84 クレメンティ侯爵家へ
…変なのに目をつけられてたことはある、っていうのは黙っているべきだろうな…。
脳裏に一瞬、秋の事件で捕らえられた元同僚の顔が過ぎり、私はそれを心の中で思い切りぶん殴って記憶の彼方に吹き飛ばす。
秋の一件で、グリムワルド・ミュラー子爵とデイヴィッド・ロフナー子爵令息、そしてそれに協力していた者たちは騎士団に捕らえられた。
今現在に至るまで、身柄は拘束されたままだ。人身売買などの余罪が多く、捜査や裏付けに時間がかかっていると聞いている。
少なくとも、私の前に姿を現すことは二度とない、それだけは保証する──と、騎士団第2部隊の隊長でルーカスの異母兄、カーライル・クレメンティは断言していた。
…まあ、顔を見たらその瞬間に身体強化込みの全力でぶん殴る自信はあるから、その意味でも会わないほうが幸せだと思う、お互いに。
あんな連中のせいで傷害罪に問われたくない。
秋に一念発起して護身術を学んで以降、思考がバイオレンスになっている自覚はある。殺られる前に殺れ、みたいな。
そしてルーカスはそれを止めない。多分、そういう状況になったら思い切り私の背中を押すか、ルーカス自身がぶん殴りに行くだろう。だからこそ、自分でブレーキをかけなければならない。
…あの時、ルーカス、デイヴィッドを思いっ切り殴り倒してた気がするし…。
秋の拉致事件の時、女性騎士に囲まれていて直接は見えなかったが、そういう感じの音がしていた。
あと、気になることも聞いたような──いや、今はそれはいいか。
店員たちは妙に微笑ましそうな目をしているしルーカスはいたたまれない顔をしているから、そろそろアイリーンには現実に帰ってきてほしい。切実に。
……現実……
「私が自分の容姿にお金と時間を費やし始めたら、魔鉱細工の製造ペースが今までの半分以下になるけど」
「──」
瞬間、アイリーンがスン…と静かになった。私をじっと真顔で見詰め、深く頷く。
「なるほど分かったわ貴女はそのままでいて。貴女の見た目の方は私たちが責任持って何とかするから。全力で」
「はい」
「お任せください」
アイリーンだけでなく、店員たちまでそれはそれは真剣な顔をしている。何これ怖い。
もしや盛大に墓穴を掘ったかと顔を引きつらせたところで、扉の外から声がかかった。
「クレメンティ侯爵家より、お迎えの馬車が参りました」
アイリーンがコホンと咳払いして表情を改め、店員たちがサッとその後ろに整列する。
「──ルーカス・ブレット様、セラフィナ・アッカルド様。改めまして、本日は当店のご利用、誠にありがとうございます。良き一日となりますことを、店員一同、心より祈念しております。行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃいませ」
アイリーンに続いて店員たちが唱和し、揃って頭を下げる。
ルーカスが頷きながら差し出した手に、私はそっと自分の手を重ねた。
今日のために、ポーラに必要最低限の礼儀作法を教えてもらった。意識して表情を整え、ルーカスと共に一礼する。
「ありがとうございます」
「行ってまいります」
豪奢な馬車に揺られること少し。文官としての仕事場である領主館をぐるりと回り、裏側の入口の前で馬車は止まった。
こちらは領主一族の私的な空間だ。当然、私はこちら側から足を踏み入れたことはない。
ルーカスの手を借り馬車を降りると、その手がキュッと握られた。
見上げると、薄く微笑むルーカスと目が合う。
「大丈夫だ」
それだけで、少し肩の力が抜ける。
「…うん。ありがとう」
一瞬だけ握り返して元の『手を載せただけ』の状態に戻り、前を向く。
ルーカスと共に歩を進めると、玄関の両側に控えていた男性2人が、両開きの重厚な扉を静かに開けてくれた。
「お帰りなさいませ」
ホールにずらりと並ぶ男女が、一斉に首を垂れる。
思わず跳ねそうになる肩を、私はギリギリで押し留めた。特別な来客の際には屋敷中の使用人が入口ホールに集まる。ポーラに説明されて予想はしていたが、とても心臓に悪い。
「ルーカス様、お待ちしておりました」
白髪の男性が、ルーカスの前に進み出る。私の方を見ないのは、別に無視しているわけではない。
「ああ。──こちらは俺の婚約者の、セラフィナ・アッカルドだ。身内と等しく扱ってくれ」
ルーカスの言葉で、その場の全員の視線が私に集中した。胃がきゅっと縮むような感覚を覚えながら、表情だけは何とか取り繕って、私は一歩前に出る。
「セラフィナ・アッカルドと申します。どうかよろしくお願いいたします」
クレメンティ侯爵家の使用人は、ほぼ全員貴族家出身だと聞いている。
私は平民、ただし彼らの仕える領主の息子の、婚約者。
身分で言えば私の方が下だが、使用人に対して格上に向けるような言動を取ってはならない。
なので動作は軽く一礼するだけに留め、口上と声に精一杯の誠意を込める。
顔を上げると、思いのほか優しい目をしたご老人と目が合った。
「ご丁寧にありがとうございます。私めは当家の執事を務めております、トマス・ボーデンと申します」
その紫色の瞳が、不意に楽しそうにきらめく。
「──いやはや、まさかルーカス坊ちゃんがご婚約者様をお連れになる日が来るとは。長生きはするものですなあ」
「……トマス」
瞬間、場の空気が緩んだ。どこからともなく複数の笑い声が漏れ、ルーカスが溜息をつく。
トマスの紫水晶のような目、そしてボーデンという家名。もしかしてと思っていると、ルーカスが教えてくれた。
「トマスはポーラの兄だ。似てるだろ?」
「あ、やっぱり…」
ボーデン子爵家は、回復術師にして領主直下の特殊部隊の相談役、そしてルーカスの元乳母でもあるポーラ・ギャレットの生家だ。私が思わず素の口調で呟くと、トマスが片眉を上げる。
「そんなに似ておりますかな?」
「はい。目の色と、笑った時の感じと」
あと、ルーカスをからかう時の雰囲気がそっくりだ。
ルーカスの反応が正直とても面白い──とは口に出さなかったのだが、何故かルーカスがスッと目を細め、作り物めいた笑みを浮かべた。
「…お前今、余計なことを考えているだろう」
「え」
「後で、じっくりと、『話し合い』が必要みたいだな…?」
私の顎に手を添えて軽く上向かせ、至近距離でルーカスが囁く。
遠くで黄色い悲鳴が聞こえた気がしたが、私はそれどころではなかった。
近い、近いって!
「ルーカス、からかってるでしょ!?」
睨み上げると、さてな、と呟いたルーカスが手を退け、肩を竦める。
「──で、緊張は取れたか?」
私はがっくりと脱力した。
「……緊張と一緒に化けの皮も剥がれたよ、もう……」
「それはようございました」
全く良くはないのだが、トマスは訳知り顔で頷く。
「自然体でいるのが一番です。婚約者の家への挨拶となればなおさらですぞ──老骨の知見の一つですが」
ぱちり、慣れた様子で片目を瞑る。見た目は生真面目そうだが、意外とお茶目な一面もあるらしい。
あのポーラの兄なのだから、無論、それだけではないのだろうが。
私は何とか笑みを浮かべた。
「…お気遣い、痛み入ります…」




