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保温ボックスの試行錯誤

 錬金術において、今もっとも注目されている領域は「配合」である。

 他国から多種多様な素材が流入する現代において、既存の錬成物に新たな素材を配合し、全く別の機能を付与する技術は日々進化を遂げている。

 廉価版の水精霊鋼(ウンディーネメタル)が普及したのも、配合の妙によるコストダウンの賜物だ。


 今回アランが挑むのは、段ボール(ハニカムシェル)の抜本的な改良。

 既にある形をより丈夫にし、付与魔術を加え、形状を整えるのは魔導師の領分だ。

 対して、錬金術師の本分とは、この世になかった「新しい価値」を創造することにある。


 取り組む課題は、配合によって劇的な新機能を付加すること。

 例えば、前世に存在した「温かい料理を温かいまま運ぶ」手法や、「魚や野菜を傷めぬよう冷温を保って運ぶ」仕組み。正直なところ、箱一つでそれを実現するのは、この世界における純然たるファンタジーの領域だ。

 前世の科学知識という固定観念に引きずられがちなアランにとっては、少々苦手な部類と言えた。


 それでも改良に乗り出したのは、ヒッポリュテとの交流を通じて芽生えた、使う者の身に寄り添うという決意ゆえ。

 そして、エレナが作り上げた風精霊硝子(シルフガラス)への強い対抗心もあった。

 ライバルに遅れを取りたくないという想いは、アランの中にも確かに存在したのだ。


 ここからは前世の知識をなぞるだけではない。真にファンタジーらしい、この世界ならではの傑作を作り上げる。

 それは、アランが新たな領域へと足を踏み出すための、静かなる宣誓だった。


「どのアプローチから攻めるか、とりあえずロードマップを作るか」


 【次世代型段ボール(ハニカムシェル)開発メモ】

 1. 現行モデルの分析と優位性

 コスト: 紙の普及に伴い原材料費が安価。

 構造: 前世譲りのハニカム構造は軽量ながら堅牢で、輸送用資材として極めて優秀。

 拡張性: 魔導師の付与・成形魔法を組み合わせることで、折り畳み等の高度な機能付与が可能。

 収益モデル: 大量生産を前提とした薄利多売方式。


 2. 現状の課題と難点

 耐性不足: 素材が紙であるため、水濡れや火気に弱い。

 耐久性: 木箱や鉄箱といった従来の輸送具に比べ、耐用年数が短い。


 3. 改良目標と追加機能

 恒温機能の導入: 内部に熱気や冷気を封じ込める配合を見つけ、温冷両方の輸送を可能にする。

 機能の底上げ: 配合の変更による撥水・耐火性能の付与。

 収益性の向上: 単なる消耗品ではなく、高付加価値を付けた「高級ライン」としての市場開拓。


 4. 完成品イメージ

 ――「魔法袋要らずの、恒温輸送ユニット」。

 平民や一般兵士の手が届く価格でありながら、過酷な環境下でも中身を最適な状態で維持できる、

 ファンタジーのことわりを組み込んだ魔法の箱。


「――って、これじゃまるでマジックボックスだな。マジック……魔法……。ん? そうか、魔法瓶か!」


 魔法瓶。

 内瓶と外瓶の間の空気を抜き、真空層を作ることで「伝導」と「対流」による熱の移動を遮断する水筒のことだ。前世では、ハニカム構造の段ボールに真空技術を組み合わせた超高性能な断熱材も存在していた。


