94 お礼の焼き菓子
改めてクローゼットをひっくり返したところで、気の利いた服など出てくるはずもなかった。
色々と諦めて、私はタートルネックのニットと厚手のパンツに着替える。
一応、『月の雫』に出向く時にも着られるよう、それなりの店で揃えた服だ。汚すと困るので、その上から部屋着用の大きめのカーディガンを羽織る。
秋冬用でこれ以外にマトモな服となると、文官仕事の時に着ていくものくらいしかない。仕事着なので、当然色気も可愛げも皆無だ。我ながら、改めて見ると泣けてくる。
クローゼットの一番端、専用のカバーで覆って吊り下げられている昨日のワンピースとジャケットだけが輝いて見えて、私はそっとクローゼットの扉を閉めた。
何というか、こう…もうちょっと気を遣うべきなんだろうか。今更だけど。
昨日会ったクレメンティ侯爵家の女性陣の姿とアイリーンの苦言を思い出し、そんなことを考える。
ロザリンドたちは、間違いなく、文句のつけようもなく、美人だ。だがそれは素材が良いだけではなく、普段からきちんと指先まで手入れをして、所作や服装にも細心の注意を払った結果なのだろう。
エールが並々と入ったジョッキをあおるレティシアでさえ、動作自体は上品だった。信じられない話だが。
ルーカスは、兄ユージーンが家督を継いだら家から籍を抜いて平民になるつもりだと言っていた。だが昨日、そう簡単な話でもないことを知った。
ルーカスはイーリス、私はアウルム、いずれも希少な魔力型。そして2人とも、名持ちの狩人になれる程度には魔法に長け、魔力量も多い。
現実的には、分家になるか全く別の家を立てるか──いずれにせよ何かしらの爵位を得て独立する、そのあたりが落としどころだとロザリンドは教えてくれた。実際話を聞いて、私もそう思った。
そうなると、いやもう現時点で既に、私も貴族社会に片足を突っ込んでいることになる。ということは見た目にも言動にも気を遣わなければいけないわけで──正直、気が重い。
だが、私が中途半端なせいでルーカスが侮られるのは絶対に嫌だし、隣に立つのに相応しくないと断じられるのもご免だ。
《あら、その服にしたのね》
リビングに出ると、丸椅子の上のウィッカが片耳を伏せた。変わり映えがしないと言外に指摘されているのを理解して、私はそっと目を逸らす。
「…これが一番マトモだったんだよ…」
《まあそうでしょうけど》
そこで同意されるのもそれはそれでつらい。
テーブルの上には、スクランブルエッグとトースト、レタスとトマトのサラダが並んでいた。ルーカスがフライパンを持ってきて、スクランブルエッグの横にウインナーを追加する。
「トーストはジャムとバターでいいか?」
「うん、ありがと。飲み物用意するけど──いつもの紅茶でいい?」
「ああ」
食卓に次々食器を追加し、最後にウィッカの前にスクランブルエッグと茹でササミのスープを置いて、席につく。
食事を摂りながら話題に上るのは、今日の予定だ。
「午前中に『月の雫』に行って納品だけど、その前に焼き菓子のお店に寄りたくて」
「ああ…昨日のお礼か?」
「うん。せっかくアイリーンに会うし」
理解が早い。私が頷くと、ウィッカがぺろりと口元を舌で拭った。
《なら、ちゃんと服飾品店の方に直接お礼言いに行きなさいよ。で、ついでに普段着でも見繕ってもらいなさいな》
「え? あそこ裕福層と貴族御用達だよ!?」
《だから丁度いいんじゃないの。その店にはなくても、合いそうな服を扱ってる系列店を紹介してくれるだろうし》
「なるほど、その手があったか」
何故かルーカスが乗り気になっている。私がキョドっていると、ウィッカがじろりと私を睨んだ。
《貴女、最後に自分で服を買ったのはいつか、憶えてる?》
「ええと………あれ?」
訊かれて気付く。
少なくともここ1年ばかり、個人的に服を買いに行った記憶がない。
昨日の衣装一式はルーカスがプレゼントしてくれたものだからカウントには入らないだろう。となると──
「……1年位前に、冬用のコートを買ったのが最後?」
首を傾げながら呟くと、ルーカスが妙な顔で固まり、ウィッカが溜息をついた。
《それは通勤用の、何の面白みもないやつでしょ。その前は?》
「…1年半前に作業用の上下を買ったような」
《それもある意味仕事用でしょうが!》
ウィッカがびたんと尻尾をクッションに叩きつけた。
《体格がそれほど変わらないからって、貴女適当過ぎなのよ! 服の型も大体一緒だし、髪型もほとんど変えないし!》
「だってその方が楽だから」
