99 予定にない来訪者
文官仕事を終えて帰宅すると、裏通りの玄関の前、街灯の下に見覚えのある馬車が停まっていた。
「……?」
一旦足を止め、軽く魔力で探る。どうやら御者も馬車の中にいるのも、知り合いだ。知り合いだが──
「こんばんは、セラフィナ様」
「ええと…こんばんは?」
敵意や害意や罠の類はないようなので、仕方なくそのまま近付くと、男が御者台から石畳に降り立った。適当そうな足取りだが、着地音がほとんどしない。
「確か…エッジ、でしたっけ」
「覚えておいででしたか」
穏やかな顔が、嬉しそうに綻ぶ。
領主直下の特殊部隊員の一人、通称『エッジ』。一見するとごくごく普通の中年男性のような容貌だが、細身の身体は鍛え上げられていて隙がない。なお、それを私が認識できるようになったのは身体を鍛え始めてからだ。
「この場所まで送ってきてもらいましたからね」
私が肩を竦めると、エッジが少々気まずそうに苦笑する。
「その節は、ご迷惑を」
「いえ、助かりました。──ちゃんと言ってなかったですよね。あの時はありがとうございました」
秋の事件の後、眠ることができずにいた私は、領主館の代筆課の同僚アナスタシアに「このままじゃ倒れる、仕事してないで帰れ」と怒られ、真っ昼間に領主館を追い出された。
自分で歩いて帰れると高を括っていたものの、実際には徒歩で帰るのも困難で──そんな時に、特殊部隊相談役のポーラに声を掛けられ、このエッジが御者を務める馬車で家の前まで送ってもらった。今まさにその場所に停まっている馬車は、その時と同じものだ。
私が頭を下げると、エッジは緩く首を横に振る。
「いえ、仕事ですから、どうかお気になさらず」
その視線が、ちらりと馬車の方を向く。明らかに、馬車の中からの熱視線を意識した動作だ。正直私も落ち着かない。
「…今日も、仕事で?」
「…ええ、まあ……」
何とも歯切れが悪い。本人もそのことに気付いたらしく、エッジはコホンと咳払いして続ける。
「厳密には、本日の私は護衛でして。護衛対象の御方が、どうしても貴女にお会いしたいと……お疲れのところ申し訳ありませんが、お時間をいただけないでしょうか?」
「それは構いませんが…」
馬車の中の人物には心当たりがある。が、訪問理由に心当たりはない。
私が首を傾げつつも頷くと、エッジはあからさまに肩の力を抜いた。
「ありがとうございます。よろしければ、馬車の中でご歓談いただけますでしょうか。適当なルートで馬車を走らせて、ここに戻ってまいりますので」
なるほど、他の者には聞かれたくない会話か。
しかし…
「…話をするなら、ウチの中でお願いできますか?」
「え…いやしかし、それは」
「まあ狭いですけど。──あ」
薄く広く展開していた魔力の探査網に、馴染みのある気配が引っ掛かった。狼狽えるエッジから視線を外して振り返ると、路地の向こうから予想通りの人物が歩いて来るのが見えた。
「…何してるんだ、こんなところで」
「おかえり、ルーカス」
「ああ、ただいま」
眉をひそめながら私の挨拶に応じたルーカスが、ごく自然な動きで私の肩を抱き、自分の方へ引き寄せる。ガタッと馬車の扉が揺れた。
「…あれは」
「今は突っ込まないであげてルーカス」
ルーカスの目に呆れが浮かぶ。多分、馬車の中にいるのが誰か、気付いたのだろう。こちらから中の様子ははっきりとはうかがえないが、窓のカーテンが細く開けられていた。
「──で、何の用だ」
ルーカスに睨みつけられ、エッジがぎくしゃくとした動きで目を逸らした。ルーカスには知られたくなかったらしいが、もう遅い。
「馬車の中の人が、私と話をしたいんだって。で、馬車の中でって言われたから、よかったらウチでって提案したところ」
「………お前な。ろくに知りもしない人間を安易に自宅に招くな」
「知らない相手ってわけじゃないし、素直に馬車に乗るよりはマシだと思うけど」
以前、ポーラとエッジに馬車で送り届けられたことを報告した時、ウィッカは呆れただけだったが、後にそれを知ったルーカスとパイソン──医師のパスカル・ギャレットには「迂闊に馬車に乗るな」と怒られた。そのまま知らない場所に連れ去られるリスクがあるからだ。
以来、一応、気を付けるようにはしている。
今回のケースでは、馬車に乗るより部屋に招き入れた方が安全なはずだ。
私にとっては至極当然の帰結だったのだが、ルーカスは苦虫を噛み潰したような表情になった。
「…一人暮らしの未婚女性が成人男性を自宅の中に招待する、という構図に関しては何とも思わないのか?」
「………あっ」
言われて気付いた。私は馬車の中の人物について言及したつもりだったが、私とエッジのやり取りだけだと、確かにそういう風にも見える。
私がぴたりと動きを止めると、ルーカスが溜息をつき、エッジが苦笑した。
「もう少し危機感を持て」
「僭越ながら、私もそう思います」
「……ごめんなさい」
こればかりは謝るしかない。実情はともかく、対外的にどう見えるかまで考えなければいけないのは正直大変面倒だが。
「…お前反省してないだろ」
「し、してなくはないよ! 面倒だとは心の底から思ってるけど!」
瞬時に半眼になるルーカスに、言い訳半分、本音半分で応じる。ルーカスはスッと目を逸らした。
「……まあ面倒なのは否定しない」
ブフッ! とエッジが吹き出しそうになっていたが、気付かないふりをしておく。
「──とにかく、部屋に招き入れるのはナシだ。特にこちら側から入れるのは」
「あー…じゃあ反対側からウチの1階に入ってもらうなら許容範囲? 1階は生活空間じゃないし、応接用のソファーもあるし」
「…そうだな」
代替案を提示すると、ルーカスは表情を改めた。
私の家もルーカスの家も、1階と2階、両方に入口がある。こちら側から入れるのは2階の居住区画。反対側から入れるのは、1階の工房兼応接区画だ。
1階の応接区画は来客を前提としているので、それなりに片付いているし生活感もない。何より、ちゃんとしたソファーがある。
馬車の中の人物が予想通りなら、ソファーの格は明らかに不足しているが…そこは平民の家ということで許容してもらおう。




