒キノコか。どうせなら、さっきのブタネコにでも食われていればよかったものを」
「まったくだわ。空腹の時に現れて、余計な仕事を残してくれるなんて」
音を聞きつけて集まってきた第三師団の隊員たちも、一斉に苦言を呈する。
食べられる種類ならまだしも、現れたのはその大半が毒を持つ個体ばかりだったからだ。
歩きキノコたちに感情はないはずだが、戦士たちの殺気を感じ取ったのか、その傘を小刻みに震わせている。
その時、鋭利な氷柱が空を切り、先頭のキノコを無慈悲に貫いた。
「私、キノコ嫌いなんです」
『零度の女王』アナスタシアが放ったその一言が、開戦の合図となった。
「オラァ! キノコ狩りじゃ!!」
「おい、胞子を吸い込まないよう気をつけろよ!」
「あ、副隊長! ポルチーニ種が混じってます! それだけは残しておいてください!」
無慈悲な氷魔法の嵐の中、隊員たちは慌てて食材の確保と殲滅作業に奔走し始めた。
一方、静かなテント内では……。
「……何かあったのか?」
「は。歩きキノコの群れと遭遇したようですが、すぐに片付くかと」
「そうか」
隊長のマルセンは、騒がしい外の様子を気にする風もなく、泰然と椅子に腰掛けていた。
今、外でキノコたちに対する苛烈な殲滅作戦が行われているとは、露ほども感じさせない静寂がそこにはあった。
「モスモスというのは、案外毒を持っていない種類が多くてな……」
「なるほど、参考になります……」
テントの中、ヒッポリュテは魔物に詳しい隊員の話を熱心に聞き入っていた。
「ヒッポリュテも変わりましたね。以前の彼女なら、あんな風に自ら教えを乞う姿など想像もできませんでしたよ」
その様子を眺めながら、部下の一人が漏らす。
幼い頃から、ヒッポリュテは貴族社会の中でも浮いた存在だった。
成り上がりの「血濡れのアルトス家」の令嬢として周囲から遠巻きにされ、孤独を強いられてきた。
その疎外感は軍に入っても消えず、彼女はただ一匹狼として、淡々と魔物を狩り続ける機械のような戦士だったのだ。
転機となったのは、大猪討伐の際に崖から転落し、行方不明になったあの日だった。
絶望視されていたヒッポリュテは、意外にも大きな傷もなく帰還した。
彼女は「誰かに助けられた」とだけ語り、その日を境に別人のような柔軟さを見せ始めた。
仲間と積極的に連携を取り、共に過酷な訓練に励み、軍の錬金術師を訪ねては装備の相談をする。
今のように、他人の専門知識に耳を傾けることさえ、今の彼女にとってはごく自然な日常となっていた。
「これからが楽しみだ」
師団長マルセンの目から見て、かつての彼女は優秀だが、どこか戦場に死に場所を求めているような危うさがあった。
「女だから」という侮りを撥ね除けるために無理をする隊員は多いが、彼女はそれ以上に無茶な戦い方を繰り返していた。
だが、今の彼女の瞳に絶望の色はない。
柔軟な思考を身につけ、いずれは優れた司令官へと成長しようとする。
そんな意志の強さが、今のヒッポリュテには宿っていた。