 アランは机に広げた図面にペンを走らせながら、科学の理と魔法の素材を繋ぎ合わせるための「最適解」を探り始めた。


 その時、屋敷の来訪者を告げる音鳴石(サウンドストーン)が澄んだ音を鳴らした。

 だが、研究に没頭するアランが気づく様子は微塵もなかったため、代わりにホテプが扉の方へと向かって行った。

 玄関に着いたホテプは、長くしなやかな尻尾を伸ばして器用に鍵を開けると、ドアノブをひねり、小さな体で扉を勢いよく押し開いた。


「おやおや! ホテプが自ら出迎えてくれるとは、今日はなんと縁起の良い日じゃ! 律儀なことじゃのう」


 屋敷に現れたのは、大きな三角帽子を被り、自然に溶け込むような色合いのワンピースを纏った魔導師のミントだった。

 彼女は相変わらずの魔女然とした出で立ちで、部屋中に響き渡るような高い声を上げながら、嵐のごとき勢いで工房へと踏み込んできた。


「さてさて! アランは一体全体、何を作っておるんじゃ? 見せてみい!」


 ミントは足元にいたホテプをひょいと抱え上げ、工房の中を興味深そうに覗き込んだ。アランの作業台の上には、これまでのものとは一線を画す形状の箱が置かれていた。

 段ボール(ハニカムシェル)の天面は隙間なく一体化した形へと改良され、その縁には気密性を高めるためのパッキンが、まるで吸い付くように取り付けられていた。


「なんだ、来ていたのか」


「来たら悪いのかや? 儂らの仲じゃ、そんな堅苦しいことは気にせぬぞよ、カカカ!」


「まあそうなんだけどさ……。これでも婚約破棄されたばかりなんだ。新しい女を連れ込んでいるなんて噂されたら、俺の立場がないだろ」


「なに、黒猫を連れた魔女とお似合いの男……という噂なら、むしろ箔がつこうものじゃろ?」


「なんでホテプが主役なんだよ。俺の心配をしてくれ」


「ふむ、ならばその気にさせてやろうかや?」


「……どの気だよ」


 アランが呆れたようにため息をつきつつ、漫才のようなやり取りを切り上げて、試作中の箱をミントに見せた。

 ミントが身を乗り出して覗き込むと、箱の前面には、先ほどまではなかった鈍い輝きを放つ銀の板が貼り付けられていた。


「なんぞや、これは」


「パッキンで密閉して空気の対流を防ぎ、気密性を保持する。そしてこの銀の鏡面で、内側から逃げようとする熱を放射反射させて中に戻すんだ。そうすれば、内部の温度を長時間保つことができる」


「ほう! そんなものが完成すれば、運送ギルドの連中が泣いて喜びそうじゃのう!」


「だが、俺の成形魔法ではどうしても細かな隙間ができてうまくいかない。ミント、お前の魔力で継ぎ目をなくして、これを完全に一つの『器』にしてくれないか」


「そんなの、儂にかかればちょちょいのぷいじゃよ!」


 ミントが杖を軽く振って成形魔法をかけると、段ボール(ハニカムシェル)の継ぎ目が溶け合うように消失していった。それはもはや紙を繋ぎ合わせた箱ではなく、魔法の理によって一つの命を吹き込まれた、完璧な「器」へと変貌を遂げた。


「どれどれ、見てみようじゃないか」


 ミントが蓋を開けると、パッキンが「キュポッ」と小気味よい音を鳴らした。

 箱の内側は一面が鏡面となっており、段ボール(ハニカムシェル)の層に守られた銀の空間が完成していた。


「……あっ、なんで作る前に気づかなかったんだ」


「なんぞや、儂の魔法がダメだったかのう?」


「いや、この構造で食材を運ぶとなると、中身がぐちゃぐちゃになってしまう。銀の板じゃ硬いし」


「あー、確かに。こんな銀の箱のままじゃ、トマトなんて運んだらぐっちゃぐちゃの大惨事じゃな、ならば側面だけに貼れば良いのではないか? あとは運ぶ者が気をつければ済む話じゃろ」


「いや、段ボール(ハニカムシェル)は多孔質――つまり、目に見えない微細な穴から空気が入り込んでしまう。中を真空にしようとしても、外から空気が漏れ入って、すぐに断熱性能が失われてしまう」


