87 学生時代の伝説
「じゃあ、エールを飲んでも構わないかしら?」
「程々にな、レティ。まだ昼だ」
苦笑して釘を刺すのは、トラヴィスではなく第一夫人のロザリンド。
レティシアの繊細な雰囲気は「エール」の一言で見事に崩れ去り、ロザリンドの厳格な雰囲気は頼れる姐さんといったイメージに取って代わる。
レティというのはレティシアの愛称だろう。誰だよ、第一夫人と第二夫人は普通仲が悪いとか言ってたの。
私が呆然としていると、ルーカスが眉間にシワを寄せて深々と嘆息した。
「……母上、いきなり化けの皮を殴り捨てるのはやめてください」
「あらぁいいじゃない。外面を取り繕ったっていいことはないわ。長い付き合いになるのだもの」
ねぇ? とこちらに同意を求める仕草は大変可愛らしいが、どう反応したらいいのか分からない。
あと、素で「殴り捨てる」とか言ってたけどそれはいいのか。…いいんだろうな。
「すまないな、レティは見た目に反して、こういう性格だ。気にしないでくれると助かる」
「は、はい…その、気さくに接していただけるのは嬉しいので」
困ったように微笑むロザリンドに、何とか言葉を返す。
こういったことは日常茶飯事なのか、使用人たちは微笑を浮かべたまま丁寧に私たちの前に料理を配膳していく。
普通はコース料理のように一品ずつ出てくると教わったが、前菜の盛り合わせにスープ、サラダ、肉料理と魚料理、そしてパンと、見た目も美しい皿がずらりと目の前に並んだ。
「お飲み物はいかがなさいますか?」
「温かい紅茶をストレートで。茶葉は任せる」
ルーカスがメイドに訊かれて即答している。これって次は私が訊かれるやつ? と身構えたら、ルーカスの紫紺の瞳が一瞬こちらを向き、すぐにメイドに戻されて、
「彼女も同じものを頼む」
「承知いたしました」
メイドがにっこりと笑みを浮かべて頷いた。私はこっそり安堵の溜息をつく。
…助かった。この家にどんな飲み物があるかなんて把握していないし──まあ大抵の物はありそうだけど──こういう場に相応しい飲み物が何なのかも分からない。
「私はエールをお願いするわぁ」
「承知いたしました」
……レティシアが笑顔でエールを頼んでいる時点で、何を飲もうと誰も気にしなさそうだが。
全員に飲み物が行き渡ると、紅茶にコーヒーにワインにエールにビール、見事にバラバラだった。
トラヴィスがワイングラスを軽く掲げて笑みを浮かべる。
「──では、本日の良き日に。皆で楽しむとしよう」
乾杯、の一言で、隣同士そっとティーカップやグラスを打ち合わせる。
私もルーカスとティーカップを合わせた後、反対隣のカーライルのビアグラスとも打ち合わせた。その向こう、ジョスリンも紅茶のカップを手に、私と目を合わせて微笑んでくれる。
乾杯の文化はあるが、ここまでてんでバラバラの飲み物で乾杯したことはない。少しだけ肩の力が抜けて、私はルーカスに続いて紅茶を一口飲んだ後、カトラリーを手に取った。
そこから先は、トラヴィスが言った通り本当に無礼講だった。
順当に前菜から食べ始めたのはトラヴィスとルーカスと私くらいで、ロザリンドは魚料理から、レティシアは肉料理から手をつける。
他の面々も、最初に飲み物を空にしたりスープを飲んだりパンを千切ったりと、思い思いに好きなように食べている。
そして、話の内容もざっくばらんだ。
「そういえば、セラフィナさんは共立学校に通っていたのよねえ? ルーカスの後輩に当たるのかしら」
「はい。ただ、在学期間は被っていません。ルーカスが卒業してすぐ、私が入学したようで」
最初は「ルーカス様」と呼んでいたのだが、口調から普段は呼び捨てにしていることがバレたようで、「気にしないで、いつもの感じで呼んでちょうだい。ルーカスと話す時もいつものように、で大丈夫よ」とレティシアに微笑まれた。
ちなみにその後「その方が楽しいもの」と聞こえた気がしたが…気のせいだと思いたい。
ルーカスは私より3歳上だ。共立学校に入学したのは私もルーカスも15歳、在学期間は3年だったので、本当に学校で顔を合わせたことはない。
そうなのねと頷いたレティシアは、エールを一口飲んで意味深に微笑む。
「それなら、この子の在学中の伝説は聞いたことがないかしら」
「伝説、ですか?」
私が首を傾げると、途端にルーカスが渋面になる。
「母上…」
「うふふ。──ルーカスったら、共立学校では色々と人気だったみたいでねぇ。社交の授業とか、ダンスの授業とか、あとは卒業式の後の謝恩会とか──」
「母上」
少々強い口調でルーカスが呼びかけるが、レティシアは肩を竦めるだけだ。強い。
「話待ち、ダンス待ちで行列ができて、同級生が「最後尾はこちら」っていう紙を掲げて立っていた、なんてこともあったみたいなのよねえ」
「…あれってルーカスのことだったんですか」
ぼそりと呟いたら、ルーカスがギョッとした顔でこちらを見た。
「…まさか…」
「いや、話を聞いただけだよ? 私たちの3つ上の世代にものすごい美貌の男子学生がいた、って」
曰く、廊下ですれ違った女子生徒が高確率で気絶する。
曰く、毎朝机の一番上の引き出しに恋文が限界まで詰め込まれている。
曰く、休憩時間は休憩ではなく女子生徒の告白を聞く時間。というか断る時間。たまに話が長引いて次の授業に遅刻する。
曰く、男子生徒は一周回って面白がっている。ただし、婚約者・仮婚約者持ちは気が気でない。
曰く、モテすぎて友人はいない。
確かに、ルーカスの顔だったら納得できる。希少な魔力型『イーリス』の虹色に揺らめく光が目の中に見える状態だったらなおさらだ。
「…大変だったみたいだね?」
「………まあな……」
ルーカスが死んだ魚のような目になった。白身魚のソテーを切る手つきも若干雑になっている。
ジョスリンが苦笑した。
「そう言うセラフィナも、在学中は大変だったのではないの? 言い寄ってくる男子生徒は結構いたでしょう?」
「いえ、いませんでしたよ?」
即答したら、その場の全員が唖然とした顔になった。
「え…」
「なんで」
「…冗談でしょう? その顔で?」
特に食い付いてきたのはルーカスの異母妹、メイローザだ。トラヴィスと同じ紫紺の瞳を大きく見開いている。
私は首を傾げて答えた。
「今日はその道のプロが仕上げてくださったので、普段と全然違う顔になっていまして…。学生の頃はそばかすも残っていましたし、何より奨学生の地位を維持するために必死でしたから、どちらかというと大部分の同級生には遠巻きにされていたと思います。みんな私より年上でしたし」
「恋文は貰わなかったの?」
「恋文…かどうかは分かりませんが、差出人不明で用件も分からない呼び出しの手紙なら何度か…」
「え」
「忙しかったのと、数少ない友人の助言もあって、全て無視していましたが」




