91 カルボナーラ
クレメンティ侯爵家を出て服飾品店で普段着に戻り、化粧を落として髪も戻し、アイリーンをはじめとする店員たちに見送られて、私とルーカスは自宅に戻ってきた。
リビングダイニングの椅子に腰掛けて、私はようやく肩の力を抜く。
「あー………」
背もたれに思い切り体重を預け、天を仰ぐ。いつもの天井の木目が、何だかやけに目に沁みる。
対面のルーカスも似たようなものだ。私ほどではないが椅子に深く腰掛け、安堵だか疲労だか分からない溜息をついている。
《あなたたち、だらけすぎよ。しゃんとしなさい》
ウィッカの苦言が飛んできた。が、当のケットシー様は棚のクッションの上で丸くなっているので、全く説得力がない。
「……だってさぁ……何か、気が抜けちゃって……」
「……同じく」
ルーカスの声にも覇気がない。ルーカスの自宅は隣なのだが、腰を上げる様子もない。
テーブルの上には、見るからに高級そうな紙袋。中には服飾品店から持ち帰った洋服一式が入っている。
ルーカスは本当にお買い上げしていたらしく、見送るアイリーンたちはそれはそれはイイ笑顔だった。…どこに仕舞おうか、これ。
「……そういえばルーカス、この服…」
私が少しだけ上体を戻して呟くと、ああ…とルーカスがこちらを見た。
「対になる服の一着くらい持っておけと、アイリーンたちに勧められてな…迷惑だったか?」
「ううん、嬉しい。けど、お金は…?」
「気にするな」
ルーカスはさらりと言う。
「婚約のアクセサリー用の資金が丸々残っていたんだ。正直、まだかなり余裕がある」
「ああ…それで」
婚約のアクセサリーは、経済的に豊かな方がお金を払うものとされている。男女のカップルの場合は一般的に男性が支払うことが多い。
ルーカスは自分でカットしたタンザナイトとインペリアルトパーズを素材の一つにして、魔鉱細工師に婚約のアクセサリーを依頼しようとしていた。
ところが、その魔鉱細工師が実は私だった。結果、私がその石を使ってイヤーカフを作り、加工賃は手つかずのまま残ることになった。
魔鉱細工は高い。加工賃を別枠で確保していたなら、服の一着や二着、余裕で買える。
私としては、婚約のアクセサリーの代金はどちらか片方が出すもの、という認識に異を唱えたいところだが…
「その、ありがとうルーカス」
「ああ」
対の衣装は素直に嬉しい。何より、ルーカスの気遣いが嬉しい。礼を述べると、ルーカスはフッと表情を緩めた。
その顔に、頬に熱が集まるのを感じる。くそう、イケメンめ…!
隣を歩くことにも触れあうことにも、それなりに慣れた。だが不意打ちのその顔は駄目だ。一生慣れる気がしない。
私は目を泳がせて──ぐう、とお腹が鳴った。
《…侯爵家で散々食べてきたんじゃないの?》
ウィッカが薄目を開け、呆れた念話を響かせる。
「食べてきたけど…何か安心したらお腹すいた」
「俺もだ」
正直に述べると、ルーカスも頷く。
外食するほどではないし、屋台で買ってもいいかも知れないが外出するのも面倒だ。さて何を食べようかと視線を巡らせると、黒板が目に入った。
隣人と何てことのないやり取りをしていた、小さな黒板。その隣人がルーカスだと知ってからは、次の休みはいつだとか、外にご飯を食べに行こうだとか、主にスケジュールを確認する伝言板になっている。
そのやり取りの最初のきっかけは、私が偶然窓際に放置していた走り書き。
『パスタの乾麺、卵、ハード系チーズ、黒コショウ』という買い出しリストに対して、向こうの窓際に『カルボナーラ?』と書かれた黒板が置かれていた。その時は『残念ながらにんにくがなかった』と返したのだが。
パスタ、卵、チーズ、黒コショウ、そしてにんにくと油。パンチェッタはないけどベーコンはある…ふむ。