「ふむ、まぁ紙じゃからな。今は銀の板が支えになっておるが、それがなければ外気圧に耐えきれず、一瞬でクシャリと潰れてしまうわい」


 アランは悔しさを噛み締めながら、次なる課題をノートに書き出した。


【次世代型段ボール(ハニカムシェル)・開発課題】

 外殻と内部ユニットに適した複合素材の選定。

 衝撃から内容物を保護する、断熱性を損なわない緩衝材の開発。

 気圧差による損壊を防ぐための、構造力学的な補強。


「前途多難じゃのう、これは」


「そうだな。……ってかミント、お前は一体何しに来たんだ?」


 アランの問いに、ミントはいつもの浮ついた空気を消し、珍しく真剣な、底知れない魔導師の表情を浮かべた。


「ヌシじゃろ。軍隊の連中に、儂らが開発した段ボール(ハニカムシェル)の家具キットを教えたのは」


「隠すようなことじゃないだろ。もう一般に発売されてるもんだしな。っていうか、どこでそれを知ったんだ?」


「 魔女の情報収集術を甘く見るでないわ。本気を出せば、乙女の秘密から秘境の隠れ湯まで、何もかも丸裸なのじゃよ!」


 言い方は相変わらずトンチキだが、彼女の情報収集能力が高いのは紛れもない事実だ。

 実際、どこで仕入れたのかも分からない機密まで、彼女は平然と掴んでいることがある。


「それよりも! 儂から素材を融通してもらっておきながら、この儂を忙しさで圧死させようとは、まさに飼い猫に手を噛まれた気分じゃわい!」


「飼い犬だろ……で、なんだ。軍から無茶な要求でもされてるのか?」


「甘く見るでない! 確かに『鎧を着た大男が座っても壊れぬようにしろ』だの『今すぐこれまでの倍の数を用意しろ』だのと言われたが、そんなものは儂にかかれば無茶でもなんでもない!」


「だったら何をそんなに怒ってるんだよ」


「ヌシのせいで! 儂の大事な、大事な昼寝タイムが消滅してしまったんじゃぞ! いくら作っても作っても、母様が儂を叩き起こしては『あれを作れこれを作れ』と急かしてくるのじゃ。それもこれも、ヌシが軍隊の女少尉に鼻の下を伸ばして、あんな余計な提案をしたからじゃろ!」


「……鼻の下なんか、伸ばしてないっての!」


 その時、再び音鳴石(サウンドストーン)が鳴り響いた。

 嫌な予感がする。……おそらく、これが世に言う『フラグ』というやつだろう。

 案の定、またしてもホテプが器用にドアを開け、一人の来訪者を招き入れた。


「貴女こそ、男の子と会うためにこんな所までやってくる時間があるのなら、やるべき仕事も残っているはずよね?」


「ヒィィッ! 母様!?」


 そこに立っていたのは、ミントの母、チェコ・マルハだった。

 妖艶な魔女の雰囲気を纏ったその女性は、ミントの師であり、かつてアランの師匠であるエミリアとは学院時代からの友人にして仕事上の相棒でもあった。

 チェコはミントの首根っこを無造作に掴み上げると、娘の悲鳴を無視して、嵐のように工房から去って行った。


「まったく……。よくやった、ホテプ」


「いあ、いあ!」


 アランがホテプを持ち上げると、得意げに喉を鳴らすそのぷにぷにとした感触から、一つの閃きが脳裏をよぎった。


「そうだ、外側を柔軟な素材で作ればいいんだ。土精霊砂(ノームサンド)なら、配合次第で衝撃を逃がしつつ気密性を保てる素材が作れるかもしれない。よし、さっそく試して……」


 アランが新たな素材錬成に取り掛かろうとしたその時。ホテプがカリカリの袋を咥えてきて、「飯の時間だ」と激しくアピールし始めた。


「……まあ、そう焦ることもないか」

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