文官仕事の時はブラウスにカーディガンにスラックスまたはロングスカート、低い位置でまとめたひっつめ髪。
家では上半身が半袖シャツかシンプルなカットソーに変わり、髪はローポニー。
外に出る時はその上にパーカーやジャケットを羽織るくらい。簡単で分かりやすくて実にいい。
《それを貫き通した結果、今困ってるんでしょうが。バレバレよ》
「うっ」
ウィッカの突っ込みが痛い。
「…そんなに買わないのか、服」
ルーカスがぼそりと呟いたので、すかさず訊いてみる。
「じゃあルーカスが最後に私服買ったのっていつ? …まあ既製品じゃなくて、仕立てたのかも知れないけど」
ルーカスの服は、シンプルだが見るからに仕立ての良いものが多い。寝間着にしている黒いシャツでさえ、縫い目がきっちり整っている。
ただし、変わり映えしないという点では私といい勝負である。多分、季節ごとに4パターンくらいしかないのではなかろうか。
そんな疑念を抱きつつの問いに、ルーカスは首を傾げ、
「……2年くらい前か?」
「一緒じゃん!」
私が突っ込んだら、即座にウィッカの念話が飛んだ。
《買う必要がない人と買わない自分を同列に扱わない!》
「…ハイ」
ちゃんと仕立てた服は年単位で着回せて当たり前なのよ! と言われれば、反論の余地などなかった。くそう。
──そんなわけで、今日の予定はあっさりと決まり。
朝食の後、私とルーカスはウィッカに見送られて家を出た。
近所の裏路地でやっている小さな焼き菓子店でお礼のお菓子を見繕い、高級宝飾品店『月の雫』へ向かう。
なお、服飾品店のスタッフにお礼を渡すなら普段からお世話になっている『月の雫』の面々に何も渡さないのはおかしいだろうという話になり、焼き菓子の購入数は当初の予定の倍に増えた。ちなみにアイリーン用はまた別口である。
大きな紙袋2つを、ルーカスが持っている。
店を出る時「半分持つ」と言ったのだが、ルーカスから渡されたのはアイリーン用の小さな袋だけだった。気遣いはとても嬉しい一方、焼き菓子店の店員さんにとてもイイ笑顔で見送られて、ちょっと恥ずかしい。
「こんにちは」
「これはルーカス様、セラフィナ様。いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
私が名前と顔を出して魔鉱細工師だと名乗るようになってから、ルーカスも宝石職人であることを隠さなくなった。『月の雫』の店員とは、もうすっかり顔馴染みだ。年嵩の店員がにこやかに進み出て、すぐ奥へ通してくれる。
応接室では、金髪碧眼の『月の雫』副店長こと私の親友、アイリーンが待っていた。
「いらっしゃい、セラ、ルーカス」
「昨日ぶり、アイリーン」
「昨日は世話になった」
早速お菓子を手渡すと、アイリーンは「気を遣わなくていいのに」と呟きつつも嬉しそうに受け取り──袋に書かれた店名を見て目を見開いた。
「──ってちょっとこれあの「並ばなきゃ買えない」って評判のお店じゃない!」
「そうなの? ウチの近所の裏通りにある小さいお店なんだけど」
以前からちょこちょこ利用していて、店員さんとも顔見知りだ。私の記憶にある限り、特に混雑していたこともない。
首を傾げていると、そうか、とルーカスが呻いた。
「道理で見たことのあるロゴだと…確か中央通りに店があったな」
「そう! それ!」
アイリーンが勢いよく頷いた。どうやら激混みなのは大通りに面した店舗らしい。そちらが本店だろうか。
「そっちは『中央通り店』って差別化されてるからどこかに本店があるはずだって言われてたんだけど…もしかしてその店がそうなのかしら。セラ、場所教えてくれない?」
予想とは逆だった。少し考え、私は首を横に振る。
「ダメ。あそこは自力で見付けた人だけの秘密」
「なんでよ!?」
「みんなが知っちゃったら私が買えなくなるもん。人海戦術が使える人は大通り店で並んで買ってください」
「ケチー!」
アイリーンが抗議の声を上げているが、私は黙秘を貫く。
あのお店は小ぢんまりしていてゆったり買い物ができるのが良いのだ。多分、他のお客さんもそう思っているからこそ口コミで広まらず、あまり知られていないのだろう。
アイリーンはひとしきり騒いだ後、ふう、と溜息をついた。
「全く…貴女ってそういうところあるわよね。気付いたらフラッと変なもの掴んでるっていうか」
「失礼な」
隣でルーカスが深々と頷いているが、突っ込まないでおく。どう考えても私に同意するニュアンスではない。




