88 女子会
何月何日の何時にどこそこへ来い。それだけ書かれた手紙とも言えないメッセージカードが机の引き出しに入っていたことはある。
訳が分からなくてアイリーンに相談したら、とても深刻な顔で「こういうのは絶対行っちゃダメよ。無視でいいわ。失礼極まりないし、何があるか分からないから」と何度も念押しされた。同じようなことが、在学中に複数回あった気がする。
「…あれってやっぱり、危ないやつだったんでしょうか…?」
今考えると、もしかしたら貴族特有の「呼び出しに応じた時点で気があるものと見なす」という案件だったのかも知れない。
この夏に知った貴族の謎文化を思い出して、今更ながら背中にヒヤリとしたものを感じる。
「間違いない」
「名前を明かさないとなると…多分絵柄に家名を忍ばせていたんだろうね…」
「…お前どれだけ危ない橋を渡ってたんだ…」
次兄カーライルと長兄ユージーンが渋い顔で頷き、ルーカスが眉間にしわを寄せて溜息をつく。
「そんなこと言われても…別の街の孤児院出身の未成年に貴族の文化なんて分かるわけないよ。当時は知る必要性も感じてなかったし…」
「それはそうだが」
「ご友人に感謝、ね」
ジョスリンが苦笑している。
確かに、アイリーンには学生時代から今に至るまで、魔鉱細工師としても一個人としてもお世話になりっぱなしだ。いつか恩を返せたらいいのだが。
その後もルーカスの学生時代の話や私の学生生活について、今の私の仕事──代筆課の文官としての仕事や魔鉱細工についてなど、様々な話題が飛び交った。
料理も美味しく、貴族の家なのに細かいマナーに目を光らせている雰囲気もなく、気が付くと肩の力が抜けていた。
──そうしてデザートのアップルパイもありがたく堪能し、私はレティシアに連れられてサロンに移動する。
同席するのは女性陣だけだ。ルーカスはカーライルに捕まって、別の部屋に連れ去られた。男性は男性でゆっくり話をするらしい。
「お腹いっぱいかも知れないけれど、よかったら好きに摘まんでね」
「ありがとうございます」
ソファーの前、ローテーブルの上には焼き菓子が平皿に盛られている。
絞り出しクッキーにアイスボックスクッキー、ビスケットにガナッシュを挟んだもの、三つ編みのように成形された小さなパイ──どれも手の込んだものばかりだ。
ルーカスの異母妹のメイローザが真っ先に手を伸ばし、ガナッシュを挟んだビスケットを摘まんだ。
お腹にそれほど余裕はないが、せっかくなので私も絞り出しクッキーをいただく。
サクサクとした食感と豊かなバターの香り。今まで食べたどのクッキーより美味しい。
「すごく美味しい…」
思わず呟いたら、レティシアが嬉しそうに微笑んだ。
「でしょう? うちのシェフの自慢の逸品なの」
「…」
対面に座る長兄ユージーンの妻、エレーナが深く深く頷いている。どうやら甘いものが好きらしい。
黒髪紅眼のエキゾチックな美女がクッキーやパイを次々口に放り込み、リスのようにもぐもぐと口を動かしている様は、年上なのになんだかとても可愛らしい。
私の視線に気づいたエレーナが、こくんと喉を動かした後、恥ずかしそうに目を逸らした。
「…ごめんなさい、つい」
「あ、謝らないでください、エレーナ様。こちらこそ申し訳ありません、可愛らしくて、つい注目してしまいました」
「……かわ、いい?」
「はい」
心底不思議そうな顔で首を傾げるエレーナに真顔で頷いたら、彼女はポッと頬を染めた。
「…ありがとう」
「……て、天然タラシ…」
メイローザが何やら戦慄したように呟いているが、はて。
エレーナが軽く咳払いして背筋を伸ばし、柔らかく微笑む。
「どうか、エレーナと呼んでほしい。敬語も要らない。この国の言葉は難しいから、分かりやすく話してくれると嬉しい」
そういえば、ロザリンドとエレーナは隣国の出身だったか。
独特の話し方は、母国語とは異なる言語で喋っているから、というのもあるのだろう。
私は笑って頷き、ちょっと身を乗り出して、軽く開いた右の手のひらをエレーナに向けて掲げた。
「それじゃあ、私もセラフィナって呼んで、エレーナ」
エレーナは目を見張った後、嬉しそうに頷いて左手を私の右手に合わせた。
