64 クロウ
その後ポーラは、ものの数分で私の怪我の状態を確認し、全て綺麗に治してみせた。
その手腕はパイソン並みだ。肩をゆっくり回してみても全く違和感がない。一体どう治したのか、赤く濁っていた右目の視界もすっかりクリアになっている。
破れてしまったブラウスは、証拠の一つになるからと女性騎士が回収していった。
今は代わりに、渡された長袖のシャツを着ている。女性騎士に貸与される制服のうちの一つで、これは使い古しの予備品だから返却は不要と言われた。──着心地からして、新品のような気もするが。
「右目周辺の毛細血管は魔力に耐えられなかったのでしょうね。よく身体が無事だったものです」
肉眼で魔力が視認できるレベルの魔力暴走を起こした場合、多くは魔力切れで収まるが、たまに自分の身体が耐えられなくなって、全身から血を噴き出して死亡する例もあるらしい。そんなことにならなくてよかった。
内心胸を撫で下ろしていると、ポーラは少々厳しい目を私に向けた。
「特に貴女は、既に一度魔力枯渇になったことがある、というのも不安要素ですよ。暴走を止められなければ、重篤な魔力枯渇を起こす可能性もありました」
「……はい」
本当に危険だったのだと諭され、私は小さくなって頷く。
魔力枯渇を起こしたことがある人間は余計に危険というのは知らなかった──……あれ?
「…あの。どうして私が魔力枯渇を起こしたことを…知っているんですか?」
まさかそういう噂でも出回っているのだろうか。
一瞬身構えたが、その心配は杞憂だった。
「夫に聞いていたのですよ。貴女には、『パイソン』と言った方が分かりやすいでしょうか」
「……え…」
とてもイイ笑顔で放たれた言葉に、一瞬、頭がついていかなかった。
…夫。パイソン。
パイソンってあのパイソンだろう。名持ちの狩人で狩人管理事務所救護室の主の。回復魔法の使い手で、医者の。
それが、夫。つまりこのマダムは、パイソンの、妻。
「……」
衝撃的過ぎて思わず固まる。ルーカスが溜息をついた。
「──ポーラ、情報過多だ」
「あら、それは失礼を」
老婦人は飄々と笑う。
その表情は、パイソンに通じるものがあった。
その後、女性騎士に案内されて、私とルーカスは別室に向かった。
騎士団詰所の奥まった所にある、応接室らしき部屋。調度品は上品かつ高級そうだが窓はなく、妙な圧迫感がある。
少し硬いが座りやすいソファーに腰かけ、空中に視線を走らせて、その原因に気付いた。壁と天井の境目、それぞれの角に魔石が埋め込まれている。防音結界──本来の用途で使われている、常設型の防音結界だ。
「この部屋なら、外部に情報が漏れることはない」
対面に座った男性が、そう言って微笑んだ。
カーキ色の髪に榛色の瞳、身体は全体的にかなり筋肉質でがっしりしている。狩人のウルフ──ヴォルフガングといい勝負ではないだろうか。
騎士の制服に身を包んでいるが、その装飾は街でよく見る一般の騎士より一段二段凝っていて、明らかに地位が高い人間だと一目で分かった。
彼は座ったまま、胸に手を当てる騎士の礼を取る。
「領都騎士団第2部隊隊長、カーライル・クレメンティ──ルーカスの異母兄だ」
一度引き締めた表情が、またフッと緩んだ。笑みを含むと途端に威圧感が薄れる。よく見ると目尻が垂れていて、優しそうな目をしていた。
私も丁寧に頭を下げる。
「…セラフィナ・アッカルドです。ルーカスにはお世話になっています」
声に覇気がないのは勘弁してほしい。色々なことが立て続けに起きすぎて、精神的にも肉体的にもついていけていない。
カーライルは一瞬片眉を上げたが、よろしく、と笑みを浮かべるに留め、すぐに横を向く。
「こちらは私の副官だ」
カーライルの隣、姿勢良くソファーに腰掛けた女性が、軽く一礼する。
