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【第2章完結】定時上がりの複業文官~残業しろ? いや、そっちの仕事は副業なので~  作者: 晩夏ノ空
第3章

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92 婚約者の休日


 婚約者の家に挨拶に行った翌日は、休みを取ると相場が決まっている──らしい。


 それを教えてくれたのは、文官として勤める領主館の代筆課の同僚たちだ。

 雑談の中で、ようやくクレメンティ侯爵家に挨拶に行くことになったと話したら、全員の目が一瞬にしてギラつき、翌日は休め、いやむしろ2、3日休めと大変な騒ぎになった。


 よって週明け、黄玉の日の今日は、文官業務も休みである。


「……」


 小さく身じろぎして目を開くと、また布団を頭から被っていた。


 背中に感じる穏やかな鼓動と温かさ。視線を下すと、腹のあたりに細身だが筋肉質な腕が巻きついている。

 身動きが取れないのにかえって安心感があるのは、背後から私を抱き締めているのがルーカスだからだろう。後頭部に感じる吐息が少しくすぐったい。


 秋の一件以降、狩人の同僚であるパイソン──パスカル・ギャレット医師により、私に対するルーカスの『処方』は続いていた。


 というより、この処方が打ち切られる日は来ないのではないだろうか。

 今も定期的に診察を受けているが、その時も私ではなくルーカスの報告とウィッカのメモばかり参考にするし、もはや私個人の感覚はほぼ信用されていない気がする。

 …前に文句を言ったら「前科がありすぎるのが悪い」と全員に怖い顔をされたが。


「……、…」


 ルーカスが呻いて、腕の力を強めた。


 最近気付いたのだが、ルーカスはものすごく寝起きが悪い。そして、起き抜けの言動はまるで覚えていない。例えばこうして私を思い切り抱き締めるのも──


「……ん!?」


 ……うなじとか顎の下とか、あらぬところにキスをしてくるのも、本人には自覚がない、らしい。


 今日は首筋か…!

 背筋がゾクッとする感覚を、軽く手を握り締めて何とか受け流す。その手にするりとルーカスの手が重なった。


「…なにしてるんだ」

「……それはこっちの台詞なんだけど」

「……?」


 相手は明らかに寝ぼけている。その証拠に、首を傾げる気配がする。ぐるんと寝返りを打つと、案の定、どこかぼんやりとした顔が至近距離にあった。


「ルーカス、朝。起きて」

「……まだいい」

「ダメ。今日は『月の雫』に行く約束があるでしょ」

「……」


 半分(まぶた)を閉じたまま、ルーカスが眉をひそめた。

 どう見ても半分寝ているのに腰に回った腕は全く緩まないし私の手を包んだもう片方の手は指を絡めてくる。そして無駄に顔がいい。


「……眠い」


 などと言いつつ、瞼が落ちていく。そこまでは織り込み済み──だったのだが、次の瞬間、私はヒッと悲鳴を上げかけた。


 腰に回されていたルーカスの手が服の裾から器用に入り込み、私の脇腹に直に触れていた。

 そろりと探るように撫で上がってくる指先に、全身がぞくりとする。


 そりゃあ婚約者なのだから、当然そういうこともあるだろう──とは思う。が。


「…ルーカス…っ!?」


 混乱して涙目で見上げた先、ルーカスは完全に目を閉じていた。どう見ても安らかな寝顔、熟睡の様相だ。

 一人で動揺している私は何なんだ。

 瞬時に頭が冷えた。そして──



「──起きろ!!」


「っ!?」



 思い切り伸び上がってガスッとルーカスの顎に頭突きを見舞うと、ようやく拘束が解けた。

 素早くベッドから起き上がり、十分距離を取ってから振り返ると、ルーカスは顎を押さえて呆然としている。

 どうやら──やはり、自覚も記憶もないらしい。


 内心で脱力しつつ、私は無理矢理平然とした表情を作る。


「おはよ、ルーカス」

「…おはよう、セラフィナ」

「私、先に顔洗ってくるから。着替えてて」

「……ああ」


 ルーカスを置いて、寝室を出る。ぱたんとドアを閉めた後、私は頬に熱が集まるのを自覚しつつ、小さく呻いた。


「………びっくりした……」


 それとほぼ同時に寝室で落とされた呟きを、私が知ることはなかった。


「………危なかった……」






 洗面所で顔を洗い、何とか気持ちを切り替えて戻ると、ルーカスは既に着替えてリビングにいた。


《それでルーカス、昨夜の状況は?》


 丸椅子のクッションの上に陣取ったウィッカが目を細める。腕組みしたルーカスは一瞬こちらを見て、眠気など欠片も残っていない顔で応じた。


「夜中に2回、朝方に2回。合計4回だ」

《…増えたわね…》


 ウィッカの前、テーブルの上には日付と数字が並ぶ紙が置かれている。ウィッカが魔法でペンを操り、今日の日付の横に『4』と数字を書き足した。

 つまるところこれは、私が寝ている間にうなされていた回数一覧である。


 ルーカスが添い寝をしてくれる時はルーカスが、それ以外の日はウィッカが、それぞれカウントしている。

 なお私自身の証言が全く、欠片も採用されていない理由はお察しである。…昨夜も全然自覚なかったんだけどな。


 秋の事件直後と比べると悪夢にうなされる回数は格段に減り、夜中に汗だくで飛び起きることもほぼなくなった。

 実際、最近の記録には『0』ばかり並んでいて、たまに『1』と書かれることがある、くらいだったのだが──昨日の日付の横には『2』、今日の日付の横には『4』。

 こうして一覧で見るとよく分かる。言い訳のしようもなく、ウィッカの指摘通り、増えている。


 ルーカスが溜息をついた。


「一昨日は挨拶前で緊張していたせいなんだろうが──昨日は、クロウと父上から直接話を聞いた影響が大きいだろうな」

《話?》

「主犯格の処分の概要と、犯行に至った流れのようなものを、一通り」

《ああ…そういう》


 ウィッカが納得の表情を浮かべ、備考欄にメモを書き足していく。


「…もう大丈夫だと思ったんだけど…許すことはないって、ちゃんと言えたし」


 私が眉を下げて情けなく笑うと、まあそれは進歩なんでしょうけどね、とウィッカがペンを置き、こちらを見た。


《平静を装えるかどうかと実際平気かどうかは関係ないわよ。特に貴女の場合、無駄に(つら)の皮が厚い上に自覚すらないんだから》

「面の皮が厚いって」


 慣用句の使い方を間違っている気がする。

 口を尖らせていたらルーカスが無言で歩み寄ってきて、私の手を取り──速やかにその整った眉間にシワが寄った。


「指先が冷え切ってるぞ」

「え」


 それはついさっき水で顔を洗ったからだと思ったのだが──ぽすんとルーカスの胸板に引き寄せられ、腕の中に収まって、ようやく自覚する。

 背中に回されたルーカスの腕が温かい。指先はおろか、背中まで冷え切っていた。


「無理はするな」

「…ん」


 頬にルーカスの鼓動を感じて、肩の力を抜く。そろりとルーカスの背中に腕を回すと、抱き締める力が柔らかいものに変わった。


「……ありがと、ルーカス」

「ああ」


 そのまま数分。指先に熱が戻ってきてようやく身を離す。


「朝食は用意しておくから、着替えてこい」

「うん」


 何事もなかったように動き出す、その気遣いが嬉しい。


 私は素直に寝室へ向かった。










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