指を絡めてぎゅっと握り、身を乗り出してお互いの右の頬を合わせる。隣国では同性に対して親愛の情を示す動作だ。
ロザリンドがほうと呟く。
「よく知っているな。──では私とも」
「勿論です」
ここで断る選択肢はない。ロザリンドの右手に左手を合わせて頬を触れ合わせる。
エレーナの頬は張りがあり、ロザリンドの頬はさらりとしている。セクハラではない、決して。
「あらあ良いわねえ。私もお願いしたいわあ」
「ふふ、はい」
その流れで、全員と頬と合わせることになった。
指の感触も頬の感触もそれぞれ違うが、一つだけ共通しているのは全員手入れが行き届いているということだ。現役騎士であるジョスリンも、頬は絹のように滑らかだった。付け焼き刃の私とは次元が違う。
ジョスリンとメイローザからも呼び捨てかつ敬語不要の許可を貰った。
嬉しい反面、これが平民と貴族の差かと地味にダメージを受ける。いや、普段必要最低限の手入れしかしてない私の自業自得なんだけど。
やっぱり後で時間とお金のかからない肌のお手入れ方法についてアイリーンに相談してみようかと思案しつつ、ティーカップを口に運ぶ。ふわりと立ち昇る柑橘系の香りが爽やかだ。
「──で、ルーカス兄様とどうやってくっついたの? どこが好きになったの? やっぱり顔!?」
「ゴフッ…!」
紅茶が気管に入った。噴き出すのは何とかこらえ、ハンカチで口元を押さえて何度か咳き込む。
けほ、と息を送り出した後、顔を上げると、それはそれはイイ笑顔のメイローザと目が合った。
「メイ、間が悪い」
「ごめんなさい」
ロザリンドに苦笑され、メイローザが即座に頭を下げて──即座に戻ってくる。
「だって、あのルーカス兄様よ? 恋文の中身を確認せずにそのままゴミ箱に放り込むルーカス兄様よ!?」
…ルーカス、そんなことしてたのか。いやまあ、学生時代の伝説が全部事実だとしたら、気持ちは分かるけど。
「実は同性が好きなのかなとかそれはそれでアリだなとか思ってたら、いきなり婚約したとか言うんだもの! しかも狩人の同僚と! 気にならないわけないじゃない!!」
どうやら家族全員、ルーカスが狩人だということは知っているらしい。
ところで今、メイローザから前世で言うところの『腐女子』の香りがしたのは気のせいだろうか。
そちらに気を取られていたら、メイローザがずいっと身を乗り出してきた。
「で、どうなの!?」
「え!? えーと…ルーカスは何て言ってるの?」
「それが何も教えてくれないの!」
メイローザが頭を抱えた。
「そもそも滅多にこっちに帰ってきてくれないし! 辛うじて「知り合ったのは6年前」っていうのだけ教えてくれたけどそれってつまり兄様が狩人になった頃だから当たり前じゃない!?」
ごもっとも。
「私が知りたいのは、どんなロマンスがあったか、なのよー!!」
貴族のご令嬢とは思えないテンションでメイローザが叫ぶ。
しかしロマンスって…言うほどロマンチックじゃないぞ、私とルーカスの経緯は。
どうしたものかと目を泳がせていると、メイローザは急にスン…と静かになり、据わった眼で再度私に詰め寄ってきた。
「というわけで全部吐いて。洗いざらい全部」
「え」
「ちなみにルーカス兄様の方はユージーン兄様がきっちり聞き出す手筈になってるから大丈夫よ」
何も大丈夫ではないと思うが、目がマジだった。
…もしかして食後に男女分かれて行動するのって、こういう目的があるからなんだろうか。でもルーカスは今まで黙秘していたみたいだし、それを私から話すのも…
「素直に話した方が良いわよぉ、セラフィナ」
レティシアがそれはそれは楽しそうに笑った。
「でないと今後、顔を合わせるたびに問い詰められることになるから」
「え!?」
つまり話すまでメイローザが諦めることはないと。
よく見ると、ロザリンドもエレーナも、ジョスリンさえも興味津々の顔でこちらを注視している。助けは期待できそうにない。
「……そんなに面白い話でもないよ?」
「どんな話でもバッチコイよ!」
念を押したら、メイローザが目を輝かせて言い放った。バッチコイて。
色々と引っ掛かることはあるが、私は観念して説明することにした。