「改めまして、ジョスリン・クレメンティです。領都騎士団第2部隊隊長補佐の役割を担っております」
そして、ぼそりと付け足す。
「それから、このカーライルの妻でもあります」
「そっちがおまけかよ」
「あら、優先順位を考えれば当然の帰結でしょう?」
カーライルの突っ込みに、ジョスリンが涼しい顔で応えた。
魔力暴走が収まった後、最初に私の怪我の状態を確認してくれた女性騎士だ。
空色の髪をきっちり結い上げ、紫水晶のような瞳をスクエアの眼鏡が彩っている。真面目そうな雰囲気で、よく見ると目元は優しい。すらりとした体格に、騎士の制服と細剣がよく似合う。
「──申し訳ないのだけれど、私たちで貴女の事情聴取をさせてもらいます。こう見えてこの人、意外と涙もろいし婦女子に弱いから、上手く同情をひくのがオススメよ」
「オイこら、変なことを勧めるな」
夫婦漫才のようなやり取りに、私は少しだけ頬を緩めた。
普通なら、隊長と隊長補佐が事情聴取を行うことはないだろう。わざわざ名乗ってくれたのは、ルーカスの身内であることを示し、こちらの警戒心を解くためだろうか。何故なら──
「……あー……で、だ」
私がカーライルたちの後ろ、部屋の隅に視線を向けると、カーライルが大変気まずそうな顔をして、そこに佇む長身痩躯の男を示した。
「あいつは、クロウ。領主直属の特殊部隊員で、今回の件に裏から協力してくれてた……んだが……」
目が泳いでいる。
あの黒髪の男は、私を魔法で麻痺させた張本人だ。犯人のうちの一人がこちらの味方だったなんて、言い難いことこの上ないだろう。
でも、問題はそこではない。私は平坦な声で呟いた。
「……ヒトを凶悪犯捕縛用の魔法と魔封じの腕輪を使って拉致して、デイヴィッドに襲われそうになったところを静観するどころか後ろから羽交い締めにして首絞めるのが、協力?」
「……は?」
「──え?」
「……ほう?」
カーライルがぽかんと口を開け、ジョスリンが唖然と目を見開き、ルーカスの気配が一段、冷える。
クロウがビクッと飛び上がった。
「ちょ、ちょーっと待ってください! 何か色々誤解があるッスよ、誤解が!!」
隠蔽魔法を解いたクロウは黒髪黒目で、こう言ってはなんだが地味な顔立ち。体格以外、特徴らしい特徴はない。群衆の中にいたら頭一つ飛び出ていても見逃す、そんな雰囲気の男だった。
が、あの現場にいた時と口調と態度と動きが全く違った。わたわたと手を振り、焦りを前面に出した顔で主張する。
「危険な目に遭わせるつもりはなかったんですって! こう、現行犯逮捕できそうな状況になり次第、連中を制圧するつもりだったんスよ! ……その前にノックアウトされちまったッスけど……」
ショボショボと眉を下げる。
この男はあの時、私の魔力暴走の影響をまともに受けて吹っ飛び、壁に叩きつけられて、魔力に中てられ気絶していた。特殊部隊員にはあるまじき醜態だったらしい。
しょんぼりと肩を落とすクロウに、ルーカスが眉をひそめる。
「現行犯逮捕できそうな状況?」
「えーと、そちらの御方の下着に手をかけた、とか、きわどい場所に触れた、とか」
「…カーライル、こいつ殴っていいか?」
「やめとけ。こう見えて対人戦闘のプロだ。後で俺がやっておく」
「隊の手練れを集めておくわ」
「ああ、頼む」
「いやいやいや、やめてくださいって!」
据わった目で言葉を交わす3人に、クロウがひたすら叫ぶ。流石に騎士団との集団戦闘は避けたいようだ。
が、その後の言い訳が問題だった。
「首絞めたのだって、そちらの御方が予想外に的確に抵抗してたんで、気絶してた方がかえって安全かなーと思っただけなんスよ! 絞め落とそうとしただけで殺意は無いッス! これっぽっちも!」
「…………あ゛?」
「……」
場が凍りつき、ルーカスの纏う空気が氷点下まで冷えた。