「夕飯、うちで食べてく? カルボナーラもどきなら作れるけど」
私が訊くと、ルーカスも黒板から視線を戻し、
「にんにくはあるのか?」
考えていたことは一緒だったらしい。澄まし顔で含みのある台詞を口にするルーカスに、私は思い切り破顔した。
「ちゃんとあるよ!」
キッチンに向かうと、当たり前のようにルーカスが隣に立った。
「ルーカス、パスタお願い」
「ああ」
一緒に料理するのにもすっかり慣れた。
ルーカスが大鍋に水をたっぷり入れてコンロにかけ、水面に手をかざす。魔法で一気に沸いた湯に、パスタを投入。前世では不可能な時短調理法だ。
私は包丁でベーコンとにんにくを刻む。魔法で切ることもできるのだが、パスタの茹で時間の関係上、早ければいいってものでもないし、包丁で切る感覚が結構好きなので今回は手作業一択。ついでに、卵も何個か割って溶いておく。白身が残らないように、入念に。
こちらの世界でも前世と同じく「カルボナーラにはパンチェッタ! 他は認めん!」という人もいる。
自作する分には、家にある物を放り込めばいい。何だったら私はベーコンはおろか適当なハムやウィンナーを使うこともあるし、肉類を一切入れずに済ませることもある。逆に、適当な野菜を放り込んで原形を留めないレベルまで魔改造することも多い。別皿で野菜を用意するのは面倒だからだ。
刻んだにんにくを油と一緒にフライパンに入れ、じっくりと弱火で加熱する。
ちりちりと音がしてにんにくがほんのりきつね色になったら少し大きめに切ったベーコンを投入。私とルーカスは肉っぽさが残っている方が好きなので、ほどほどに炒める。
「セラフィナ、パスタいけるぞ」
「ありがと、じゃあお願い」
茹で上がったパスタをざるにあける。この時、パスタの茹で汁をおたま1杯分、別の器に取っておくのがポイントだ。ざるで水気を切ったら、パスタと取っておいた茹で汁をフライパンに放り込む。
ベーコンとにんにくの香りをまとった油をざっとパスタに絡めたら、一旦火を止めて少し冷まし、溶き卵を加える。
それを混ぜているところに、ルーカスにハード系チーズをおろし金で削ってたっぷりと入れてもらう。
「これくらいか?」
「そうだね」
卵とチーズはケチってはいけない。これはそういう料理である。
…などと言い訳をしている間に、下手をしたらお店で出てくるカルボナーラより贅沢な一品が完成した。卵に火が通り過ぎないうちに皿に盛り、好きなだけ粗挽きコショウをかける。
「──よし、成功!」
今回は上手くいった。
私の場合、大体卵を加熱し過ぎてスクランブルパスタと化すので、実は結構貴重な成功だったりする。ルーカスには秘密だが。
「…スクランブルパスタにはならなかったな」
「ぬ」
調理台に並んだパスタ皿を見て、ルーカスが感心したように言う。肩を揺らして見上げると、真顔のルーカスと目が合った。
「…もしかして、ルーカスもよくやる? スクランブルパスタ」
「……大体3分の2くらいの確率でな」
ルーカスがそっと目を逸らし、私はふはっと吹き出す。
「私も4分の3くらいの確率でスクランブルになるかな! でもまあ、カルボナーラじゃなくて卵とチーズのパスタだと思えば美味しいし」
「そうだな」
使い終わった調理器具を流しに放り込み、皿をテーブルに並べる。
飲み物はいつもの温かい紅茶、そしてウィッカ用のご飯は昨夜調理しておいた、ほろほろになるまで煮込んだ羊肉だ。
《明日は鶏肉の気分だわ》
「はいはい、用意しておくよ」
侯爵家と違って、テーブルは狭いし品数は少ない。
だが、対面や隣はすぐそこで、気の置けないその距離感にホッとする。
我が家の食卓は、今日も平和だ。




